山南負傷の知らせ
その後、せっかくの休みだからと町をぶらつくことになり、小物屋で女装に使う簪や小物を物色し、『これ可愛い』『あれ似合う』などと久しぶりに女友達と買い物にでも来たかのように店をはしごして回った。
途中、男二人だということを忘れそうになったが、店員から「彼女にですか?」と声をかけられハッとして我に帰ったりもした。
そうして良い時間になったからと昼ごはんを飯屋で食べ、再び師匠の長屋に戻れば中で山崎が待っていた。
「おぉ、早かったなぁ」
「お前が遅いんやろ」
まさかさっきの今で会うとは思っていなかったので、なにか師匠が忘れ物でもしたのかと思ったら、背負ってきたらしい薬屋が持つような箱から小鉢をいくつか取り出す。
「こっちがお前の。こっちは鈴之助さんに。あんたの肌の色に合うように調合したつもりや。ちょっと合わせてみ」
そう言って手渡されたのは、白い粉に茶色の粉が混ざったもの。匂いからして白粉だろうか。梓が渡されたそれを見ていれば、隣から師匠が覗き込む。
「あー、すまん丞。こいつが変装したいんは女なんや。男用の白粉は必要あらへん」
師匠が山崎にそう言って顔の前で手を合わせれば、山崎は「はよ言えや!」と師匠の頭を叩く。
その会話的に、どうやらこの茶色の混ざった白粉は男装用の物らしいと気が付き、梓は改めて白粉を見る。
「あの、ちょっと使ってみてもいいですか?」
好奇心からそう聞けば、山崎は「好きにし」と興味なさげに返事する。
梓は少量の白粉を器に取り水で解いて一筋顔に塗る。
驚くことに白粉はスッと梓の肌に馴染み、どこに塗ったのか分からなくなるくらい肌の色に合っていた。
「……私、肌色の白粉なんて初めて見ました」
驚いて言葉をなくす梓に、何故か師匠が自慢げに胸を張る。
「すごいやろ!丞は微妙な調合で肌の色に合わせてくれんねん。男装する時も化粧っ気がなく化粧できるから重宝するで」
「それもお前の説明不足で無駄になったけどな」
山崎からの棘のある言葉に、師匠は再び「すまんてぇ」と謝りに入る。
「まぁええわ。もうちょい白足してお前用にするだけや。いろいろ持ってきといて正解やった」
そう言うと、山崎は箱から次々に道具や小鉢を取り出し始めた。小鉢にはそれぞれ赤や桃などの色々な色の粉が入っていて、匙でその粉を少量掬い色を混ぜていく。そしてそれに油を数滴たらし練っていく。
「ほな、これが紅で、こっちが墨な。紅に白粉を混ぜるとええ具合に頬紅になるで」
目の前であっという間に紅を作られ、梓は興味津々にその工程を凝視する。師匠は「えぇ色やなぁ。俺のも作ってや」などと注文している。紅も色の調合具合によって色味が多少なり異なるらしい。
「あ、丞。あと化粧水も頼むわ。二人分な」
「……お前はなぁ、それこそはよ言えや!あれは薬草から買い付けなあかんて言うとるやろ!……2、3日かかるで」
「すまんすまん。任せたわ」
師匠は簡単に化粧品の注文を進めていくが、化粧品、特に紅などは本来とても高価な物だ。加えて化粧水など、市場では売っているのを見たことがない。おそらくは山崎のお手製なのだろう。山崎がいくらで作っているのかは知らないが、決して安いことはないはずだ。
梓は改めて師匠に深々と頭を下げるのだった。
化粧品を一式揃えてもらい、梓はルンルンと飛び跳ねながら京屋に帰ってきた。
化粧道具も師匠のお古を一式譲ってもらえる事になり、良くしてくれる師匠のためにも早く一人前にならなければと心に誓っていると、道に血がポトポトと落ちているのを見つけた。まだ新しいそれは京屋の玄関へと続いており、梓は何かあったのかと急いで京屋に駆け込んだ。
玄関に入ってすぐ、京屋の主人が手ぬぐいを両手に抱えて狼狽えており、その奥には山南が横たわり付き添う土方が女中に何か指示を出している。二人とも着物や顔に血がベッタリとついていた。
「ちょ、どうしたんですかこれ!?」
「あ、梓先生…!」
驚いて声を出せば、奥から平隊士が二人手桶とサラシを持って必死の形相で走ってきた。二人のうち一人はそのまま山南の元に向かい、一人は梓に泣きつくように事情を説明し始める。
話を聞くに、呉服商の岩城升屋に不貞浪士が押し入ったと助けを求められた事がそもそもの始まりだと言う。
大坂での滞在中、暇を持て余した隊士達が喧嘩をする事が何度かあり、それなら大坂でも巡察をしようと、昼夜巡察が始まっていたことは梓も参加はしないながらに聞いていた。
そんな中での岩城升屋への押し入り。連絡を受けたもののすぐに動けるのは土方と山南と二人の隊士しかおらず、四人で岩城升屋に向かったのだと言う。
着いてみれば相手は8人。決して相手にできない人数ではなかったが、平隊士には荷が重かったようで、最後の最後、気を抜いた平隊士が危うく斬られるかと言うところを、山南が自らを盾に庇ったのだと言う。
説明を聞き山南の様子を見れば、左半身は血で真っ赤に染まり、土方は隊士の1人に持って来させた手ぬぐいで、傷口であろう左腕を両の手で押さえている。
玄関に落ちていた血と山南の様子を見るに、かなりの深手だろうことは明らかだった。
「ご主人!医者はいつ来るんです!?」
玄関でオロオロしている主人に梓が問えば、主人は更に狼狽える。
「今呼びに行かせとるんですけど、えらい時間がかかっとって、そう言えば将軍様が大坂におる間は大坂城に入るとかなんとか言っとった気がしてきて……」
(それでさっきから狼狽えてたのか!)
「だったら他の医者は!?」
「他もヤブやったり遠かったりで、あの傷を診れるんは…」
傷を見て動転している事もあるのか、主人は明らかに頭が働いていない。
「土方さん!私も探してきます!」
「頼んだ!なるべく早くだ!」
梓は主人に頼ることをやめ、土方に一言かけて京屋を飛び出す。
(医者!医者!何件か見覚えはあるけど、主人の話じゃヤブがいるって言うし、そんなの店構えじゃ見分けが付かない!鴻池さんか師匠に聞く?でももしそれが大坂城にいる医者だったら二度手間……あ!)
「餅は餅屋!」
梓は昼間屋根の上から見た景色を思い出し、急いで山崎の鍼灸院に向かう事にした。
師匠の長屋から行く時は路地をくねくねと曲がりながら行ったのだが、京屋から向かう道はそれほど入り組んではおらず、なにより途中から迷わず行けた理由は夢で見た道だったからに他ならない。
(あの夢、今日のこの時だったのか!)
鍼灸院に着き、声をかけながら急いで戸を開ければ中からパタパタと出てきたのは夢の通り色黒の山崎で、その後ろから山崎父も何事かと顔を出す。
「さっきの今で何やねん」
「す、すみませ、仲間が斬られて、医者、医者を探してまして…大坂城に、ヤブはダメで…」
梓は走ってきて乱れる息のまま、言いたいことだけを抜き出して必死に伝える。最初に梓の言葉を汲み取ってくれたのは山崎父で、すぐにつけていた前掛けを外し奥から大きな四角い箱を持ってきて背負う。
「丞、橘先生や。ほんで、患者の場所は?」
「きょ、京屋です…!」
「丞分かったか?橘先生を舟宿の京屋に連れてくるんや。はような」
「分かっとる」
山崎はすぐに前掛けを外し、一番に外に駆け出した。
「ほんならお嬢さん。京屋まで一緒に行ってもらえるか?」
「はい!」
にっこり笑う山崎父に大きく返事した梓だったが、お嬢さんと呼ばれてしまった事にすぐに気が付き、道中で口止めと男装する理由を説明するはめになった。
ちなみに何故誤魔化さなかったのかといえば、バレた理由が鍼灸師の目で見た骨格なのだと言われてしまえば、もうどうすることもできなかったからだ。




