芹沢鴨の暗殺ー闘楽ー
「梓さん。どうやら状況は想定とだいぶ違うようですが、やることは変わりません。いいですね?」
お梅から目を反らさず、梓にギリギリ届く声で沖田が言う。それに梓は一度だけ頷き、お梅に招かれるまま八木邸に足を踏み入れた。
玄関口で履物を脱ぎ中に上がっていくお梅に対し、沖田が履物を脱がないよう梓に小さく声をかける。その意図は分からないものの、梓は言われた通り草履のまま奥に進む。
(あぁ、どうしよう)
八木邸の奥の部屋。いつも梓達が布団を並べて寝ている場所に、芹沢はどっしりと座って待っていた。手にはお猪口を持ち、徳利が数個転がっている。宴会でそれなりに飲んでいたというのに、帰って来てからもまた飲んでいたらしい。
「……やっと来たか。待たせおって」
(始まってしまう)
お猪口を床に置き、のっしりと立ち上がる芹沢。傍らに置いてあった刀をお梅が差し出し、それを受け取って鞘から抜く。
沖田もまた、芹沢に合わせて鞘から刀を抜いた。
「童。何をしておる」
二人が間合いを取り始める中、梓は抜刀もせず立っている。芹沢が早く構えろと言いたげに剣先を梓に向けた。
「まさかここまで来て、覚悟が出来ておらんとは言うまい?」
芹沢の問いに、梓は静かに首を振る。
「ならばなぜ抜かぬ」
「……芹沢さん」
芹沢の問いには答えず、梓は静かに芹沢に語りかける。
「……本当に、本当にこの未来しかないのでしょうか…」
俯いた顔を上げ、真っすぐ芹沢を見る梓の目には、堪えきれないほどの涙が溜まっていた。
「くどい。少なくともわしには、この未来しかいらぬ!」
芹沢はあえて大きく振りかぶり、梓目掛け刀を振り下ろした。大きく振りかぶった事により、梓にも抜刀する時間が与えられ、左右の腰から刀を抜かされた。
抜刀を躊躇っていたら間違いなく斬り捨てられていただろう、全力の芹沢の太刀が、梓の左右の刀の交点に合わさる。
ガッキィン!と小さな火花と共に、少し鈍さを孕んだ金属同士が打ち鳴らす音が部屋中に反響する。
両の手がジンジンと痺れるが、刀を落とさないように必死に握りしめる。
(ッ!これが、芹沢さんの本気…!)
そこからは打ち合いの応酬だった。梓の気持ちは置いてけぼりに、やらねばやられる状況に腕と体が勝手に動く。
そこに沖田も加わり、攻撃の刀が二本から三本に増えたところで、芹沢は目にも止まらぬ剣さばきでそれを払っていく。
「さっすが、芹沢さん!本当に、酔ってますか?」
「ふん。この程度の攻撃、酒に酔って丁度よ」
軽口を叩き合う芹沢と沖田。二人の顔は実にいきいきと楽しそうで、今まさに死と隣り合わせのこの打ち合いを心から楽しんでいるのが伝わってくる。
梓は攻撃の手を出しながら、その光景にいつかの稽古を思い出す。
(思えば、芹沢さんに剣を教えてもらったのは、あれが最初で最後だった。もっと色々な事を教わりたかった。いろいろな話をしたかった。これからも、大きくなっていくこの組と、先の未来を見てほしかった)
押し寄せる感情に、梓は隠すことなく涙を流す。その涙も、蒸し暑い室温で流れる汗と、先ほどまで雨にずぶ濡れにされていた水滴に混ざれば、元からそんなもの無かったかのように見咎められる事もない。
そんな涙の行く末を肌で感じとり、梓はそれが自分のようだと酷く滑稽に思う。
(散々悩んで拒否して自分を守って、それでも結局周りと混ざって、相手の意思に流されて、体は勝手に動いてる。自分の気持ちなんて無いみたいに、傍から見れば私も、楽しむ2人に混ざって刀を振っている)
そう思い、チラリと視線をお梅に向ける。
部屋の隅で怯えながらも『決して目を反らさない』と覚悟を決めた目で必死に芹沢を追っている。何かを願うように胸の前で強く結ばれた両の手。ポロポロと頬を伝う涙は、とてもきれいに光って見えた。
そんなお梅の目に、梓は一つも入っていない。その事に、心の底から安堵したのはなぜだろう。
(……いつまでも、うだうだ考えるのはやめよう。……もう考えるときは終わってしまったんだから。もう、斬るか斬られるかしか残っていないんだから。私に皆が、芹沢さんがお梅さんが、望んでいるのはたった一つ)
梓はついに、覚悟を決めた。
真っすぐ、芹沢に視線を向ければ、芹沢は沖田にばかり向けていた目をすぐさま梓に向け返す。
「ふん。やっとか。あまりに退屈なんで先に斬り伏せてしまおうかと思っておったところだ」
にやりと笑う芹沢に言葉は返さず、代わりに一度間合いをとるため芹沢から離れる。
沖田もそれに合わせ間合いをとり、ずっと金属音が鳴り響いていた室内に久しぶりの静寂が訪れる。
梓は一つ深呼吸をした後、左手の脇差を中段に、右手の大刀を上段に持ち基本の構えを作る。沖田も沖田で体を半身に低くし、刀を引いて三段突きの構えを作る。
「ふ、ハハハ!いいぞ!面白くなってきたではないか!」
二人の構えを前に、芹沢は心底楽しそうに高笑いをした後、先手必勝と言わんばかりに沖田に斬りかかる。間合いの必要な沖田の三段突きに対して、先に間合いを埋めてしまおうとの判断だった。
向かってくる芹沢の刀を弾いたことで構えを崩され、沖田は再び芹沢と競り合う。しかしその空いた背中に、今度は梓が飛び掛かるように右の大刀で斬りに行く。
芹沢は競り合ったまま角度を変え、梓を横目に捉えられる位置まで移ると、沖田の刀を弾くついでに梓の刀をも一連の動作で弾いてしまう。
その後すぐさま刀を切り返し梓の首元を狙うが、梓は上半身のみで後ろに避け、すぐさま左に回転し刀を空振りさせた芹沢の背を狙うが、芹沢はその勢いのまま前に倒れ込むように床を前転し、二人と再び距離をとる。
「……何ですか今の動き」
「……芹沢さん、さっき僕本当に酔っ払いですかって聞きましたけど、絶対酔ってないでしょう」
梓も沖田も、芹沢の巨体から出たあまりに機敏な動きに呆気にとられツッコまずにはいられない。
涼しい顔で構え直した芹沢は、人知れずチラリとお梅に目をやる。
先ほどから涙を溜めて芹沢を見つめていたお梅だったが、梓と沖田同様呆気にとられたあと、静かに口元を着物で隠し「ふふふ」と笑っていた。
「2人がかりでこれでは、退屈すぎて話にならぬなぁ」
芹沢が乱れてもいない髪を撫でつけながら挑発すれば、梓が心外だと一歩前に出る。
「今度は、私から行きますね」
そう宣言すると同時に梓は一気に間合いを詰め、左脇差で下から掬うように斬りかかる。それを芹沢が後ろに引いて避け、そこに今度は右手の大刀を上から振り下ろす。刀の長さもあり、今度は後ろによけきれず芹沢は頭上で刀を受け止めるが、受け止められた反動を利用し飛び上がりながら、上半身を天井を仰ぐほどに反らせ両の刀を揃える。
そして反った体が元に戻る勢いのまま、頭上から2本の刀で一気に振り下ろす。
「全く、お前は本当にひらひらと…―」
「僕もいますよ!」
梓の両刀を、芹沢が頭上で刃を支えるため両手で受け止めれば、すかさず沖田が空いた背後を狙いに来る。
しかしその刀は芹沢に届く前に、天井から垂れ下がった鴨居に引っかかった。
「ありゃ」
「其のニ!動きが大きい!室内の戦いでは天井の低さを常に考えるものだ」
横目で芹沢が沖田を見た隙に、梓は体を反らせ大きく肩を回し自身の背後で両刀を頭上から右下に回し今度は下から2本の刀を合わせて斬りかかる。
しかしそれも刀に力が乗る前に下で押さえつけられ、体を半回転させて反対から斬りかかろうと体勢を作っている途中、一瞬横に身体を向けたところで、芹沢がドンっと手のひらで梓の肩を押した。刀以外に気を向けていなかった梓は、回転途中だったこともあり体の均衡を崩しツンのめるように床に崩れる。
「童は相手に背を向ける回数が多い!たとえ一瞬でも、狙いにくる相手は必ずおるぞ」
「は、はい!」
大きく返事をしながら、すぐに起き上がり構えを作る梓。
命をかけた斬り合いをしているはずなのに、稽古をつけてもらっているような、そんな時間が少し続いた頃、刀の交わる金属音とは別に外をバシャバシャと走る足音が聞こえた。
「総司!梓!無事か!」
そう聞こえたと思うと縁側の襖がガラッと開かれ、土方がドスドスと入ってきた。その後ろには山南と、外を見張る原田が見える。
手を止める梓たち以上に驚いたのはお梅で、いきなり背後の襖が開きドスドスと入ってきた土方を見て、弾かれるように立ち上がり着物の背中部分を掴んでしまった。
「ちょっと土方はん!邪魔しぃ…な……?」
外から入ってきた土方には襖の後ろにいたお梅が見えていない。したがって、死角から突然声をかけられ背中を掴まれたことで反射的に、抜き身で持っていた刀を振り向きざまに振るった。
先ほどまで、離れで平山・平間相手に刀を振るっていたのだ。気が昂っていたのも仕方のない事だった。
「お梅さん!」
相手がお梅だと気付き振り抜く前に止まった土方の刀だったが、それはお梅の横腹に深く食い込んでいた。
お梅とは芹沢をはさんで反対の場所にいた梓は、叫ぶのみで駆け寄る事もできない。
「……頃合いか」
お梅に声をかけるでもなく、芹沢は小さくそう呟く。
そして、ブンッと刀を大きく水平に振るった。
梓も沖田も間合いの外にいるにもかかわらず振られたその太刀は、稽古の終わりを指していた。
お梅の様態が気になり構えも注意も散漫になった梓に対し、芹沢は一気に距離を詰める。沖田は素早くそれに反応し、梓と芹沢の間に割って入ると、梓に代わり自身の刀で芹沢の太刀を受ける。
「梓さん!集中してください!」
先ほどまでと違う、芹沢の殺気の混ざった太刀に沖田は声を荒げる。その声に梓はハッとし、目の前の沖田の左脇からさっと飛び出し脇差で芹沢に斬りかかる。しかし芹沢はその直前に沖田から距離をとり、梓の脇差はブンッと宙を斬った。
「すみません沖田さん」
「いえ」
言葉少なに会話をし、二人並んで芹沢に向き合う。
芹沢は二人から距離をとり、刀を上段から頭の横、肩の上へと移動させる。
それは永倉もよく見せる『神道無念流』の構えだった。




