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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第謀話
51/70

051

 フューリアは、その日の授業が終わった放課後、自身を呼びに来た使いの者に連れられ、王城の、第一王子が執務室としている部屋に案内されていた。


 自身を案内した人間が部屋の前で立ち止まると、フューリアは軽く労いの言葉を掛け、そのまま部屋へと這入っていった。


 部屋の中では、兄であり次期国王でもある第一王子が机に向かっていた。彼はフューリアが這入ってきたことに気が付くと顔を上げ、「ノックくらいしたらどうなのかな」と呟きながら、仕事を一度切り上げ席を立つ。


 そして近くにあったソファにフューリアを座らせると、茶菓子と茶を用意し、対面に腰かける。


「さて。話を聞かせてくれるかな。妹よ」


 アレクシス第一王子は、爽やかな笑みを湛えてそう言った。


 彼はスラっとした頭身に、目鼻立ちの整った端正な顔立ちの持ち主で、貴族の令嬢から平民の女性に至るまで、幅広い人気を博している。


 尤も、フューリアとしては、どんな顔だろうと兄の顔でしかない──その上、相手を顔や内面ではなく能力でしか判断出来ないという彼の内面を知っている彼女としては、その顔はそんな重大な欠点を覆い隠すためのヴェールでしかないと、そう思わざるを得ないのだが。


「その気持ち悪い話し方は何?」


 フューリアは足を組み、厭そうな顔をして、出し抜けに言った。


「一応真面目な場ではあるからね。誰もいないとはいえ、普段のようではいけないだろう」


「そう。それならそれでいいけど。何の話?」


「この場に呼び出してまで訊くような話は、そう多くないと思うんだけどね」


 フューリアは嘆息し、やれやれと首を横に振る。


「近衛を数人借りたことを言ってるの? 別にいいじゃない。彼らの仕事は私達王族を守る事なんだし」


「彼らが守るのは王族じゃなく、国王だけど。まぁ、業務に支障が出るような数を引き連れて行ったわけではないから、それについては別に構わないんだ」


 構わないんだ──とフューリアは思いつつ、


「なら何が気に入らないのよ」


 苛立ったように言い放った。


「……やけに喧嘩腰だけど、何かあったのかい?」彼は心配そうに尋ねた。しかし返答を求めていたわけではなかったのか、「それはいいとしても、別に気に入らないとかいう話がしたいんじゃない。ただ、独断で動いていたことの目的が知りたいんだよ」と、重ねて尋ねた。


「目的って……そんなの、あの場所の調査だけど? 奥に何があるのか気になったし。お兄様含め誰も調べに行こうとしないじゃない」


 フューリアがそう言うと、アレクシスは首を横に振った。


「行かないんじゃない。今はそれどころじゃないんだよ。調査員を雇ってあの場所に何があるのかを調べさせるだけの余裕がないから後回しにしているだけだ」


 彼はそう言い、カップに口を付けた。こんな場でさえ、その所作は美しい。


「まぁ、王都の復興も大事ではあるけど。それでも全く手を付けないのは違うんじゃなくて?」


「王都の復興も、じゃなくて、王都の復興が第一なんだよ。前回受けた襲撃で各所が甚大な被害を受けた。取り潰したロンダリン家の財産で補填こそしてやれたものの、全てとはいかない。リンカーネル商会あたりが復興に協力的だから何とかなってはいるものの……はぁ」


「大変そうね」


「そう思うのなら突飛なことをしないでくれないかな。自由奔放が過ぎるよ」


「自由? 私にそんなものが与えられたことが一度だってあったかしら」


「……根に持っているのかい?」


 フューリアは何も言わなかった。


 根に持っていると言えば確かに根に持っているが、しかしそれがお門違いな恨みであることは、本人も自覚するところなのだった。


「……まぁ、父上を止められなかったことについては、悪かったと思っているよ」


「止められなかった?」


「前々から黒い噂には事欠かなかった人物だからね。初めから賛成はしていない」


 賛成はしていない──それはつまり、だからといって止めようとするために動いたりしたわけではないという話に他ならない。特別止める理由もなかったと言うことなのだろう。


「……ふん」彼女は面白くなさそうに鼻を鳴らす。「まぁ、もう終わった話だし、どうでもいいわ」


「そうか。じゃあ本題に戻るけど、何故あの場所を調べようと思ったんだい?」


「だから言ったじゃない。気になったから調べてみただけだって。ま、何も見つからなかったけど」


 何も見つからなかった──それは言葉の通り、何も見つからなかったのである。通路の奥は行き止まりになっていて、どこか別の場所に繋がっているわけでもなければ、何か部屋などの空間があったわけでもなく、本当に何もなかった。


 だからこそ、そんな場所から焦ったように駆けてきた教頭の事含め、おかしいとフューリアは考えたわけだが、いくら探しても何も出てこなかった以上、今後あの場所を調べるために近衛を借りていくことは出来ないのだろう。だからと言って諦めるという選択肢が浮かぶこともないので、他に何か手を考えなければならなさそうだった。


「それは知っている。ただ、本当にそれだけなのか、ということを訊いているんだよ」


「それだけなのかって……それ以外に何かあるとでも?」


「それ以外に何かなければ、こうして動いたかい? どうせいずれは調査が入るんだから、それを待てばいいだろうと、以前のフューリアなら思ったはずだよ」


「…………」


「あるんだろう? まだ何か話していないことが」


 言うべきか、言わざるべきか。考えた末、彼女はアレクシスに対し、一つ質問をすることにした。


「お兄様は……謀反さえ罪にならないような立場があるとして、何か心当たりはある?」


「謀反? ……どうだろう。僕がやる分には罪にもならなさそうだけど」


 王位継承者に謀反も何も無いだろう。ただのお家騒動でしかない。


「そういう話じゃなくて……」


「分かっているさ。訊きたいのは、この国の裏側に何があるかを知っているのか──だろう?」


「……。そうよ。その口ぶりからして、それなりには知ってるみたいだけど」


「いや、そうでもないさ。多くは知らないよ」アレクシスは困ったように笑って、ソファに体を預けた。「それで? フューリアは何を知った?」


「……あの教頭が言うには、だけど──」


 と、彼女は自分が知っていることを、そのまま伝えた。


 下手に話を纏めようとするよりは、一度そのままありのまま、飾り気無しで知り得たことを伝えてしまった方がいい──無論、相手がアレクシスである場合は、という但し書きが付くが。


 聞き終えて、アレクシスは「ふむ」とだけ言った。


「お兄様?」


「……いや、悪いね。少し考えていただけだ」


「何か分かったの?」


「まさか」ハッと笑いながら言った。「これだけの情報でその全貌を見通すことが出来るのなら、僕は今よりずっと上手くやってるさ」


「まぁ、あまり上手くいってる様子ではないものね」


 フューリアは茶菓子を食べながら、他人事のように言う。


「厳しいね。これでも頑張ってはいるのだけれど。でも、そうすると……父上の真意というのは、もしかしたらそこにあるのかもしれないな」


「王室を強化し、国を強化し、そういった存在と渡り合えるようにしようと?」


「あるいは、その土台だけを作って、後のことは次期国王に押し付けるつもりか。所詮は推測でしかないけれど、もしそうなのだとすれば、その次期国王とやらは大変だ。可哀想に」アレクシスは自嘲気味に言った。「まぁ、その辺の事についてはこちらでも分かることが無いか調べておくよ。話の内容が本当なら、それを悟られないようにしなければならないのだろうけど」


 アレクシスは「まぁ、話はこれくらいにして」と言い。


「怪我の方はもう大丈夫なのかい?」


 と尋ねた。


「それは私が部屋に這入ってすぐ訊くべきだったんじゃなくて?」


「やるべき事は初めに済ませておきたい質でね……悪いとは思わないけど」


「……まぁ、まだ少し痛むけど、問題ないわ。傷も残らないみたいだし」


「そうか。それは良かった。フューリアは自然体でいられる数少ない相手でもあるからね──あまり危険なこともしてほしくはないんだけど」


「してほしくないのは危険なことじゃなくて余計なことでしょ?」


 まぁね──とだけ言い、それ以上のことは何も言わなかった。もうその話は先程終えている。


 「……それと、髪を切ったのかい? 数日前に見た時はもう少し長かったような気がするけど」


 アレクシスはフューリアの髪に目を遣る。


 腰の少し上あたりにまで伸びていたフューリアの髪は、今ではすっかり、肩に少し掛かる程度の長さにまで切り揃えられていたのだった。


「それもまた今更な話題ね」フューリアは呆れたように肩を竦めた。「まぁ、前々から邪魔だったし、これから暑くもなるし、それに──」


「それに?」


「……何でもないわ。ただの気分転換よ」


「そうか。てっきり恋人と別れたことが関係しているのかと思ったのだけれど」


「……違うわよ」


「違うなら違うでいいんだけど。ただ、こちらとしては、王都の復興が一段落着くまでは付き合い続けて欲しかったかな……」


「それは、良好な関係を主張することでリンカーネル商会からより多くの支援を引き出せるから……ということ? 人の交際さえ勘定に入れるのね」


「言い方はともかく、否定は出来ないかな」


「…………」フューリアは眉を顰めた。「でも、向こうは結局協力してくれてるんでしょ? それなら別にいいじゃない」


「そうではあるんだけど、こちらから引き出した協力と、向こうが自主的に行っている協力とでは、少し違う。こちらから要請した以上は、向こうもそう簡単には降りられない──しかし、勝手にやっているだけならば、こちらとしてはそれが長続きすることを祈るしかなくなる」


「今からでも正式に申し入れればいいんじゃないの?」


「出来るわけがないだろう。誰の目から見ても印象が悪過ぎる。そうなれば当然、継続の要請も難しい」


 アレクシスは苦い顔をしていた。


「……まぁ、確かに。けどそれだと……」


「今後しばらく、リンカーネル商会と、それから、彼らと共に商売をしているハナゾノ商会……この二つの機嫌を取り続けなければならないだろうね──幾つかの古参商会が壊滅的な被害を受けている以上は」


 アレクシスは含みを持たせて言う。


「まさかとは思うけど、お兄様」


「一応疑ってはいるよ。彼らが関与している可能性が無いわけではないからね。ただ、一介の商人がアレだけの惨事を引き起こせるだけの私兵を集められるとは思えないから、直接的な関与はしていないと見ていいだろう。しかし、資金提供などがあった可能性は否定出来ない」


「それは……そうかもしれないけれど」


「とは言え、現状では何の証拠もない──妄想の類だ。それにそもそも、商会だけに焦点を絞ればそう考えることも出来るが、それ以外の施設などに目を向ければ、それこそ容疑者は無数に浮かび上がってくるわけだしね」


「そんなに多いの?」


「あぁ。規則性が無さ過ぎて、そして情報が足りなさ過ぎて、目的が全く読めない。襲撃の主犯がロンダリン伯爵であれ、別の誰かであれ」


「同じようなことが再度起こる可能性は?」


「あるだろうね。しかしそう考えると、他国の者による犯行だと考える必要もある……か」


「王都に目を向けさせ、その間に……ということ? 王都の門番はそんなに笊なの? いくら何でもアレだけの事を起こそうと思えば必要な人員も物も多いはずでしょ?」


「だから謎なんだよ。現状では考えるだけ時間の無駄としか言いようがない。まぁ、だからと言って考えることを放棄することを許される問題ではないのだけど」


 アレクシスはそう言い切った。


 これについては仕方がないと、フューリアも同意せざるを得なかった。


「だからまぁ、フューリアは目先の学業に集中するといい。考えても仕方のないことにばかり気を取られて、大事なことを疎かにしないようにね」


「大事なこと……まぁそうね」


 フューリアは茶菓子を口に放り込み、カップの中身を空にすると、ソファーから立ち上がった。


「やるべきことを優先することにするわ。お兄様がそうするように」


 アレクシスは苦笑いを浮かべていた。


 △▼△▼△▼△


 太陽は南中に。


 空は青く、白い雲は流されていく。


 風は温く、草木を穏やかに揺らす。


 若緑色をした雑草を踏みしめ、そこから見える『あるもの』へと視線を集中させる。


 自分はあの日以降、帰りしなにこの手で開けてしまった大穴を見に行っては自戒するという、自己満足意外にそれほど大きな意味を持たない行為を粛々と続けていた──勿論、穴は既に封鎖されており、その上で人が近付かないよう見張りの人間が配置されているので、自分は少し離れた小高い場所からそれを見下ろす形で眺めているだけだったのだが。


 だが、どうしてこんなことをしているのだろう。


 自戒の為とは言え、毎日こんな場所へ通うことに意味はないし、大穴や崩落し半壊した建物を見たところで、その反省が強まるわけでもない──今もう既に十分反省はしているのだから、であれば今後同じことを繰り返さないように気を付けていれば、それでいいのではないか──などと思っても、自分はそれらが修繕されるまで、元の姿に戻るまで、この行為をやめることはないのだろうなと思う。


 してしまったことに対する罪悪感というか──自分が反省したしてないは別として、壊れたものが壊れたままにされていると、自分の罪がそこに展示されているようで、晒されているようで、気分が落ち着かないのだ。


 ソワソワするというか、ムカムカとする。


 苛立っているわけではなく。


 だからこうして見に来るのは、口先では自戒だとか何だとか言っておきながら、結局のところ、この穴がいつ塞がってくれるのかが気になって仕方がないからなのだと思う──早く修繕することで終わらせてほしい、解放してほしいと、そう願っているのだろう。尤も、そこまで思い詰めているというわけではないのだが。


 しかしまぁ、これが新たな日課である──新たなとか言って、それ以前に何か特別日課らしい日課があったのかと問われれば、「無い」と返すしかないのだが──そんなわけで、ここ数日はそのようなことを繰り返していたのだった。


 しかし、その日はそれ以外に変なものを見た。


 変なものというか、変な者。


 不審者である。


 とは言え、格好からして同じ学園の生徒であることには違いないのだが、その人は何故か中腰で、物陰に隠れるように移動をし、チラチラと穴の方を覗き見て──と、挙動が不審だったのだ。


 当然、遠目で見て不審だと分かるのだから、それを近くで見ていた警備の人間が不審に思わないはずもなく、すぐさま発見されては要警戒対象として認識されていた。


 不審者はしばらく穴の様子を窺おうとしていたが、じっと睨まれ続け、結局、諦めることにしたらしい──踵を返し、トボトボと引き返し始めた。


 後ろ姿だけではイマイチ判別がつかなかったが、その不審者は女生徒だった──クリーム色のやや短めな髪に、黒縁の眼鏡を掛けた、背の低めな女子生徒。これまで話したことのある相手ではなかったと思う。


 ただ……どこかで見たことがあるような気もしたのだが、一体どこで見かけたのだったか。まぁ、同じ学園の生徒なので、どこかでは見かけることもあったのだろう。入学式かもしれないし、移動中の廊下かもしれないし、同じ授業をとっていたのかもしれないし、あるいは、似たような生徒と誤認しているだけかもしれない。


 少なくとも、同じクラスではなかったはずだが。


「…………」


「…………」


 少し気になって見ていると、一瞬、目が合った様な気がした──気がしただけなので、本当に合っていたかどうかは分からないのだが、彼女は目を逸らすと、そのまま何処かへと去って行った。


 多分、寮に帰ったのだろうが。


 しかし、何をしたかったのだろう──穴が気になるという感じだったのはそうなのだが、他の野次馬とはまた少し違うというか。


 事件のあった翌日から少しの間は、それこそ多くの生徒が事故現場の周辺に集まっていたわけだが、数日も経過すれば流石に飽きるもので、今ではアレを見に行くような人間は自分の他にいなかったはずなのだ。近付いたところで追い返されるだけだし、見てもあまり面白いものでもないのだから。


 それなのに、どうして今更。


 まさか、犯人を調べようなどと考えていたりするのだろうか──あるいは、犯人とは言わずとも、あの場所に穴が開いたその原因を調査していたりするのだろうか。詳細こそ伏せられているが、自然現象としてこんなことが起こるはずもないのだから、そこには必ず原因があるはずだと、独自に調べているのかもしれない。


 それは困る。


 困るが、しかしよっぽどのことが無い限り、自分に行きつくことはまずないだろう。


 あの場で起こったことを知る人物など王女くらいのものなのだし、そうそう漏れようがない。あの事故が魔法によるものだというところまでは漕ぎ付けることが出来るのかもしれないが、そこから犯人──犯人という言い方もアレだが──それを特定することは出来ないはずだ。魔法の跡からその人物を特定することが可能だというのなら、自分は数年前にそれを思い知っているはずなのだから。


 そう考え、自分も踵を返し、その場を後にした。寮の部屋へと戻ると、ゲートを開き、屋敷へと向かう。ここ数日、昼は学食ばかりだったので、たまには自分でも作らねばと思った次第である。


 なのでそれ以外に特別用事があったというわけでもないのだが、屋敷の前に降り立つと、いい匂いがした。どこか香ばしい、肉の焼ける匂いだった。お昼時だから何か作っている最中だったのだろうかと思ったのだが、それにしては匂いが強い。位置的に考えて、ここまで匂いが漂ってくるものなのだろうか──そう思って後ろを見ると、コハクがいた。


 見れば巨大な肉の塊が、グルグルと回転させられては丸焼きになっていく最中だった。


 コハクはちょうどこちら側に背を向けていたのだが、声を掛けると振り返った。それと同時、もう反対側、肉で隠れて見えなくなっていた方からもひょこりと、もう一人の顔が出て来た。


 彼女はコハクと同じく獣人の子で、名をオリーブという──黒い瞳に銀髪だったので、オリーブの葉は光を受けると銀色に輝くことから、そう名付けた。


 ただ当然、これは言うまでもないのだろうが、彼女にも元々は別の名前があった。あったのだが、色々あってここに来て、その際に改名をすることになったのだ──名前を変えることが変な伝統というか、奇妙なルールの様になってしまっていると思わざるを得ないのだが、皆、名前に対する執着とかはないのだろうか。


 まぁ、ここでの渾名程度に考えているのだけなのかもしれないが──しかし思い返してみれば、自分も自分の名前に対する執着は特にないので、何も言えることは無いのだった。リュカという名前が全く別の名前に変わってしまったとしても、少し不便な思いをする程度で済んでしまうのだろう。そしてそれもしばらくすれば慣れてしまうのだろうから、本当に何も言えない。


 別に言うつもりもないが。


 そんな彼女は先述の通り獣人なので、今はコハクが面倒を見ている──と言うより、コハクくらいしか面倒を見切れる者がいなかったという話でもある──いや、面倒をと言うとやや語弊があるか。


 彼女は相当の怪力と活発な性格の持ち主なため、それを押し返せるだけの力の持ち主でなければいけなかったのだ。それで結局、コハクにお鉢が回ったというのが経緯である。


 自分も頑張れば五分五分くらいには抑えられるのだが、本気でぶつかられたら正直持たない。獣人というのはフィジカルに優れた人種だということなのだろうか。サンプルが二人分しかないため、この二人が特別な、つまりは外れ値である可能性もありそうだが。


 ただ彼女がコハクと違っていたのは、頭の方だった。コハクはサクラの教育の甲斐もあり相当優秀に育ったが、この子はほぼ全ての情報が右から左へと流れて行くだけなのだそう。


 サクラはまだ諦めたわけではないようだが、しかし、身体を動かすことに関しては何とかなりそうだったので、得意なことから伸ばしていくと言っていた──まぁ、それらは全てコハクに一任されたというわけだが。


「主ー!」


 と、オリーブは、コハクとは対照的な、明るい銀色の尻尾を左右に揺らしながらこちらに近寄ろうとして──コハクに離れるなと注意されて元の場所に戻った。二人で肉を回していたようだったので、当然といえば当然である。


 二人の方へと歩いていく。


「久しぶりー!」


 コハクが言うと、


「久しぶりーです!」


 と、オリーブが真似する。何だか変な話し方になっているが、別にふざけているというわけではないので気にしない。


「久しぶり」片手を上げて答え、肉塊に目を向けた。「これは……鳥の魔物?」


「そう。鳥の……名前は忘れたけど、そいつの肉」


「オリーブが! オリーブが倒した奴の肉です!」


「そうなんだ。綺麗に狩れたね」


 切られた首の断面は非常に綺麗だった。綺麗過ぎるくらいに綺麗だった。いや、流石に刃物は入れているか。


「最近は二人でこいつを狩ってんだ」


 コハクは頷き、そしてそう言った。


「この魔物を? この一体だけじゃなくて?」


「そうです! こいつがいると、えっと、作物が……? だから、いっぱい狩らなきゃいけないです!」


 なるほど。よく分からないが、作物という単語で、なんとなくのことは分かった。


 つまりこの魔物がが小麦などの農作物に対する鳥害を引き起こすから、そうならないように駆除しているということなのだろう。


 そして、そこで狩った肉をこうして焼いて食べていると。


 極めて合理的である。


 誰の依頼でそんな事をしているのかは知らないが、農作物の値段が上がれば自分達も困るのだから、食い扶持稼ぎついでにやっているのかもしれない。


 しかしこんな魔物、この辺にいただろうか。


「じゃあ頑張らないとだ」


「頑張りますです!」


 言いながら、オリーブは肉を回す。楽々回しているように見えてしまうが、しかしかなりの大きさなので、実際は相当な力を込めているのだろう。


「主も食べるです?」


 オリーブは首を傾げた。


「二人が食べる分じゃないの?」


「いっぱい狩ったからいっぱいあるですよ」


 純粋な目でそう返されてしまった。二人はもとよりこの一匹だけで満足はせず、足りなくなればまた焼けばいいという考えだったのだろう。


「それもそうか……じゃあ少し貰おうかな。ちょうどお腹も空いてたし」


 二人ともよく食べるので遠慮しようかとも思ったが、しかしそれならばと、そう答えた。


 ただ、きちんと火が通っているのかは少し心配だ。コハクと初めて出会った日もそうだったのだが、獣人は基本、肉を生で食べる事を躊躇しない。生焼け程度なら気にせずに齧り付いてしまうし、それで体を壊すことがないのである。そういったところは人間よりも獣に近い。


 一応この屋敷では肉も魚もきちんと火を通す事を徹底させてはいるので、大丈夫だとは思いたいのだが。


 そうしてしばらく焼き、軽く火加減を見て、既に火の通っている所を貰うことにした。コハクとオリーブはそれだけで足りるのかというような目を向けてきていたが、肉だけでそこまでの量を食べることも出来ないので、丁重に断った──それでも結構な量だったのだが、全体から見れば大した量ではなく、本当にこれを二人で完食出来るのかと、分かっていながらも疑ってしまう。


「いただきます」


 そして一口食べ、思い出すのである──獣人は基本的に味付けをしないのだということを。


 △▼△▼△▼△


「例の場所についての調査は以上ですか」


 報告書を捲り終えると、サンゴは紙束を目の前の机に置いて言った。その声は平坦で、報告書の内容に満足いっているという様子ではなく、されど落胆したという風でもなかった。


「はい。特に怪しいものは見当たりませんでした」


 と、シャクヤクが答える。いつも通りユリから上げられた報告をしに来ただけの彼女だったが、以前のようにユリの気分一つで報告書を滅茶苦茶にされるということが無くなったので、その声には幾分か自信のようなものが感じられる──自信というよりは、無駄におどおどする必要が無くなったというだけだが。


「魔力反応なども?」


 その問いに対し、シャクヤクはこくりと頷くと、「まぁ、辺り一帯を破壊して回れば何か見つかる可能性も無くはないのですが……」と、やや自信なさげな声で付け加えた。


「いえ、そこまでする必要はありません──というか、流石にそれは危険ですから、止めておいてください」サンゴは首を横に振り、小さく笑って言った。「調査に不備があったとは思ってもいませんし、探して何も出てこなかったのであれば、一先ずはそれを信じるとしましょう」


 そこで話自体は終わりだった──本来であれば、「では、失礼します」とでも言って、シャクヤクは部屋を後にするはずだった。しかし、彼女は神妙な顔でその場にとどまり続けた。


「…………」


「何か気になる事でも?」


「……あ、その……もしあの場所に何も無いのであれば、主様はどうしてあれほどまでに気にかけていらっしゃるのか……と、そう思いまして」


 シャクヤクが言うと、サンゴは返事を躊躇い、考え込んだ。


 確かに、謎ではある──報告書の中にはそのことについても記されていたが、だからといってリュカがあの場所に何かをしたという報告はなかったし、何かをしようとしているという動きも見受けられなかった。


 ただじっと観察をして、しばらくしたら何事もなかったかのように立ち去るだけ──これが一体何を意味しているというのか。


「私には、あの場所がただ空間として存在するだけだとはどうしても思えず……」


 考え込むサンゴの前で、シャクヤクは小さく漏らす。


 サンゴとしても、その意見には賛成だった。まさか敬愛する主が何の意味もなく穴を眺めているだけとは思えないのだから。


 ただ、だからと言って、先程のシャクヤクの言葉通りにあの空間の周囲を破壊し始めれば、当然周囲に気が付かれる。それでは調査以前の問題だ。何か手を打たなければ本格的な現場の調査は不可能だろう。なので現状では手詰まりと言うほかない。


 先日の王都襲撃時に調査することが出来ていればと、彼は少し前の己の判断を悔やんだ。


 悔やんでも仕方がない事ではあるのだが。


「……まぁ、悔やむ前に次の策を考えるべきでしょうね」


「……?」


「あぁ、すみません、独り言です──私としても、あなたの考えには同意しますよ。あの場所に何も無いとは考えづらいですからね。とは言うものの、現状ではこちらが自由に出来ない……となれば、手を打たなければなりませんか」


「手……どのような?」


「そうですね……手っ取り早いのは、陽動を用意し、こちらが調査をする時間を稼ぐことですが……ふむ」


 やろうと思えば、やれないこともない。しかし、そんなに単純な手でいいのか。どうせ打つのなら、もっと先を見据えた最善手を練るべきではないのか──と、サンゴの心がそう囁く。


「──シャクヤク。サクラ様から何か頼まれていたりしますか?」


 しばらく思案して、サンゴは次の言葉を待つシャクヤクに尋ねた。


「え? あ、いえ。今は特別な仕事は何も。普段通りにしていろとだけ」


 姿勢を正し、シャクヤクは答える。


 そんな彼女に、サンゴは冷酷に笑って、


「……そうですか。では、ボタンとユリも含めて、三人には少々手伝っていただきたいことがあるのですが……構いませんね?」


 そう言った。

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