第5話 子育てついでの嫌がらせ
赤ん坊、もとい勇者を抱いて森の中に入ったリスティア。
日が木々の隙間を抜けて照らす中、木の根を踏みながら歩いていく。
(こっちにも、小屋がある)
森の中を歩いた先には、こじんまりとした小屋が置かれていた。
小さな隙間から光が、差しこみ少しだけ照らしている。
元々リスティアが森に住む魔女という設定で作った小屋だ。
扉を開けると、ほこりが舞った。
咳き込みながら、リスティアは手で払いのける。
ベッドまでいくと、揺りかごを丁寧に置いた。赤ん坊はまだスヤスヤと眠っている。
(存在としては宿敵なのだが、可愛いな…)
頬を指で撫でるように触ると、赤ん坊の指がピクッと反応した。
リスティアはすぐに指を離す。
起こすのはまだしなくていい、今は穏やかに眠らせる。
赤ん坊に背を向けると、リスティアは一転して冷たい表情を作り出した。
見るものがいれば、ゾッとするような、人を殺すような顔だ。
そのまま小屋の外に出ると、幾つか空間魔法で穴を作り出す。
それは全て、魔王軍の前線となっていた馬車だ。
リスティアはそれぞれを覗くと、今も魔王軍が各地で攻め込んでいた。
それを見て、リスティアは獰猛に歯を見せて笑った。
肉食動物が獲物を前にする時のように、強く鋭い。
リスティアはそれぞれの空間の目の前に魔法を放った。
圧縮された水、それが魔王軍に雨となって振り注ぐ。
突然降ってくる水に、最初こそ魔王軍は驚いた。
すぐに防御魔法を空に展開し、最前線では致命的な隙ができる。
だがそれは少しだけ、その時は戦線が崩れたが、すぐに魔王軍は持ち直す。
何の効果もない、ただの通り雨だと認識して。
(最初は、これでいいの。フフ)
再度、リスティは圧縮された水を放つ。
今度は、その後に極限まで圧縮した水を時間差で魔力を強く込めて放っていた。
「気にするな!ただの雨、」
指揮官の言葉は続かなかった。
次もただの雨だと思った魔王軍は何もすること無く、戦闘が継続される。
だが次の瞬間には、水の弾丸となった雨が、全ての魔物を、魔族を平等に貫いた。
幹部さえも平等に、脳を、心臓を、臓物を貫いていく。
それは死骸となった魔物達にも執拗に、全員が死んでいても、死体を壊す為だけに振り注ぐ。
(死体すら残さないよ、君たちの生きた証は減らさなきゃ)
その雨はついには魔王軍最高幹部たちにも牙を剥く。
何人かの最高幹部はすぐさま逃れたが、2人の最高幹部もその魔法で死んだ。
それもまた、死体を残すこと無く消し去る。
残った血さえも、水と一体化した川へと溶け込んでいく。
魔王軍最高幹部の中でも六大魔将がいたのならば何とかなったのかもしれないこの状況。
だがこの場に彼らがいなかった以上、魔王軍は壊滅的な損害を受けるのだった。
(私の嫌がらせ、これから、まーいにちするね。新しい魔王さん)
■ ■ ■
魔王城にて、玉座に座る魔王の下に六人の最高幹部が集められていた。
〈白鬼〉ゴウア、〈観測者〉ザーク、〈静寂の騎士〉ユーノ、〈龍狩り〉レイヤ、〈光の魔術師〉ファイ、〈異端姫〉リル。
六人の魔王軍最高幹部が、魔王の下にいた。
彼らが並ぶ姿は壮観で、緊張感だけで体が動けないような、そんな重圧が空間に張り詰めている。
伝令の魔族はその恐れをぐっと堪えながら、跪いて魔王に報告する。
「で、伝令!被害報告であります!6つの前線の被害状況は、計60万の魔物が消滅。幹部格の魔族含め、魔族58名死亡!最高幹部の〈氷結の魔術師〉アイツ様、〈狂病〉ペス様、両者の死亡確認!」
それは最悪の伝令と言って過言はない、それどころか最悪という言葉すら生温い報告だった。
魔王軍の実に二割の魔物と、幹部含む魔族の死亡。
さらには最高幹部である二名が死亡した。
敗北、敗戦すらも生温い戦果だ。
そしてそれを起こしたのは……
「報告では、遠目では雨が振り注いだように見えたとの事です!」
全ての前線でそうという事は、誰か同一人物の仕業、または同組織の仕業。
何れにしろ、何らかの意図があった行動だ。
明確な悪意があるのは、誰の目にも明らかだった。
魔王は伝令を下がらせると、厳しい顔で口を開く。
「これだけの力を持つ者、もしくは組織か。そうそういるものではあるまい」
魔王は手痛くやられた事実を既に受け入れ、その先、報復へと意識を割いていた。
魔王の言うとおり、このような事を出来る者など限られている。
魔王は力強い声で、六大魔将へと命じた。
「期間はどれだけかかっても良い!戦争を継続すると共に、これをやった犯人を探しだせ!」
「はっ!!」
六大魔将は返事をすると、それぞれが散っていく。
彼らの中の一人、〈静寂の騎士〉ユーノ・アルランティオ。
紫髪の温和の貴公子と言った彼、長い紫髪から覗く表情は恍惚としていた。
自身の拠点に戻った彼は、自身しか知らない隠し扉を開ける。
その中には、様々な表情を描いた絵があった。
どれもが細部まで細かく描かれており、芸術と言っても過言は無い絵画。
中には裸体まで描かれた絵画もあり、同じ裸体でもポーズが違い、さらに深い部分まで描かれているものもある。
共通するのは、それが全て同じ女性を描いたものということだ。
「ああ、ああ、愛しの魔王様」
そう魔王を呼ぶが、それは決して今の魔王に向けられたものではない。
彼は分かっているのだ。彼は知っているのだ。彼は気付いたのだ。
「流石です!魔王様!あのような分不相応な魔王の軍勢を蹴散らすなんて!流石です、〈白鬼〉如きに傷を付けられても何ともないなんて!」
彼は気付いていた。魔女リスティアが魔王リスティである事。
最初からずーっと、気付いていたのだ。
だが、それを決して他の者にも魔王にも告げることは無かった。
それはなぜか?
魔王リスティを愛しているからだ。魔王リスティを他の者に知られるのは、嫌なのだ。
(私だけの魔王様、紛い物とは違う、真の美と力を持つ魔王様)
貴公子と言った顔は既にしていない。
一人の女性に盲目になった男の姿が、そこにはあった。
「ああ、ああ!出来ることなら魔王様の水に私も貫かれたかった!!」
リスティの水に貫かれた魔物が、魔族が、心底羨ましいとユーノは思っていた。
何て光栄で、これ以上無い幸福を身につけたのか。
彼らの事を思うと涙が止まらない、嫉妬が止まらなかった。
「今は何やら人族に何かするつもりでしょうが、私はそれすら許しましょう!浮気などとは申しません!」
部屋の中で一人感激の極みといった様子で叫ぶ。
両手で体を抱きしめ、感激で笑う。
最終的に彼女は自分のものになり、自分と夫婦になり、たくさんの愛し合いをするのだ。
「私は最後、貴女が戻ってきてくれればいいのです!!」
狂愛という言葉がピッタリなユーノは、恍惚とした表情で腕を組むのを、ずっと辞めないのだった。
■ ■ ■
雨を降らせ終わったリスティアは、表情を下に戻す。
中々戻らないので、細めた目を指で上げ、何とか開いた。
そうして赤ん坊を見ると、まだまだ眠ったままだ。
スヤスヤと寝る姿は可愛い、寝顔は本当に癒される。
柔らかいほっぺたがまた、癒しを増幅させていた。
(……いけないいけない、私は魔王でこの子は勇者。それに、やり直しさせられたこの世界での目的は良い感じに勝つ事なんだから)
魔王リスティが前回の世界からやり直しさせられて今を生きているわけだが、この世界では良い感じに勝つ事を目標としているのだ。
そんな中で勇者に可愛いなんて、あってはならない。
それでも、リスティアは赤ん坊を可愛がるのを止められなかった。
揺りかごから取り出して抱っこすると、小さく揺らす。
腕の中にいる赤ん坊が心地良いように、優しく揺らす。
「そう言えば、赤ん坊って何を食べるんだ…?」
この魔王、頭脳はあるが知らないものは本当に知らない。
魔族は生まれつき子育ての概念が薄く、さらに言えば魔王として生まれたリスティアは生まれたてから最上級の対応をされていた。
それゆえに、リスティアは赤ん坊、特に人間の赤ん坊に何をするのか分かっていなかった。
赤ん坊が目を覚ます。
可愛らしい目が、リスティアを覗いていた。
そして、小さな腕が彼女の胸を掴んだ。本能なのだろうか、口を近付ける。
リスティアはそれを咄嗟に弾くが、赤ん坊は手を伸ばすように腕を振る。
(胸?何がしたいのかな)
リスティアは優しく赤ん坊を抱きながら、冷蔵庫を開けた。
何を求めているのか、分からないが、赤ん坊のような弱い存在が食べられるようなものを探す。
噛む力は弱いだろうから、飲み物のようなもの。
液体をいくつか見繕った。
人間の食べる食べ物は知らないリスティアだが、魔法との併用で危険なものについては分かる。
(蜂蜜は危険なのか…)
リスティアが魔法を行使する。分析と危機探知の魔法を扱えば、自ずとどれを与えればいいのか分かる。
そうして選別したものを、赤ん坊へと与えた。
それわゴクゴクと飲んだ赤ん坊は、今度は吐いていたパンツから匂いがする。
(排泄か、確かにするだろうな)
これもまた、リスティアは魔法で解決する。
洗浄の魔法で体を清め、排泄物はそのまま魔法で塵とする。
ここまで魔法に依存した育児は良くないものであるのだが、それ以外には出来ない場合のリスティアは仕方がない。
「おぎゃぁぁぁ!ぎゃぁぁん」
「泣き出した!?え、えっと…」
必死にあやそうと模索するリスティアだが、抱っこをしても、頬を撫でても、ベッドに寝かしても泣き止まない。
あの子、この子の母親のフェルマさん。彼女がいるときは泣かなかったのに。
泣いてもすぐ泣き止ませていたのが思い出される。
(母親とは強いもの、そう思わされるな)
魔族には育児の文化がない分、より一層そう思わされる。
リスティアはその日、泣き止ませるためにあやすので時間をたくさん使うのだった。




