長州藩の間者
監察方になるとは決めたものの、今何ができるかと聞かれれば思いつく事は何もなく、いつもの通り巡察に出ていたある日、一人の怪しい男を捕縛したところから事は始まった。
「だから俺が何したっていうんだぁ!?」
どこか訛りが抜けない言葉で抵抗する男を縄で括り、梓は平隊士達と八木邸の門を潜った。
「ですからさっきから言ってるじゃないですか!貴方がコソッと『壬生狼風情が偉そうにしよるわ』って言ったのを聞いたんですよ!」
巡察中、すれ違いざまに言われた悪口。恐らく独り言程度の声量だったそれだが、梓の耳にはしっかりと届き、それが京の言葉でも江戸の言葉でも無いことが気になった。
正直、壬生狼と言われる事にも陰口を言われる事にも慣れていたため、気に留めたのは本当に偶然に近い。
(大体が壬生浪士組じゃなくて新選組になったのよ!)
先頭を歩いていた梓は1人、足を止め振り返り様に隣を通り過ぎた男の肩を掴んだ。何か言いたいことがあるのかと問おうとすれば、男はそれよりも早く、突然の事に狼狽えてこう言ったのだ。
「なにしよるんじゃ!」
その言葉に、梓は聞き覚えがあった。
長州藩士が京の町から撤退させられた8月18日以降、潜伏する長州藩士を見つけては何人も追いかけた。その藩士達がよく言うのだ。「なにしよる!」「お前らが悪いんじゃ!」それらの言葉と同じ発音で発せられた言葉に、梓の勘は間違ってなかったと裏付けられる。
早速腕を締め上げ平隊士達に縄で縛らせると、捕縛した男は途端に顔色を変え、自分の方言を隠すように不自然な発音の言葉を使うようになった。
「そんだけのことでこんな事してえぇと思っちょ…てるのか?」
「ほらまた。あなた長州の人ですよね?ちょっと話聞かせてくださいよ」
八木邸の庭でやりとりをしていれば、騒ぎを聞きつけ縁側の襖が開く。
なんだなんだと初めに出てきたのは永倉で、その次に山南、最後に面倒臭そうに土方が続いた。
永倉は捕縛された男を見ると「んんん?」と顎に手をやり、裸足で庭に降り立った。
そんな永倉は気にも留めず、土方は何事かと梓に問う。
「巡察中に怪しい言葉を話す男を見つけたので連れてきました。本人は隠していますが長州藩士だと思います」
そう告げれば永倉はハッとした顔をし、梓の首根っこを掴み土方と山南を八木邸内に押し戻すように八木邸の中に駆け戻った。
残された平隊士と捕縛された男は、ピシャリと閉められた襖をポカンと見つめた後我に返り、暴れたり押さえつけたりと山南が指示に戻るまで騒ぎ続けるのだった。
「な、なんなんですか急に!首が締まるじゃないですか!」
突然八木邸に連れ込まれた梓は、首が締まらないように着物の併せ目を掴んで抗議する。しかし永倉はそんなことお構いなしに、梓の首根っこは掴んだまま真剣な顔で梓の顔を覗き込む。梓はまるで捕まった猫のようだ。
「アイツが長州藩士ってのは、間違いねぇのか?」
てっきり永倉が悪ふざけで自分達を八木邸に引き摺り込んだと思っていた梓は、思いの外真剣な様子の永倉を見て驚いた。そしてすぐさま「間違い無いかと言われると恐らくとしか言えませんが…」と前置きをして、自分があの男を連れてきた経緯を説明する。
「なるほど。その言葉なら長州だろう」
「…それで、永倉君はあの男がどうしたのです?」
梓が全てを説明すれば、土方も頷き今度は山南が永倉に説明を求める。永倉は確信を持ったと言わんばかりに目を光らせ、山南と土方、それから梓に順に目を向ける。
「……この組の中に、長州の間者が紛れてるぜ」
突然の予想だにしなかった言葉に、3人は面くらい暫く無言が続く。
その間、庭ではまだ平隊士と捕縛してきた男が騒いでおり、山南は一人立ち上がると『男を前川邸の蔵につないでくるように』と指示を出す。
「失礼しました。続けてください」
戻ってきた山南は、仕切り直すように永倉に続きを促した。絶句していた梓と土方も、そこで永倉の出方を見ようと聞く姿勢に入る。
永倉の話では、芹沢暗殺の少し前、祇園の裏通りで3人の隊士を見かけたのだという。
3人は人目を盗むように誰かとコソコソと話をしており、気になった永倉は何をしているのかと声をかけた。すると揃って振り返り、一瞬だけ酷く驚いた顔をしたあと、すぐに路地裏から出てきた。
何をしていたのかと聞くと道を聞かれただけだと言う。
その時はそれで納得した永倉だったが、3人と話をしていたはずの男がその場から姿を消していた事が気がかりだった。
そして今、その時姿を消した男が長州藩士として捕縛された事で、永倉の中で一つの確信を持った説が出来上がる。
「御倉・荒木田・楠、アイツ等長州の間者なんじゃねえか?アイツ等が情報を流して、芹沢さんと近藤さんを襲うように仕向けたんじゃねえか?」
疑問符で問う永倉だが、その目は芹沢殺害の犯人を見つけたとギラついている。
芹沢暗殺の真実を知らない永倉は、芹沢の死から数日たった今でも犯人探しに躍起になっていた。それを知る土方は、この機を逃す手はないと永倉の説に相槌を打つ。
「俺も、芹沢さん暗殺は内部に間者が居るんじゃねぇかと思ってたんだ。その3人、早いとこなんとかしねぇと、またいつ近藤さんが狙われるか分からねぇな」
腕を組み眉間に皺を寄せる土方。梓はそんな土方を前に、万が一にでも自分からボロが出ないよう、一切喋ることはせず固い表情を作る。
「そうとなりゃ早速呼び出して尋問にかけようぜ!」
善は急げとばかりに立ちあがろうとする永倉。しかし、山南がそれに待ったをかける。
「尋問をかけるにしても、もう少し情報を集めた後にしませんか?まずは先ほど梓さんが捕縛してきた長州藩士から色々と聞き出すのが優先かと」
「……そうだな。そっちで間者だってのが確定すりゃ、3人を呼び出す手間もいらねぇ。そのまま斬り捨てちまえばいい話だ」
山南と土方の言葉に、永倉は思い留まり浮いていた腰を再び床につける。
「まぁそう焦るな。その時が来たらしっかり仇を取ってやろうぜ。とりあえずは、ここに居る奴らだけで情報を集める。梓お前、御倉伊勢武と荒木田左馬之助と楠小十郎の顔は分かるか?」
土方に聞かれ、梓は聞いたこともない名前の数々に素直に「わかりません!」と答える。土方はガックリと肩を落とし永倉に「教えてやってくれ」と指示を出す。
「お前、隊外専門とは言え監査方を任せるからには、隊士の名前と顔はいずれ全員覚えてもらうからな」
土方に睨みつけられ、梓は「うへぇ」と返事をする。その隣で、梓が監察方をまとめる事になったと知らない永倉に山南が説明をする。
「すげぇじゃねえか梓!頑張れよ!」
山南から梓が監察方になると聞き、バシンバシンと梓の背中を叩く永倉。
永倉が強すぎる激励を振る舞ったところで、土方が本題に戻す。
「梓には監察方の仕事の一つ目として、3人の監視をしてもらう。怪しい行動をとっていないか、奴等を斬るとしたらいつが狙いやすいか、しっかり監視観察してくれ」
思いがけない初仕事に、梓は背筋を伸ばして「はい」と返事を返す。
「新八は梓に3人の顔を覚えさせたら、暫くはいつも通り過ごしてくれ。お前は3人に警戒されているだろうから粛正する段取りがついてからが出番だ」
そう言われ、永倉は「おう!」と返事をする。
土方と山南は今からさっそく長州藩士の尋問に取り掛かるらしく、梓達も3人を探しに行くためその場は解散となった。
「にしても梓が間者かぁ。刀を振るのが取り柄みたいな奴に、敵の中に混じって情報を盗むような器用な真似できるのかねぇ」
「……永倉さん。それは私がいないところで言うやつです。私だって突然言われて驚いたんですよ?でも、芹沢さんが生前に考えてた事だって言うし、やれるだけやらなきゃなぁって…」
そこまで言って、これは言って良かった事なのかと口を噤む梓。しかしそんな梓の歯切れの悪さが、逆に故人を思って言葉が紡げなかったように永倉には映ったようで、再びバシンバシンと背中を叩かれる。
「芹沢さんが言ってたんなら大丈夫だ。あの人は人を見る目があるからな。意外と適役かもしれねぇぞ」
そんなやり取りの後、永倉から御倉と荒木田と楠の3人を遠目に教えてもらい、翌日から3人を観察する事になった。
(3人を粛正するとしたら、同時に決行する方がいいわよね。1人ずつやってたんじゃ勘付かれて逃走されるのが目に見えてるし)
まずは情報を集めるため、3人と入隊時期の近い島田に話を聞く事にした。佐々木の時もそうだったが、島田は理解が早くそれでいて余計な事は詮索しない。話を聞くにはうってつけだった。
「その3人ですか?一緒にいるところは見たことがないですね。寝所も別ですし、巡察の隊も違いますし、接点は思いつかないですね」
(なるほど。屯所内では関わらないようにしてるのかな?間者が間者同士で連んでても意味ないもんね)
「他になにか、習慣的にしてる事とかは知りませんか?」
「習慣的に……荒木田と御倉は分かりませんが、楠でしたら夜の巡察の後は朝方散歩に出ることが多いですね。夜番の後は疲れが溜まるらしく、散歩をすると眠りに入りやすいとか何とか言ってたのを聞いたことがあります」
梓が習慣を聞いたのは、一日の中で決まった動きがあるのなら狙いやすいと思ったからなのだが、島田はそれをうまく汲み取ってくれたらしい。
良い情報を得たところで、梓は礼を言って前川邸を後にする。普段前川邸に出入りする事が全くない梓が前川邸にいると、それだけでかなり目立つのだ。
(観察しようにも、堂々と前川邸に入り込むのはやめた方がよさそうね。また屋根の上が一番かな?)
その日の夜、そんな事を考えながら眠りにつけば、夢でいた場所は前川邸の屋根の上。朝日が眩しく、木々の色付き具合からしてそれほど今と変わらない時期だろうか。
視線をきょろきょろと見渡せば、前川邸の玄関口から散歩に出かけようとする所だろうか、普段着の楠が出てきた。そしてそこから視線を反対側に移せば、前川邸の庭に面した縁側には、髪結が隊士達の髷を結いに来ていた。順に髷を結ってもらうため何人か並んでおり、そこに御倉と荒木田の姿もある。
(なるほど。今日は月に一度の髪結が来る日なのね。楠もちょうど夜番明けみたいだし、狙うならこの日か……)
そこで梓は目を覚ます。
なんとも良い時に役に立つ夢を見たものだ。毎回こう都合よく夢を見られる訳はないのだが、夢見の力は監察の仕事に大いに役立つのかもしれない。




