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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第謀話
52/70

052

 選択授業では、普段教室では見かけないような別のクラスの人間とも交流を持つことが出来るようになっているのだが──それを自分が積極的に活用しているかは別として──そうなるとやはり、王都の学園という場所は様々な人間の坩堝なのだなということを肌身で以て感じさせられる。


「──というわけなのですがどうでしょうか!」


 賢い人間、愚かな人間。


 明るい人間、暗い人間。


 真面目な人間、怠惰な人間。


 積極的な人間、消極的な人間。


 協力的な人間、独善的な人間。


 大らかな人間、短気な人間。


 気分のいい人間、陰湿な人間。


 普通の人間──そして。


「一緒に世界の真実を探りにいきませんか?」


 そして、変な人間。


「そう言われても……」


 頭のおかしな人間、様子のおかしな人間、言動のおかしな人間、発想のおかしな人間、主食がお菓子な人間──最後のは違うか。


 しかしまぁ、世の中色々とおかしな人間は多いわけだが、目の前の彼女は、果たしてその内のどれに分類しておくべきなのだろうか。


「世界は真実を覆い隠すためのヴェールなんです! 私達が見ている世界は偽りでしかなく、本当の世界はその内側にあるんです!」


「はぁ……そうですか」


「上はそれを隠してるんです。私達が世界の本当の姿を知ってしまわないように、嘘に嘘を塗り固めて隠し通してるんですよ」


「知ってしまわないように……」


「そうです。不都合な真実から、人々に目を背けさせているんです」


「具体的には誰が?」


「分かりません。きっと闇の世界の住人とかだと思います。歴史の陰で蠢く、秘密結社のような存在がいるんですよ!」


 敢えて分類分けするのであれば、この子はきっと陰謀論者半歩手前といったところなのだろう。


 ギリギリ戻ってこられそうな位置に入るものの、一歩──否、半歩間違えればあっという間に戻って来られなくなってしまうタイプの、危うい人間。


「……あのさ、何でもいいんだけど、その、動かないでくれない? 動かれると描けないんだけど」


「あっ……う、あ、ご、ごめんなさい……」


 彼女は名をニコレッタ・コレットという、エレインやイリーナと同じく美術の授業を選択している、別のクラスの生徒である。


 因みに、美術の授業というのは、これは別に存在する芸術の授業とは明確に分けられていて、芸術の授業は芸術に纏わる歴史などの教養を得るための座学メインの授業であるのに対し、この授業はどちらかというと実践的な、言うなれば前世の学校教育で行われていたような図画工作に近い授業である──とは言っても、前世のアレほど温い空気感でのほほんとやっているわけではないため、これはこれで大変なのだけれど。


 そんな美術の授業だったのだが、今日は二人一組になって互いの絵を描けという課題が与えられていた。必要な技法などについては既に教わっているので、今回はそれを実践していくという授業である。


 そして各々がペアを探す中、一人隅の方でオロオロとしている生徒がいたので、エレインにイリーナを任せると、自分はその人とペアを組むことにしたのだ。そこで初めてきちんと顔を見て、それが昨日穴の近くをうろついていた不審者であることに気が付いた。


 どこかで見た覚えがあるとは思っていたが、この授業だったらしい。ペアを組む授業というのは今回の授業が初めてだったので、見覚えはあれど気が付けない理由には合点がいった。


 ただ、自分が気が付いたと同時、向こうも同じことに気が付いたらしく、昨日あの場所に居たかどうかを尋ねられ、それに対して居たと返すと、そのことに関して、彼女の側からとある提案をされたというのが、先程の会話に至るまでの大雑把な経緯である。


 しかし彼女、話しかけるまでの様子とは打って変わって、一度話始めるとなかなか止まらない。それも内容が内容なので、正直相手しづらい。突然発狂したりするような話の通じない手合いではないので、そこだけは幸いなのだが、彼女が一人でいた理由は、それでなんとなく察せてしまったのだった。所謂コミュ障という奴なのだろう。コミュ障とは何も会話を増えてとする人間の実を指す言葉ではなく、反対に、相手との距離感を測り損ねて一気に詰めてしまうような人間も含めての言葉なのだ。そして彼女は両方の性質を併せ持っている。


「それで、どうでしょうか? 気になりませんか?」


「気になりませんかって言われても……」


「先日の件、ただの事故だということで発表が各所からなされていますが、おかしいと思いませんか?」


 と、ニコレッタは小声で言った。教室の隅の方なので、誰かに聞かれる心配はあまり必要ないとも思ったが。


「別に思わないけど……」


「おかしいんですよ。普段は同じ事件にもそれぞれ微妙に違う解釈や見解を示している新聞社達が、揃って同じことを言うなんて。それこそ判で押したように。これは絶対上からの検閲を受けたに決まってます」


「検閲自体は常に受けてるんじゃないの? 王政批判とかはしないし。まぁ、自主検閲だとは思うけど」


「そ、それは、そうですけど……でも、だからこそ、今回の件にはそのレベルの人間が関わってるに違いないんですよ!」


 というのも。


 昨日自分もあの場所にいたわけだが、彼女はそれを、自分があの穴について調べているのだと考えたらしい。それでやたら熱心に、先日の事故で出来た大穴に二人で這入ってみないか──というようなことを言ってきているのである。


 それも、そこに世界の闇が隠されていると信じて。


 無い──そんなものは無い。


 世界に闇はあるのかもしれないし、何もそこまでを否定したりはしないが、しかし少なくともあの穴とは関係がない──アレは爆発によって生じたエネルギーがあんな形で上に向かうとは思っていなかったどこかの愚か者に起因する、特に深い意味のない深い穴なのである。


「私達は真実を究明しなければならないんですよ!」


 などと言いだしたので、「私達……というと、他にも志を同じくする人がいるの?」と、気になって尋ねてみると、


「えっ、あ、いや、その……えっと……」


 彼女は急に眼をキョロキョロと慌ただしく動かし、口篭もり始めた──その反応を見て、勝手に仲間として数えられていたのだなということを察した。


 いや、始めから何となく分かっていたようなものではあったのだけれど、学園にはいろんな人間がいるわけなのだから、もしかしたら同類というか、近い考えの人間もいたりするのではないかと、一瞬思ったのである。


 思っただけだが。


「い、今は……! いませんけど……」


 今は──と。


 それを強調するように、彼女は付け加えた。


 学園とは言っても、ここには部活動や同好会のような物があるわけではないので、なかなか同じ趣味や考えの人間同士が集まるというのも難しそうではあるが、しかし仲間が出来る可能性がそれによって断たれたというわけでもないのだから、いつかはそういう相手も出来るのだろうが、どうなのだろう。


 そもそも、インターネットの無い時代、こういう人間はどのようにして集まっていたのだろう。そういったコミュニティはあったりもするのだろうが、そのコミュニティへの入り方などを宣伝する媒体がない。流石に新聞などで大々的に人を集めているのではなさそうだし、やはり人伝の紹介制なのだろうか。


 そうなるとどうしても非合法な組織としてのコミュニティになりそうなものだが……いや、実際それに近いのだろう──実のところがどうあれ、『既得権益を保持する層が意図的に真相を隠しているのだ』と考える人間は、得てして反政府的な思想に染まりやすい傾向にある。あるいは、反政府的な思想を持つ人間が、その手の考えの人間を引き込むために、そういったことを吹聴して回ることも。


 そして厄介なのは、そうして集められた人間達がフィルタリングバブルやエコーチェンバーを起こし、自身が持っている『もしかしたら間違っているかもしれない考え』を、それこそが真実であると信じて疑わなくなっていくところにある──もしそれが違うのではないかと心のどこかで感じていても、集団の中でそれが真実であると扱われているのなら、それに異を唱えることも難しくなってしまう──凡そまともな集団とは言えなくなるのだ。


 排斥されることを恐れ、いつしか己の考えを失くしていく。


 皆に迎合するため、真実を二の次にしてしまう──真実を追い求めていたはずの人間が。


 それは大衆とどう違うのだろう──今ある生活をそういうものだと認識して、受け入れて、曖昧さの中で誤魔化し誤魔化され、騙し騙され生きていくのと、何がどう違うというのか。


 自分からしてみれば、何も違わない。


 だから気を付けろというようなことは、以前サクラ達にも話したような気がする。変な勧誘を受けてもついて行ってはいけないという話をした時だったか。


「……訊きたいんだけど、究明してどうするの?」


「ど、どうする……って?」


「いや、さっき検閲されてるに決まってるみたいなこと言ってたから、真実とやらを知ったところで、結局世間にそれを公表することは出来ないと思うんだけど……どうするつもりなのかなって思って」


 筆を動かしつつ、言う。


 現実を突きつけ、言う。


「えっと……それは……」


「それに、検閲をしていたとして、緘口令なんかを敷いていたんだとして、だとすれば、向こうはあの穴の中に人が立ち入ることを許さないと思うんだけど。実際、昨日睨まれてたでしょ?」


「……で、でも、見張りも交代はするはずですし、時には眠気に負けて見張りが疎かになることもあると思うんです。その隙に忍び込めば……って」


「そこまでしたところで、でもやっぱり、知ったところでどうしようもない事なんでしょ?」


「そうですけど……! でも、今の世では無理でも、後の世では明らかに出来るかもしれないじゃないですか」


「なら後の世で調べて明らかにすればいい事なんじゃないの?」


「それは……でも……今調べておかないと、真相は闇の中に……」


「闇の中……ね」


「そ、そうです!」


「そうなるとどう不味いの?」


「え? いや、葬り去られたら、暴けなくなってしまうじゃないですか」


「でもさっき言ってたよね。闇の世界の住人がどうとか。だとすれば、どちらにせよその闇を暴かないといけないんじゃないの? 闇の中に真相が葬り去られたところで、それはどうせ暴くことになる闇なんじゃないの? 暴けないの?」


「…………」


「取り敢えず……課題、先に終わらせたら?」


「は、はい……」


 彼女はそれきり黙って、目線をキャンパスとこちらに交互に寄越しながら、筆を動かしていた。


 自分も同じようにしていたのだが、なかなか上手くいかなかった。人を人として認識した途端、絵が崩れ始めるのである。


 なので仕方がないと、彼女ではなく、目に映る総て──教室の風景を丸ごと描き上げた上で、不要なものを重ね塗りで消していき、何とか絵を完成させるに至った。どうしてこんな回りくどいことをしなければならないのか、自分自身よく分からない──何が起こっているのかは分かるのだが、原因が分からない──いや、分からないのは何もこれに限ったことではないので、別に構わないのか。


 そうして授業が終わると、自分はさっさと姿を消し、教室を後にした──ここで言う「姿を消し」というのは、言葉通り、文字通りの意味だ。


 光の屈折率を変え、自身の姿を周囲から視認出来ないようにし、逃げ出したのである。


 余計な話を持ち掛けられないように──と。


 廊下を歩く。


 そして、歩きながら考える。


 どう対処したものか。このままいくと、彼女、一人で警備の目をかいくぐり、あの穴の内部に侵入する可能性もあり得る。


 なので、本当の事を知っている……というか、当事者であり犯人でもある自分が、適当な理由を付けて彼女にそれを打ち明けて、適当なところで納得させて引かせるのが、本来であれば一番いいのだろう。ただ、それを素直に信じてもらえるものなのだろうかと言われると、正直、不安は残る──余計な疑心を生みかねないとなると、そう簡単に選ぶことの出来る手でもない。


 それに、自分が『真実の隠蔽に加担している』などと思われたが最後、何を言っても聞き入れてはもらえなくなるだろう──いや、それ自体は別にいいのだが、それでムキにさせ、不法侵入を助長してしまうのは問題だ──大問題である。


 既に自分は問題を起こした側なのだ。


 それがこうして少なからず影響を及ぼしてしまっていることを知ってしまった以上、次の選択は誤れない。


 かと言って、これといった手は、そうすぐには思いつかなさそうなのだった。


 △▼△▼△▼△


「さて。皆さんお集りでしょうかね。まさか、遅れている者がいるとは考えたくありませんが」


 その声は低く深い、やや篭った様なものであった。端的に言えば、不気味なのである。


 そんな声と共に現れたのは、全身をすっぽりと覆い尽くす、山型の赤い装束を身に纏った背の高い男である。燃え盛る炎を思わせるようなその装束には、目の部分に空いた二つの穴しかなく、その顔を見ることは叶わない。


 そしてそれはその男に限った話ではなく、その場に集まっていた全員に同じことが言えた。皆が赤い装束を着、その姿を隠していたのである。


 しかし、全員がまるで同じ格好をしているというわけではなく──肩の辺りの数字が、お互いを見分けることを可能にしていたのだった。


「ふむ。全員お集りになられているようで。安心しました」


 男は他の面々に対して片手を上げながら、部屋の中央にある円卓へと近寄る。そしてその男が座ると同時、その他の面々も遅れて席に着く。


 規律正しい動きで、その場を支配しているのが果たして誰なのかを明白にしていた──尤も、その光景が外部の目に晒されるようなことはないのだが。


「では、我ら『赫き烈火の集い』の、第五回目の意見交換を、始めるとしましょうか」


 男は片手を差し出し、その掌の上に炎を出現させ──深淵から響くような、怪しい声で告げる。


 そしてそのまま炎を握り潰すと、男は続けた。


「まず皆さんが気になっているであろう話題から──例の穴についてですが、あの下には何かあると見て間違い無いかと思われます。実際に内部の調査を行ったというわけではありませんが、穴の下にレンガのような物の存在を確認しました」


「おぉ……」


「それはつまり……」


「えぇ。本来明らかにされなければならない重大な事実が、何者かによって秘されている──そう考えるのが妥当かと」


「やはりそうだったか……」


「しかし一体あの場所に何が……」


「それを究明し明らかにすることこそが、我ら『赫き烈火の集い』の存在意義だろう──あの黄金の光の真実をな」


「そうだな。その通りだ。そしてその真実を公表し、世の人々を目覚めさせねばなりません」


「うむ。世界は正しさを失って久しい。それを取り戻し、そして二度とそれが失われぬよう、我々が導いていかなくては……」


 面々は口々に言う。


 そんな中、メンバーの一人が、中心人物とも言うべき男に問うた。


「しかし、場所が場所でもあります。王立魔法学園の敷地内ともなれば、下手には立ち入れないと思うのですが……その点、何か考えが?」


 男は少し間を開け、答える。


「そうですね。色々と考えてはいますが、しかしまだ固まりきってはいません」男は首を横に振った。そしてそれを止め、言葉を発する。「ですが、手っ取り早い手は、考えるまでもないと思いますよ」


「と言うと?」


「内部に味方を作る……これ以外にありますか?」


「侵入の手引きはつまり、その者に任せると言うことか……なるほど」


「我々だけでどうこうしようと考えるよりは、それを視野に入れるべきでしょう」


 男は言った。


 そして、そこからも各々が集めた情報の共有や、意見の交換などが行われていった。


 そうこうしていくうちに時間は過ぎ、どれくらいの時間が経っただろうか、皆の声に疲れが浮かび始めた頃、男は立ち上がり、短い挨拶の後、解散を宣言した。そこに次の日程や場所はまた追って知らせると付け加え、そして最後に、こう述べた。


「我々は真実を追い求める者──そして、人々を導く選ばれし者であるということを、努々、お忘れなきよう」


 △▼△▼△▼△


「……あなた、サンゴ?」


 屋敷の廊下を歩いていた謎の赤い物体を見かけたサクラは、恐る恐る近付くと、一か八か、当てずっぽうで尋ねた。


 するとそれは振り返り、「はい」と答え、やがて被っていた布を脱ぎ去ると、その素顔を表す。


「ただ今戻ったところです」


「そう……おかえり。その格好は何?」


 サンゴは手元の赤い布に目を遣ると、「作戦の前準備のための小道具ですよ」と言った。そして二人は歩きながら、話を続けることにした。


「前準備……その珍妙な恰好で?」


「えぇ。まぁ、馬鹿を相手にするのにはこれくらいがちょうど良かった、ということです」


「馬鹿?」


 サクラは、はてと首を傾げた。


「先日報告した件ですよ。調査のための陽動……暴徒を作るという、例の」


「あぁ、それのこと」思い出したように、彼女は言う。「ならその暴徒というのが、今言った、馬鹿な人間達ということ?」


「はい。まともな思考回路の人間は、結局のところ、ギリギリまで踏み込んだ行動をとりませんから。ですので、手っ取り早く暴徒を作ろうと思えば、それが一番かと思いまして」


「そうは言っても、そう簡単に集まるものなの?」


「簡単とは言いませんがね。しかし、事故や災難に巻き込まれたり、悲しみに暮れる人間はそういった物に傾倒しやすくなるみたいですし、それに、先日主が見せたあの黄金の光──アレが結構効いたようで。生憎と、困ってはいませんよ」


「そう。まぁ、綺麗な光だったものね。魅了される人間がいるのも無理はないわ」サクラは微笑んで言った。「……それで、順調そうなの?」


「順調……と言って、まぁ、いいのでしょう」


 サンゴは悩む素振りを見せたが、結局そう言った。


 どうせ自身の計画に失敗などはないのだから、別に構わないだろう──と、そう考えた結果である。


「とは言え、まだ完全に踏み切らせるには至っていませんが、それもこの短期間でのことだと思えば、おおむね順調です。ただの馬鹿はこの上なく扱いづらいですが、馬鹿なりに何かを考えようとする馬鹿は転がしやすくて助かります──こちらがそれらしいことを言えば自分で勝手に理由を考えて納得してくれるのですから」


「それは考えていると言えるの?」


「言えませんよ。考えた気になって満足しているだけの──救いようのない連中です」サンゴは冷たい声でそう言い切った。「まぁ、この際ですから、そういった連中を纏めて始末しておきたいという思いもあります。失う物が何も無い人間を変にのさばらせておけば、今後の計画で邪魔をしてこないとも限りませんしね」


 彼は眼鏡の奥の眼を鋭く光らせた。


「彼の言っていた、『変数』というやつかしら?」


「そうです。まぁ、放置しておいても、所詮は何の力も持たない有象無象──後でどうとでも出来てしまいそうではありますが……」


 しかし──と言って、彼は続けた。


「放置する理由がないのなら、今のうちに消してしまった方がいいでしょう?」


「それには同感ね。でも気を付けなさい。ミスは順調な時にしか起こらないのだから」


「勿論ですとも」


「……まぁ、そっちの計画が進んでいるのは分かったわ。西側での計画は順調そうなの?」


「そちらはまだ少し先になるかと。コハクと、そこにオリーブが加わったことで、魔物の駆除自体は前より進んでいるようですが、如何せん数が多いそうで」


「数が多い……ね」


 人手を増やせば解決するだろうか──そう考えて、サクラは内心、首を横に振る。人手の問題で解決するのなら言われずともそうしているはずだ。


 慢性的な人手不足が続いているとは言え、これに関しては現地の人間を動かすという手もある。計画の内容が露呈すれば問題だが、魔物狩りという名目で協力を募る分には、そこから本命の目的にまで到達されることはないだろう。


 しかしサンゴはそれもしていない。その理由は単純で、その辺の人間では使い物にならないからだ。コハク達が毎日せっせと駆除している魔物はただでさえ強力な上、空を飛び回る相手──それを狩ろうと思えば相当の実力を持った人手が複数必要となる……が、そう都合よく捕まえられる人材ではない。


「分布が広いというのもまた問題のようです。コハクは好きに移動出来ますが、オリーブはそうもいきませんし」


「魔法を使いこなせるタイプではないものね。腕力や膂力だけなら私にも迫ると言うのに」


「だからこそだと言えるのかもしれませんがね。私はいいと思いますよ──全てにおいて並程度よりは、何か一つのみに秀でている方がずっと」


 サンゴは眼鏡を軽く指で押し上げ、「それに、そういった人材を適切に配置するのは我々の役割ですしね」と言い、人差し指を立て、続けた。


「チェスと同じです。前衛から後衛まで、その全てをクイーンで染められるというわけではありませんから」


「クイーン……」サクラは小さく呟く。「そうしたいと思ってしまうのは、我儘かしらね」


 己の手札を全てクイーンで染めることが出来れば──と。


 そんな事をすれば、敵を一方的に蹂躙するだけの戦略も面白味も何もないゲームの出来上がりだが、しかしそれが実戦の場であれば、心強いことには変わりない。


 サンゴはそんな盤面を思い浮かべ、少し笑う。


「かもしれません──まぁ、便利な駒は多い方がいいと言うのには同意しますがね。しかしそうも言ってはいられませんし、だからと言ってクイーン単騎で相手に挑むわけにもいきませんから、その辺は妥協も必要でしょう」


「そうね。使い所さえ間違えなければいいだけの話なのだし」


「はい──まぁ、そういうわけですので、そちらについては、後は時間の問題かと。輸出用の食料も順調に集まっていますし、ルリはルリで使い捨ての私兵団を頑張って作っているようですから、問題も無いかと」


「私兵団ね……。変な事を考えなければいいけど」


「恐れずとも、所詮は寄せ集めのゴミですよ。作戦を遂行する上では多少役にも立ちますが」サンゴは言いつつ、顎に手を当てる。「ふむ……しかし、これが主の言っていた『リサイクル』というものなのでしょうか」


「『リユース』の方じゃない? どうせ事が済んだら適当に処分するんでしょうし」


「なるほど。ですが折角なら、何かその後にも有効活用が出来ればいいのですが……」


「無理でしょうね。それこそ、下手に生かせば余計な面倒事の種になるだけよ」


「その通りかもしれませんね……」


「それに、彼に差し出す世界の住人に、そんな連中は不要だわ」


 サクラはそこで立ち止まる。ちょうど、目的の部屋の前まで来ていたようだった。そこは事実上サクラの部屋と化したリュカの部屋である。


 サンゴの目的地はそこではないので、彼はそこで言葉を交わすと、そのまま歩いて行こうとして──立ち止まり、振り返った。


「ん、そう言えば」


 サクラはドアノブに伸ばした手を止めると、サンゴの方に視線を遣る。


「何?」


「この間、主から相談を受けたのですが……」


「相談? 私は何も聞いてないのだけど」


「あぁ、いえ、相談とは言ってもそんな重大なものではなく、チェス中の雑談の中で、ふと尋ねられたようなことですよ」


「……そう。それで、何?」


 一息置いて、サンゴは尋ねた。


「私は知りませんが、主の布団に香水でも掛けているのですか?」


「は? 香水?」


 サクラは首を傾げた。


「はい。たまに屋敷で眠ると、布団から甘い匂いがすると仰っていました」


「あぁ……」自分の服などに振りかけていた香水の匂いが移ったのだろうと、サクラは納得したように声を漏らす。「まぁ、そうだけど。それがどうしたの? 嫌いな匂いだとでも言ってた?」


 もしそうなのだとすれば重大な問題だった。


 布団に移った匂いはそれ即ちサクラ自身の匂いでもある。それを嫌がったとなると、早急に別のものを探すか、ヒスイに作らせる必要が出てくる。


 アジサイに借りるという手もあるが、こうなったらリュカの好みに合わせて一から作らせる方が確実だ──しかし、サンゴは首を横に振った。


「それ自体は別にいいんだそうです。嫌いじゃないと仰られていましたから」


「……へぇ」


 サクラはにやけそうになるのを抑えた。


「ですが、あまり掛け過ぎないようにはしておいた方がいいと思いますよ」


「掛け過ぎる……? そんなに掛けてないわよ?」


 そもそも布団に匂いが移っただけなのだとすれば、掛け過ぎるも何もない。


 サクラ自身が知らず知らずのうちに香水を振り過ぎているという可能性は確かに考えられたが、しかし、それなら誰かから指摘があってもおかしくはない。


「そうなのですか? 布団の中が湿っていることがあると仰ってましたから、恐らく、香水をかけた後、それを乾かさずに置いてしまっていることがあるのだろうと思ったのですが……」


「…………」


 その瞬間、サクラはその原因に思い至った。


 頬を紅潮させ、顔を背ける。


「……かも、しれないわね。まぁ、分かったわ。程々に……しておく」


「……? はぁ。それならいいのですが」


 サクラはドアノブを回し、ドアを開ける。


 そして体の前面を部屋に這入り込ませると、顔を見せぬまま、サクラは言った。


「私は少し寝るわ。あなたも特に急ぎの用がなければ、休息は取っておきなさい」


「そうですね。報告書を読むのは後ででも出来ますし、少し仮眠を取るとします。……では」


 サンゴは軽く頭を下げると、そのまま歩き去っていく。サクラは部屋へと這入り、ドアを閉めると、そのままベッドに飛び込んだ。


 飛び込んだが、サクラに眠気はない──いや、正確に言えば、先ほどまで少しばかりあった眠気が、今は吹き飛んで無くなっていたのである。


 それでも、彼女はうつ伏せになると、顔を布団に埋めた。


「甘い匂い……」


 ごろんと転がり仰向けになり、天井を見上げ、そのまま顔を窓の方へと傾ける。


 今日はよく晴れていた──布団を干すのには、お誂え向きと言えた。

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