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第53話「取る」

【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、月の十一日の朝】

手持ち …… 銀貨千二百四十七枚、銅貨十六(うち銀貨千枚は位の売却分)

共有財布 …… 銀にして二百五十九枚分(銭の数 二百九十三枚)

申告件数 …… 三百十六件(うち労賃百二十七件)

人口 …… およそ二百四十九人

売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)

未払い …… 二件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二、グレン・ヴァルデ/銀貨二十四枚)

公示 …… グランゼ辺境伯の位(名義 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン)/申告値 銀にして一万枚分・月の流通税 銀にして百枚分(当村へ納付/初月分 納付済み)

公示 …… 位の売買 一件(買主 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/銀にして千枚分/月の九日 テラ申告台)

公示 …… 人別改め 一件(辺境伯 代理 レーヴェン/札 二百四十四枚/受けぬ者 五人/月の十日)

公示 …… 域内証文の公示義務(布告済み)

公示 …… 証文一件(ヴァルデ男爵家宛て/申告値 銀貨百八十枚/取り立てず・利も取らない)

公示 …… 証文一件(申告者 ヨエル/貸主 不明/証文上の名 グラウの十七)

公示 …… 取り消しの届 一件(ラウル・ヴェッセ/写しの名義の否認)

公示 …… 公示台帳の写し 五通(裏書=写した者の名・日・場所)

公示 …… 証文 三十一件(申告値 零/買主 本人/買い戻し済み)

公示 …… 買値 一件(グランゼ辺境伯の位/成立/朔日 テラ申告台)

公示 …… 監査方の報告 写し 一通(イルマ・ドレーゼ/先月の十日 テラ申告台/裏書つき)

公示 …… 西部詰所の布告 写し 一通(朔日施行/三条)

公示 …… 台帳建ての勘定(布告済み/一枚分=規定の重さの銀。ヴァルデ鋳は八割で受ける)

公示 …… 分銅の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)

公示 …… 弁済 一件(借主 セリーヌ・ヴァルデ/貸主 中央商業ギルド連合/銀にして千枚分/朔日 西部詰所/貸主承諾つき)

保有証文 …… 一件(ヴァルデ男爵家宛て/額面 銀貨百八十枚/利は取らない)

預り …… 七十四件(銀にして百二十三枚分/うち一件 亭主の遺した銭・返すために貯めた分)


特記───「辺境伯の用に供する」


「――この屋敷は、辺境伯の用に供する」


兵の声が、代官邸の門の前で響いた。


閂の外れる音は、思っていたより重かった。錆びた鉄が軋み、閂そのものが門柱から抜け落ちて、乾いた土の上に転がる。台帳の上では、この屋敷は今も俺の名で公示されている。銀貨二千八百枚。その値のついた門が、今、他人の手で押し開けられていく。


朝のうちに、外套の色が増えていた。灰緑が三十、また三十。数えるまでもなく、昨日の倍だとわかった。石突きが土を叩く音が、門の前から通りの端まで、規則正しく続いている。荷車が三台、その後ろに連なっていた。空の荷車ではない。荷台に積まれた木箱の角が、朝日を受けて輪郭だけを白く光らせていた。荷車の留め金には、砕けた車輪を象った紋が打たれている。八日前、ガンツの手を止めた紋だった。


六十人が、この村で寝て、食う。


代官邸の広間に、兵が寝藁の束を運び込んでいく。かつてバルドが金箔の椅子を据えた場所だ。今は、藁の匂いだけがそこにある。指揮する兵の声に、迷いも遠慮もなかった。梁に架かっていた古い燭台が一つ、束を運ぶ肩に当たって傾いだ。誰も直そうとはしなかった。


宿の廊下を、軍靴の列が行った。二階の奥から、宿の主の低い声が漏れる。


「……客の荷物は、もう出した」


抗う言葉ではなかった。ただの申し送りだった。宿の主は腰の鍵束を握ったまま、廊下の壁際に張りついている。兵が部屋の戸を一つずつ開け、木札を鴨居に打ちつけていった。「徴発」と焼印の入った、掌ほどの木の札だった。木槌の音が、廊下の奥から手前へ、規則正しく近づいてくる。


宿の三階、階段の脇の小部屋から、セリーヌが出てきた。荷は小さな包み一つ。紙の端を揃えるときと同じ手つきで、包みの結び目を持ち直している。フィーネが通りの向こうから駆けてきて、その包みを見た。


「うちの二階、空いてる」


それだけだった。セリーヌは頷き、包みを抱え直して歩き出した。振り返りはしなかった。階段を降りる足音だけが、木札を打つ音と重なって遠ざかっていった。


ゲオルクの店では、麦袋が荷車に積まれていく。乾いた音が、袋の底から立った。干し肉の束も、棚から一つずつ引き抜かれていく。ゲオルクは箒を握ったまま、店先で立ち尽くしていた。棚が空になっていく様を、瞬きもせずに見ていた。


「共有倉も」ソルが控えの束を抱えて追いついてきた。木の棒の先で、通りの向こうを示す。「麦、二十袋」


倉の扉が開けられ、袋が次々に荷車へ運ばれていく。老爺の家の裏手からは、積んであった薪の束が兵の手で運び出された。樹脂の匂いが、朝の冷えた空気に混じって流れてきた。老爺は煙管を咥えたまま、その様子を眺めていたが、何も言わなかった。


兵は、誰の家にも土足で踏み込まない。物を壊すこともしない。ただ、決められた順に取り、決められた場所へ木札を置いていくだけだった。金は、どこにも置いていかない。


通りの端で、鍛冶の女房が戸口に立ったまま、荷車が過ぎるのを見送っていた。夫の腕は、まだ熱で赤らんでいる。その手が、女房の肩を一度だけ抱き寄せて離れた。何も言わなかった。言う言葉が、まだ見つからないという顔だった。


ヴォルクが通りの角から出てきた。槍を握る手に、力が入っている。俺と目が合った瞬間、その足が止まった。


首を、横に振った。それだけだった。


ヴォルクの喉が一度上下し、握った拳がゆっくりと開いた。槍の石突きが、地面に戻る。何も言わずに、腕を組み直した。だが視線だけは、荷車が通りの向こうへ消えるまで外さなかった。


アーヴィンが、控えの束を胸に抱えたまま歩み寄ってきた。


「数だけは、書き留めています」低く言った。「何が、どれだけ」


「頼む。後で、要る」


アーヴィンは頷き、控えの端に何かを走り書きすると、また通りの先へ向かった。人別改めの日と同じ、線を引くだけの静かな仕事だった。


「書き留めて」ヴォルクが低く割って入った。「それで、何になる」


「何にもならないかもしれません」アーヴィンは筆を止めずに答えた。「ですが、書かなければ、今日あったことは今日のうちに消えます」


ヴォルクは口を閉じ、それ以上は続けなかった。納得した顔ではなかったが、言い返す材料も持っていなかった。


荷車が最後の一台、代官邸の門をくぐって消えた。通りに残ったのは、木札と、蹄と車輪が土に刻んだ跡だけだった。ガンツが、地面に転がったままの閂を拾い上げ、門柱の脇へ立てかけた。誰に頼まれたわけでもない仕事だった。石粉のついた手が、錆びた鉄の感触を確かめるように一度撫でて、それきり離れた。


「直すのか」俺は聞いた。


「今は、要らん」ガンツは首を振った。「開けっ放しの門に、閂は邪魔なだけだ」


短い答えだった。それ以上は、何も続かなかった。閂を立てかけた場所には、まだ土に転がっていたときの跡が、うっすらと弧を描いて残っていた。


兵は、何ひとつ壊していない。ただ、持ち主の欄を無視しただけだ。


特記───「取られて、金が来る」


昼、申告台に共有財布の木箱が運ばれた。蓋を開けると、銀貨が朝より薄く積もっているのが分かった。


「台帳に載っている物は、村が守る」ソルが控えを開き、木の棒で頁を叩いた。「守れなかったら、申告値どおり戻す。前からそうだ」


新しい規則ではなかった。峠の護衛料と同じ紙の上に、ずっと書いてあった一行だ。ソルはそれを、今日また読み上げているだけだった。


「宿の申告値、銀にして三十枚分」フィーネが分銅を秤の皿に載せていく。乾いた音が続く。「取られた部屋の分、まとめて」


宿の主が、木箱の前に立った。フィーネが銀貨を数え、その手に押しつける。宿の主は受け取らず、しばらく突っ立っていた。


「……取られて、金が来るのか」


誰に聞くともなく言った。声に、いつもの棘はなかった。腰の鍵束が、握った手の中で鳴りやんでいる。


答える者はいなかった。フィーネは黙って、もう一度その手に銀貨を握らせた。宿の主は今度は受け取り、鍵束を鳴らさずに輪の外へ戻っていった。その背中が、いつもより丸く見えた。


「ゲオルクの店の麦と干し肉、それに共有倉の麦」ソルが続けた。「合わせて、銀にして二十九枚分」


ゲオルクが帳面を探ったが、手が震えて頁が繰れない。指の先が同じ行を三度なぞって、それでも数字が出てこなかった。


「……いくらだったか」


「お前が申告台へ書いた値だ」ソルが自分の控えから読み上げた。「一枚ずつ足せば、この額になる」


ゲオルクは頷き、額の汗を袖で拭った。受け取った銀貨を数えもせずに握りしめ、それから思い出したように一枚ずつ数え直した。数え終えると、ようやく息を吐いた。


「共有倉の分は」フィーネが控えを覗き込んで聞いた。「うちの財布から出るのよね。うちの麦を、うちで買い戻す形になる」


「そうだ」ソルは頷いた。「妙な形だが、台帳の上では、それが正しい」


フィーネは筆の尻で秤の縁を軽く叩いた。数字は合っていた。合っているからこそ、釈然としない顔をしていた。


積み上げられていく数字は、村の誰かの手から出て、村の財布の中で行き来しているだけだった。だが財布は、確かに薄くなっていく。木箱の底が、銀貨の間から少しずつ見え始めていた。フィーネが分銅を戻す手つきも、朝より一つ分だけ遅かった。


「薪」ソルは最後の行に木の棒を置いた。「銀にして十二枚分」


老爺は受け取った銀貨を、掌の上で重さだけ確かめた。


「戻ってきた分と、燃やされた分」灰を吐きながら呟いた。「同じ銭が、行ったり来たりするだけかい」


「そういう仕組みだ」ソルは短く答えた。「文句があるなら、燃やす前に言え」


老爺は鼻で笑い、それ以上は続けなかった。


「合計」フィーネが筆の尻で帳面を叩いた。「銀にして七十一枚分」


「同じ額を」俺は言った。「未払いに載せる」


ソルが控えの新しい行に、木の棒で線を引いた。


――未払い……辺境伯 オットマー・グラウ。


「向こうは、払わないわよ」フィーネが眉を寄せた。


「払わなくていい。今は、載ればいい」


フィーネはそれ以上言わず、控えの端を筆の尻で叩いた。納得したというより、他に言葉が見つからないという顔だった。


代官邸の分は、その行に載らなかった。持ち主は俺自身だ。ソルが確認するように一度こちらを見て、俺が頷くと、それ以上は何も聞かずに控えを閉じた。木の棒が、いつもより静かに戻された。


宿の主が、輪の端で鍵束をもう一度握り直していた。銀貨を受け取った手のひらを、もう片方の手でゆっくりと撫でている。感触を確かめるような仕草だった。今朝、部屋を空けろと言われたときの手とは、明らかに違う動きをしていた。


フィーネは控えの新しい行をしばらく見つめてから、小声で言った。


「二千八百枚。自分の分だけ、財布から出さないの」


「財布は、皆のものだ」そう返した。「俺の屋敷のために、皆の銀を使う理由はない」


フィーネはそれ以上は言わず、控えの表紙を撫でるように閉じた。何かを言いたそうな顔だったが、言葉にはならなかった。


未払いの写しを持って、代官邸へ向かった。


特記───「値は、つく」


代官邸の広間には、寝藁の匂いが満ちていた。かつて金箔の椅子があった場所に、今は木箱が積まれている。壁際の燭台にはまだ蝋の跡が残っていたが、火は灯っていなかった。レーヴェンは奥の卓についていて、真鍮の砂時計を指の先で回していた。


写しを卓の上に置いた。


「徴発は、領主の権である」レーヴェンは写しを一瞥した。「未払いではない」


「権でも構わない」俺は言った。「値は、つく」


レーヴェンは写しを手に取り、目を通した。表情は動かない。読み終えると、丁寧に畳んで卓へ戻す。砂時計を持ち上げ、卓の上で返した。


「……」


何も言わなかった。それだけだった。動じた様子はどこにもない。


「兵は」レーヴェンが続けた。「飢えぬために食う。それだけのことだ」


理屈と呼ぶには、あまりに短かった。だがそれだけの言葉で、反論の隙は塞がれた。この男は、脅すために口にしたのではない。事実として、そこにあるだけの理由を並べただけだった。


俺も、それ以上は言わなかった。言うべき言葉は、すでに紙の上にある。


広間を出る間際、寝藁の隅に積まれた木箱の一つに、見覚えのある留め具がついているのに気づいた。宿の食器棚のものだった。何に使うのかは、聞かなかった。聞いたところで、答えは変わらない。


門の外へ出ると、兵の一人が古い燭台を荷車に積んでいるところだった。梁から落ちた、あの燭台だ。傷んだ台座の埃を、指の背で軽く払ってから木箱の隙間に収めている。壊れた物にも、値をつける手つきだった。荷車の車輪が、朝の轍の跡へきっちりと重なって止まった。


翌日、月の十二日。峠に、新しい改めの場ができたという報せが村に届いた。


ミラが荷台の縁から降りてきたとき、踵の音がいつもより速かった。


「取られた連中、もう来ないって言ってる」


「何を取られた」


「兵糧だと」ミラは荷紐を握ったまま言った。「東から一件、西から二件。峠の途中で、荷を止められた」


「怪我人は」


「いない」ミラは首を振った。「乱暴はしなかった。ただ、荷を検めて、要る分だけ持ってっただけさ」風に混じった砂埃を払うように、荷紐を強く一度叩いた。


「灰緑の外套だったか」


「そうだよ」ミラは頷いた。「荷車の留め金に、砕けた車輪の紋が入ってた。テラの兵じゃない。あの手袋をしない男の連れだ」


グラウ家の紋だ。峠まで、レーヴェンの手が伸びているということだった。ミラの手の中で、荷紐の先が小さく揺れていた。


「取られた三件は」


「三件とも、出る前にうちの申告台で申告した荷だ」ミラは荷紐を締め直した。「申告してなかった連中は、途中で引き返した。取られるだけ損だからってな」


「引き返した荷は」フィーネが控えの端に何かを書き足しながら聞いた。「どこへ行ったの」


「テラへは戻ってきてない」ミラは首を振った。「北回りへ流れたんだろうよ。日数はかかるが、少なくとも取られはしない」


北回り。回廊が敷かれる前、この地の商人たちが使っていた、遠く険しい道だった。日数の短さで客を呼んでいた峠が、今は逆の理由で客を手放している。


申告のある荷は、村が守る。申告のない荷は、守りようがない。峠でも、その規則がそのまま働いていた。


護衛料は、荷が出発前に申告されていることが前提だ。この地に来る前から、その原則は変わっていない。荷が奪われれば、共有財布が申告値どおり戻す。峠の商人に、その規則を適用しない理由はなかった。


「戻す」俺は言った。「申告値どおりに」


ミラは肩をすくめただけで、それ以上は聞かなかった。何度も見てきた手順だった。


「峠に、居座る気かね」踵を鳴らしながら聞いた。「あの改めの場」


「分からん」それだけは正直に言えた。「今は、通る荷を守ることしか考えてない」


「守るのに、金がいるんだろ」ミラは荷紐を締め直した。「金の切れ目は、峠の切れ目だ。あたしらの仕事も、そこで終わる」


軽口には聞こえなかった。数字の裏にある現実を、誰よりも早く嗅ぎ取る女だった。


夕方、峠から戻ってきた商人の一人が、申告台の前で銀貨を受け取った。数えもせずに、しばらくその重さを手のひらで確かめていた。荷車の轍には、朝出たときより浅い跡が残っていた。積み荷が、行きよりも軽くなっている証だった。


「……取られて、払われた」男は呟いた。「こんな峠は、初めてだ」


また来るとは言わなかった。かといって、二度と来ないとも言わなかった。ただ、銀貨を巾着へしまい、荷車の轍の跡を見つめたまま、しばらく動かない。手綱を握る指の力だけが、いつもより強かった。


「次も、来るか」フィーネが控えを片手に聞いた。


「分からん」男は間を置いて答えた。「損はしなかった。だが、得もしなかった」


その言葉を最後に、男は荷車を引いて西へ去っていった。轍の跡には、テラの土とは違う赤みを帯びた砂が薄く残っていた。峠の向こうから運ばれてきた砂だ。


特記───「五日」


月の十三日の夕、板間に魔灯石の光が灯った。


外では、兵の焚き火が小さく爆ぜる音がしていた。薪の弾ける音だ。あの薪が、どこから来たものかを、板間の誰もが知っていた。


「三日で、償ったのが」フィーネが控えを開いた。「銀にして百三十三枚分」


「共有財布は」ソルが木の棒で控えを叩いた。「銀にして百二十六枚分」


数字が、卓の上に静かに積まれていった。


「未払いは」ソルが続けた。「七件。銀にして二千九百三十三枚分。うち二千八百枚分は、代官邸の倉と遊休地一帯」


「載せて、それで終わりか」宿の主が卓の端から低く言った。「向こうが払わなけりゃ、ただの紙だろう」


「紙だ」ソルは即座に認めた。「だが、名の書いてある紙だ」


宿の主はそれ以上続けなかった。鍵束を握った手を、卓の縁に軽く置いただけだった。銀貨を受け取った日の手つきとは違い、今はただ音を立てないようにしている手だった。


ガンツが、卓の上の焚き火の音に耳を傾けるように顔を上げた。


「北の石切り場でも」ぽつりと言った。「兵糧が細ると、真っ先に石工の飯を削った。人を帰すより、口に入る分を削るほうが早いからだ」


「同じことを、あの男もするか」ヴォルクが低く聞いた。


「する」ガンツは即答した。「合理だからだ。あの家宰は、合理でしか動かん」


その一言が、板間の空気を一段冷やした。ガンツは石粉のついた指で卓の縁を一度叩き、それきり黙った。


「合理で動く相手のほうが」アーヴィンが静かに言った。「まだ、話ができる分だけましかもしれません」


「話して」宿の主が鍵束を握ったまま聞いた。「何が変わる」


アーヴィンは答えなかった。答えを持っていないことは、その沈黙が示していた。


「西部詰所へ、報せは」アーヴィンが顔を上げた。「出せないのですか」


「出せる」ソルは答えた。「届くのに、二日はかかる。着いても、すぐに動く保証はない」


「悠長に待ってる暇はなさそうだな」ヴォルクが腕を組んだまま低く言った。


アーヴィンが、膝の上で指を組み替えた。何か言いかけて、口を開いたまま止める。


「償うのを――」


そこで、言葉が止まった。それ以上は続けず、ただ組んだ指を強く締め直しただけだった。促す者はいなかった。促す勇気を、この場の誰も持てなかった。


ガンツが、卓の隅で腕を組み直した。石粉のついた指が、袖口を一度なぞって止まる。何も言わなかった。ただ、卓の上の控えを見つめる目だけが、いつもより長く止まっていた。


フィーネが筆を控えの表紙に立てたまま、卓の一点を見つめていた。数字を足す手つきが、いつもより遅い。


「兵は六十人だ」ソルは木の棒を控えの余白に置いた。「毎日食う。毎日取る。峠でも取る。このままなら――」


言葉の途中で、木の棒が止まった。


「五日で底をつく」


板間が、静かになった。反論する者はいなかった。反論できる材料が、この場のどこにもなかった。


外で、また薪の弾ける音がした。兵の焚き火が、夜の中で小さく赤く揺れていた。村の薪だった。


【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、月の十三日の夕】

手持ち …… 銀貨千二百四十七枚、銅貨十六(うち銀貨千枚は位の売却分)

共有財布 …… 銀にして百二十六枚分(銭の数 百五十四枚)

申告件数 …… 三百十七件(うち労賃百二十八件)

人口 …… およそ二百四十七人

売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)

未払い …… 二件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二、グレン・ヴァルデ/銀貨二十四枚)

未払い …… 辺境伯 オットマー・グラウ(徴発 七件/銀にして二千九百三十三枚分/うち二千八百枚分は代官邸の倉および遊休地一帯・レイ・ヴァルデ宛て)

公示 …… グランゼ辺境伯の位(名義 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン)/申告値 銀にして一万枚分・月の流通税 銀にして百枚分(当村へ納付/初月分 納付済み)

公示 …… 位の売買 一件(買主 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/銀にして千枚分/月の九日 テラ申告台)

公示 …… 人別改め 一件(辺境伯 代理 レーヴェン/札 二百四十四枚/受けぬ者 五人/月の十日)

公示 …… 徴発の償い(布告済み/台帳に載る物は申告値どおり共有財布から償う)

公示 …… 域内証文の公示義務(布告済み)

公示 …… 証文一件(ヴァルデ男爵家宛て/申告値 銀貨百八十枚/取り立てず・利も取らない)

公示 …… 証文一件(申告者 ヨエル/貸主 不明/証文上の名 グラウの十七)

公示 …… 取り消しの届 一件(ラウル・ヴェッセ/写しの名義の否認)

公示 …… 公示台帳の写し 五通(裏書=写した者の名・日・場所)

公示 …… 証文 三十一件(申告値 零/買主 本人/買い戻し済み)

公示 …… 買値 一件(グランゼ辺境伯の位/成立/朔日 テラ申告台)

公示 …… 監査方の報告 写し 一通(イルマ・ドレーゼ/先月の十日 テラ申告台/裏書つき)

公示 …… 西部詰所の布告 写し 一通(朔日施行/三条)

公示 …… 台帳建ての勘定(布告済み/一枚分=規定の重さの銀。ヴァルデ鋳は八割で受ける)

公示 …… 分銅の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)

公示 …… 弁済 一件(借主 セリーヌ・ヴァルデ/貸主 中央商業ギルド連合/銀にして千枚分/朔日 西部詰所/貸主承諾つき)

保有証文 …… 一件(ヴァルデ男爵家宛て/額面 銀貨百八十枚/利は取らない)

預り …… 七十四件(銀にして百二十三枚分/うち一件 亭主の遺した銭・返すために貯めた分)


特記───「五日」


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