二九章・お別れの記憶
二つに結った髪が潮風に攫われ、私は目を細めました。髪を押さえるのも面倒なので、目に入らないようこうしていることを選択したのです。
「今日も風が強いですねぇ」
起床時間より早く起きて部屋を抜け出した私は、のんびりと呟きました。
「ひっめさ〜ん!」
いつも聞いているその声に、私は振り向きます。案の定、そこにいたのは。
「おはようございます、ユーニ。シイカはどうしたんですか?」
「置いてきました!」
え、そこわんちゃんみたいなぴっかり笑顔で言うことですか!?
「いいですよ、別に。あいつは夜行性だし朝は遅いんです。知ってるでしょ? シイカが後で食堂に来て飯食ってるの」
「知ってます。だからこそ、起こしてあげた方がいいんじゃないですか」
「昔、やろうとして叩かれたんです。善意を仇で返すような奴、妹でもなんでもないですよ」
口をとがらすユーニに私は困った顔をします。妹のシイカに対してはよく憎まれ口を叩いていますが、面倒見が良く、孤児院のみんなにも分け隔て無く接する優しい男の子。なのに、どうしてたまに私よりずっと年下の子どもみたいな言動になるのでしょう?
「それに。オレとシイカは兄妹ですけど、部屋に仕切りがあります」
そうですよね。もう少しでユーニは男の子から少年になるんですよね。う〜ん、全然実感がわきません。
「ユーニはユーニですよね…」
ぼそりとした台詞にユーニが首を傾げます。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ。ユーニはユーニだな、って」
「なんですか、それ」
二人してなんだかおかしくなって笑い出します。
と、しばらくしてからユーニが切り出しました。
「姫さん。シイカは昨日あんまり寝てないんです。だから、連れてくるのをやめました」
「え? シイカが!?」
シイカは、ものすごく早く寝ます。疲れれば寝るし、何かあれば寝るし、遅い時間になれば気づく前に寝ています。そのシイカが、寝られなかった? 何かあったんでしょうか?
「オレ達は、今日、里親に引き取られます」
「へっ」
「今まで黙っていて、ごめんなさい」
な、なんで!?
ずっと一緒にいよう、って約束しましたよね。明日も遊ぼう、っていつも言いましたよね。
じゃ・な・く・て!!!!
「嘘ですよね。嘘。ユーニは、シイカは、私の前からいなくなりませんよね。大丈夫ですよね。そうだ、明日は何しますか? 今日もまだ始まったばかりですけど…」
「姫さん」
どうして? どうして…どうして……どうして、そんなに悲しそうな顔で私のことを見ているんですか?
「ゆ、ユーニっ!」
しっかりと、私はユーニに抱きつきました。決して行かせないと、行っては駄目だと。
「ユーニ、ユーニ、行かないで! 私、もう置いて行かれるのはイヤなんです」
「え…?」
ずっと寂しそうな、悲しそうな顔だったユーニが、やっと私を見ました。
「姫さんを置いていった不届き者がこの世に存在するんですか!?」
不届き者て。
でも、私は置いていかれたことがあるんです。誰にそうされたか、どう別れたか、わかりません。でも、私が孤児院にいることでその相手はわかります。お父さんとお母さん。目が覚めると味わう孤独感だって、いつも私を一人にします。
「ひどい! 姫さんを置いていくなんて気が知れません! そいつ、正気ですかっ?」
「…ユーニとシイカは今、その不届き者になるんですよ……!?」
抱きしめる腕の力をもっと強くしました。
里親を決めるのはアンナ院長の決定。
アンナ院長はこの大きな城の、絶対的な君主。
そして里親は、子供達にとっていいもの。
私がいくら駄々をこねたって止められるはずがありません。
一人にするなら、それを後悔するくらい私の存在を強く、深く、刻んでしまえばいいんです。痕がつくくらいの力があればいいのに。
「姫さん」
ユーニはこわごわと腕を伸ばし、躊躇いがちに私のことを抱き返しました。まるでガラス細工を扱うように慎重な手つきが嬉しくて、でもどうしてか悲しくて。
「…………」
「……オレ達、今日の昼にはここを出ます。だから、だからーー」
それ以上の言葉が思いつかないと言うように苦しそうな表情をユーニが浮かべる。
泣きそうな顔。
涙が出そうなのは、私なんですけど。
ぎゅうぎゅぅと締めつけあうような抱擁をかわした私達は、シイカが駆けつけるまでずっとそうしていました。
「院長。私、やっぱりイヤです。ユーニとシイカと離れたくありません」
朝食は、里親の下へ行く二人を祝ってみんなが拍手をしていました。それに嫌気がさした私は食堂から出て自室に籠もっていました。
でも、今はアンナ院長のお部屋にやってきてこう言いました。
「二人と一緒にいさせてください」
頭を下げた私の精一杯のお願いは、ざっくり着られました。
「無理ねぇ」
片眼鏡に白髪の院長は、ふっ、と溜息を漏らして肩を回します。
「貴女の親は、ユーニとシイカと同じではいけない。責任を持って面倒を見ると私は約束したのですから。そのときがくるまで、ここにいなければなりません」
「じゃあ、ユーニ達をここに引き留めてください」
「駄目です」
私を特別扱いしているとみんなは言いますが、アンナ院長は甘くありません。主は、むやみやたらに庇護下の者を甘やかしてはいけない、というのが彼女の持論です。
「無駄な懇願するくらいならお別れを言って綺麗に離れなさいな」
言葉選びに情緒が感じられないことにも定評があります。主に私の中で。
そういうことで首根っこを掴まれて城を出た私は、悪鬼のような顔をしたシイカと唇を噛んで何かにじっと耐えたようなユーニを困ったように見つめる里親さんの前に行くことになりました。
「姫さん…!」
「ヒメ」
私に向かうシイカを院長が制止、やわらかな笑みで引き返すように言いました。決して強い口調ではないのにシイカはぴたりと泊まり、不服そうに、それでも大人しくーー舌打ちだけでーー里親の元に向かいました。
院長が里親と何やら話している間、私もユーニ立ちも微動だにしませんでした。
ただ。
二人が去っていくときだけ、私は叫びました。
「行かないで!」
と。
二人は振り返って困ったように笑うと、ふいっと顔を背け、走って城を囲う柵の外の世界に旅立っていったのです。
従来の七歳児と九歳児のお別れとはちょっと違う感じですね。反省してます。いや…これも「溺愛(?)」の一種でしてーーげふんげふん。
ユーニ押せ押せにしたいのでこれからも珍妙な二人組を応援してくださいませ。




