残された指針
二章始まります
楽しんでいただけますように
文久三年(1863年)九月
芹沢の死から数日、壬生浪士組は無事『新選組』と名前を変え、平穏と言えば平穏な日々を取り戻していた。
すっかり秋めいたある非番の日、梓が庭で素振りをしていると屯所からドタドタと忙しない足音が聞こえてきた。
「かっちゃん落ち着けって!」
「離せ歳!もう一度、もう一度だけお目通り願うだけだ!」
玄関の戸がガラッと勢いよく開くものだから、梓は素振りの手を止め思わず顔を向けてしまった。
昼間の屯所に人がいるとは思っていなかったのだろう。
局長らしさは欠片も見受けられない取り乱し方をした近藤と、それを羽交い絞めにし引き摺られる土方と目が合ってしまい、梓は何も見なかった事にしてスッと素振りを再開させる。
そのまま何もなかったと戸を閉めればいいものを、梓の気遣いを無にして「梓君!」と近藤が声をかけてきたものだから、梓はげんなりと素振りを中断したのだった。
屯所の誰もいない続き間。梓は近藤と向き合い座っている。それを横から土方に監視されているのがとてもやりにくい。
そして更に困った事に、近藤はあろうことか梓に頭を下げたのだ。
「頼む梓君!俺の代わりに江戸に行ってはくれまいか!」
突然の近藤の頼みに、梓は状況が全く読み込めずオロオロと土方に助けを求める。
土方はこれを見越していたようで、大して驚くことはなくため息を吐いて近藤の隣に回る。
「近藤さん。梓に頼んだところで答えは総司と源さんと一緒だ。新選組として動き出したばっかりの今、江戸に人をやる余裕はねぇよ」
諭すように近藤の背中をさする土方だが、近藤の顔は諦めていない。
梓は訳が分からないなりに、自分がお役御免で脱退させられるのではないかと明後日の方向に思考が向いている。
そんな状況を整理するため、土方は簡単に事の経緯を話して聞かせた。
近藤は江戸の試衛館道場の跡取りだが、それは養子に入ったためであり、元は土方と同じ多摩の百姓の出だと言う。
今回の騒動は、近藤を試衛館道場の跡取りにと迎えてくれた恩人で養父・近藤周斎の中気の知らせが届いたことから始まる。
中気とは突然頭のスジが切れる病気で年配者に多く、言葉が話せなくなったり体が動かなくなったり、酷い場合は死んでしまう、医者にも治すことのできない厄介な病気だった。
周斎の願いとしては、近藤に江戸に戻って道場主として精を出してほしいと言うのだが、一人局長となった近藤がやすやすと隊を抜けることはできず、近藤としてもそんな気はない。しかし義父の病状は気になり、それならば一度様子を見に帰るだけでもと、会津公に願い出たらしい。
しかし会津公の返事は否。京の治安も安定しておらず、周斎の願いも考慮した上で、万が一にも帰って来ない可能性を考えての事だった。
そして代案として、自分がダメなら使いを出そう。として、沖田・井上ときて梓に御鉢が回ってきたのだという。
「……何とかならないものだろうか…」
梓に向けてではなく土方に向けて、落ち込みを隠すことなく懇願する近藤。しかし土方の答えも、依然として否なのだ。
「近藤さん。わりぃが今回は諦めてくれ。その代わり、近いうちに必ず江戸に行ける機会を作る。隊士募集とでも言えば会津公もお認めくださるだろうぜ」
土方の精一杯の代案に、近藤は今度こそ渋々ながらに諦めたのだった。
(結局私は巻き込まれ損ってやつかな?)
話もまとまった所で、梓がまた素振りに戻るため席を立とうとすると、今度は土方に呼び止められた。
「梓、ついででわりぃがお前に話がある」
そう前置きされた話の内容に、近藤は瞬く間に局長の顔に戻り腕を組んで聞く体勢に入る。今度は何だと再びげんなりした梓だったが、近藤の様子を見て大切な話だろうと背筋を伸ばす。
「実はな、お前の今後について、生前に芹沢さんから託されていたことがある」
突然出てきた芹沢という名に、梓は目を見開き硬直する。それを感じ取り、土方が話を続ける前に近藤が再び頭を下げた。先ほどの懇願とは違い、両の拳を膝に乗せた正式な謝罪だった。
「梓君。君には酷な仕事をさせてしまった。知らなかったとはいえ、身内を暗殺しろなどと……本当にすまない!」
近藤が深く頭を下げる隣で、土方までもが頭を下げている。二人の固くかしこまった謝罪に、梓は本日二度目のオロオロ顔で近藤と土方を見比べる。
「あ、頭を上げてください!芹沢さんと血縁だったと言っても、私も最近知った事ですし、芹沢さんも私も初めからあんな日が来る事を知っていました。お互い納得した上での事ですから、お二人に頭を下げて頂くことではありません!」
梓が両手をブンブンと振っていれば、近藤が困惑した顔で顔を上げた。梓が動揺のあまり『知っていた』と口走ったのが気になるのだろう。
そこを突っ込まれる前にと、土方の方を向き急いで話を元に戻す。
「で、私の今後とはどういう事でしょうか!?」
土方は一瞬遅れて、芹沢が新見切腹の少し前に提案してきたことを梓に伝える。
「芹沢さんは、お前がその容姿を生かして、組のための間者になる事を提案いた」
「……カンジャ…ですか?」
「そうだ。主に京の町や尊皇派の集まる場所に身分を偽って潜入し、情報を獲ることが仕事だ」
聞きなれない言葉に首を捻れば、土方は分かりやすい説明を返す。要は密偵という事だ。
「わ、私にそんな重大な役が務まりますか!?第一容姿を生かすって……」
そこまで言って、梓は土方の言わんとしていることを理解した。
芹沢も土方も、梓が女だという事を知っている。そして、表向き京を追放されている尊皇派が集まる所と言えば、大体は宿屋か花街。
「……なるほど。それで私ですか…?」
故人に抱く感情でないことは重々承知だが、芹沢がくっくっくと噛み締めた笑いを漏らしているのが容易に想像でき『死して尚厄介ごとを…』と腹の底に沸々と怒りが沸く。
「梓君。君の気持ちはよく分かる。男児たるもの女装をして花街に潜入するなど屈辱だろう。しかし、君以上に適任がいないのも事実。先日の8月18日以降を思い出してほしい。長州藩士の目撃情報に踊らされ、皆に市中を走り回らせてしまった。我が組に優秀な間者がいて、確かな情報だけを叩いていればあんな事にはならなかったはずだ」
近藤の悔しそうな表情に、梓もあの時は走っては逃げられ、走っては空振りを繰り返し、暑い中苛々としていた事を思い出した。
「今はまだ構想の段階だが、お前が引き受けてくれるのなら近々作り直す組織図に『監察方』として一つ組を作るつもりだ。そこにお前を嵌め込めれば収まりがいい」
「監察方って、組内に不正がないか見張る役の事ですよね!?さすがにそんな大それた役目は荷が重いです!」
「安心しろ。お前は間者専門だ。監察は違うやつに任せる」
土方の話を聞いてひとまず安心した梓だが、依然として自分に組を動かす情報を扱えるのかと言う不安は残る。
「……余談だが、さっき言った組織図、局長副長は変わりないが副長助勤の皆には各々隊分けをして一つの隊をまとめてもらう予定だ。一番隊には沖田を置くつもりでいる。お前が監察方を辞退するなら二番隊以降に振り分けるか、沖田の下についてもらうかになる訳だが…」
そこまで言って土方がチラリと梓を見る。
(な、なによ。別に沖田さんより隊が下だろうが沖田さんの隊に組み込まれようが私は……)
そこまで考えて、普段の沖田の様子が頭の中に流れる。
沖田は刀を握れば右に出る者はいないのだが、私生活は子供そのもの。そもそも自分が一番隊となった時、梓に勝ち誇った顔を向けて来ないだろうか。いや、向けては来ないかもしれないが、絶対に「梓さんは〇番隊ですかぁ。僕の方が上ですね」的なことは言ってくるだろう。
そして万が一沖田の一番隊に入った日には、沖田と始終一緒にいることになるのだろう。
(沖田さんって、朝は起きないし意外とだらしがないのよねぇ。面倒くさがりだし、隊長の雑務なんかがあった日には全部こっちに押し付けて自分だけ素振りしたり稽古しそう……)
頭の中でいろいろと想定していけば、どうにも分が悪いことばかりが浮かんでくる。
梓は一時考えることをやめ、土方に顔を向ける。
「あのぉ、もし、万が一私が密偵になるとして、花街とか宿屋に潜入するってことですよね?伝手はあるんですか?まさか本当にお客をとらされたりとか……」
屋根の上に登ったり外から聞き耳を立てる程度であれば何の問題もない。むしろ得意かもしれない。しかし花街に遊女として潜入するとなれば話は全く変わってくる。さすがに仕事で春を売るほど、梓も割り切ることはできない。
「それなら問題ねぇ。俺も近藤さんも花街に伝手はあるし、会津藩御預の新選組として依頼することもできる。何よりもこれだ」
そう言って、土方は傍らに置いていた見慣れないつづらを梓の前に差し出す。
「なんですか?これ」
「開けて見ろ」
首を傾げながら蓋を開ければ、中には女物の着物が2枚。それから文が一通入っていた。読んでもいいかと文を手に土方たちを見れば、なぜか近藤が深く頷く。
裏には名前がなく、包みから出した文には梓の名前の下に『梅』と綺麗な字で書かれていた。
「え……?」
思わず出してしまった声を気にする余裕もなく、漁るように文を開き目を走らせていく。
『突然の手紙でびっくりしたやろ?呆けとる梓はんの顔が思い浮かぶわ』
まず初めに、自分からの文に驚いているであろう梓を面白がる文章が書かれており、お梅らしい一文に胸の奥が締め付けられる。
『もう一つ驚く事に、梓はんは密偵になるんやってねぇ。芹沢はんから聞いた時は驚いたわ。ほんでも、よくよく聞けば梓はんなら適任のような気がしとります。うちと前に行った、うちがおった置屋のこと覚えとる?あそこのお母はんに話はつけてあるから、頼ったらええと思うよ。悪いようにはされんから安心し』
『この手紙と一緒に入っとる着物は、うちと芹沢はんからの餞別や。芹沢はん曰く、密偵になるなら花街だけやのぉて京の町の人達の噂話を聞くのも大事なんやって。隊服では聞けん話も、可愛い着物着た娘なら聞き放題やろ?うちと芹沢はんで、梓はんに似合う着物を見繕ったんよ。実際に着とるあんたを見れへんのは残念やけど、きっと似合うはずや』
『最後に、こんなん言うのは歳とったみたいで嫌なんやけど、芹沢はんと2人で梓はんの着物を選んどったら、なんや、娘に贈り物を選んどるような気ぃがして楽しかったわ。ほなね』
手紙を読み終え、梓はつづらに入った着物を手に取る。淡い桃色の着物と薄青色の着物にはどちらも大小の花の刺繍が満遍なく施され、とても愛らしい。
まさか女を捨てた身で着物を贈ってもらえるとは夢にも思わず、こんなに愛らしく素敵な着物を、二人が自分のために考え選んでくれたのだと思うと、涙が溢れて止まらない。
「……改めて聞くぞ。間者兼監察方、引き受けてくれるか?」
時を見計らったような土方の問いに、梓の返す言葉は決まっていた。
「やります。精一杯努めます……!」
決意を胸にそう告げれば、優しく頷く土方と、その隣で梓以上に涙を流す近藤がいた。
メモ
中気とは現代で言う脳卒中です。
間者や密偵は、現代で言うスパイの事を指す言葉で、この話では間者(専門用語)と密偵(一般的な知識)として使い分けて使うつもりです。




