化粧七変化
ついた先は歌舞伎座からさほど離れていない長屋の一室。中には鏡台と姿見の鏡。それから大きな箪笥が2つ並んでいて、少し狭く感じる。
(こんな大きな鏡初めて見た。少し離れれば全身映るんだ。……いくらするんだろ)
梓がジッと鏡を見ていれば、師匠は持ってきていた大きな風呂敷包をドサっと床に置く。尚も入り口で突っ立っている梓に手招きし、鏡台の前に座るように促す。
言われた通り鏡台の前に座りながら、梓はこの部屋は何なのかと質問する。
「ここか?見ての通り、俺の稽古部屋や。1人になりたい時によう来んねん。道具も一通り揃っとるし丁度ええやろ。ま、足りんもんは楽屋から拝借してきたんやけどな」
ニッシッシと笑い梓の後ろから鏡台の鏡を覗き込み、それであの風呂敷かと納得している梓の顔をジッと見る。
「自分、ホンマに化粧映えせえへん綺麗な顔やな」
突然呟かれた言葉の真意がわからず、否定するべきか礼を言うべきかとワタワタしていれば、師匠は分かりやすく説明をする。
「化粧っちゅうのはもともと薄っすい顔の方がよけ映えるんや。それこそ好きなように化粧で顔を変えることもできる。せやけど、化粧する前から完成しとる顔にどんだけ化粧したところで大差ないねん」
「え、それって私は…―」
「あぁでも自分、普段は男の格好しとって、花街に潜入するんやっけ。側から見て性別が変わって花街のどぎつい化粧すんねやったら……」
梓に口を挟む隙を与えず、途中から独り言のようにブツブツと思考を巡らせる師匠。梓はひとまず邪魔をしないよう、黙って鏡台に並べられた化粧道具を見る。
(女として生活していた時ですら、こんなにたくさんの化粧道具は見た事なかったなぁ。知らない道具がたくさん)
しばらく化粧道具を見ていると、師匠が徐にそのうちの一つに手を伸ばす。
「案ずるより生むがやすし。いっぺんやってみようや。こっち向き」
梓が師匠の方に体を向ければ、師匠は慣れた手つきで梓の前髪を纏めた後、顔に何かの植物の汁を塗りハケに白い泥の様な液をつけ首から顔全体に伸ばす。
するすると塗られる感触にぞわぞわと肌を粟立てていれば、あっという間に梓の顔は真っ白になってしまった。
「歌舞伎も花街も白塗りは基本や。震えとらんで覚えるんやで。最初に化粧水をつけるのも忘れたらあかん。あっちゅ間にかっさかさになってまうからな」
最初に塗られた植物の汁は化粧水と言うのか。と梓が感心していれば、「ピッとし!」と檄が飛ぶ。
一瞬も気が抜けないままされるがままに任せていれば、あっという間に梓の顔は花街の遊女の様な華やかな顔に変えられていた。
「どうや?我ながらようやったわ。元がええと出来栄えも一級品やな。あっちゅう間に売れっ子太夫や」
鼻の下を誇らしげに掻く師匠は置いておいて、梓は別人のようになった自分を鏡で見て驚きを隠せなかった。
「これが、私……?」
そう言ってしまうのも無理はなく、男に交じっても違和感のない程度にはキリッとしていた眉は儚げな八の字眉に変えられ、同じく切れ長の目は目尻に墨と朱が入ったためか垂れ目に見える。頬も遊女のそれと同じく高揚し、眉間から鼻先にかけてはいつもより通って見える。唇も笑ってもないのににこやかに見えるのは何故なのか。
挙げだしたらキリのない変化に開いた口が塞がらない梓を見て、師匠は更に得意げに腕を組む。
「どや!ええ出来やろ。元の顔から出来るだけ印象を変えられるようにしてみたんや。儚げで守りたくなる女は花街の基本やろ」
なんだか偏見を押し付けられた気もするが、師匠の言う通り毎日寝食を共にする新選組の幹部ですら、すれ違っても気が付かないのではと思わせる出来栄えに、梓は素直に師匠に称賛を贈る。
「すごいです師匠!まさかここまで別人にしていただけるとは思っていませんでした!これなら潜入も楽勝です!」
「……あんなぁ、あんた忘れとるようやけど、この化粧を自分でできるようにならな意味ないんやで?」
呆れて言われた言葉に「あ」と一つ声を出して、梓は改めて自分の顔を見る。
(これを、自分でやる?たいして化粧もした事ない私が?)
あまりに実現不可能な課題に、盛大に肩を落とした。
「ま、化粧をずっとやっとる俺ほどは無理やとして、ぱっと見ええ具合になる程度には鍛えたる。安心せえ」
慰めの言葉を口にしつつ、師匠は乱暴に梓の顔を濡れた布巾で拭いだす。
「むが!?何、するんですか!」
「時間がないんや。はよ落として次の顔を作らな」
そう言う師匠は心底楽しそうで、梓は差し詰め人形にでも見立てられているのだろうと諦める反面、次はどんな顔に変えられるんだろうとわくわくしていた。
次にできた顔は『下町風』。花街だけでなく町娘にもなれれば、さらに情報も取りやすくなるだろう。
そちらも師匠の好みなのか儚げで、今度は実際の年齢より少し大人びて見えた。全体的に軽く白粉をはたき、眉を長めに、目尻は今度は跳ね上げ少し気が強い印象だ。遊女の時と思えば梓らしさは消え切っていないものの、全体を見れば20代半ばに見えるから不思議だ。目の下のホクロも印象的かもしれない。
「なんだか大人っぽいですね!」
「せやろ?化粧を濃くできん分、年齢を誤魔化してみたんや」
師匠も満更ではない出来らしい。
(……これを全部自分でやるのかぁ。前途多難)
元の自分の顔を頭に思い浮かべ、どこがどう変わったか探して鏡を見ていた梓だったが、そういえば自分の顔すらしっかり見たことがなかったと思い至り、今度小さな手鏡でも買おうかと思案した。
そうしていれば、また前触れなく手拭いで顔を拭かれる。
「ちょ、もう次の顔ですか?」
「ちゃうわ。やりたいのはやまやまやけど、そろそろ楽屋に戻らな舞台の準備が間に合わん」
そう言われ、梓は自分が時間も忘れて楽しんでいた事を知らされる。小さく開けられた雨戸からは夕日が差し込んでいた。
「続きは明日や。明日もたいして時間はとれへんけど、同じ時間にこの長屋に来るんやで」
「はい!貴重な時間をいただいて、ありがとうございます」
「ほんまやで。ま、俺も楽しいからええんやけどな」
そんなやり取りをして、足早に初日の化粧講義は終わったのだった。
翌日もその翌日も、化粧講義は師匠の昼公演と夜公演の合間を縫って行われた。そうして何日か過ぎ、梓もようやく少し化粧を覚えた頃、師匠が1日休みだと言う日が来た。
朝早くから呼ばれて来てみれば、師匠は珍しく自らにも化粧を施し待っていた。普段女の舞台化粧か素の顔しか見たことがなかった梓だが、男の格好で化粧を施した師匠は今までと雰囲気が違う。
「……なんと言うか……普通…ですね?」
梓なりに精一杯言葉を選んだ結果だった。
いつも纏う華やかな雰囲気は影もなく、素朴と言えば素朴なのだが褒めるところも貶すところもないようなどこにでもいる男の顔だったのだ。
「これが俺のお忍びの顔や。これなら身バレせず堂々と町を歩けるやろ?」
梓は「なるほど」と感心して師匠の顔を凝視する。
一つ一つの部分として師匠の化粧を見れば、眉はボサボサと太めに描かれ、目は何も手を付けず唇は形悪く腫れぼったい。極めつけは鼻の横のホクロだろうか。全体を見てもかなり目立っている。
これだけ化粧をしているのに、全体を見れば全く化粧っ気が無いのが不思議だ。
「どや?このホクロええやろ。ホクロの印象が強すぎて顔がさらに薄く見えんねん」
「なるほど!ホクロにはそんな効果が!」
「そうや。美人な顔にチョンと入れれば美人さが増すんやけど、無駄に大きいホクロはそれ自体が顔の印象になるんや。覚えとき」
梓は感心しつつ、最近持ち歩くことにした紙束に書き記す。
師匠に言われ、大切なことは聞き漏らさないように書く癖をつけている。白塗りの作り方などの配分が難しいものはどうにも覚えられなかったのだ。
「よし。ほんなら行くで」
「え、どこにですか?」
どこかに出掛けるとは思っていなかった梓はキョトンと師匠を見る。歩き出していた師匠は、振り返ってニヤリと笑う。
「仕入や」




