いつかの夢の場所
師匠の後について歩き少し経ったころ、梓は目を疑う光景を目の当たりにしている。
大通りには出ておらず、ひたすら入り組んだ路地を歩いてきたせいでここがどこかも分からない。
分からないが、間違いない。
(ここ、ずっと前に夢で見た薬屋の近くだ……!)
あの夢を見たのはどれくらい前だっただろうか。始めて大坂に来た時だっただろうか。その時から探し続けていた場所に、まさか師匠が連れてきてくれるとは思わなかった。
梓は周りを見渡し、人目が無いことを確認し師匠に呼びかける。
「師匠、ちょっとここで待っててください」
「は?」
前を歩く師匠が振り向くより早く、梓は近くに積み上げられた木材を足場に跳ぶように手ごろな屋根に上る。さらにその屋根よりもう一つ高い屋根に移れば、思ったよりも近くに歌舞伎座の大きな旗が見え、遠くに海と船も見える。
なんとなくの自分の位置を確認し、梓は次に一人で来ても迷わないようにしっかりと頭に叩き込む。
「お待たせしました」
下で待っていた師匠はポカンと口を開けていたが、梓が地面に着いたところで我に返り目を輝かせる。
「アンタそんな芸当出来んのかい!軽業師か!?何やその身軽さ!かっこええなぁ!」
師匠の珍しい反応に、梓は何だか照れ臭くなって「こんなの誰でもできますよ」と無駄な謙遜をしてしまう。
(そういえば、人前で屋根に登ったのは初めてだったかも。お行儀が悪いとか気にしてたけど、こんな反応もあるんだ)
「なるほどなぁ。その身軽さあっての密偵なんやなぁ」
なぜか感心し始めた師匠に、梓は何のことかと首を傾げる。
「なんやちゃうんか?潜入するのも密偵やけど、屋根とか建物の外に隠れて聞き耳立てるのも密偵やろ?忍者みたいでかっこええやん」
依然目を輝かせる師匠に、梓はなるほどと納得する。
潜入することしか考えていなかったが、確かに忍者は変装をして忍び込む他に屋根にも登るし天井裏にも入る。まさか自分の身軽さが使える仕事だとは考えてもみなかった。
(私の目指すところは忍者だったのか)
自分の仕事に具体的な例を見つけ、梓はぼんやりとしていたやるべきことがグッと見えてきた気がする。
「師匠!私忍者になれるように頑張ります!」
「お?おぉ、忍者みたいになれるように、な?きばりや。さて、着いたで」
そう言って一件の家の前で立ち止まった師匠。夢で見た家の位置と似ている気はするが、なにせ似たような家が並んだ通りだけあって確証はない。
「邪魔するでぇ」
キョロキョロと周りの家を見回す梓には構わず、師匠は声をかけると同時に扉を開く。開いた瞬間、中から薬の匂いが香り、梓は視線を屋内に移す。
夢で見た光景と同様。玄関先には暖簾がかけられ、暖簾をくぐる師匠の向こうには一面の薬棚。
「……やっぱりここだ…」
思わず呟いた梓の声に「なんか言うた?」と振り向く師匠を誤魔化し、梓も家の中に入る。中に入れば一層薬の匂いがし、慣れない匂いに鼻をひくひくと動かしてしまう。
「すごい匂いやろ。ここ、うちのお抱えの鍼灸やねん。軽い風邪なら薬も出るもんやから贔屓にしとる」
(なるほど。医者じゃなくて鍼灸院なのか。鍼灸でもこんなに薬を使うものなのね。そしてここに居るのが……)
夢で見た謎の人物の顔を思い出し、あの夢を見たのは何ヶ月前だったかと指折り数える。どんな人物なのか、どんな関係になるのか、分からないことばかりながら一つ謎が解けたようなスッキリした爽快感を覚える。
「おーい、おらへんのー?」
師匠が再び声をかければ、奥から返事が聞こえトタトタと足音がした。
梓が夢以来の対面に心を躍らせれば、出てきたのは色黒の丁髷頭の男ではなく、顔は似ているが白髪混じりの中年男性だった。
(あれ?)
「おやおや若はん。いらっしゃい」
「おう、邪魔するで。親父にいつもの頼まれてな」
「はいよ。ちょっと待っとってくださいね」
思っていた人とは違う人物の登場に梓が固まっていれば、男性は師匠と慣れたやり取りをしてまた奥に引っ込んでしまった。
それと入れ替わるように、奥からドタドタと大きな足音が聞こえる。先程の男性とは全く違う足音に、梓は今度こそと奥に続く襖を凝視する。
「おん前こら!来るなら来るって言うとけっていつも言うとるやろ!」
襖が開くと同時に罵声が轟き、襖を凝視していた梓は再び固まる。形相はだいぶ怒っているものの、夢で見た色黒の男の登場だ。やっと会えたと浸る事もなく、梓の第一印象は「思ってたのと違う」だった。夢で見た時はもう少しおとなしい性格かと予想していたのだ。
「そんな怒んなや丞。上客のお出ましやんか」
「なぁにが上客や。上客はお前んとこの親父でお前やないわ。うちの親父にいらんこと言うてへんやろな?」
「言うてへんわ!そんなん言うたら俺が親父から大目玉やんか!」
「ほなええわ。で、何しに来たん」
「いつもの化粧品が切れてもうてな」
「やっぱりいらん事やないか!あんなもん作っとるのが知られたら俺が親父にどやされんねん!」
「せやからおっちゃんのおらん時に言うたやんか!」
繰り広げられる早口のやりとりに、梓は呆気に取られ部屋の隅で壁になりきる。しかし一連のやりとりから、師匠の変装のための化粧品はこの色黒男性が作っているのだろうということと、二人がただの店と客ではなく仲が良いことがうかがえた。
「大体、この前渡したんがまだあるやろ。そんなに日が経ってへんで」
「あぁ、それはコイツが、…そんなとこで何しとんねん」
振り返った師匠だが、後ろにいると思っていた梓が壁際に張り付いているのを見つけ呆れて声をかける。丞と呼ばれた色黒の男性も、そこで初めて梓の存在に気が付き、今更ながら咳払いで取り繕い「いらっしゃい」と笑顔を向ける。
先程のやり取りを見てしまっては、これが作り笑いであることは明白で、梓は苦笑いしながら挨拶を返す。
「こいつ、別人の顔になりたいっちゅーて、俺の弟子になったんや。こいつの化粧練習によけ使ったんや」
師匠が簡潔に説明すれば、丞と呼ばれた男は疑いの目を梓に向ける。先程の作り笑顔はとっくに剥がされてしまっている。
「……別人になりたいだぁ?なんでや」
「丞ぅ、人それぞれ事情っちゅーもんがあるんやで」
師匠が丞と呼ばれる男に肩を組んでもたれ掛かれば、男はそれをパッと払い落とし、体勢を崩した師匠を更に突き飛ばす。
「事情がどうかは知らへんけど、聞いとった通りや。化粧品を作っとるのは親父には伏せとる。バラしたら承知せぇへんからな」
ドスの効いた声で睨みまで付けられては、梓は首を縦にブンブンと振るしかない。
「あと、お代はしっかり取るで」
「あぁそれはかまへん。俺が持つからツケといてや」
「え!それは…―」
「お前は俺の弟子やろ?そんくらい任せとき」
「そんならええわ。その方が俺の心も痛まん」
「ちょっとは痛めてもええんやで?その方が俺も買いやすぅなるし」
「お前は散々稼ぇどるやろ。取れるものは取っとかな損やろが」
再び二人のやりとりになってしまったところで、奥から店主が袋を持って戻ってきた。それを受け取り、師匠は「ほなまたなぁ」とスタスタと外へ出てしまう。
化粧品を買いに来たはずなのに、そっちはいいのかとキョロキョロしていれば、丞と呼ばれた男性から声がかかる。
「そういえばあんた、名前は?」
「あ、梓です!梓鈴之助」
「ふーん。俺は山崎、山崎丞や。よろしゅう」
「よろしくお願いします」
そんなやりとりだけして、梓は急いで師匠の後を追うために鍼灸院を後にした。




