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第05話「代官の取り分」

【グランゼ辺境 テラ村 着任三日目】

手持ち …… 銀貨六、銅貨十八(増減なし)

岩塩鉱床 …… 推定、村ひとつを賄う規模(未申告・未着手)


代官邸 表敬訪問(要件:通行・販売許可の申請)

上納要求(代官提示) …… 六割

販売経路(代官提示) …… 代官指定の商会のみ

特記───「値札は、向こうが握っているつもりでいる」


「――ほう。これはこれは」


低く弾んだ声が、磨き込まれた床に反響した。長椅子から身を起こした男が、俺の頭のてっぺんから泥のついた靴先まで、値踏みするように舐め回す。


「噂の『無能の三男坊』が、じきじきにお越しとは。いやはや、光栄の極みでございますなあ」


バルドは想像より小柄だった。だが着ている物の重さで、それを補って余りある威圧を作っている。指という指に嵌った金の指輪、腹の丸みを強調する派手な帯、香油で撫でつけた髪。この痩せた村のどこに、これだけの脂が蓄えられる余地があったのか。答えはとうに分かっていたが、あえて考えないことにした。


「鑑定の儀で戦闘も魔法もからきしと出たお方が、よくぞこの辺境まで一人で来られた。よほど腹が据わっておいでか。それとも――他に、選びようがなかったか」


言葉の丁寧さと、目の奥にある色とが、まるで噛み合っていなかった。慇懃さは仮面で、その下にあるのは損得の品定めだけだ。


「今日伺ったのは、他でもない」俺は用件を切り出した。「村外れの塩害地に、良質の岩塩が眠っている。これを外へ運び出す、通行と販売の許可が欲しい」


バルドの片眉が、わずかに上がった。


「ほう……岩塩、ですか」


一拍の間があった。損得を量る色が、部屋の温度ごと変わった気がした。バルドは指の金の指輪を撫でながら、ゆっくりと足を組み替える。


「あの、塩に殺された死地から……。いや、いや。面白い。実に、面白いことを仰る」


「試算はまだ粗い。だが、村ひとつを立て直すだけの量はある」


「なるほど、なるほど」バルドは杯を掲げ、取り巻きに目配せをした。長椅子の脇に控えていた恰幅のいい男が、追従の笑いを浮かべて頷き返し、瓶から酒を注ぎ足す。俺には椅子も勧めず、突っ立ったまま用件を聞く姿勢を崩さない――取り巻きの一人らしい。「さすがは、ヴァルデ家のご子息だ。目のつけどころが、違いますなあ」


この賛辞に、温度は一切なかった。品定めの結論が出た音だけがした。


広間の空気には、甘ったるい香油の匂いが染みついていた。壁際に焚かれた香炉から立つ煙が、そのまま鼻の奥に絡みつく。差し出された杯の中身に口をつけると、蜜のように甘い酒精が舌に残った。この乾いた土地のどこで採れた蜜だろうか。足元の絨毯は靴底が沈むほど厚く、村で見たどの床とも違う。壁には、金の縁取りをした肖像画が飾られている。実物よりいくらか若く、いくらか痩せて描かれていた。村長宅で見た色褪せた肖像画とは、飾る動機からして違うのだろう。あちらは誰かを偲ぶ額縁で、こちらは自分を大きく見せるための鏡だ。搾ったものが、どこへ流れ着いたか。答えは、この部屋の全てが語っていた。


「では、通行と販売の許可を」


「ああ、それはもちろん」バルドは杯を置き、指を一本立てた。「この地に産する物を、外へ出す許可は、代官たる私の専権事項でございます。もちろん、お許しいたしますよ。ただし――」


言葉が、そこで区切られた。芝居がかった間だった。長椅子の肘掛けを、指先が二度、三度と叩く。


「取れ高の六割を、この代官邸への上納としていただきたい。そして――」


「六割」


「ええ。何、法外な数字ではございませんよ。この痩せた土地を、私が長年守り育ててきた、その謝礼のようなものです」


守り育てた、という言葉に、乾いた笑いが込み上げそうになった。堪える。感情を面に出す価値もない。


「販売の経路も、私の指定する商会に限っていただきます。よそへ流されては、価格の統制が利きませぬのでな」


代官指定の商会とやらが、実質バルド自身の懐へ直結していることは、聞くまでもなかった。上納と独占。二つを重ねれば、種銭は芽吹く前に根こそぎ刈り取られる。


「六割は、いささか高いのではないか」


「高い?」バルドの声から、初めて猫撫での色が抜けた。「無能と誹られ、辺境へ捨てられた坊やが、この村で何をできるとお思いか。私の許しがなければ、その岩塩とやらは、死んだ土に埋もれたままですよ」


「代官様のおっしゃる通りで」取り巻きが、堪えきれない笑いを声に滲ませた。「大体、坊ちゃんに岩塩を運ぶ人手なんぞ、どこにあるんです。指くわえて腐らせるくらいなら、代官様に卸しといた方が、よっぽど賢いんじゃないですかい」


「お前は黙っていろ」バルドが軽く手を振ると、取り巻きは首をすくめて口を噤んだ。だが、笑みの形はそのままだった。二人の間には、こういう掛け合いが慣れた芝居として染みついているらしい。


反論は、いくつも喉元まで出かかった。だが、ここで熱くなれば、向こうの思う壺だ。俺は表情を動かさず、ただバルドの言葉を最後まで聞き切った。


その沈黙が、逆にバルドの機嫌を揺らしたらしい。笑みの形はそのままに、目の奥だけが、微かに探るような色を帯びる。手応えのなさに、苛立ちが滲んでいた。


一拍置いて、視界の端に文字が滲んだ。至近距離で、しかも互いの腹を探り合うように視線を合わせ続けていたからか、いつもより浮かぶ速さが早い。


『バルド/真価:身の丈を超えた強欲に溺れた、小心な横領者/世評:テラ村を治める、有徳の代官』


真価と世評の落差は、これまで視てきたどの対象より大きい。だがそれ以上に目を引いたのは、真価の奥に揺れる、もう一つの色だった。強欲の底に、怯えにも似た焦りが張り付いている。何かを隠している男の目だ。丘の上から見下ろした倉と遊休地の記憶が、今、目の前の顔とようやく繋がった。


「――返事は、すぐにいただけますかな」


「持ち帰って考える。悪い話ではないと分かった上で、詰めておきたいことがある」


「詰める、とは?」


「実務の話だ。荷の量、運び出す日程。決めるべきことは多い」


嘘ではなかった。ただ、詰めたいものの正体を、この男に教える気は毛頭なかった。


バルドはしばらく俺の顔を眺めていたが、やがて肩をすくめ、杯を干した。


「ま、よろしいでしょう。どうせ、あなたに他の道はないのですから」


「世話になった」


「いやいや。困ったことがあれば、いつでもいらっしゃい」バルドは卓上の書付を指先で弄びながら、酒精の混じった息とともに笑った。「無能の坊やにも、代官様は優しいのでございますよ」


取り巻きの追従笑いを背に、俺は広間を出た。門を抜けるまで、脂ぎった視線が背中に張り付いている気がしてならなかった。振り返らずとも分かる。あの目は、獲物を逃した苛立ちではない。まだ籠の中にいると信じ切った者の、余裕の目だ。


日は既に傾きかけていた。館を出て、村への道を下る。


懐に手を入れ、路銀の感触を確かめた。銀貨六枚、銅貨十八枚。三日前から変わらない重さだ。だが、その軽さの意味が、行きと帰りとでまるで違って感じられた。


六割。数字だけを取り出せば、単純な算術だ。だが、その算術の裏に潜む意図は、単純さとは程遠い。上納六割、販売経路の独占。二つを重ねれば、岩塩から生まれる利は、芽吹く前にほとんど刈り取られる。残るのは、種を蒔いた側にはほとんど旨みのない、名ばかりの取り分だけだ。


正面から突っぱねれば、どうなる。答えは、村を歩いた二日で嫌というほど見せつけられている。畑を安く取り上げられた男は、翌年から姿を消した。反抗した者の末路は、証拠もなく、噂だけが残るだけだ。今の俺には、それを跳ね返すだけの力も、証拠も、人望もない。


だが、唯々諾々と六割を差し出す気もなかった。


前世でも、似たような相手を見てきた。数字を握った者が、数字の弱い者を食い物にする構図だ。大崩壊の前、そういう手合いは決まって同じ末路を辿った――自分の欲に足を取られ、自分の帳簿の重みで沈む。ただ、あの世界で学んだことが一つある。強欲な男は、いずれ自分の強欲さの証拠を、自分の手で残す。今すぐそれを暴く力はない。だが、いつか暴ける形に、育てておくことはできる。


正面から潰すのは、まだ早い。だが、諾々と従うのでもない。合法の体裁を保ったまま取引を成立させ、その裏で証拠と関係を積む。回り道だが、着実な道だ。


日暮れの道を歩きながら、村の家々を見るともなしに見た。閉じた鎧戸、灯の乏しい窓。夕餉時だというのに、煮炊きの匂いすらほとんど漂ってこない。


途中、井戸端で立ち話をする女房連中の声が耳に入った。村はずれの廃屋に、二日ほど前から見慣れぬ獣人が寝泊まりしているとかいないとか。誰も気に留めていない、風向きほどの噂話だった。


この村の誰もが、同じ諦めの重さを抱えて、同じ道を何十年も歩いてきたのだろう。その重さに、自分の足取りを重ねる気にはなれなかった。


問題は、回り道を歩くための足だった。


岩塩を掘るにも、運ぶにも、人手がいる。荷を守る腕も、村にはほとんど残っていない。若い男の多くは、村を出るか、諦めて畑にすがりついているかのどちらかだ。


道具は借りられる。人手も、探せば見つかるかもしれない。だが、力づくで来る何かへの備えとなると、話は別だ。


そう思ったところで、ふと脳裏を過ぎった顔があった。


垂れた耳。鋭い爪。型のある剣捌き。


――ヴォルク。


会えるかどうかも分からない、遠い街道での一度きりの縁だ。それでも、あの真価を思い出すたび、胸の奥がざわつく。今、あの男がここにいれば。埒もない仮定だと分かっていながら、足はいつの間にか、村の入り口へ向いていた。


村の入り口に立つ朽ちた門柱まで来たところで、俺は足を止めた。


土埃の向こう、夕陽を背にした人影が一つ、こちらへ歩いてくる。大きな体躯、垂れた獣の耳、背に負った長剣。見間違えようがなかった。


「――ヴォルク?」


声をかけると、人影も足を止めた。しばらく目を細めてこちらを窺っていたが、やがて呆れたような笑いが口元に浮かんだ。


「よう、坊主。まだ辺境で野垂れ死んでなかったか」


「そっちこそ、何でここにいる」


「決まってるだろうが」ヴォルクは肩に担いだ荷を揺すり上げ、鼻を鳴らした。「行く当てもねえ流れ者だ。宿場町で、グランゼに変わり者の若様が来たって噂を聞いてよ。……坊主、お前のことだろうと思ってな」


「変わり者、とは聞き捨てならないな」


「一人で辺境の代官と渡り合おうって坊やが、変わり者じゃなくて何なんだよ」ヴォルクは喉の奥で笑った。「代官邸に行ってきたって面だな、それは」


図星を突かれ、返す言葉に詰まった。この男の勘の良さは、街道で一度会った時から変わっていない。


「分かるのか」


「分かるさ。似たような顔を、昔さんざん見てきたからな」ヴォルクの声に、一瞬だけ古い翳りが差した。すぐに、いつもの伝法な調子へ戻る。「で、どうだった。派手に吹っかけられたか」


「六割だ。それと、販売経路の独占」


「はっ、あの狸め」ヴォルクは唾でも吐きそうな顔をして、それから笑った。「相変わらずってわけか」


「知っているのか、あの男を」


「噂だけはな。この辺じゃ、代官バルドの評判は、地の果てまで届いてる」ヴォルクは荷を担ぎ直しながら続けた。「金に汚くて、気に食わねえ奴には手駒を使って畑を取り上げる。……お前も、もう聞いた口だろう」


「聞いた。畑を取り上げられて、消えた男の話も」


「だろうな」ヴォルクの顔から、ふざけた色が抜けた。「まあいい。それより坊主、まだ雇う金の当てはねえんだろう」


「ない。今のところは、な」


正直に答えると、ヴォルクは意外そうに片眉を上げた。腹を探る様子もなく即答したことが、逆に興を引いたらしい。


「なら何しに、こうして声かけてきた」


「雇いたいのは本当だ。今すぐ払える銭がない、というだけの話だ」


「面白えこと言うな、坊主は」ヴォルクは荷を地面に下ろし、腕を組んだ。「銭もねえのに、雇いたいだと? 俺を何だと思ってる」


「一軍の将にも足る男だ、と思っている」


軽口のつもりだったが、ヴォルクの目の色が、わずかに変わった。値踏みでも、からかいでもない、確かめるような一瞬だった。


一拍置いて、視界の端に文字が滲む。


『ヴォルク/真価:一軍の将にも足る器/世評:食い詰めた流れの傭兵』


街道で視たときと、寸分違わない値だった。あの日から時間が経っても、この男の値打ちは、まるで錆びていない。


「――代わりに、これを持ちかけたい」俺は続けた。「今は払えない。だが、これから村に育てるものがある。上手くいけば、辺境そのものが市場になる。その持ち分を、先に渡す」


「持ち分、ときたか」ヴォルクは片眉を上げたまま、しばし黙り込んだ。「随分と、当てにならねえ話だな」


「今は紙切れ以下の約束だ。それは否定しない」


「はっ。少なくとも、正直だな」ヴォルクは腕組みを解き、こちらを見据えた。「狸のとこじゃ、聞けなかった台詞だ」


「当てにならないのは認める。だが、賭ける価値はあると思っている」


ヴォルクはしばらく俺の顔を睨んでいたが、やがて盛大に噴き出した。


「はは、はーっはっは! いいぜ、その面構え、嫌いじゃねえ」ヴォルクは伸ばした手で、俺の肩を乱暴に叩いた。「銭より面白え賭けの方が、性に合ってる。乗った」


「後悔しても、返す銭はないぞ」


「後悔なんぞ、生まれてこの方したことねえよ」ヴォルクは笑いながら、大きな手を差し出した。「これから、よろしく頼むぜ……商人、って呼んでやりてえとこだが」


言いかけて、ヴォルクは自分の言葉に一瞬詰まったような顔をした。それから誤魔化すように、乱暴に鼻を擦る。


「……いや、まだそこまで見せてもらってねえな。当分は坊主のままだ」


「好きに呼べばいい」


差し出された手を握ると、剣だこの硬さが掌に食い込んだ。街道の砂埃の残り香が、まだ装束のどこかに染みついている。それが、この数日を放浪してきた証のようだった。握り返す力に、迷いは一切なかった。


「なあ坊主、この後どうする気だ」ヴォルクが荷を担ぎ直しながら聞いた。「六割よこせって狸に、大人しく従う気じゃねえだろうな」


「まさか」俺は歩き出しながら答えた。「合法の形は保つ。表向きは、な」


「腹の中じゃ、別のことを企んでるって顔だ」


「証拠と、関係を積む。今はまだ、それしかできない」


「回りくどいこと言うぜ、坊主は」ヴォルクは呆れたように肩を揺らしたが、それ以上は問わなかった。「まあいい。腕っぷしが要るときは、いつでも呼べ」


その夜、村長宅の板間で、俺はヴォルクと向き合っていた。


卓の上に広げたのは、アーヴィンが納屋の奥から探し出してくれた、古い地図の切れ端だ。北回り街道と、その奥にうっすらと描かれた、もう一本の線。回廊――幻の旧街道だ。


「代官の許可がなければ、正規の販路には乗せられない」俺は地図の線をなぞった。「だが、あの許可を呑めば、岩塩の利はほとんど残らない」


「だから、こっちを使う気か」ヴォルクが線の先を指で叩いた。「何十年も誰も通ってねえ道だぞ」


「ああ」


「危ねえどころの話じゃねえ。魔物も出りゃ、道そのものが崩れてるかもしれん」


「分かっている」


ヴォルクの言う通りだった。試したことのない道に、確かめる術もない。だが、代官の掌の上でしか商いができないなら、それはこの村の誰もが背負ってきた鎖と同じだ。丘の上で見た二つの値――回廊と、この土地。あの日視た真価を、絵に描いた餅で終わらせるつもりはない。


「危ない橋だと分かった上で、渡る」俺は地図から顔を上げた。「代官の目の届かない道で、最初の一手を打つ」


ヴォルクはしばらく俺の顔を見ていたが、やがて短く息を吐き、地図を丸めた。


「勝手にしろとは言わねえ。護衛は、俺の役目だからな」


炉の火が爆ぜ、板間に小さな影を躍らせた。村長アーヴィンは奥の暗がりで黙って火の番をしながら、俺たちのやり取りに一度も口を挟まず、耳だけをこちらへ向けていた。それでも、聞こえていないはずはなかった。


夜明け前、まだ空気の冷たいうちに、俺たちは塩害地の外れへ向かった。アーヴィンが工面してくれた古い荷車の車輪が、軋みながら回る。掘り出したばかりの岩塩の袋が、村の男たちの手で次々と積まれていった。誰も多くを語らなかったが、袋を運ぶ足取りには、この数日見た諦めとは違う何かが混じっている気がした。薄闇の中でも、積み上げられた麻袋の白さだけは、はっきりと目に映った。麻袋の重みが、荷車の板を軋ませる。数えるほどの量だ。だが、これが最初の一滴になる。


吐く息が、白く尾を引いて消えた。空はまだ、夜と朝の境目の色をしている。東の稜線が、かすかに白み始めていた。


積み終えた荷車の傍らで、ヴォルクが剣の具合を確かめていた。荷を運び終えた男たちが、無言のまま荷車を遠巻きに見ている。誰かが小さく咳払いをした以外、声を上げる者はいなかった。俺は懐の革袋の重みを、もう一度確かめる。数は、三日前から変わらない。


代官の言い値には、従わない。


回廊を越え、この岩塩を、村の外の値で売る。


「行くぞ」


その一言で、荷車が動き出した。

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