二十章・貴女は何を隠してます?
私って結構馬鹿なんじゃないかと思うんですよ。
だって、初めて会った人についていっちゃってるあたりで、ねぇ?
落としたオレンジを拾っていただいた女性ーーエアさんというお名前だそうですーーと成り行きでお茶をすることになった私は、最初にお断りしました。ですが、なんかよくわからないのですが奢りだと言われ、承諾。いやぁ…ただより怖いモノはありませんね!
っていうかお世話になったのはこっちなのに「お礼に私とお茶をしてくれないかしら?」とか言われて。エアさんは少し変わった方なんですかね?
街のお洒落なカフェで世間話をした後、エアさんはスケッチブックと鉛筆をどこからか取り出しました。
「私、絵を描くことが好きなの。だから気が合う人に会ったら絵を描いているの。ねぇ、貴女のことも書いていい?」
私に確認とってますけど、この人描く気満々ですよ。ってかもう、鉛筆を走らせてるし。
まあ、いいや。こういうのって少し恥ずかしいですけど、お礼です、お礼。
私が緊張でガチガチになっている姿をすらすらとデッサンしたエアさんは、満足そうに笑ってから「ありがとう」と言いました。
「貴女の絵が描けてとてもよかった。私ね、今までたくさんの人の絵を描いてきたけど、貴方との出会いは本当に運命だと思うの」
運命って言うのは言い過ぎじゃ…とか内心では思っていましたが、エアさんがとても嬉しそうな顔をしていたのでその考えも薄れました。きっと彼女は今までのどんな出会いも大切なものとして受取って生きてきたのでしょう。そういう繊細な感情は私にはありませんので、素敵だなぁ、と感じます。
「貴女の声が好きよ」
エアさんが、歌うように軽やかな口調で言いました。
「私が絵と同じくらい好きなのが歌なの。胸を張って言えるほどではないけれど、唯一の特技なの。そのせいかな? 誰かの声を聴くことがとても好きなの」
「はあ」
「今まで聴いた声の中で二番目に貴女の声が好き。…ううん。大好き。可愛い声ね」
まさに「にこにこ」という感じの朗らかな笑顔で言われれば、なんか嬉しくなっちゃいます。この人、褒め上手ですね。柄にもなく私が照れていると。
「私の一番愛しい人は、とても変わった人なの。とても心配性で、親切で、優しくて、真面目で。たまにちゃらんぽらんだったけれど、素敵な人だったわ。私はあの人に恋をしていたのかも。そうそう、「お父さん」みたいな感じかしら。もっとも、今はどうかわからないけれど」
「…その方とはしばらく会っていないんですか?」
言ってからはっとします。何か事情があったかもしれないのにこんなことを聴いてよかったのでしょうか? そこまで気になってもいないのにこういうことを訊いたりして…私って浅慮かも……。
「初めて貴女から質問してくれた! 嬉しい。気になることがあったらもっと訊いて!」
子供のように無邪気な顔で微笑むエアさんを見て、綺麗だなぁと感じます。見ている方が不安になる白磁の肌と細い体に、風景に溶け込んでしまいそうなほど透明感のあるのに、なぜだか人とは違う存在感を放つ白いワンピースを纏ったエアさんは誰が見ても百点満点の美少女です。けれどどこか不健康そうな、悪く言えば薄幸そうなイメージがつきまとったかげりのある容貌なので、出会ってすぐは「綺麗」という感想を抱けませんでした。けれど、屈託のない幸福そうな笑顔は美しさを映えさせ、「綺麗」と思わせる力があるのです。
「その人とはね、もうしばらく会っていないの。最期にあったのはいつかしら? 何年も、何年も前よ」
何年も何年も前に会った初恋の人はお父さんみたいで…って、エアさんってどこからどう見ても十八、九ですけど…年の差恋愛!? またはお父さんっぽい少年との恋? ……普通に幼なじみ、が妥当でしょうか…。
私が妄想というか想像に耽っている間もエアさんは最愛の人を語ります。
「本当に変わった人だった。私が不安なときはいつも隣にいてくれたし、困っているときはすぐに駆けつけてくれて」
そこまで言ってから、エアさんは店の時計に目をやりました。私もつられてそちらを見ると…。
「もう、三十分も経っていたのね」
驚いた、と瞬きするエアさん。ですが、私はもっと驚いていました。
やばい、オレンジ買うだけの予定だったのに三十分も寄り道した!
お義父さん、絶対に心配してる…どう、言い訳しよう…。
「すみません、エアさん。私、仕事があって…」
「そうなの? 残念ね、もう少しお話したかったのに」
ゆったりと微笑して、
「約束どおり奢るから安心して」
ありがたいお言葉にあまえ、私はダッシュで金魚草に戻りました。
厨房で正座した私は仁王立ちするお義父さんの前にいました。
「お前は僕が思っているよりもオレンジを買うのに時間がかかるタチだったんだね」
端から見れば優雅なお義父さんの笑み。でも、私には恐ろしいもののように思えました。
「…ごめんなさい」
人に奢ってもらったとかそういうことを言うべきか迷っている私に、お義父さんはチクチク言ってきます。私が悪いんですけど…。
「ま、いいか。以後、気を付けて」
意外です。怒られるかと思ってました。
…いや、でもなんか気まずい。話題、話題はありませんかね!? えーっと…。
「あ、あの、お義父さん」
「なぁに?」
お義父さんはしゅるしゅるとオレンジの皮を剝きながら応えます。
「お義父さんのネックレスって、どこで買ったんですか?」
「何? お前は唐突だね」
私もそう思います。我ながら苦しい感じです。
「オレンジを落としちゃったんだけど、そのとき拾ってくれた人がお義父さんのネックレスと似たような物をつけていたの」
エアさんの首筋に光る銀のネックレスと、お義父さんが片時も手放さないネックレスがどうも同じ物に思えたので、咄嗟に口にしていました。
「素敵なデザインだからどこで売ってるのかな、って…」
ごろん。
私の言葉を遮ったのは、オレンジが落ちた音でした。可哀想に。今日はよく落ちる日だったことでしょう。
「お義父さん、どうしたの?」
駆け寄ると、お義父さんはひどく怯えたような顔で私のことを見つめ、すぐに視線を逸らしました。それから素早くオレンジを拾い上げると、いつもの明るい声で言いました。
「大丈夫。ちょっと手が滑っただけだよ」
それから柔和な「オリヴィエお義父さん」の苦笑を顔に浮かべ、「オレンジ、どうしようか?」と私に尋ねました。
「洗えば使えるんじゃない、かな?」
いや、でも、飲食店の人間としてどうなんでしょう、その使い方。
私が悶々としていると、「味見用にしようか」とお義父さんはオレンジを切り分けます。
「はい」
お義父さんはにこっ、と一切れのオレンジを差し出しました。
「ありがとう」
私も笑い帰し、オレンジを受け取って咀嚼します。プチプチとした果肉が口の中で弾け、甘味と柑橘類特有の香りが色がリました。
「このネックレスだけどね」そう言いながらお義父さんは胸元のチェーンに手を当てました。
「オーダーメイドだから売ってはいないと思うよ」
「へぇ」
私は相槌を打ちながら思い出しました。
恐怖と困惑の混じり合った佐古ほどのお義父さんの瞳を。
…そんな目で見られて「大丈夫」とか言われても、説得力ないんですけど。
たった一人の家族なんだから、もう少し色々教えてくれたっていいと思います、私。
長かったかもです。
オリヴィエ、どうなるか見ていてください。




