間者になるために
10月。吹く風が冷たさを帯び、着物が単衣から袷に替わるころ、梓たち新選組は将軍・徳川家茂の警護のため大坂に来ていた。
将軍警護とは言いつつ、前回同様大坂に入ってしまえばやることはなく、お馴染みとなった舟宿・京屋にてダラダラと待機する事になる。
しかし今回、梓には将軍警護の他に2つ、やるべき事があった。
一つ目は、いつかの夢で見た町医者の家を探す事。
大坂に来る度に探してはいるのだが、いまだに見つかっていない。というより、あの夢をみたのは一回のみ。さすがに記憶も薄れ、見つけることは困難を極めていた。
しかし、だからと言って放っておけない。あの医者は今後、必ず関わる事になる。そして医者なのだから、誰かの怪我や異常事態に関わるはず。そんな予感がひしひしとしているからだ。
そして二つ目、これが今回大坂に来た1番の目的。
梓は、寝そべりながら何やら談笑している沖田と藤堂を横目に、静かに部屋を出て玄関に向かう。
そこに土方もやってきて、2人は並んで草履を履く。
「鴻池さんに会うのも久しぶりですね」
「あぁ。あの人の顔の広さには恐れ入る」
「でも、土方さんの読み通りでしたね」
「まぁな」
2人で舟宿を出て向かう先は、近藤が「大坂に来た時は顔を出す」と約束をした鴻池家。
いつもは近藤や土方が挨拶に伺っているらしいのだが、今回梓の二つ目の目的が鴻池家当主の仲介のおかげで叶う事になったので、そのお礼も込めて梓も挨拶に向かう事になった。
大坂の町の大通りに、一際立派な建物がある。
梓も前回の大坂探索で場所は覚えていたが、中に入るのは初めて。格式の高い雰囲気についつい怖気づいてしまう梓だったが、そんなことはお構いなしに土方が暖簾をくぐるので梓もそれに続く。
中に一歩入れば、活気のある挨拶がいくつも重なって届いた。
土方が「新選組の土方と申す」と名乗り店主に用があることを告げると、店員の一人が奥に入っていった。
「いやぁ土方はん、おこしやす」
奥から出てきた鴻池当主は、相変わらずの物腰柔らかな笑顔で出迎える。そして土方の隣に梓を見つけると、より一層目尻の皺を深くした。
「梓はん!待っとたで。ようこそ、鴻池へ」
大歓迎と言葉に出さずとも、態度と声色で表現する店主に、梓は少し緊張しながらも「お邪魔します」と笑顔で返す。
奥の客間に通され、お茶にお茶菓子まで出されたところで、鴻池当主が壬生浪士組から『新選組』に名前が変わった事への祝辞を述べる。
さすがは鴻池家の情報網。京の町ですら壬生浪士組の名前が変わったことを知っている人は少ないだろうに、しっかりと情報を掴んでいた。
「で、今日来てくれたんは例の件でええんやろか?」
世間話もそこそこに、鴻池当主がそう問えば梓も土方も揃って頷く。
「密偵やっけ?梓はんもえらい難しい役をもろたもんやなぁ」
「でもまさか、顔を変えたいと言い出すとは思わなかったがな」
鴻池当主には、梓が監察方として間者になる事を手紙で報告してあった。
そして、間者の仕事をする上で、梓がどうしても身につけたい事が『別人のように顔を変える』技術だった。
実際そんな方法があるのかは分からないが、花街にも潜入するという事は少なくとも一緒に働く遊女には、梓が女だと知られる可能性がある。その後新選組の梓として出会うかもしれない事を考えると、別人になって潜入する方が性別の事を考えたとき安心だと思ったのだ。
それを土方に相談すると、最初は驚かれたものの顔を変える方法を一緒に考えてくれた。
(まぁその結果、鴻池さんなら良い方法を知ってるんじゃないかって丸投げされたんだけどね)
「梓はんの要望通り、ぴったりの人に話つけといたで」
「無理を言ってしまってすみません。鴻池さんに相談して正解でした。土方さんは頼りにならなかったので……」
「あ?鴻池さんに相談したらいいって助言したのは俺だろうが」
ジト目で土方を見れば心外だと反論が返ってきた。そんな土方は無視し、梓は鴻池当主に「誰を紹介してくれるんですか?」と目を輝かせる。
(顔を変えるなんて芸当ができる人…そうそういないよね?奇術師か陰陽師ならできそうかしら?鴻池さんならどちらにも知り合いがいそう)
「それは行ってからのお楽しみや。……うちは馴染みやから慣れたもんやけど、……心配やわぁ」
何やら心配されている梓は、訳が分からず土方を見る。土方も当然分からないわけで肩をすくめる。
「ほんなら早速行きまっせ」
「え、あ、お願いします」
立ち上がる鴻池当主に続いて、梓と土方も店先に出る。当主は番頭に出かける旨を伝え暖簾をくぐった。
鴻池家から出て南に少し歩くと、更に道行く人が多くなってきた。何やら呼び込みの声もそこかしこで聞こえる。
(そういえば、この通りは夢で見た通りとは明らかに違ったから探索しなかったのよね)
「随分賑わってますね」
「あぁ。道頓堀には歌舞伎座や人形劇が集まってるからな」
土方の言う通り、立ち並ぶ大きな建物にはそれぞれ大きな看板がつき、客だろう人々が楽しげに出入りしている。
「歌舞伎座ですか!大坂にもあったのですね!」
江戸にある歌舞伎座には何度か家族で行ったことがあったが、そういえばこんな雰囲気だったと思い出す。
軽い気持ちで梓が言った言葉に、前を歩いていた鴻池当主がぐるりと振り返る。その笑顔がなんだか怒気を孕んでいる気がし、梓は立ち止まる。
「梓はん?それは聞き捨てならへんなぁ。大坂歌舞伎は日本一や。知らんとは言わせへんで?」
「すみません!今、今覚えました!」
鴻池当主は梓の返事を聞き「よろしい」とにっこり微笑み、また歩き出す。あまりの迫力に梓はドキドキと早まった胸を押さえた。
それを見て、隣を歩いていた土方は声を殺して「クックック」と笑う。
「大坂の人間にとって歌舞伎と人形劇は誇りなんだろうよ。藪をつついて蛇を出しちまったな」
とても楽しそうな土方に、梓は「他人事だと思って」と頬を膨らませた。




