師匠と弟子
鴻池当主の目的地はこの歌舞伎座だったらしく、梓達は正面からではなく裏口から中に入った。もちろん舞台の裏手など見たことのない梓は、物珍しさからキョロキョロと辺りを見渡す。
「ほんまは舞台も見せたりたかったんやけど、ちょうど昼休みやから堪忍な」
「いえそんな!まさか舞台裏を見られるなんて思ってなかったので感激です!」
「それなら良かったわ。ほら、この部屋や」
紫の鮮やかな暖簾がかかった部屋の前に着くと、鴻池さんは立ち止まり中に声をかける。
(この部屋って、役者さんの部屋よね?まさか鴻池さんが紹介してくれる人って……)
「はいよー」
気だるげに返ってきた中性的な声を合図に中に入れば、着物を着崩した若い女性が溢れんばかりの色気を纏い振り返る。女である梓も思わずゴクリと生唾を飲んでしまうほどの色香に、流石の土方も隣で珍しく固まっている。
「嵐はんお久しゅう。盛況でなによりやなぁ」
「あらおおきに。せやけど鴻池はん、ウチはもう嵐やないで。中村やって何回言わすん?」
「せやったなぁ。堪忍堪忍」
自分の父ほどの年齢であるだろう鴻池当主に対し、軽口を叩く女性。その様子をポカンと見つめていれば、梓と土方の存在に気が付いた女性が「ん?」と立ち上がり、着物の胸元がはだけるのも気にせず近寄る。
「なんや鴻池はん。えらい男前を連れてきたなぁ。……弟子入り希望なんて言わんやろうな?」
近くに来ると意外と背が高く、土方と同じくらいはありそうだ。怪訝な顔のまま土方と梓に順に顔を近づけ二人の顔をマジマジと見ながら問うが、鴻池当主は笑いながら「ちゃうちゃう」と返すのみ。それでもなお観察は続き、右から左、上から下までじっくり見られては、梓の顔は羞恥で真っ赤になり居心地の悪い時間が流れる。
「……で、この二人はなんなん?」
一通り観察し終え満足したのか、女性は離れ鴻池当主の元に戻っていく。動きと共に息も止めていた梓は大きく息を吐き緊張を吐き出した。
女の自分がこんなに恥ずかしい思いをするのだから、土方など目まいを起こしているのではないかと横目で見れば、案外平気な顔をしている土方がいて驚く。
「ちょ、土方さん!なんで平気なんですか!」
「あ?何が」
「だって、あんな美人ですよ!?いくら女性に慣れた土方さんでも何かあるんじゃないですか!?」
「……確かに美人だが、俺は男には興味ねぇよ」
こそこそと声を小さく話していた梓だったが、土方の発言に思わず「えぇえ!?」と大きな声を出した。
「び、ビビったぁ。なんやねん急に!」
突然の梓の声に、一瞬肩をすくめた女性はすぐに我に返り梓に怒鳴る。
「え、あ、すみませ、え!?」
土方からの言葉がまだ咀嚼できていない梓は、謝りながら女性を見てまた混乱する。どう見ても綺麗で色気たっぷりの女性なのに、着替えるためか着物から片方の袖を抜いた半裸のその姿は、胸の膨らみも何もない、まぎれもなく男性の胸元だった。
「人の裸見てなに驚いてんねん。ここは歌舞伎座やで?」
驚かれることに慣れているとでも言いたげに、呆れてため息を吐く女性もとい男性。訳が分からなくなった梓に、鴻池当主が笑う。
「梓はん、紹介がまだやったなぁ。こん人は3代目中村翫雀。ここの歌舞伎座の花形役者や」
「いややわ鴻池はん花形やなんて。まだ、つい最近認められだしたところやのに」
満更でもなさそうに手首を折り、掌で鴻池当主の肩をパシパシ叩く3代目。なぜか京言葉になったその仕草も姿も、まごう事なき女そのもので、また梓は混乱する。
「3代目。例の、顔をいじって欲しい言うんがこの梓はんや」
混乱していようが何だろうが紹介は続き、梓はひとまずお辞儀する。しかしそれを見て、3代目は冷めた目でそっぽを向く。
「俺、ちゃんと挨拶でけへんガキは嫌いやねん」
さっきまでとは打って変わり、声色も態度も急に男のそれになる3代目。梓は明らかに機嫌を損ねた事を察し、「失礼しました!」と謝罪する。
「梓はん。混乱するんはよう分かるけど、ここは歌舞伎の世界、女人禁制や。3代目はまぎれもなく男や。よう覚えといてな」
コソッと耳打ちする鴻池当主の助言を胸に刻み、梓は再び3代目に向き直る。変わらずツンッとそっぽを向いている当たり、かなり機嫌を損ねてしまっている。
「改めまして、新選組の梓鈴之助と申します。よろしくお願いいたします」
手をついて深く頭を下げるが、3代目は已然そっぽを向いたまま「新選組なん聞いたことないわ」と吐き捨てる。
「はい。つい最近までは壬生浪士組と名乗ってました。京の壬生に屯所があるので、知らないのも無理はありません」
どこまでも低姿勢で返せば、やっと聞く気になったのか、3代目は梓の顔に視線を戻す。
「壬生浪士組言うたら大坂にも名前は届いとるなぁ。せやかてあんた、おん…―」
「あーっと、鴻池さん。そろそろ俺は戻らねぇとならねぇんだが、大事な話を一つ忘れていた。悪ぃがちょっといいか。梓、俺たちは先に戻るから、くれぐれも失礼のないようにな!」
3代目が恐らく「女」という単語を言おうとしたことを察し、鴻池当主に聞かれないようにと、土方は鴻池当主の背を押してそそくさと部屋から出て行った。
「梓はん、きばりやー」
そう言い残した鴻池さんにお辞儀し、改めて3代目に向き直る。
「話を遮ってすみませんでした」
「……ええけど、鴻池はんに隠しとんの?自分が女やって」
やはりバレていたかと内心項垂れ、バレたからにはと顔を変えたい理由や間者の仕事の事を包み隠さず説明することにした。
「なるほどなぁ。鴻池はんから『顔を変えたい子ぉがおる』って聞いたときは、えらいけったいなやっちゃなと思たんやけど、まぁ必要性は理解できたわ」
意外にも、3代目は最後まで梓の話を聞いてくれた。親身になってくれているというよりは、面白い玩具を見つけたという表情なのは、この際いいだろう。
「ほんでさっきの男前は自分が女やって知っとるんやな。なんちゃら組ではみんな知っとるんか?」
「新選組です。新選組で私が女だと知っているのは先ほどの土方さんだけです」
そう梓が答えれば「へ~」「ほ~ん」と邪推の視線を向けられる。
「3代目さん、その目やめてください。土方さんとは昔馴染みで女だとバレただけですから」
居心地の悪さから梓が抗議すると、3代目は今度は「うーん」と腕を組む。
「3代目ってやめようや。これから色々教えるわけやし、『師匠』なんてどうや」
人差し指を立てひらめく3代目もとい師匠に、「私の話聞いてました?」と呆れながら、呼び方に拘りのない梓はすぐに了解する。それを聞いて嬉しそうに頷く師匠。「一回呼ばれたかったんや」などと言われてしまえば、なんだか可愛く思えてくる。
「呼び名も決まった事やし、場所変えよか。ここ、女がおったらあかん場所やねん」
そう言われて、先ほど鴻池が言った「歌舞伎の世界・女人禁制や」と言う言葉を思い出す。あの時は師匠が女か男かとそればかり考えて聞き逃していたが、それが自分にも当てはまると思い至り、梓は「先に行ってます!」と急いで歌舞伎座から外に出た。
裏口の前で少し待つと、着流しを着て大きな風呂敷包を担いだ師匠が出てきた。先ほどまでの女形の化粧を落とし、髷の月代を布で隠している。女の姿は色っぽく品があったのだが、化粧を落とし髷を結ってしまえば、案外幼さの残る顔立ちをしている。
「お待ちどぉさん。行くで」
キョロキョロと辺りを見回し、口数少なに大通りとは反対側に歩き出す師匠。出待ちを気にしてだろうと察し、梓も急いで後を追った。
メモ
歌舞伎の世界という事で、実在の人物の名前を拝借しました。フィクションですのでお見逃しください




