二四章・悪夢見ましたが吹き飛びますよ
日常パートです。
ねえ。
私ね、好きなことがあるの。
わかる?
名前を呼んでもらうこと、よ。
「ぎゃぁっ!!」
蛙が潰れたらきっとこんな声を出すのでしょう。
そんな、乙女にあるまじき悲鳴を上げて飛び起きたのは私。
どうも、シャルロット・ブランジェです。
時は深夜未明。所は金魚草の二階…つまり、自宅。そして、もっと言えば私の部屋、ベッドの上。
いやぁ、悪夢を見ちゃいましたよ。いつぶりでしょう? この間ぶりです。私が眠りながら聖女アリア様の過去を覗いたーーまぁ、あれが不思議体験ではなく妄想ならば夢、ということなんですがーーのはつい先日のことでした。
嫌だな、最近こんなんばっかりですよ、も−。
とか軽いノリで言っちゃってますけど、私、結構動揺しているんです。
心臓はバクバクいってるし、空気を求めて呼吸をするにも身体がブルブル震えて仕方がありません。変な汗が噴き出るし…。
「はぁ」
溜息とも呼吸ともつかない息が口からこぼれました。
箪笥の中から程良い大きさのタオルを取り出し、汗を拭います。それからベッドサイドにあった麻紐で適当に髪を束ねると、水差しの水をコップに注いで一息に飲み干しました。
ふぅ。お水は美味しいです。私、紅茶もコーヒーも、ジュースも好きですけど、お水も好きなんです。なんか、力が漲ってくる! って感じがしていいんですよね〜。
……それにしても。
「ぎゃぁっ!」は、ないですよ。
私、花の十七歳ですよ。乙女(図々しい)ですよ。接客やってるから声も気をつかってますよ。歌で魔術を使う歌竜の末裔(まだ完全に信じきれてませんけど)ですよ。おまけに、聖女の生まれ変わり疑惑あり(こっちは全然信じてませんけど)ですよ。
なのに、なぁ。
勤務中に気を遣っていても、素では違うんですね。
私が自嘲気味にはは、と乾いた笑みを漏らすと、カチリと音がしました。
「あ、こんな時間か」
なったノは、時計の針でした。
そうです、そうです。今は深夜でした。明日ーーもう「今日」ですけどーーのためにも睡眠時間は確保しなければ。
もぞもぞと布団に潜り込む私の脳裏に見たばかりの悪夢が蘇ります。
真っ暗な世界ーー〈誰かの闇〉に、夢の中の私はいました。その闇からいきなり現れたのは手。心配になるくらい白くて透けてしまいそうなそれがこちらへ伸び、つぃ、と私の頬に添えられるのです。手の持ち主の顔は見えませんが、暗黒によく映えるワンピースが己の純白を示すようにはためいていました。。風なんて吹いていないのに。
その手に温度があったかどうかは覚えていませんが、きっとこの手は冷たいのだろう、と私は思いました。華奢で、か細い手でした。
私の頬に触れたまま、手の持ち主は囁きます。
「ねぇ」それがとても小さいのによく通る声だったので、素敵な声質だなぁと私は妙なところで感心してしまいます。そして、わかったのは女性だということ。
「貴女は、「灯り」なの」
気配で相手が微笑んだことがわかりました。
彼女は、微笑んだまま、
「ねえ」
唐突でした。
「私ね、好きなことがあるの」
好きなこと?
「わかる?」
いやいやいや。って、言うべきでしょうか。私が迷っている間に、また言葉を紡ぎました。
「名前を呼んでもらうこと、よ」
聞き返そうとしたのに、喉がふさがれたようで、ぐちゃぐちゃになった感情がこみ上げてきて、何も言えませんでした。
彼女は私の頬を、ガラスを扱うようにそぅっと撫でました。
私が最後に見たのは、頬から離れていく手の首にある、革製の茶色い紐でした。
……よく考えたら、どこが悪夢なんでしょう? でも、怖かったんですよ。あの手が。声が。
彼女を見たら、私の中の何かが壊れそうに思えたんです。あのときは。
二度寝の後はすっきり目が覚め、私は爽快な気分で仕事に取りかかりました。が。いつまでもそんな気持ちのままでいられるわけはなく。
「シャ〜ルっ!」
「うっわぁ、ルドさん☆」
今日もクッソうぜぇ! ですね。
今日も今日とてハグをかましてくるルドさん。会いも変わらずなすすべのない私。…もうちょっと策を講じろよ、私。
「シャルが蔑むような目で俺を見てるのは、気のせいかな。でも嫌いじゃない、俺」
この人マゾなんですか?
「ルドさん、どんだけ性癖あるんですか」
「そういうんじゃないんだけど。…って、それ、シャルはサドがいいっていうアピールだったりするの? だったら喜んでそっち系の性格にシフトチェンジするよ」
なんでそういう方向に話が進むんですか!
茹でた海老のようにぷりぷり怒る私を楽しそうに眺め、ルドさんはにやりと笑いました。
「そんなに怒らなくてもいいだろ。シャル」
宥められるように名前を呼ばれますが、子供じゃないんですからそれくらいで黙りませんよ。
っていうかルドさんはいつもいつもいつもいつも…。
「シャル」
もう一度。今度はゆったりとした声で。
「シャル」
次は、いつものように甘ったるい声で。
「シャル」
最後は、限りなく優しい声で。
「ルド、さん?」
背後から回されたルドさんの腕を凝視しながら私はつぶやきます。
「なんで、何回も名前呼ぶんですか?」
「え?」
私はルドさんを仰ぎ見ました。
そのとき、私はどのような顔をしていたのでしょうか。
よくわからないですけど、微妙な顔をしていたのかもしれません。
もしかしたら、泣きそうな顔をしていたかも。
だって、喉の奥から気持ちがせり上がってきて、鼻がつーんとして、目がじんわり熱くなって、なんでか嬉しくて。
とにかく、なんでこんなときにという顔だったと思います。
自分に戸惑っている私を見つめるルドさんの顔は、泣き笑いのような、やっぱりなんでこんなときに、という顔でした。
「昔さぁ」
ぽつり、とルドさんは語り出しました。
「こうすれば静かにした人がいたんだよ」
その目は私を見ているようで、どこか遠くを見ていました。
「泣いてるときも、困ってるときも、喜んでるときも」
その人はきっと、ルドさんに近しい人だったのでしょう。「人」っていう言い方はどこか他人行儀ですけど、「静かにした」っていう言葉が他人じゃない気がするんです。それに、何度も名前を呼ぶ、って親しくない人にはやらないと思います。
「名前を呼ばれることが、好きだったんだ」
私も、名前を呼ばれること、好きかもしれません。
どうしてかはわかりませんが、その思いをぐっと心の中に押し込めます。
でもやっぱり、名前を呼ばれるのはいいことかも、
今なら、「彼女」の気持ちがわかるかもしれません。
……「彼女」?
カランコロン。
「こんにちは、シャルーー」
あ。
「って、ルドお前!!」
ブレントさん、ご来店です。
「またそんなことして! 不埒なのはどう考えてもお前だ! シャルも抵抗してよ…!」
いや、腕の力が強くって。
「なんだ? ルドが破廉恥なことでもしたのか?」
オーディンさんも来ちゃったよ。
「…ブレント。我が友にそ変な真似をした輩には制裁を加えるべきだろうか?」
オーディンさんの制裁って何!? また金魚草を崩壊させたりするんですか? それは勘弁。
「昨日やっとグングニル(槍)の手入れが終わったんだ。やはりサーベルより馴染む…」
やーめーてー。超物騒なんですけど!
はぁ。
また騒がしくなっちゃいますよ。こんなんじゃ、悪夢も爽やかな朝もどっかに行っちゃいます。
でも。
私はこんな毎日が嫌いじゃなくて。それがまた、悔しくて。
こういうのを、「かけがえのないもの」と言うのでしょう。
日常。ほのぼの目指しました(?)
次回、ぶっ壊します。予定です。
予定は未定です。




