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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第暴話
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「学園の下にこんな場所があったなんて……」


 フューリアは暗い地下通路を歩いて行きながら、小さく呟いた。


 教頭室から階段を降り始め、ここまで来るのにはそれなりに時間がかかっている。


 いい加減疲れてもいたが、ここまで来て引き返せば無駄でしかない──そう考え、重くなっていく足を持ち上げては、前へ前へ、先へ先へと進んでいく。


 跫音が空間内に反響し、周囲からは、どこからか染み出た水が滴り落ちているのか、ピチャンピチャンという音が聞こえてくる。


 空気は湿っていて、淀んでいる。あまり長居したいと思えるような場所ではなかった。


 しかしそんな場所だからこそ、何かを隠すのにはお誂え向きだろうと、彼女は思った。


 それにそもそも、教頭室からこんな空間に直接繋がっている時点でおかしいのだ──もしあの教頭が作った通路ではなかったとしても、長年この学園に籍を置く現教頭がこれを知らないはずもない。


 この通路だけでは少し弱いが、しかしこの先に何か出てくれば──例えそれが不正の証拠ではなくとも、何かしらの犯罪行為の痕跡でも見つかれば、教頭は言い逃れも出来ないはず。


 この通路が何なのか、この事を教頭が知っていたか否か、そしてそこで起こっていたことに関与していたかどうかなど、もはや関係もない。『教頭室からしか這入ることの出来ない地下通路で犯罪行為が発生していた』という事実、これが全てなのである。


 それも、学園という、多くの貴族の子女を預かるような場所でそのような不祥事が起こるというのは、学園として不味いと考えるはずだ──今年になってから色々と改革をし、来年以降の生徒数の増加を今の内から期待しているような今の学園にとっては。


 無論、だからこそ隠蔽されかねないのだが、その場合は他の生徒も巻き込んで騒ぎを大きくしてやればいい。フューリアも貴族の汚らしさはよく知っている。他の貴族を追い落とすためならば、彼らは大いに騒ぎ立ててくれることだろう。そしてそうなれば、王家とて、今ある婚約の話を無理には進められなくなる。


 教頭室で目ぼしいものを見つけられなかった時は流石に焦りも感じていたが、こうなればもはや勝ったも同然──これで全て終わらせられる。


 きっとそのはずだ。そこまで単純でもないのだろうが、上手く行くような気がしていた。


 だと言うのに、一抹の寂しさがあるのは、どうしてなのだろうか。


 分からない──いや、分かってはいる。


 嘆息し──一瞬、歩みを止める。


「ま、その辺のことは終わってから考えればいいわよね」


 そう呟いて、彼女はまた歩いていく。


 それにしても、この道はどこに繋がってるのかしら──と、疑問符を頭上に浮かべ。


 そして、角を曲がって進んだ先に、見知ったその顔は現れた。


「……これで婚約破棄は決まったようなものね」


 彼女は目を見開き、そして睨むように細めた。


 △▼△▼△▼△


 闇夜を紅く彩る黒い悪魔。


 それは突然建物を破壊しながら現れ、その場にいた人間の首を刎ね始めた──殺す対象を選ぶ様子などは一切見せず、逃げようとしたものから順に、何を言うでもなく殺戮を始めたのだ。


 だが、逃げずに交戦しようと武器を構えた者ももういない──逃げようとしたところで、戦おうとしたところで、命乞いをしてみたところで、迎える末路は同じなのだった。


 理由は分からない。どこからやってきたのか、なぜ自分達を狙うのか、何も分からない。何も分からぬまま、冗談のように、仲間達が次々に死んでいった。


 言葉は通じず、交渉は持ちかけられそうにない──いや、通じないのではなく、分かった上で無視されているのだろう。


 ここに来た時点で、あの悪魔はこの場にいる人間を男女問わず皆殺しにすることしか頭にないのだ。


「──っ!」


 悪魔が振り返る。


 次はお前だ──そう言わんばかりに振り返る。


 仮面の奥で、金色の瞳が煌いた。


「や、やめ……っ!」


 言葉を最後まで発することも許されず、その男の首は跳ね上がった。そして悪魔は跳ね上がった頭を片手でキャッチすると、それをまた別の人間に投げつける──剛速で投げ放たれた頭は、空気抵抗でその皮膚を引き剝がされながら飛んで行き、壁際に隠れていた男の丁度心臓部分、その背中側から飛び出て行った。


「お、俺達がお前に何をしたって言うんだよっ……!」


 一人、また一人と死んでいく中、誰かが叫んだ。


 言葉が通じないと分かっていながら大声を出すなど、もはや自殺行為以外の何物でもなかったが、それでも、叫ばずにはいられなかった。


「…………」


 しかし。


 悪魔は答えない。


 死にゆくものには応えない──暴力以外では。


「が……っ……!」


 悪魔の片腕が微かに動き──刹那、男の頸動脈に裂け目が出来上がる。


 血を噴き出させながら、その身は崩れ落ちていく──血溜まりと化した床に、飛沫を上げながら倒れ込んだ。


 悪魔は辺りを見回す。


 一、二、三──数えていき、大方殺し尽くしたことを確認すると、息を吸い込み、咆哮する──絶叫が響き渡り、振動が建物全体を揺らした。


 初めの襲撃で崩されていた建物はそこで耐えきれなくなったか、ガシャガシャと大きな音を立てて崩壊を始める。


 その崩壊に巻き込まれて、辛うじて生き残っていた数名が押し潰されていく。


 悪魔はそれを確認すると、「次」とだけ呟いて、慌ただしく騒ぎ始める王都の街を駆けて行った。


 △▼△▼△▼△


 遠方から咆哮が聞こえてきた。


 それと同時、別の複数地点で爆発が起こり、火災が起こり始める。


 寝静まっていたであろう王都の住人は叩き起こされ、街中は一気に騒がしくなっていく。


 詰所から飛び出てくる衛兵、家屋から逃げ出す住民──輪唱の如く、悲鳴が木霊する。


「開始の合図にはちょうどいいわね、あの子の叫びは」


 そんな阿鼻叫喚の王都を時計塔のバルコニーから眺め、サクラは仮面を片手に呟いた。


「ですね。この位置でもちゃんと聞こえるあたり、その場で聞いていた人間は下手をすれば死んでるんじゃないでしょうか」


 アジサイは平坦な口調で言った。


「……気絶で済んでるわよ。多分」


「多分ですか……」


 アジサイは苦笑した。


「さて、と」気を取り直し、サクラは言う。「私達も動きましょうか」


 サクラはそう言って、手元の仮面を顔に嵌めた。


 悪魔を思わせる黒い仮面、闇夜に紛れて見えなくなってしまいそうな装束。


 そしてサクラはどこからともなく剣を取り出すと、それを一振り。


 闇夜が、一刀のもとに両断される。


 △▼△▼△▼△


「おやおや。私が最後でしたか。これはお待たせして申し訳ありませんな」


 ロンダリン伯爵は手下を引き連れ、教頭室から繋がる地下通路を通り、その最奥で古代の魔道具を使うことで、その一室へと転移した。そこでは既に派閥の長であるイカンテや、その他幹部の面々が並んでおり、彼の席だけが空いていたため、まず手始めにそう言って頭を軽く下げた。とは言え、定刻よりはまだ少し早いはずでもあるので、本気で申し訳ないなどと思っていたりはしないのだが。


「本業が忙しいものでしてね……」


 と、誰に向けているのかもよく分からない、身に付いた癖の様な言い訳を口にしながら、イカンテ以外の面々に視線を遣りつつ、席に向かう。今日この日、ロンダリン伯爵がイカンテの座を簒奪することを、他の幹部は承知し、同意している。全員、派閥としての問題をどうにかしなければならないという意志は持ちつつも、自分が先頭に立って旗を振ろうとするタイプの人間ではないため、意見を纏め上げるのは存外簡単だった。


 部下の白装束が椅子を引くと、彼は座り込む。大きな荷物を床に落としたときのような音がした。


「もう話し合いは始められていたのですかな? もしそうなら、何をどこまで話していたのか、軽く教えていただきたいのですが」


「いや」


 ロンダリン伯爵の隣に座っていた男が口を開く。彼もまた、普段は裏社会に引き籠っているが、歴としたこの王国の貴族である。


「まだ何も話してはいないよ。貴殿が来るのを待っていた……というわけではなかったのだろうけど、どうにもね」


「始め時を掴み損ねていた──とでも言うべきだろうな。まぁ、お陰で話を始める口実が出来た。感謝するよ、伯爵」


 向かい側にいた男がそれに同調するように言った。


「それはよかった」ニヤニヤとしながらそう言って、ロンダリン伯爵は視線を動かしていく。「……では、イカンテ様。始めましょうか」


「……うむ」


 そして会議は幕を開けた。そこでまず始めに議題として取り沙汰されたのは勿論、イカンテ派の抱えている問題についてである。


「──というわけですから、今は亡きベイケ殿の失態は追及も出来ないので置いておくとしても、これは早急に片付ける必要があると存じます。私がベイケ殿から引き継いだ研究も、随一対処こそしているものの、少なくない妨害に晒されている状態であり──」


 かつてイカンテ派の主力とも言うべき存在だったベイケが縄張りとしていた王国西部の被害ばかりが目立つものの、そのベイケの死後は、徐々に王国各地で被害が顕在化し始めている。対策をしようにも、どこからともなく現れては散発的な妨害や小規模拠点あるいは子飼いの組織の破壊活動を行い、そして一切の痕跡を残さず姿を消してしまうので、個々ではそれも難しい状態。混乱状態からも落ち着きつつある今こそ一体となって抜本的な対策を講じる必要があるのだと、ロンダリン伯爵は主張した。


 しかし、それに対するイカンテの反応は寂しいもので、


「……ふむ」


 と、たったその一言だけであった。


 ロンダリン伯爵からすればこの会議そのものが茶番でしかないのだが、それにしてもなその反応に、後ろ手にした拳を握りしめた。


「そこで一つお聞きしたいのですが、よろしいですかな」


 イカンテが「何だ」と、そう言わんばかりに視線を送る。


「イカンテ様はベイケ殿から、いつ、どの段階で、どの程度の情報を共有されていたのでしょうか」


「……どういう意味だ?」


「どうもこうも、そのままです。我々にはこれまで、これら諸問題に関する情報の共有が行われておりませんでした。それが敵勢力による工作活動の影響なのか、あるいはベイケ殿が隠蔽を行ったからなのかは存じませんが──しかしその情報がただの一つもイカンテ様の下に行っていなかったとは、どうしても思えないわけでして」


「…………」


「もし初期の段階から把握していたのだとすれば、イカンテ様は果たしてどのような意図でその情報を遮断したというのか、お聞かせ願いたい」


 イカンテは問われて尚、沈黙を貫く。


「……そうですか」ロンダリン伯爵は溜息を吐き、イカンテを薄く睨む。「最後にこれくらいは聞かせていただきたかったのですが……残念です」


「最後だと……?」


 と、イカンテが口にしたその瞬間、ロンダリン伯爵の合図の下、引き連れてきていた部下達が動き、イカンテを守るようにしていた者達をまず始めに排除すると、そのままイカンテを囲み、刃を突き付けた。その他の幹部の面々は至極平然と、席に座ったままその光景を眺めていた。


「──っ、何のつもりだ?」


「わざわざ、言葉にする必要がありますかな?」


「……無いだろうな」


「ご理解いただけて何よりです。……ですので、伝統と慣例に則り、証を譲渡していただきたい」


「…………」


 証。


『教会』──それを構成する派閥において、証は大きな意味を持つ。


『教会』内部で複数に分かれる各派閥だが、どの派閥でも一様に襲名制が採られており、数十年に一度、派閥の長が後継者を指名することで代替わりが行われる。その際には証という名の、『所有者を登録することが出来るだけの魔道具』が用いられ、その魔道具に現在の所有者と指名された者の両名が改めて登録されることで継承は完了となり、証と名を受け継いだその者は派閥を束ねる長として以後振舞うことになるのである。


 その関係上後継者の指名が行われなければ、もしくは証を紛失するなどした場合はそのまま派閥も断絶してしまうことになるのだが──現状そういったことは起こっておらず、残されている記録が正しければ、この伝統は三千年以上前から続いているのだという。その真偽自体は不明なものの、しかし実際、その証として扱われている『所有者を登録することが出来るだけの魔道具』は古代よりの遺物であり、現代の技術では再現の困難な装置である。


 面倒且つ厄介極まる伝統であると、ロンダリン伯爵は刃を突き付けられたままのイカンテを見ながら思う。ただ証を奪えばいいだけなのであれば楽なものを、継承には両者が魔力を同時に流す必要がある為、今はまだ殺すわけにはいかないのだ。


「……この座に就いて、何を成す?」


 イカンテは問うた。


 その質問が時間稼ぎだというのなら、そこに意味はない──なので純粋に知りたいのだろう。


 このような手を使ってまでイカンテの座を簒奪せしめん目的を。


「……誤解しないでいただきたいのですが、私はただ、この派閥を守りたいというだけなのですよ。大切な居場所ですからね。しかし今のあなたには、それをするだけの力がない。ならばもう、こうするしかないでしょう」


「…………」


 そればかりが本心というわけではないのだろうと、イカンテは見抜いた。が、口にはしなかった。


 そして諦めたように、証を取り出した。


「これが、ですか」


「…………継承の儀を行う。魔力を流せ」


 言って、イカンテは証に魔力を流す。二つある小さな宝石のうちの一つが光ると、ロンダリン伯爵も魔力を流した。


 そして二つともが光を放つと、イカンテは宣言する。


「惟うに──我らが礎築きしは往古の聖者。星霜重ね、焔は絶ゆることなく光を放ち、今我らに至らん。

「然るに──天道は廻り、時は満ちん。新たなる焔灯し、その火託すべき節は来たれり。

「我ら、汝に誇りと覚悟を求め、唯今を以てこの名を授けん。

「この名を継ぎし者、其れ即ち悠久を生きし者。以後、汝の言の葉は我らの意志となり、汝の道は我らが命運となる。

「願わくば、我らに輝きのあらんことを。

「汝が名はイカンテ──ここに継承は成れり」


 ──証が輝きを放つ。


 宣言の通り、継承は成ったようだった。


「なんとも、実感のないものですな。ですが、これでようやく、何者に気を使うこともなく実験を行える……」


 ロンダリン伯爵──改めイカンテは、光を放ち終えた証を大事そうに手に取ると、そう呟き、連れて来ていた部下に目を遣った。そして合図を出すと、元イカンテを囲んでいた部下達が動き出し、用済みとなった彼を椅子から引き摺り下ろし、乱暴に拘束し始める。


「では、私の、イカンテとしての最初の仕事を済ませるとしましょう。そしてあなたには、イカンテとしての最後の禊を済ませていただきます」


 もはや抵抗することもなく、名を失った彼は頭を垂れ、首筋目掛けて振り下ろされる剣を受け入れた。ザシュ──と、振り下ろされた剣が赤く染まり、首が落ちる。


 転がった首は、何かを嘲るような、そんな死に顔をしていた。


「……では──」


 と、新しいイカンテと、その他幹部の面々が会議を再開しようとしたその時、部屋の大扉が開かれ、大慌てといった様子の私兵が飛び込んできた。


「伝令! 伝令! 王都が──王都が襲撃を受けている模様っ! 王都内の複数拠点が壊──」


 そこまで言ったところで、それを伝えにきた兵の体が賽の目切りにされ、崩れ落ちた。


「何事だっ!?」


「王都が襲撃と言っていたか!?」


「いや待て、それよりも、誰かいるのか! 出て来い!」


 混乱の中、口々に叫ぶ。


 ──そこに。


「出て来いだなんて、粗野な言い方するわね。さっきからずっとここにいるのに……。気が付かなかったかしら?」


 と、先程まで元イカンテが座っていたその席に、黒い何者かが脚を組んで座り込んでいた。


「っ!? 何者だっ!」


「お前達を殲滅する者。そして総てを滅ぼす者」


 短く簡潔に、彼女は告げた。


「何を──!」


 と、立ち上がった幹部の一人が縦に割られた。目視出来ぬ一閃であった。それどころか、こうして一人が斬り裂かれるまで彼女が片手に剣を持っていた事にすら気が付くことが出来なかった。


「まさか……! その髪、その装束……! ベイケを屠った『黄金』か!」


「そうね。私が直々に殺したわけではないけど。酷い最期だったそうよ。全身の骨を折られ内臓を抜き取られ、生きたまま折り畳まれて死んだようだから」


「……っ!」


「安心しなさい。私はそこまで残忍じゃないから。派閥の継承とやらがどのように行われているのかも知ることが出来たし、そのお礼じゃないけど、ただ殺すだけで勘弁してあげる」


 そう言って、彼女は未だ転がったままの首とイカンテに、黒い仮面の奥から視線を向けた。底冷えさせられるような、鋭い視線だった。


 イカンテは思わず後退り、部下に命じる。


「──殺れっ!」


 白い装束の精鋭達が突貫し、彼女目掛けて剣を振るう。多対一だ──その光景を見れば誰もが白装束の勝ちだと思うことだろう。


 しかし何度も斬られたはずの彼女が崩れ落ちる様子はない。それどころか、傷を受けたようにも見えはしない。


 そしてどうしてか、攻めていたはずの白装束達が動く気配もない。


 何をしている──そう思った矢先、白装束達全員の顔が、斜めにズレた。


「弱いわね。この程度の戦力しか用意できないのだから、イカンテ派の凋落はこちらが思っていた以上に極まっていたみたいね」


 彼女は剣を振るい、そう吐き捨てた。


 恐怖が走る。


「だ、誰かっ! 誰かいないのかぁっ!」


 イカンテは叫んだ。部屋の外にも兵は大勢いるはずだ。何かが起これば突入する算段はついている。だと言うのに、誰が来る気配もない。


 開かれた大扉の向こうには、誰もいない暗い廊下が伸びている。そしてその廊下の奥から、黒い別の誰かが歩いてくるのが見える。


「もしや……」


「気付くのが遅いわよ」


 廊下の奥から歩いてきたその黒い人影は、扉までやってくると、そこで足を止めた──逃げ道を塞ぐようにして。


 しかしイカンテには──彼には転移のための魔道具がある。手に持っていた証を懐に入れると、代わりにその魔道具を取り出す。そして惨殺を開始した『黄金』がこちらに来る前にと、彼はその魔道具を発動させ、その場から姿を消した。


「……逃げたわね」


 幹部を皆殺しにしたサクラは、特に苛立つでもなく、淡々と事実を述べる。


「追いますか?」


 扉の前に立つことで部屋を封鎖していたアジサイが、サクラに近寄りながら尋ねた。


「いいえ。大丈夫よ。逃げたところで、向こうには彼がいるから」


「……なるほど」


「必要な物なんかは回収しておいてくれた?」


「概ね回収済みです。証拠の偽造に必要な物はまとめて置いてあります」


「なら、奴には王都襲撃事件の犯人として消えてもらうとしましょう」


「はい」


 △▼△▼△▼△


 ユージーンとミルコ──あの二人の話し相手をしながら少し遅めの昼食を済ませて小腹を満たし、その後もしばらく、何をするでもなく学園の敷地内をうろうろとしていた彼らに付き合い、自分は時間を潰していた──友人付き合いをしておくことの大切さを知らない自分でもないが、しかしそれだけの理由で何の意味もなく彼らと共に行動を続けていたわけではなく、それも学食の近くという、それなりに人の多い場所の付近をうろついていたのは、そうしていれば王女に会えるかもしれないと考えていたからである。


 無論、ここで言う『会えるかもしれない』というのは、何か目ぼしいものを見つけることが出来たかどうかの報告を聞けるかもしれないと言う意味である──ということは、説明するまでもないのだろうが。


 しかし結局、昼を過ぎ、夕方を過ぎ、もう折角だからと、ユージーンとミルコと共に夕食も学食で済ませてしまったのだが、そこまで学園の敷地内を散歩していても、それらしい人物を見かけることは無かった──とは言え、これ自体はこちらが勝手に出くわせるのではないかと考えていただけに過ぎないので、会えなければ会えないで別によかったのだ。


 だが、もうこれ以上待っていても仕方が無いだろうと、そろそろ寮に戻ろうかという話をし始めたところで、騒ぎは起こった。話を聞けば、王都で事件が発生し、騒動になっているとのこと。その時は建物の中にいたことと、周囲が既に騒がしかったことで気が付かなかったが、遠くから爆発音のような音が聞こえてきたことで、それがただ事ではないということを知った。


 生徒は今すぐ寮に戻れという怒号のような指示を受け、この状況で意味もなく王都に繰り出していく野次馬根性など持ち合わせてはいない自分は、どこか興味ありげな二人に戻るよう言い聞かせると、周囲を警戒しつつ、自室に戻ることにした。


 そして、おかしいと感じたのは、阿鼻叫喚の中、団子になって寮に向かう生徒達に押し潰されないようにと、集団からは少し離れた場所を寮に向かって小走りに駆けていた時の事である。


 何がおかしいのかと言えば、これはまず普段自分がしている癖について話さなくてはならなくなるのだが、知ってか知らずか臆病な自分は、病的なまでに臆病極まるこの自分は、普段から周囲に魔力の檻を張り巡らせている。


 魔力の檻。


 それは不可視の檻である。


 それが何を目的としているのかと言えば──魔力を持つ生命体は、これは人間であれエルフであれ獣人であれ、魔物であれ動物であれ、外部から魔力を受け取った際、微弱ながらそれに対して抵抗するという性質があるのだが、その仕組みを利用し、範囲内に接近した生命体の存在を知覚出来るようにしているのだ。


 人間にはどう頑張っても三百六十度を見渡し、警戒することは出来ない。ならばセンサーのようなものを張り巡らせておけばいいだろうと、そう考えた次第である。


 しかしそれも、人が多い場所──例えば飲食店の中や授業中の学園内などは、反応が多すぎて意味がないため、それをほとんど発動させていないのだが、人が少なくなったり、警戒すべき状況下──まさに今のような状況下に陥ったりした際には、ほぼ無意識にそれを発動させている。


 そしてこの檻、当然ながら地中から飛び出て襲ってくるような魔物にも対応出来るようにしているため、地下深くにもその警戒網が張り巡らされているのだが、その網の中に一つ、あったのだ──本来であればあり得ない反応が。


 おかしいと感じたのはそれだ──と言うか、地中深くに人間の──それも自分の記憶違いなどでなければ王女の魔力反応があれば、それをおかしいと思わないわけがない。


 教頭室の方へと視線を向けた。


 王女は何をしているのか。


 そして街の方へと、視線を動かした。


 向こうでは何が起こっているのか。


 今起こっているこの騒動と、王女が意味不明な場所にいるというこの事態が、無関係なようには思えなかった。


 △▼△▼△▼△


「……これで婚約破棄は決まったようなものね」


 フューリアはその見知った顔の男を前に、苛立った様子で呟いた。


「お、王女殿下……どうしてここに……」


 教頭は心底驚いたような顔をしたが、すぐに何かを察したように、


「なるほど。そういうことですか……奴らも……」


 と言った。


 そんな教頭は少し息を切らした様子で、顔には脂汗が滲んでいた。まるで急いでここまで走ってきたかのようだった──いや、実際そうなのだろう。呼吸を整え、姿勢を正した。


 しかし一体何を急いでいるのか。


「つまり、王女殿下の一連の行動は、既に決まったも同然な婚約を破棄するため──白紙に戻すためのものだったと、そういうことですか。いやはや、突然平民との恋愛ごっこなどに興じられるものですから何事かと思いましたが、全てはその為だったということですか」


「そう。正解」


「それで──何か婚約破棄に繋がりそうなものは、見つかりましたかな?」


「いいえ。あなたの私室もひっくり返す勢いで探してみたけど、この通路以外はまだ何も見つかっていないわ」


「そうでございましたか」


「えぇ。けど、学園の下にこんな通路を隠し持っていたということが分かっただけで十分よ。この通路を使い、王家に対する謀反を企てていたとでも言って回れば、あとはどうとでもなる」


「そううまくはいかないでしょう」


「そうかしら。伯爵ともなれば、あなたをその座から引きずり降ろしたいものは大勢いるはずよ。証拠なんか無くても、あとはあなたの敵が私の味方になってくれるわ。それも、謀反の疑いを掛けられているとなれば誰もあなたを庇ったりは出来ないのだし。これで全部お終いよ」


「お終い?」


「そう、お終い。あなたの首一つで事が済めばいいわね」


「残念ながら、そうはなりませんな」


 小馬鹿にするような笑い交じりのその言葉に、フューリアは顔を顰めた。


「つい先ほどの話なのですがね──私は力を失ったあの男に代わり、その座とイカンテの名を引き継いだのですよ」教頭は大仰に言った。自慢話でもするかのような機嫌のよさだった。「王家への謀反? その程度の罪は簡単に無かったことに出来る──そんな立場に今の私はあるのですよ」


 何を言っているのか、フューリアとしては一つもピンと来るものがない。


「は……? 気でも狂ったかしら」フューリアは呆れたように言う。「あるわけないでしょそんな立場。それにイカンテって何よ。精神病患者の隠語か何か?」


「王女殿下がご存じないのも無理はありません。『教会』の事を含め、何も知らずに生きてきた王女殿下ですから」


 教頭は不快そうに目を細めて言った。


 途中出て来た『教会』という単語はよく分からなかったが、「あ?」と、ドスの利いた声で、フューリアは教頭を睨みつけた。


「それは何、反逆罪だけじゃ物足りないという意志表示? 不敬罪も欲しければ足しておいてあげるわよ。処刑方法は斬首じゃなく鋸引きね。苦しみの中で死なせてやるから」


「いけませんな、王女殿下。これから私達は愛し合う夫婦となるのです。そんな相手に向かってその口の利き方と言うのは──」


「死ね」


「言葉遣いが悪いですな。やはり、あのような平民なぞとお戯れになると、自ずとそうなってしまうのですかな……」


 教頭はやれやれと、肩を竦めた。


 フューリアは舌打ちをし、


「はっ。元々こうよ、私は。それに、あなたの様に見た目が悪いよか、ずっとマシでしょ?」


 嘲笑交じりにそう吐き捨てる。


 その瞬間──バチンという音が響いた。


「……っ、よくもやったわね……」


 痛みが走る。


 一瞬何が起こったのか理解出来なかったフューリアだったが、彼女は打たれた右頬を抑えながら、教頭を激しく睨みつけた。


 しかしそれと同時に、違和感を覚えた。


 先程の謀反云々の話は正直でっち上げでしかなかったが、こうして直接暴力を振るったとなれば、もはや言い逃れは不可能になる──口論の末だろうが何だろうが、今の教頭がそんなことをして許される道理はないはずなのだ。王家とて事を無闇に荒立てたくはないと考えるのかもしれないが、それでもこれはなあなあには出来ない。


 だが、現に、教頭は何の躊躇いもなくフューリアの頬を打った。


 そして、その行為と先程の意味不明な発言が、彼女の脳内で重なった。


 あの言葉はハッタリや妄言の類ではないのか──と。


 しかし、もしそうだとすると、この国には自分の知らない権力の構図が存在することになる。


「教育ですよ。王女殿下はご自身の立場をよく理解されておられないようですから」


 教頭は手を下ろして言った。


「恋人を作ったということそれ自体は、所詮は子供の恋愛ごっこなわけですから、見逃していてもよかったのです。……しかし、こうも将来の伴侶の立て方を知らないとなると、それも婚約の破棄などを企てていたとなると、流石に話は変わってきますからね」


「っ、何が伴侶よ。気持ちの悪いこと言わないで」フューリアは半歩下がりながら言った。「それに、この国ではいつから人間と家畜の婚姻が許されたというのかしら」


「やはり、少し痛めつける必要がありそうですね」


 そう言われ、フューリアは構えた。


 体内で魔力を練り上げ──しかし。


「遅い」


「──かはっ……!」


 腹部に強い衝撃──体内の空気が無理やり押し出されていく。


 足元にはゴトッと、拳大の岩が転がる。


「っ……こんな、こんなことして、タダで済むと思ってるの……!」


 じわじわと痛む腹部を抑えながら言った。


「タダでは済まないでしょうね。ですが、まぁ、幾らか払えばそれで済む話です」


「な……」フューリアは一瞬硬直し、再度魔法を放たんと構えた。「ふざけてんじゃ──」


 しかし、今度は右肩に強い衝撃が奔った。


「ぐっ……痛っ……」


 フューリアは目尻にうっすらと涙を浮かべながら、肩を抑え、教頭に視線を向けた。怒りや痛みで、呼吸が荒くなっていく。


「以前にも一度注意したはずですが……まだ直していなかったのですね、その癖。こんな状況下だというのに、魔力を練り上げることに慎重になり過ぎている。私が殺す気でいれば、今頃死んでいますよ」


「なん……で……」


「まさかとは思いますが、王女殿下。私がコネや賄賂で王立魔法学園の教頭の座に就いたとでも思っていたのですかな?」


「…………」


「少し魔法に覚えがある程度の王女殿下が簡単に下せてしまうような相手が、その座に長年座れるはずもないでしょう」


 フューリアの顔に悔しさが滲んだ。


 しかし、それを認めたら負けになると、彼女はそれを否定した──罵倒の言葉を繰り返す。


 すると、握り締められた拳がフューリアに襲い掛かった──顔面に拳を叩きつけられ、そのままフューリアの身体は壁に打ち付けられた。


 王女はそのままズズズと崩れ落ち、膝をついた。目に恐怖を浮かべ、地面に手をついて後退ろうとする。


 教頭はそんなフューリアに対し距離を詰めると、彼女の右手首を強く掴み、引っ張り上げた。


「来ていただきましょうか。無駄話が過ぎましたが、今はそれどころじゃないものでしてね。早いところ王都から逃げないといけないのですから。……まぁ、素体としてはやや不満ですが、使えないこともないでしょうし」


「放しなさい……っ! 気安く触ってんじゃないわよ……っ!」


 フューリアは己の右手首を握る教頭の手に爪を立て、抵抗を見せた。


「あなたにそんな自由があるとでも?」


 グイッと髪を引っ張られ、痛みが奔る。


 フューリアの髪型が崩れ、彼女の抵抗は弱まった。


「っ、痛い! やめ……て!」


 しかし、手首を掴み、髪を引っ張り──教頭の両手は塞がっていた。これは大きな隙だった。


 フューリアは即座に左手を構え、これまでで最も速いスピードで魔力を練り上げると、教頭の顔を狙い、容赦なく攻撃を放った。魔力の練りも甘く、強度もそれなりでしかなかったが、生成された岩は教頭の顎を撃ち抜き、顔を大きく逸らさせた。


「……ッ!」


 流石に対応も出来ず、教頭はよろめく。


 その瞬間、フューリアは拘束を振りほどき、元来た道を全速力で駆け出した。


 外にさえ出られれば、助けを求められれば。


 しかし。


「待てっ! フューリア!」


 教頭は体勢を整えるよりも先に、彼女に向かって魔法を放った。


 打ち出された岩は彼女の足元に転がり、それを勢いよく踏みつけた彼女はバランスを崩して転んだ──手をついたことで顔を打ち付けるようなことにはならなかったが、そのせいで掌を擦りむいたらしく、ひりひりとした痛みがあった。


 彼女が首だけを後ろに向けると、憤慨した様子の教頭が足を乱暴に踏み鳴らしながら歩いてくるのが見えた。


 慌てて彼女が立ち上がろうとすると、教頭は再度魔法を放った。それは彼女の背中に命中し、突き飛ばされるようにして再度転んだ。


 頭を強く打ち、視界が揺れた。起き上がれもしないまま、彼女は無理矢理視線を後ろに遣る。手を教頭に向けると、何とか魔力を練り上げ、魔法を放つ──が、それは狙いを大きく外し、明後日の方向へ飛んで行った。


「このガキ、まだ足りないか……!」


 そこに先程までの余裕はない。辛うじて取り繕っていた態度も崩れ去り、ひたすら己に歯向かい続けるフューリアに対しての怒りを露わにしていた。


 そして、手元に火を浮かべた。それは球となり、少しずつ膨れていく。


 そんなものを放って命中でもしようものなら、火傷などでは済まされないだろう。しかし、最早そんなことさえ考えられないほどに、教頭は我を忘れていた──増長した傲慢が、膨れ上がった矜持が、高々第五王女の身でありながら自身に楯突くフューリアを許せなかったのだ。


 火球は放たれる。


 フューリアに迫り──彼女は目を閉じた。


「……っ……?」


 しかし、何も感じない。


 おかしいと思い、目を開けると──そこには。


 彼がいた──リュカがいたのだった。


「あなた、どうして……ここに……」


「どうしてと言われると、気になったからでしかないんですけど。とにかく、生きててよかったです」


「…………」


「さて」リュカはフューリアを守るために作り上げた壁を解除し、その奥に立ち尽くしていた教頭を睨んだ。「王女。見間違いでなければ今あなた殺されかけてましたけど、犯人は教頭で間違いないんですよね?」


「そ、そうよ」


「王族を害そうとしたものに対する処罰とかは知らないんですけど、こういう場合、生け捕りにした方がいいんですかね?」


 問われ、フューリアは考える。


 もし先程までの発言や行動がハッタリなどでなかったとすれば──勿論生け捕りにして詳しい事情を吐かせるのが一番ではあるのだろうが──下手に生かすと碌なことにならなさそうな気がした。それどころか、今よりも酷い事になるのではないかという予感さえ、どこか確信めいたものと共に感じられていたのだった。


 考えた末に、フューリアは首を横に振った。


「……分かりました」


 そしてリュカは一歩、前に出る。


「リュカ一年生。どうしてここにいる?」


「外が大騒ぎな中、王女が地下にいるのを発見しまして。それで、只事ではなさそうだと思い参上した次第です」


「発見……?」


「発見というと確かに少し語弊がありますが……その辺の細かい説明が、今この場で必要ですかね?」


 彼は語気を強めて、教頭を威圧した。


「いや、ないだろうな。それで、どうするんだ──君も、この私に、このイカンテに楯突くというのかね?」


「……? そんな名前でしたっけ……?」リュカは軽く首を傾げた。「……まぁ、そうするしかないんでしょうけど」


 そして、それを皮切りにして。


 先手を取ったのは教頭の側だった──火球を複数生成し、それを少しずつタイミングをずらして放った。お世辞にも広いとは言えない地下通路を焼き尽くさん勢いで、火球が奔る。リュカは駆けながら、魔力を込めた拳だけでそれらを打ち払っていく。


 打ち払われた火球が壁に叩きつけられ、幾つかの焦げ目を作った。


 そしてリュカは一瞬強い光を放つと、それにより目の眩んだ教頭へと接近、腹に蹴りを入れた。教頭は蹴り飛ばされると、すぐさま反撃を試みる。リュカは軽やかに跳ねながら後退しつつ、地面を突き破らせながら岩の壁を隆起させ、攻撃を防いだ。


 必要最低限の魔力で作られた岩の壁は攻撃を防いだことで崩れ落ちた──だが教頭にはそれが、計算され尽くしたものなのではないかと思えてならなかった。


 岩を壁のようにして隆起させること自体は簡単だが、頑丈にしてしまえば、それを元に戻したり崩したりするのには元の倍以上の魔力を消費させられることになる。しかし予め強度を脆くしておき、相手の魔法を受けきった辺りで崩壊するよう調整しておけば、その手間を省き、魔力の消費を最小に抑えられる──攻撃を防ぎ、防いだ後は邪魔な障害物に消えてもらえるというわけだ。


 とは言えそのようなことが可能だとは、どうしても思えなかった。それはつまり、相手の魔法の威力をその場で推測し、それに対する防御に使用する魔力を瞬時に微調整、攻撃を受ける前に発動させるという荒業──否、神業としか言い表しようのない行為であるからだ。壁が少しでも頑丈であればその場に残ってしまうし、頑丈過ぎるくらいならいざ知らず、もし少しでも脆ければ、そのまま防御を貫通されていたかもしれないのだから、凡そ正気の沙汰ではない。


 そんな風に慄く教頭をよそに、リュカは教頭目掛けて氷柱を放ち始めた。氷柱はリュカの周囲に現れては飛んで行き、それを繰り返す。


 発動までが一瞬で、尚且つ狙いも正確無比──フューリアはその光景に圧倒された。


 教頭はそれに対し、礫を手当たり次第に放っては、辛うじてそれを対処していく。当然、攻撃に転じられるだけの余裕はない。


 たったそれだけで、その一瞬で、最早勝敗は決したも同然だった。


「何だこの速度は──何だこの強度は──何なんだこの精度はッ! どうやったらこんな……、こんな!」


 それを理解出来ぬ教頭でもない──だからこそ、そんな怒号が地下通路に響いた。そして教頭は、「まさか」と呟いた。先ほど自身らを襲った『黄金』と、目の前のリュカの姿とが重なって見えたのだ。


 それに対しリュカは「必要だと思ったから身につけただけのものですよ」と、こともなげにそう言って、攻撃を続ける。氷柱の嵐への対処に慣れ始めてきた教頭の真横にメラメラと燃え盛る楕円形の炎を出現させた。


 教頭はまずいと判断し、魔力の消費などは度外視して、己を囲うような壁を作り出す。刹那、楕円から火炎が噴射された。リュカは攻撃を防がれると、壁の中の教頭のその足元を狙い、荊を突き出させる。


「何の……っ!」


 間一髪、それを回避した教頭が言う。肩で息をして、身体中汗まみれだったが、しかし慣れれば存外対処出来るものだと、内心自画自賛していた。


 が、そんな彼を前に、リュカは涼しい顔をして、攻撃を再開し始める。彼は一歩も動く事なく、多量の魔力を消費することもなく、それでいて教頭に全力を使わせていた。


 しかし。


「攻撃は、相手に反応されたら意味がない。相手に打ち払われたら意味がない。相手に当たらなければ意味がない──」


 彼はそこで言葉を切って、「だから」と言った。


「だから、これではどれだけ続けても意味はなさそうですね」


 そう言って、振り返る。


 攻撃は続けたまま──教頭をその場に縫い付けたまま──彼は普段通りの表情でフューリアを見た。


「王女。そう言えば、午前中、言ってましたよね」


「な、何を?」


「僕の全力も見てみたくはある──と」


 授業中、確かにそんなことを言ったのを、フューリアは思い出した。


「言ったけど……」


「どうです? 一撃で一切合切何もかも吹き飛ばしてご覧に入れましょうか?」


 彼は言う。


 フューリアは彼が何を言いたいのかを考え、すぐに答えに行きつくと、フッと笑い、口を開いた。


「──王女の名の下に命じます。その者は私を害そうとした逆賊です──どんな手を使ってでも討ちなさい」


 背負いきれない責任を背負うべきではないと、彼は言った。


 だったら。


「後のことは、私が責任持って処理するから。盛大にやってちょうだい」


「助かります」


 刹那。彼の纏う空気が、一瞬にして変化する。


 リュカは片足を文字通り地面に突き刺すと、大きく息を吸う──その瞬間、地中に含まれる魔力が、空気中を漂う魔力が、彼の元へと収斂し始め、大きな風を起こし始めた。


 そして右手を広げ、その掌の上に橙色の光を灯す──段々と、そして燦々と膨張していくそれは、火というよりは、炎というよりは、むしろ。


 昼間彼が指差した、あの黄金色の。


「太陽……?」


「太陽だと……?」


 奇しくも、フューリアと教頭の声が重なった。


「そんな力……そんな力が、あっていいわけないだろう!」


 教頭は叫んだ──それはまるで、狡い狡いと不平を訴える子供か何かの様だった。


 彼と──リュカ・リンカーネルと『黄金』が重なった? 否、先程の『黄金』など、これではまるで話にもならない。向こうは好戦的で殺すことに躊躇こそなかったものの、まともに相対するならあちらの方がまだマシだ──逃げてきた先でこんなものが待ち構えていると言うのなら、いっそそちらの方が。


「嘘……でしょ……」


 フューリアは顔を引き攣らせた。押し潰されかねない熱量、吐き気さえ催す圧倒的な威圧感、絶望的なまでの魔力量──どうあっても、人に向けるような物ではない。盛大にやれと言ったのは確かにフューリア自身だったが、まさかここまでとは。


 しかし、リュカは集中しているのか、そんな教頭の叫びは無視された。ドン引きするフューリアになど気付く由もない。


 教頭は諦めたような表情で首を左右に振ると、抗うことを止め、懐の魔道具を手にすると、一歩、二歩、三歩後退りし、そして体を勢いよく反転させて駆けだした。脱兎の如く、生き残るために走り出したのだった。


 正しい判断ではあったのだろう。そうするしかなかったという点では、最善手ではあったのだろう。


 しかしそれは残念ながら、その判断が適切なタイミングで為されていればの話である。


 そしてこの場合、彼のその判断は──。


「一……」


 リュカが数える。


 フューリアは逃げる教頭に手を向け、狙いを定め、魔法を放った。放たれた風の刃は、確かに教頭の右足首に命中し、それを切りつけた。当然、走り続けられるわけもなく、教頭は転ぶ。つんのめり、受け身もとれぬ体勢で派手に転び、顔面を勢いよく打ち付ける。


「二の……」


 リュカが数える。


 教頭は首を後ろに向け、足を切りつけられたことを認識する──それがフューリアの仕業であることも。しかしそれでも起き上ると、教頭は逃げようとする。先程までであれば激昂していたのだろうが、それさえしなかった──まるで獣のように、まさに豚のように、四つ足で逃げて行くだけだった。


 そして。


「──太陽(さん)っ!」


 リュカは数えた。


 巨大に膨れ上がった太陽は放たれ──


 教頭が振り向き、呑み込まれ──


 そして、一瞬の静寂。


 目も眩む金色の極光が奔り。


 遅れて、強烈な光が、爆音が、爆風が、熱気と共に二人の身体に叩きつけられた。


 △▼△▼△▼△


 轟音が鳴り響き、地面を揺らす。そして遠くで、巨大な黄金の火柱が上がった。


 真っ暗な王都が、真昼のように明るく照らされる──そしてまた元通り、暗くなっていく。


 それまで騒がしさに満ちていた王都の住人達だったが、その圧倒的な光景を前に、静けさを取り戻していた。


「リュカの方も終わったみたいね」


 サクラは仮面を外し、恍惚とした表情を、火柱の上った方へと向けていた。


「ですね……」


 アジサイが答える。彼女もまた、歓喜に打ち震えていた。


「こっちももう終わりそう?」


「はい。手筈通り進んでいれば、そろそろ戻って来る頃合いかと」


 ならいいわ──と、サクラは言った。


 サクラ達が用意した証拠類は、全てロンダリン伯爵が王都内に構えている屋敷と学園内の教頭室に残してきた。事が上手く運べば、此度の王都襲撃は全てロンダリン伯爵の私兵が行ったという事で片が付けられる事になる。


 王家としては今後、さぞ動きづらくなる事だろう──王室の強化のために利用しようとしていた貴族が内乱を起こしたという事実は、彼らの足を踏みとどまらせるいい材料となる。


『教会』と渡り合う為の力を付けるため、数代前から着々と、それも王国内の多くの貴族達にさえ気が付かせず進められてきた王室の強化。その判断自体はなるほど確かに賢明だと言えたが、しかし遅すぎる。


 今代になって焦りが見えたか、その動きは少しばかり加速しているようでもあるが、その証拠に、一部の人間が感づきつつあるが、動きばかりが性急になっただけで、まるで前に進んでいるようには見えない。小刻みに素早い動きで地団太を踏んでいるだけのようなものだ。


 やるなら慎重に。しかし大事なのは、慎重になり過ぎないことである。大胆に動くことを忘れてしまえば、目標は遠ざかるばかりなのだから。


 その点。


「ロンダリン伯爵──いえ、ここは敢えてイカンテと呼びましょうか。彼はなかなか大胆に動いたものよね。まぁ、ああして死んだわけだけれど」


「まさか彼自身がイカンテの座を引き継ぐことになるとは思っていませんでした」


「そうね。私も正直驚いてるわ」サクラは月を見上げて言った。「だからこそ、それすら見抜いていた彼に余計驚かされるんだけど」


「……正直、主様が怖くもあります」


「あら、どうして?」


「何もかもが見え過ぎている……と言いますか。だからこそ、一番近くの、何か大切なものを見落としてしまうのではないかと、そんなふうに思えてしまって」


「……見え過ぎている……ね」


 △▼△▼△▼△


「目が……、何も、見えない……」


 しばらくして、フューリアが目を開けると、そこでは、リュカが目をパチパチと開閉させながらブツブツと何かを呟く姿があった。


「あぁ……あ、あ、見え……見えた……」


 彼は短く息を吐き、そして一度爆発地点に目を向け、逸らした。フューリアの方に視線を向けると、リュカは早歩きに近づいてくる。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃ無いわよ」


 手を差し出されたので、フューリアはその手を取り、立ち上がった。少しばかりよろめいて、リュカに肩を支えられてしまった。


「その……助けてくれて、ありがと」


「助けてなんかいませんよ」


「助けたじゃない」


「どうせ、あの場にああして居合わせてしまった以上、どうにかしなければ僕にも余計な火の粉が降りかかることになっていたんでしょうから、それに対処したまでです」


「意味分かんない」


 フューリアはそう言って、「あ、そういえば」と言った。


「何でしょうか」


「あなた、外が大騒ぎだって言ってなかった?」


「……あぁ、えぇ、そうです。直接見たわけじゃありませんが、王都が襲撃を受けている……みたいな感じだったかと。爆発音は聞きました」


 リュカは言う。


 フューリアは考える──までもなく、一つの可能性を口にした。


「ねぇ。今の爆発もそれに数えられたりしない?」


「…………」


 リュカは爆発地点に再度目を向けた。


「……王女」


「まぁいいわよ。責任取るって言ったのは私だし」フューリアはズキズキとした痛みを感じながら、笑顔で言った。「……あ、そうだ。どうせならもうあいつの所為にしてしまえばいいのよ」


「教頭がやったことだと? そんなにうまくいきますか?」


「死人が一体どんな反論をすると言うの?」


「……なるほど。まぁ、確かに」


「だから、あなたはもう帰りなさい。これ以上ここにいたら何を言われるか分からないし」


「王女は帰らないんですか?」


「状況説明をする人間は必要でしょ。この怪我と合わせて、全部あいつの所為にしてやるから。いや、怪我はそもそもあいつの所為なんだけど」


「……そうですか。ならその怪我は、しばらくそのままの方が都合がよさそうですね」彼は伸ばし掛けた手を引っ込めて、呟いた。「見つからないうちに消えることにします」


「そうしなさい。事の顛末はまた話すから」


「はい。では」


 そう言って、リュカは振り返ることもなく、暗い通路の奥へと消えていく。彼女はそれを少しだけ、寂しそうな目で見つめていた。


 しかし根性で堪えていた痛みに襲われると、壁に寄りかかり、座り込んで患部を抑えた。そしてしばらくそこで待っていると、駆けつけてきた騎士達に保護され、その日は一先ず帰ることになった──貴族寮ではなく、王城へ。そこで大急ぎで怪我の治療を受けると、フューリアは糸が切れたように眠りについた。


 それからの二日間は、フューリアにとって激動であった。まず何があったのかを詳しく尋ねられ、彼女は頭の中で作り上げたストーリー通りにそれを説明した──リュカの前では王都の襲撃を含めてすべてを教頭の所為にしてやるなどと言っていた彼女だったが、流石にそれは無理があるだろうと、やや控えめに、その報告をしたのだった。


 それでももしかしたら食い違う部分が出てくるかもしれないと構えてはいたのだが、特に問い詰められることもなく、発言はそのまま受理された。それそのものは好都合だったものの、しかし都合がよすぎるということへの疑問が生まれないはずもない──なので、フューリアもそれとなく、王都で何が起こっていたのかなど、事情を尋ねていくことにした。


 この時から既に違和感はあったのだが、『今回の王都の襲撃は、ロンダリン伯爵の抱えていた私兵によるものであった』という驚くべき事実を聞かされて、フューリアは愕然とした。


 こんなことをして当然タダで済むはずもなく、すぐにでもお家のとり潰しが行われることになるとのことだったが、それと同時に、当事者死亡で婚約の話も白紙に戻るということになったが、そんなことは最早どうでもよかった。


 ──あの時冗談で言っていたことが、現実になってしまっている。


 とは言え、普段であれば、適当に言ったことがたまたま当たってしまっていた、という楽観的な思考で以て自分を納得させることも出来たのだろう──おかしなことを口走っていた教頭であったし、それくらいのことはしていても不思議ではなかったのだから、その時は自分の推理力を自画自賛でもしていたのかもしれない。


 しかし。


 それを示す証拠が各所から──それも、自身が一度漁った教頭室からも出て来たのだという話を聞かされてしまっては、事はそう単純な話ではないのではないかと考えるのに、時間は要らなかった。


 まるでお膳立てされた様に、全てが都合よく動いている。


 考え過ぎなのだろうか──いや、それならそれでいいのだ。


 しかし、そうでなかったとしたら──どういうことになるのか。


『教会』だとかイカンテだとかの、教頭の口から発せられていた、よく分からない単語。そして、自分の知らない権力構造を思わせる発言。この国の裏に、一体何があるのか。


 国王は──父親は、このことを知っているのだろうか。


 次期国王は──兄は、何か聞かされているのだろうか。


 何も知らずに生きてきた──そんな教頭の言葉が脳裏をよぎり、フューリアは眉間い皺を寄せて舌打ちをした。


 △▼△▼△▼△


 怪我はまだ完全には癒えていなかったが、フューリアは週が明けると、安静にしておくべきだという周囲の声を振り切り、学園へ登校していた。そしていつも通り、朝早く教室に到着すると、そこに彼はいた。


 窓の外──その奥に見える大きな穴を、彼は眺めているようだった。先日の事件の際、彼が開けてしまった穴である。


 巨大な大穴だが、あの爆発による事実上の被害は、今はほとんど使われることのない旧校舎の一部が崩落した程度の物だった。一般生徒が無暗に近付けないよう封鎖されているが、その周囲には野次馬の姿もちらほらと見られた。


 足音に気が付き、彼は振り返った。


「よく来られましたね。しばらくは安静にしてるものだと思ってましたが」


「そうしろとは言われたわよ。無視しただけ」


「怒られませんか?」


「さぁね」


 フューリアは言って、自分の席に荷物を置く。そしてリュカの方へと歩いて行き、その横に立った。


「気にしてるの?」


「まぁ……はい。改めて見てみると、被害が大きいなと思いまして」


「そう。私としてはスッキリしてる部分もあるけど。それに、教頭から取り上げた私財で旧校舎も建て直すみたいだし、気にすることもないと思うわよ」


「そういう問題でもないと思うんですが」彼は言って、小さく呟いた。「でもまぁ、それならよかった……」


 そして、「それからどうなりました?」と、彼は尋ねてきた。


「……色々とおかしな事件として処理されそうよ。あの爆発は……教頭の起こした不幸な事故──それは私があなたを庇うためにそう仕向けたんだけど、でも……」


「でも?」


「王都の襲撃も教頭の仕業ってことになってるのよ」


「はぁ。まぁ、そうなんじゃないですか? 王女を殺そうとしてたくらいですし」


「うぅん……それはそうなんだけど……」


 フューリアは言い淀む。


 教頭はあの時、早く王都から逃げなければならないというようなことを言っていた。


 王都の襲撃を企てたのが教頭だったとして、わざわざ逃げる必要があるのだろうか──巻き込まれる心配だってする必要はないのだから、後はあの地下通路にでも籠って時間が過ぎるのを待ち、事が終わったら被害者面をして出てくればよかったのではないか。


 それに、始めに地下通路で教頭と出くわした際、向こうは見るからに焦っていたし、急いでいる様子だった──しかし、自身が企てた王都の襲撃が行われて、焦って地上に戻ろうとする合理的な理由は思い浮かばない。


 襲撃の計画に何か予想外なことが起こり、それで慌てていたのか──もしそうだとしても疑問は残るし、それ自体は憶測に過ぎない。そう考えるくらいであれば、そもそも王都が騒ぎになること自体が予想外の出来事で、だからあのように慌てていたのではないかと考えるほうがまだ納得がいく。


「……証拠が多すぎるのよ。「この人を犯人ということにしてください」って、そう言ってるようにしか思えないほど、わんさか出て来たみたいで」


「……隠し方が杜撰だったのでは?」


「かもしれないわね。けど、ないわ。教頭室からもそれなりの数の証拠が出てるんだもの」


「王女が見逃した……とかではなく?」


「私だって結構頑張って探したのよ? 調べたらすぐに出てくるような場所に隠されてたって言うなら、私がそのうちの一つくらい見つけられてもいいでしょうに、それが出て来たのは全部後になってから。別に今更あいつを庇うつもりもないし、一族郎党皆死刑だって言うならそれ自体に興味はないけど、ただまぁ、おかしな事件だなって思ったのよ」


「王女以外はそう思わなかったんですか? こんなことを言うと失礼かもしれませんけど、王女がその辺の違和感を覚えるのなら、他の人間がそれを考慮しないとは思えないんですが」


 本当に失礼な──と思いつつ。


 フューリアは咳払いをしてから答えた。


「その辺の事情は、まぁ、分からないけど分かるわよ。今回の件は流石に誰かしらが死なないと決着がつかないんだろうから」溜息を吐き、続けた。「その辺を訝しんだとしても、都合よく証拠が出てきた以上、一先ずそれで手打ちにしておきたいと考えたんでしょ。当事者は既に死んでるし」


「皆考えることは同じなんですね」


「ま、今回の件の調査を本格的にするとなれば、その際には自分の懐を探られるかもしれないわけで、それを嫌がる人は多いわけだから、当然の結果ではあるわよ」


 フューリアは「だけど」と続けた。


「だからといって、疑問が消えるわけじゃない。なんというか、ちょうどいいから犯人に仕立て上げられてるだけで、別に動いていた存在がいるんじゃないかって、そう思うのよ──そうとしか、思えないのよ」


「へぇ。きな臭いですね」


「あんまり興味なさそうね」


「政治的な柵については、そうですね。自分や家族に何事もなければ、そういうことは勝手にやってくれればいいと思ってます」


「そ。大丈夫だったの? エレインや、あなたの家の商会は」


「えぇ。大丈夫そうでした。そのすぐ横の建物はぺしゃんこになってましたが」


「ふぅん。巻き込まれなくてよかったわね」


「もう十分巻き込まれてますよ」


「そういう意味じゃないわよ」


 フューリアは小さく笑い、ようやく本題を──今日あったら話そうと思っていたことを切り出した。


「まぁ、色々あったけど、これで当面の問題は解決したわ。だから、これを一番最初に言うべきだったんだろうけど……助けてくれてありがとう」


 フューリアはリュカの方に向き直り、そう言った。


 頭は下げなかったが、感情のこもった礼ではあった。


「助けてませんよ。助かったように思えてるかもしれませんが、王女は今後また別の婚約者を宛がわれるだけです。根本的な部分が何も解決してません」


「そうではあるんだけど。でも今回みたいなこともあったし、次を決めるにしても慎重にはなると思うのよ」


 予想通りのリュカの返答に、フューリアは苦笑してからそう言った。


「……かもしれませんが──でもまぁなんにせよ、よかったですね、おめでとうございます。この偽りの関係も、これでようやくおしまいですね」


「えぇ。それで、その」


「……?」


「どんな嘘も、言い続ければいつか本当になるって、言うじゃない?」


「さぁ。言うんですか? 僕はそうは思いませんけど。嘘は嘘です」


「言うのよ」軽く小突くように言った。「だから……その、私達の今の関係……噓から本当にしてみない? ……って」


「はぁ」リュカは生返事をして、それから間髪入れずに言った。「お断りします」


 フューリアは一瞬目を伏せ──微笑を作って、浮かべて、顔を上げた。


「そう言うと思った」


「…………」


「……なら何か無い? 今回協力してくれたことへのお礼として、何かしてほしい事とか」


「なら……ということは、この関係を続けることがお礼の一つとして候補にあったということですか」


「そうよ。本来であれば光栄なことだもの。で、何か無いの? 何でもいいわよ。何でも」


「そうですか……。まぁ、望むことがあるとすれば……姉やイリーナと仲良くしてあげて欲しい……ということくらいでしょうか」


「そんなことなの?」


「大事なことです」


「……そう。それは別に構わないけど」


 それだけか──と、残念に思い。


 顔を見せておかないといけないところがあるんだった──と、白々しく噓を吐き。


 フューリアは目尻を濡らしながら、それを誰も見られない場所に捨てに行くため、教室を後にしたのだった。

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