058
その日、作戦は決行されることと相成った。
「本当にあの見張りをどうにか出来るの?」
小声で尋ねられたので、無言でこくりと頷いて返した。
王女はこちらの指示通り、身を隠すための装いに着替えてきていた。フードを深く被り、顔には上半分を隠す仮面が装着されている──舞踏会なんかに着けていくためのものだろう。
しかし、仮面舞踏会というものは貴族の火遊びが主なわけだが、この王女が自分からそんなものに参加しているとも思えないので、この仮面は身内あたりからくすねてきたものなのだろう──あまり詮索してもよろしくないと、見ないふりをした。
「交代まで……大体後二時間ほどあります。時間になるまでは交代の見張りがここに来ることもありません。なので彼らにはその間、眠っていてもらいます」
小声で、そう付け加えた。
王女は懐疑的な視線を向けてきていたが、ここしばらく睡眠時間を削りに削って調べ上げたのだから間違いもない。
勿論、いつも通り断言は出来ないのだろうが、今日に限って変な動きをしたりもしないだろう。
こんな事を言っているとこれからそんなことが起こりそうな気がしてくるのが怖いところだが、世の中、そうそうおかしなことは起こらない。
今日まで問題なかったのだから今日も問題ないだろう──と考えるのは、お互いに同じなのだ。向こうだって特別な警戒はしてこない。
「でも、どうやって眠らせるんですか?」
と、ニコレッタも小声で問う。
彼女もこちらの指示通り、目立たないような服を用意してきたらしい。王女と違って仮面は着けていないが──ここに集合し、やって来た王女が仮面を着けていたのを見てあたふたとしていたが、特に問題はない。服にフードが付いているようだし、顔はそれで十分隠せるだろう。
かくいう自分も、今日はあの仮面を持ってきていない。忘れたというわけでもなく、理由は単純──アレは人前で着けるのには少し勇気のいるデザインなのだった。
因みに、王女とニコレッタの初対面は、こちらが思っていたよりも随分とあっさりしたものだった。ニコレッタはかなり緊張した様子で、丁寧に、粗相の無いように挨拶をしようとしていたが、対する王女が適当に挨拶を済ませるなり早速本題に移るのを見たことで、その緊張は挫かれてしまったらしい。
良いことなのか、悪いことなのか。
まぁ、どちらにせよ、今からしようとしていることは悪いことなのだが。
「魔法と……」言いながら、懐から小瓶を取り出した。「それからこれです」
「何よそれ」
紫色の液体の入った小瓶を見て、仮面の奥の目を細める王女。自分はサッと、その小瓶を遠ざけた。
「ちょっと」
王女は不満げに抗議する。
しかし、何の理由もなくただ意地悪をしたわけではない。
「あんまり顔を近づけないで下さい。催眠効果のあるアロマなので」
催眠──とは言っても、それは読んで字の如く人に眠気を催させる為のもので、断じて、人を操ったりするためのものではない──尤も、このアロマを作ったヒスイは、そういった物も作ろうと試みているようだが。
「催眠……アロマ……」
これは、二日前に屋敷へ戻った際、そんなヒスイに頼んで──と言うより、一か八かでそんな感じのものを持っていたりしないかと尋ね、その結果貰い受けたものである──彼は例の如く作業に熱中していたので、屋敷の実質的な支配者であるサクラを間に挟んでの頼みだったが。
南方に咲くいくつかの花を合わせた物で、特に香りなどはなく、純粋に催眠効果だけを突き詰めたものであるとのこと。
まさに今回の作戦にはうってつけだった。
「どこで手に入れるのよそんなもの……」
王女は顔を離すと、口の片端を歪めて言った。怪しんでいるようである。
「知人がこういう物をよく作るんです」
「へぇ……」
王女は淡白に返したが、その返答はむしろ、「お前にそんな知人がいたのか」という疑念や、ある種の驚きのようなものを強く感じさせたのだった。
しかし、知人というのは嘘ではない──厳密にどういう関係かと問われるとよく分からないのだが。
彼は元々一人で生きていけるだけの能力はあったわけだし、一時的に失職していたとは言え、サクラ達を保護しているのとは、なんというか違う気がする。まぁ、それを言い始めればクロユリやスズランらも順当に自立していっているので、同じことではあるのだが。
「夜寝るときに焚けばすぐに寝つけそうですね……!」
「お勧めはしないけどね……。売りに出してるわけでもないみたいだし」
自然に寝付ける方が好ましい。睡眠薬などに頼るようになってはおしまいだ。おしまいというと言い過ぎかもしれないが、頼らずに済むならそれが一番だろう。
「まぁ要するに、このアロマを温風に乗せて彼らの元まで届けてやる……というだけの、単純な作戦です」
温風だけでも正直眠らせることは出来るんじゃないかと思ってもいるのだが、それだけでは安心など出来ないのが、他でもない自分なのだった。
「そんなんで寝るかしら?」
「自分の眠気に聞いてみてください。こんな静かで真っ暗な夜、周囲から聞こえてくるのは火の弾ける音だけ……そんな所に温かい風とアロマを送り込まれて、何の対策もしていない人間が耐えられると思いますか? 彼らは城の衛兵ではありませんよ」
城の衛兵も、同じ条件では厳しいのだろうが。
「……まぁ、確かにそうかもしれないわね。でも寝なかったら?」
「その時は方針変更です。暴力は伴いませんが、少々見せられない手を使います」
「み、見せられない手……ですか」
言わずもがな……かどうかは分からないが、ゲートを開いてそのまま穴の下に出るだけである。自分一人だけなら真っ先に使う手なのだが、二人がいることを思うと正攻法とは言えない。使う際は目を閉じてもらうつもりである。
「これが成功すれば、考える必要もないんですけどね……」
小瓶の蓋を開け、準備を始める。物音を立ててはいけないので、かなりゆっくりな動きである。
「任せたのはこっちだし、私としてはどんな手だろうが構わないんだけど」
「わ、私も、這入れるなら手段は問いません……!」
王女とニコレッタは言った。
最低限、手段は選ぶべきだと思うが。
何はともあれ、用意も済んだところで、さっさと実行に移る事にした。アロマを焚き、風に乗せて彼らの元まで送り込んでいく──間違っても自分達が吸い込んではならないので、二人は遠ざけた上で。
あの仮面、やはり持ってくるべきだったかもしれない。
そして、始めること数分。
こちらの思惑通りに、彼らは眠りに入り、あっという間に崩れ落ちた──崩れ落ちたとは言っても、手に持っていた槍を支えにして、ずるずると滑り落ちるように座り込んだだけだが。
少しの間起き上がらないか観察をし、特にそんな様子もないことが分かると、隠れるのをやめ、周囲を気にしながら接近していくことに。
「さてと」
穴を見下ろし、ロープを取り出す。
一定間隔に固い結び目を作ったロープである──流石に穴の底まで余裕を持って垂らせる長さのロープは売っていなかったので、こうするしかなかったのだが、この結び目がいい感じに足場になってくれることを思うと、これはこれで良かった気もする。
「おお……」
その横で、ニコレッタが地べたに手をつき、おっかなびっくり内部を覗き込もうとしていた。しかし、月明りに照らされているとは言え、深い穴なので、底の様子はほとんど窺えない。
ロープを垂らし、それを固定すると、二人に言った。
「どうぞ」
「……え。まさかこれで降りろって言うの?」
「はい。手袋は持ってきてますよね?」
「え、えぇ。だけど……落ちたらどうするのよ」
「落ちたら……まぁ、死ぬんじゃないですか?」
そんな事になれば自分がどうにかするだけなので、実際にはそうはならないが。
「命をなんだと思ってるのよ……」
王女が顔を引き攣らせると、
「あ、あの……王女様」
と、ニコレッタが声を掛けた。
「何?」
「以前にもここへは這入られたことがあるとのことでしたが、その際はどのようにして這入られたのですか?」
「え……?」王女はその質問に対し、目に見えて動揺し始めた。「あ……あー、あの時は……梯子、そう、梯子よ! こんなロープだけじゃなかったわ」
前回は恐らく、教頭室の側から這入ったのだろう。わざわざこの穴から這入るわけがない。
騙すのは自分がやると言っていた王女だが、まさかこの程度の質問を想定していなかったというのだろうか。
「そ、そんなに大きな梯子が……」
早速痛いところを突かれた。
「うぁ……ま、まぁ、王城の倉庫にはいろいろ入ってるのよ。だから……多分……アレね、昔使われてた攻城兵器の梯子だったんだと思うわ。それを使ったの」
と、彼女は捲し立てるように言い訳をした。
しかし、どうだろう──この言い訳、少々マズいかもしれない。止められなかった自分が言えたことでもないが。
「あの、あんまりダラダラしてると時間が無くなるので、早く降りて欲しいんですが」
言うと、王女はカツカツと足音を立てながら近づき、小声で言った。
「無理に決まってるでしょこんなの……! もっとこう……無かったの!?」
「風の魔法が使えるのなら、それを使って飛び降りるという手もありますが」
「……それ、今この場でやってポンポン出来ることじゃないわよね。あらかじめ言っておきなさいよこういうことは……!」
「言っておくも何も……他にどんな侵入経路を想定してたんですか」
「え……? 梯子……とか?」
「この高さだと、梯子の方がロープよりずっと不安定ですよ。それにさっき言いましたよね? 任せたのは自分だからどんな手でも構わないと」
「かもしれないけど……」
「ほら、見てくださいよ。ニコレッタはもう降り始めてますよ」
王女がごたごたと言っている間に、ニコレッタはえっさほいさとロープを伝い、穴の中に降り始めていた。肝が据わっている。
「……怖いものとかないのかしら」
「彼女の、手段は問わないという言葉は本当だった……ということですね」
「…………」
「まぁ、手が無いわけでもありませんが」
「あるの?」
頷いて返した。王女が飛べないのなら、飛べる者が運べばいいだけである。
王女を抱え、ふわりと浮かび上がる。そしてそのまま、穴の中をゆっくりと降下していく。
彼女を下ろすと、ニコレッタが降りてくるのを待つことに。
「真っ暗ね。分かってはいたけど」
王女は着けていた仮面を外しながら言った。
暗にどうにかしろと言われた気がしたので、明かりを灯した。爆発の現場が暗闇の中に浮かび上がる──惨憺たる様相を呈していた。改めて見ると、球状に抉れたようにも見える。球状と言うには、やや歪かもだが。
「とんでもないわね、あなたの魔法……」
しばらく周囲眺めていると、王女が言った。
するとその後ろでタンッと音がして、
「な、何がとんでもないんですか?」
と、ニコレッタが尋ねた。
「っ……。いや、その、私の事をここまで降ろしてくれたから……よく私を抱えて飛べるなって思ったのよ」
「大岩程度なら普通に持てますよ」
「そんなに重くないわよ」
バシッと、頭を後ろから叩かれた。別にそう言う意味で言ったのではないのだが。
「あ……、だから先に着いてたんですね……」
「えぇ。というか、あなた怖くなかったの? 割とスルスル降りて来たみたいだけど」
「え、あ、はい。昔、井戸の下に降りて作業したりしたこともありましたし……特には」
ニコレッタがそう言うと、「へぇ……」と、王女はこちらを見た。
この子が特別こういうことに慣れていただけだと、そう言いたいのだろう。
「それにしても……何ですか、ここは……?」
ニコレッタは周囲を見回し、呟いた。自分は王女に目配せをし、彼女への説明を求め、促した。
「ここは……言うまでもないと思うけど、学園の地下よ。ここ数十年はもう使われてもいなかったみたいだけど、先日の一件で存在が発覚したの」
「なるほど……古い施設ということですか……」
ニコレッタは壁に近付くと、それをペタペタと触り始めた。壁というか、元壁と言うべきなのだろうが。
「施設……かどうかは分からないけどね」
「……」壁を触るのをやめ、ニコレッタはクレーターに目を向ける。「それで、この爆発跡は一体?」
「それ……は……まぁ、詳しいことは分かってないわ」王女は首を横に振った。「けど、多分、使われなくなったような魔道具なんかが雑に保管されていて、それがあの爆発を起こしたんじゃないかしら」
「原因は魔道具……ということですか」
疑るような眼を、ニコレッタは王女ではなくクレーターの方に向けた。
「具体的なことはきちんと調べさせないと分からないけどね。でもお兄様……じゃない、第一王子曰く、王都の復興が終わるまでは人を回す余裕もないみたいだから、しばらくは不明のままよ」
「……そう……ですか。ならここには、倉庫があった……ということですか?」
「さ、さぁ? 多分そうなんじゃないかとは思うけど……。これだけの爆発が起こるような魔道具なのだし、簡単に這入れて盗まれてしまうような場所には置いておけないでしょうから」
確かに──と、小さく聞こえた。
無論、その納得は、ここに魔道具が保管されていたという言葉が真実であるとするならばという前提あってのものだろうが。
「ですが、ここまで跡形もなく壊れていると、ここに何があったのかは分かりそうもないですね」
と、自分は横から付け加えた。
ここまで派手に吹き飛んでいるのだ、何もなかったということすら分からない。
しかし。
「でも、あの……これ、構造として少し変じゃありませんか……?」
今日のニコレッタは妙に鋭い。
吹き飛んでいるのは通路の途中にあたる場所なので、もしここに部屋があったとして、そうすると部屋は通路に挟まれていたということになってしまう。部屋は普通、通路の横、側面にあるべきもので、何も通路を阻むようにして真ん中に存在する理由はない。そうする必要のある場合もあったりはするのだろうが、王女の話によればこの先は行き止まりしかないとのこと──だとすれば、こんな構造になるわけがない。
いや、そもそもそんな部屋は存在しないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
「変ではあるね……まぁ、部屋があったわけじゃなく、通路に箱詰めの魔道具が放置されてただけって可能性もあるけど」
なので適当にそう返した。考えても分からないものは分からないので、そう答えるしかないのだった。
それからしばらくは周辺を調べ、通路の奥に進むことにした。
通路内に跫音が響く。
王女は既に何もないことを把握しているからか、頻りに辺りを見回すニコレッタとは対照的に、まっすぐ前だけを見ていた。
その道中。
「それで、ニコレッタ。聞くところによると、あなた、ここに何か政治的な闇が隠されてるんじゃないかと疑っているようだけど」
「……え!?」
王女が尋ねると、ニコレッタが驚いた様子で声を上げ、それからこちらを見た。
「……え?」
そんな自分は、王女を見ていた。
確かにその話もしたが、まさかド直球に話題に出してくるとは思っていなかった。
「どうなの?」
「……あ……えっと、はい……そう……なんじゃないか……って」
「ふぅん。だったらなんだか申し訳ないわね。別に私の所為というわけでもないと思うけど」
つまらなそうに、王女は言った。
まぁ、つまらないだろう。自分もそう思う。
「へ?」
「ほら、所詮はこんなものしかなかったわけだし、がっかりさせたかもと思って」
「あぁ……はぁ……」
訝しみつつ、ニコレッタは生返事をした。
「……えぇと、なら訊きたいのですが……王女様は今日、ここへは何をしに?」
「それは……」王女の声が少し上ずった。「ま……ここにもし魔道具なんかがあったのだとすれば、他にもあったりするかもしれないじゃない? もしそういう物が遺されているのなら、見つけたいし」
「前回は見つけられなかったのですか?」
「そう。それに連れてきた近衛がうるさくてね、早く戻りましょう戻りましょうって、全然探せなかったのよ。帰りたきゃ勝手に帰ればいいのに」
この辺りの話は、恐らく本当なのだろうなと、辟易したような語り口から感じ取れた。
そして、通路の突き当り──行き止まりにまでやってきた。
その間も周囲は見まわしていたのだが、特に異変らしいものもなく、それはこの行き止まりに辿り着いても変わることはなかった。
異変がない──何もない。
だからおかしいのだと王女は言っていたが、確かにそうだと思わされる。
特に風が流れているようにも思えないので、いつぞやの遺跡でもないが、隠し部屋は探せそうにない。辺り一帯を破壊して回れば出てきたりもするのかもしれないが、そもそもあるかどうかも分からないのだから、そんなことは考えない。
王女は立ち止まると、振り返った。
「この通り、行き止まりなのよね。何かを作る予定があったんだとは思うのだけど……」
と言って、壁に手を付けた。
壁のブロックを押し込んだら隠し扉が開いたりするというのが定番だったりするのだろうが、この場合はそんなことも起こらず、王女が「冷たっ」と呟き、手を離して終わった。
「途中で放棄された場所だった……ということなんですかね」
「そうとしか思えないわね。完成していないから、記録にも残されていない……そう考えれば、誰もこの場所を知らない事にもある程度納得がいくのよね」
王女はこちらを見て、頷いた。
「で、ですが、誰も知らなかったというのなら、誰が魔道具の保管を?」
「誰かでしょ。昔は学生が魔道具を勝手に造って事故を起こした、みたいなことも多かったらしいし。ここが放棄されたことを知っていた当時の誰かが、都合がいいと思って利用したんでしょ。……流石にそれが誰なのかを特定することまでは出来ないでしょうけど」
いないのだから、それも当然だった。
そして、
「まぁ、爆発の原因はともかく、犯人はどうだっていいのよ。特定したところで、どうせもうこの世にはいないでしょうし」
そんなことを、王女は犯人の目の前で言うのだった。
勝手に殺さないで欲しい。まぁ、この場合は死んだことにしておいてもらうのがいいのだろうが。
「管理をきちんと行わず、それを誰かに引き継ぐこともなかったが故の事故……だと、王女様はそう考えている……ということでしょうか」
「考えているというか、現状だと、そう結論付けるしかないでしょうねって話。闇なんてものは無いのよ。尤も、ここは真っ暗闇だから、それを闇と称するのなら、また別だけど」
「闇なんてない……ですか」
ニコレッタは不満気に、王女を見返した。あると信じている物を真っ向から否定されれば、流石に気を悪くもするか。
しかしこの王女、先程から何を考えているのだろう。
発言の節々に妙なものを感じる──ニコレッタに対する敵意にも似た何かを。
なんにせよ、二人の間には険悪な、凡そ不穏当な空気が流れていたのだった。
「ど、どうして、そう言えるのですか」
王女は権力者の側で、とすればその発言は、彼女にとって納得のいくものではないだろう。
都合の悪いことは揉み消せてしまう立場から闇や不正はないなどと言われても──大本営発表もいいところだ。
そういう意味で、王女の発言は不用意と言わざるを得ない──実際にそうであるかは別としても。
本当に何を考えているのか。
「どうして……と言えば、まぁそうね。本当の闇がどういうものかを知っているから……と言ったところかしら」
「本当の……闇が……?」
「えぇ。本当の闇はそんなに面白いものじゃないし、ワクワクするようなものじゃないわ。金銭の不正な流れを不正な金銭で覆い隠したり、コネと賄賂で身内を不当に高い地位に押し込めたり、自分の子供が起こした不祥事を恫喝や脅迫で揉み消したり──そういうものなのよ。……あなたは新聞社が一斉に同じことを言いだしたことを訝しんでいたようだけれど、それだって、詳細が不明だから取り敢えずそう説明するしかなかったし、そう報じるしかなかったというだけの話でしかないわ。そこから話を飛躍させて不都合な真実がとか言い出し始めたらキリがない」
「…………」
「ま、さっさと調べて本当のことを明らかにしないからこういうことになるんでしょうけど」
王女はそう言って、顔を背けた。
地下だからだろうか、空気が重い──なんて、それだけが原因でないことなど分かり切っていたが、現実逃避をしてしまった。
しかし、考えてもみれば、王女がニコレッタに敵意を向けるのも分からないではなかった。王女からすれば碌な根拠も無しにそんな疑いを王家に向けられている状態──それも王女が毛嫌いしていたあの教頭関連の事件で──なのだから、彼女の性格からして、それを不快に思わないはずがない。言葉で言うに留めているだけ本人的にはかなり控えめなのかもしれないと思うと、仲裁にも入りづらかった。
ふぅ──と。短く息を吐いてから、二人に言った。
「取り敢えず何もなさそうな感じだったし、そろそろ戻ろうか」
すると、
「いえ、まだです。反対側が残ってます」
と、ニコレッタは言った。確かにまだ見に行ってはいないが、しかしこの流れで探索を続行すると言い出すとは。
「あっちも大したものは何もないわよ」
王女が言うと、ニコレッタは黙り、やがて口を開いた。
「そうかもしれませんが、こちら側が行き止まりである以上、反対側にはこの通路に降りてくるための階段か何かがあるはずです」
「まぁ、あるけど……」
「あ、あるんですか?」
「そりゃそうでしょ。普通に上に繋がってるだけよ。当然封鎖されてるから、今回は使えないけど」
「……そうですか」
ニコレッタはこちらを見て、「リュカ君、使える時間はあとどれくらいですか?」と尋ねた。
「ん……まだ一時間くらいはあったはずだけど……でもそろそろ戻っておかないと、いつ起きてくるか分からないよ」
「一時間……なら、やっぱり向こう側も見ておきたいです」
そう言って、ニコレッタは自分の横を通り過ぎ、スタスタと足早に歩いていった。それを追いかけるように、自分と王女も歩き始める。
正直、もう侵入の手助けはしたわけだから、あとは二人に任せて帰ってしまいたいとさえ考えていた。当然、そういうわけにはいかないということも分かってはいたのだが、このピリピリとした空気感に付き合いきれる気がしていなかった。いや、付き合う気などさらさらなかったのだから、それは少し違うのか。
穴の下──爆発跡を通り過ぎ、今度は反対側へと歩を進める。突き当りを右に曲がると、そこに階段が現れる。石で出来た階段ではあるのだが、壁に使われている石材と比較すると、少し違って見える。
まぁ、階段に使う石材と壁に使う石材が同じでなければならないというようなルールもないので、別に疑問に思うことでもない。
ニコレッタは階段を観察し、そして足を踏み出し登ろうと試みて──王女に腕を引っ張られた。
「何してるのよ」
王女は語気強めに尋ねた。
「何って……えっと、登ってみようかと」
「さっき言ったわよね。封鎖されてるって」
「でも、途中までなら登れますよね?」
「上にも見張りがいるのよ。音で気が付かれたりでもしたらどうするの。音を立てないようにするとかいう話じゃなくて」
ニコレッタは一度俯き、顔を上げた。
「……あの、王女様はこの上に何があるのか、どこに繋がっているのか知っているのですか?」
「……? えぇ」
「なら、教えてください……どこに繋がっているのかを。それが分かれば、登る必要もありませんから」
ニコレッタは何かを確信したような表情で、そう尋ねた。
しかしその質問の意図は、本当に彼女が確かめたいことは、そこではない何か別の所にあるように思えた。
彼女の鬼気迫る表情に、
「それ……は……」
と、王女は言い淀む。
予め打ち合わせはしていたはずなのだが、彼女はその場ですぐに答えず、口篭もってしまった。
当初の予定では、その階段が教頭室に繋がっていることは隠さずに伝えてしまおうという話だった──そしてそれを訝しまれたら、校舎が改築などされた際にそうなってしまったのだろうという推論を述べ、彼女を納得させるつもりだったのだ。当然、自分がそれを知っているわけにはいかないのだから、これは王女に頼むしかなかった。
図書館で学園について記された本を読み漁り、その噓が看破されることはないと確信──は出来ないが、ある程度そう思えるだけの材料は揃ったから、そのつもりで話をするようにと王女には予め言っておいた──はずだったのだ。
が、王女はこの場に来て、混乱したのか、それとも忘れてしまったのか、口篭もり──そしてその末に、こう述べた。
「それは、入口よ。地上にある」
「地上……の、どこですか?」
「……えっと、学園の敷地外にある……なんか寂れた場所」
何を考えていたのかは分からない──だが、ニコレッタは口を真一文字に結んで、それから眉間に皺を寄せ。
やがて言った。
「嘘です……」
震えるような声で、そう言った。
「は? 何が嘘なのよ」
「ここは学園の地下なんですよね──学園の地下を通る通路なんですよね。なら……なら、その入り口がどうして学園の敷地外に繋がっているのですか? 建設途中とは言え、これだけの大きさのある通路を、外部の人間が学園に気が付かれないように作り上げたとは考えられません。だとすれば学園側が作ろうとしていた物だとしか思えません。なのにどうして、その入り口が学園の外にあるのですか?」
「し、知らないわよそんなの。私が作ったわけでもないんだし」
捲し立てるニコレッタに対し、苛立ったように、吐き捨てるように、王女は言った。
そして少し考えて、続けた。
「大方……建設途中に生徒が忍び込んだりしたらマズいから、取り敢えず外に作ったとか、そんな理由なんじゃないの?」
「……そうですか。ならもう一つ訊かせてください」
首を傾げた王女に、ニコレッタは言う。
問い詰める──追い詰める。
「前回ここに来た際……、王女様はこの階段を使われたのですよね?」
と、そう訊いた。思わず、「え?」と声を漏らした自分だった。
マズいと思い、それを否定しようと口を開いた──が、しかし、王女の方が先だった。
「えぇ。そうだけど」
と、答えてしまった──間に合わなかった。
そして数瞬の後、王女は自分の発言に気が付いた。
「ん、あ、ち、違うわよ?」
慌てたように言い直す──これはつい、うっかり、あまりにも流れるように尋ねられたから、別の質問と勘違いしてそう答えただけなのだ、と。
さっきも言った通り、梯子を伝って降りて来たのだ、と。
王女はそう言うが、しかしニコレッタの表情は変わらない。
自分はそれを見て、そこでようやく気が付いた──彼女は既に、こちらの嘘を看破している。完全にではないのだろうが、これまでにコツコツと散りばめた違和感を繋ぎ合わせ、どれかまでは分からずとも、そのどれかが嘘であるということには感付いてしまっている。
同時に。
自分が見落としていたのは、これだったか──と、どこか納得してしまった。
自分は何を考えていたのだろう。何を思い上がっていたのだろう。
ニコレッタを騙す──なんて、自分も王女もそもそも信用なぞされていなかったのだから、端から破綻してしまっているではないか。
信用もないのに──騙す。
信じてなんてもらえないのに──騙す。
嘘を吐けば、それらしい言葉を並べ立てれば、それで相手を騙せると思っていたのか、自分は。
いくらなんでもそれは相手を馬鹿にし過ぎた考えだということに、どうしてここに来るまで一度も気が付かなかったのか。
いや、気が付いてはいたのだろうな。そんなことは分かっていたはずだ。しかしそれを考えなかったのは、偏に、自分がニコレッタという少女をどこか馬鹿にしていたからだ。
「梯子……ですか。それも嘘……ですよね?」
「…………」
「攻城兵器に使われていた梯子だと言ってましたけど、それだけの大きさの梯子が運び込まれて、何故誰もそれに気が付かないんでしょうか。例え折りたたまれていたのだとしても、攻城用ともなれば相当安定したものでなければならないんですから、推定される重量からして……、一人二人で持ち運べるとは思えません。それを運べるだけの人間か、あるいは馬車か、どちらにせよ、誰にも目撃されずに学園に入り込めるとは……考えにくいです」
王女は何も言わず、ふぅ──と、苛立ちを抑えるように息を吐いた。
そして抑えきれなかったのか、その分が、割合大きめな舌打ちとして出て来た。
「それに王女様……、ここへは調べ物をしに来たんですよね。……前回きちんと調べることが出来なかったから、だからこうして改めて来たんですよね。なのに着いてから、王女様は四角い角を丸く掃くような、なぞるような調べ方しかされていませんでした。それに、こちら側に来ることを拒んでもいました。ここを本当に調べに来たとは……思えません」
王女は少しの間、口を噤み。
「……そう。それで?」
と、尋ねた。
開き直ったとしか言いようのない態度だった。
「……え?」
「そう思った根拠は分かった……えぇ、そこだけ聞けば確かにそうだなと思えるだけの根拠があるのは分かった。けどそれをそうだと断じれるだけの証拠はない。その状況で今の推理を披露して、それで私にどうしろと? 何か求めてることがあるなら言いなさいよ」
「あ……あの……その……、何か隠していることがあるなら──」
「それを認めて、開示しろと? ……さっきまでとは打って変わって、随分と馬鹿なこと言うのね」
「…………」
「例えそうだったとしても、そうでなかったとしても、認めるわけないじゃない。本当のことがあったとしても、言うわけないじゃない。親しいわけでもなければ話す義理もないような相手に、どうして一切合切打ち明けられると思ったのかしら」
こんな言い方、もはや隠し事をしているということを認めたも同然だった。
いや、ここから挽回する手立てもなかったのだろうから、仕方がないのか。
「それとも何、会ってたった数分で、そういった隠し事や嘘を無しにするような親密な関係に至れたとでも思ったの? 意味の分からない馬鹿な妄想で言いがかりを付けた次は、気持ちの悪い妄想で親友気取り? 迷惑極まりないわね」
王女はそう言い、続けた。
「何が「何故誰もそれに気が付かないんでしょうか」よ。誰もも何も、そもそもあなた友達なんかいないでしょ。噂になっていたところでそれを入手する手段が無いだけでしょ。よくそんなもので他人が嘘をついてるだとか言い切れたわよね。その理屈なら、あなたの知らないものは全部嘘なんじゃない」
「…………」
「あなたの中では、私達みたいな王族や貴族、その他金持ちやら権力者やらは、常に真実を隠したり、事実とは異なったことしか言わないみたいな定義付けがされてるんでしょうけど──私がこんなことを言ってもあなたはどうせ信じたりなんかしないんでしょうけど、別にそんなことないわよ。それなのに……人の家を諸悪の権化みたいに扱って、リュカまで巻き込んで──いい歳しておかしな妄想に身をやつすのは勝手だけれど、そんなものは一人でやってくれる?」
流石に言い過ぎだとは思った──しかし、止めようとも思わなかった。その意見に賛同したから、というわけではないが。
「……っ」
鼻を啜るような音が聞こえ、その直後、ニコレッタは踵を返して走り出した──そして数歩駆けて、派手に転んだ。
「…………」
王女と顔を見合わせ、ニコレッタに近寄る。少し顔を上げた彼女に手を差し伸べ、大丈夫かと問うた。
しかし、その手は払いのけられた。
弱弱しい力だったが、はっきりと。
「知っていたんですよね……?」
「────」
「私を今日呼んだのは、つまりはこういうことだったんですか……? 私は……」
違うよ──とでも言えばよかったのだろうか。
だが流石に、この期に及んでそんな嘘を重ねようとは思えなかったし、何より、これが露呈したのを王女一人の所為にすることは憚られた。
故に、無言を貫いた──貫く外なかった。
「っ……」
その無言をどう受け取ったか、ニコレッタは自分で立ち上がると、穴の真下まで走っていき、ロープを伝って上へ登って行ってしまった。追いかけようと思えばすぐだったが、そうすることはなく、自分はただ茫然とそれを見送ったのだった。




