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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第暴話
48/70

048

「これは……多分、感覚と言うか、慣れの問題でしかないから、発動までの魔力の動きを体に覚えさせればすぐだと思うよ」


 そう言うと、目の前の女生徒は、


「あとは数をこなすのみってことね! ありがとリュカ君!」


 と、手を振りながら去っていった。


 何も言わず、疲労困憊といった様子で肩を落とし、短く息を吐く者が一人。


 自分である。


 魔法の授業にて。


 王女が自分の所に色々尋ねに来るため、入学してすぐの頃は一人でその相手をしていたのだが、しかしその内、自分も自分もと考え始めた複数の生徒が、変なプライドの無いものから順に質問しに来るようになったため、自分はそういった彼らの相手をもするようになっていた。


 とは言え、本気で分からないのであればまず自分ではなく教師に訊ねに行くべきなので、これは恐らく、王女と交流する機会を窺っての事でもあるのだろう──いきなり王女に話しかけに行くのは難易度が高いが、自分を介せばそれも可能だと考えたらしい下級貴族や、自分と同じ平民の生徒が多い。


 そうでない者はやはり、平民如きに教えを乞うなど──という考え、あるいは思想に縛られているのだろう。それならそれで結構ではある。自分の考えを大切にすることは悪いことじゃない。どんな思想も筋さえ通せば立派なものなのだ。


 と言うかむしろ、そんな彼らまでもがこちらに殺到しようものなら、監督している教師がいよいよただのカカシでしかなくなってしまうため、是非ともその考えのままでいてもらいたい──なんて、隠すまでもない本音を晒すのであれば、現状既に手一杯でもあるし、何より彼らは不機嫌になるラインがてんで未知数なため、あまり相手したいとは思えないのだった。


 そして、今日も今日とて教わりにくる彼らの相手を順にしていき、先程の女生徒でようやくひと段落付いたところである。


 基礎能力はあるので、こちらの言うことをきちんと聞いてさえもらえるのなら、教えることはそこまで苦でもない。それも、王女が素直に教わっているのもあり、彼らが反発らしいことをすることもないので、その点についてはストレスフリーでもあったのだが、如何せん数が多い──疲労の原因はそこにあった。


「お疲れ。大人気ね」


 王女がニヤニヤとした表情のまま、労いの言葉を口にした。


「そう思うのなら、少しくらいは手伝ってくれてもよかったのでは?」


 心にも無いことを平然と口に出来る側の人間だということは分かっているのだが。


「私は教えるのには向いてないわよ。と言うか、あなたと同じことが出来るとは思えないし」


「そうですか? まぁそうかもしれませんね」


「否定をしなさいよ少しは」


「否定したじゃないですか」


「そういう意味じゃないわよ」


 全く──と、王女は言う。


 怒っているわけではないようである。


「ただ、教えられるかどうかはさておくとしても、話しかけてあげるくらいのことはしてもいいのでは?」


「何で?」


「何でって……まぁ、皆内心、こうして訊きに来る体で、王女と関われる機会を虎視眈々と狙ってるんでしょうし」


「そうでもないわよ? あなた、教え方が丁寧で分かり易いし、それに何より優しいから。確かに始めのうちはそう考えてたのもいるんでしょうけど、でも今は、教わるために教わりに来てるんだと思うわよ」


「そうでしょうか?」


「そうじゃなかったら、私とほとんど関われないことが分かった時点で諦めるでしょ」


「……どうでしょう」


 まだ粘っている段階なのでは、とも思うのだが。


「でも……あなたってそもそもこの授業を受ける必要はないのよね」


「と言うと?」


「初めから、教わるようなことが何も無いじゃない。それで何をしてるのかと思えば、常に誰かに教えてるだけ……。教員試験と入学試験を間違えたりでもしたの?」


 王女は言ってから、フフフと笑った。その笑いは共有出来なかったが、しかしその指摘自体は至極尤もであった。


「……確かにそれはそうでもあるんですけど……でも、全く身になっていないというわけでもありませんよ」


「そうなの?」


「まぁ……小さな学びがたまにあるくらい……ですけど」


 しかし小さいからと馬鹿には出来ない。


 学びなど、そもそも小さいものの積み重ねだ。


 得られる学びが常に大きいものだとは限らない──目に見えるものだとは限らないし、役に立つものだとも限らない。


 そしてそれは、実感出来るとも限らないのである。


「まぁそもそも、本当に何かを学びたければ、どこか別の学園を選んでますよ」


 そこまで言って、そういえばと、ふと疑問に思ったことを尋ねた。


「王女は何故ここに?」


「訊くまでもないでしょ。家の意向よ」


「自分の意志ではないんですね」


「そう。それに加えて例の件があったから、自ずとここになったんでしょ」


 例の件──というのは、婚約者の件のことを言っているのだろう。と言うか、それ以外にない。


「まぁ、元々魔法には覚えがあったっていうのもあるんだろうけど……」


 王女は「でも」と続けた。


「その方が都合がいいのだとしたら、私は今頃騎士学園にでも入れられてたんでしょうね」


「剣も会得してるんですか?」


「使えるわけないじゃない」王女は見せつけるようにして腕を伸ばした。「私の白い腕じゃ、剣なんか持ち上げられないわよ」


「え? でも以前、僕の事を窓の外に引き摺り出しましたよね」


「……引き摺るのと振り回すのとではまた別でしょ」


「でも今現在進行形で僕の事を振り回してますよね」


「意味が違うでしょ」


「……そうですか。その方が都合がいいと判断されたら、本人の資質などお構いなしなんですね」


「全く見ないということはないと願いたいけど──まぁ、見てないでしょうね。道具でしかないんだから」


 その端正な顔に、心の闇や陰鬱さをこれでもかと滲ませて、王女は嘲るように言い放った。


 どこか悲しげに。


 信じたくはないような顔で。


 しかし、本当に道具として見ていたのだとすれば、その個人の資質を無視するというのはおかしな話ではないだろうか──普通、その道具の適性などはきちんと確認するものだろう。


 ピーラーで肉は切れないし、鋏で木を切ることも出来はしない。肉を切ろうと思えば包丁が必要だし、木を切ろうと思えば鋸が必要になる。


 肉を切ってその後どう料理するか、木を切ってその後どう加工したいかというのは勿論あるのだろうが、いずれにせよ、まずはその道具が用途に適していなければ話にならない。


 だから少なくとも、王女は道具としてしか見られていないというわけでもないのだろう。


 とは言え、こんなことを言えば、この王女はきっと「なら私は道具以下ね」などと言うに違いない。


 彼女はひねているから。


 拗ねていると言うべきか。


「いや、道具の方がまだマシな扱い受けてるんじゃないかしら。なら私は道具以下ね」


「…………」


 自分が何も言わずとも勝手に同じ答えに行き着いてしまっているあたり、いやはや、流石としか言いようがない。


「何?」


「何でもありません」


 そう言うと、王女はつまらなそうに「そう」と言って、意味もなく、頭に手を乗せてきた。そしてぐりぐりと頭を揺らしてきた。王女はしばらくそうした後、手を引っ込めた。


 そしてそれについての説明も特にないまま、「暇ね」と呟いた。


「他の人が終わるまで、特にやることもないですしね」


「何かしなさいよ。私を楽しませなさい」


「我儘なお姫様みたいなこと言わないで下さいよ」


「みたいなって何よ。そのものでしょうが」


 王女は小さく笑って、「それにしても──」と言った。


「何でなのかしらね。もう既に課題は終わってるはずなのに、こうして何もせず立ってるだけで、罪悪感にも、焦燥感にも似た感情が湧いてくるのは」


 腕を組み、胸を張り、偉そうにも見える姿勢で、王女はそんなことを呟いた。


 実際偉い立場にいるのだが──これ少し前に同じこと言ったな。


「本来であれば高みの見物を決め込めるはずなんですけどね。まぁ結局、自分が多数派に属せていないと、どうしてもそう思えてしまうんじゃないですか?」


「多数派ね……そんなものかしらね」


「まぁ、事実とは別に、多数派でいると、何となく正しいような気がするんですよ」


 言ってから、「例えば」と、太陽を指差した。


「王女には、あの太陽がどう見えますか?」


「どう……? どうって?」


「太陽は朝から夜にかけて登っては沈んでいくものですが……、王女は太陽が動いていると思いますか? という意味です」


「そりゃ、ゆっくり動いてるんだと思うけど」


「それが多数派の意見です。事実かどうかは別として、皆そう言ってるし、何となくそんなものなんだろう、太陽が時間をかけて動いているんだろう──と、根拠もなく思えてしまう」


「どういうこと? 太陽が動いてるわけじゃないってこと?」


「それが少数派の意見です。そんなこと誰も言ってないし、違うだろう──って、不思議とそう感じてしまえる」


「……どちらも根拠は薄弱なのね」


「それ以外に判断材料がなければ、人は最後、数の多い方を信じるものですよ。同じ考えの仲間は多い方がいいですし、それに、勢い余って戦争にでもなったら、数の差がそのまま戦況を決めてしまうんですから」


「かもね……」何かを思いついたような顔をして、「いや、そうとも限らないわよ?」と、王女はそれを否定した。


「……?」


「私達二人とこの場のその他全員なら、多分こっち側が勝つわよ」


 と、王女は彼ら彼女らを指差した。


「それはまた極端な例ですけど……」


「とは言え、私が向こうに加わったとしても、結果は同じなんでしょうね。意味がないからやらないだけで、この場にいる全員蹴散らすなんて造作もないでしょ」


「確かに、負ける自分は想定出来ないかもしれませんね。想定出来ないだけなんでしょうけど」


 負けるのは大抵、想定外のことが起こった時だ──想定通りに事が運んで、その上で負けるのは、初めから実力差がハッキリしている場合のみだろう。


 そしてそんな相手に果敢に挑むような人間ではないので、そんなことは起こり得ない。


「全力も見てみたくはあるけど」


「別に見せびらかすための力でもありませんから」


 出来る事なら全力など、出さないでいられた方がいいのだろう──もしもの為の備えは無駄になるのが望ましい。警察は暇であるべきだし、自衛隊や軍も無駄飯喰らいであるべきで、災害用の備蓄食料は腐らせられるのが一番いいに決まっている。


 勿体ないような気もするが、それは致し方ないことだ。


「……そう言えば、これはただの興味本意なんですけど」


 話題を変えるべく、会話の途中で思ったことを尋ねることにした。


「王派閥と貴族派閥だったらどちらの方が数は多いんですか?」


「え?」一瞬、王女は拍子抜けしたような顔をした。「まぁ……多分王派閥だとは思うけど。でも現状、力関係では釣り合いがとれてるわね。おおよそ、そうなるように裏で仕組んでる連中がいるんでしょうけど」


「どちらかに傾きすぎないように……ということですか」


「そう。でも前にも説明した通り、お父様は王室を強化するために、その力関係を破壊しようとしてる。それ自体はどうでもいいけど、私を巻き込まないでほしいわね」


「別のところでやってる分にはいいと? 力関係が壊れたら国が荒れませんか?」


「荒れはするでしょうね。でも、破壊して、存分に荒らして、それを纏め上げられるくらいでなければ次へは進めないとでも思ってるんじゃないかしら」


「過渡期として受け入れるべきだ……ってことですか。確かに、巻き込まれる側からすれば溜まったものじゃないかもしれませんね」


 纏めることが出来ることを前提としているあたり、巻き込まれる側については本当に何も考えていないのかもしれない。


 いや、王女の話では分からないだけで、勝算があったりするのだろうか。


 それかあるいは、そう言ったものすべてを度外視してでもそうせざるを得ないような、何か理由でもあるのだろうか。


 単に国を発展させたいと思い、そのためには王家が強権を握る必要があるのだと考えたとしても、もう少しやりようはあるだろう──国を割りかねない暴挙に出る必要が、果たしてあるのか否か。


 そんな風に話をしていると、視界の奥の方から、何者かが歩いてくるのが見えた。


 顔や体形を見るに教頭で間違いないのだろうが、王女から聞こえた結構大きめの舌打ちからもそれは確信できるのだが、しかし以前見た教頭とは服装が大きく異なっていたので、はてと、首を傾げた。


「これは王女殿下、ご機嫌麗しゅうございます」


 教頭はそのまま王女の前までやってくると、恭しく挨拶をし、頭を下げた。


「そう見えるかしら」あからさまに不機嫌そうな態度を取り、王女は機先を制して刺しに行く。「それで、何か用?」


「別段用事があったわけではございませんが、まぁ、時間が空いたものですから、このクラスの様子を見に来たというわけです」


「そう」


「えぇ、えぇ。このクラスは他のクラスと比較しても生徒達の学習意欲が極めて高く、そして学んだ分だけ、きちんと伸びていますから。そういう生徒達は、見ていて気持ちがいいものです」


 教頭は大きく頷きつつ、そう言った。


 直感でしかないが、その言葉は別に噓や御託というわけでもないのだろうなと、そう思った。


「ただまぁ、その素晴らしい状態が、クラスを監督する教師の働きによるものではない、という点については、やや思う所もありますがね」


 教頭は後方、そこにいた教師に視線を向けた。気が付く様子もなく、他の生徒の相手をしていた。


「そうよ。リュカのお陰なの。私の恋人。話くらいは聞いてるんじゃないかしら」


 王女は自分の横にピタリとくっつき、腕を絡めとるようにしてそう言った。


 教頭は自分に視線を向け、それから王女に戻した。


「小耳には挟んでおりますよ。王女に歳下の、それも平民の恋人が出来たという話は」


「えぇ。私にはまだ正式な婚約者もいないのだし、こういうことが出来るのは今の内でしょう? 私、歳下が好みなのよ」


「なるほど。確かに、若い頃の時間というのは、過ぎ去ってしまえば取り返しがつかない貴重なものですからね」


 教頭はニヤリと、あまり爽やかさの感じられない、どちらかと言えば嫌な笑みを浮かべてこちらを見遣り、


「リュカ・リンカーネル、だったかね? まぁ、学園を卒業したらもう二度と手の届かない存在になるのだから、今のうちに楽しんでおくといい──色々と」


 と、うんうんと頷きながら、含みを持たせて言った。


 再び、王女の方から舌打ちが聞こえた。


「はぁ」


「ふん」思うような反応は得られなかったのか、教頭はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、再度王女に話しかけた。「学内では異性との交際を禁止しているわけでもありませんので、それについては特に私から申し上げることもございません。……ですが王女殿下、いつまでもそうしていられるわけでもない──ということは、理解しておられますかな?」


「さぁね。私、政治には興味ないの」


「興味の有無など、関係もないでしょうに」


 教頭にそう言われて。


 はっ──と、王女。


 嫌いなのは分かるが、いくらなんでも態度が露骨過ぎる。


 王女はそのあたり、はっきりしている──はっきりし過ぎていると言ってもいい。


 興味の有無など関係ないのが政治だと言われればそうなのだろうし、王女はその意思に関わらず関わることを余儀なくされるのだろうが、やはり向いていない。


 王家や周囲の貴族が王女を政治の道具として見ているのだとしても、道具としてしか見ていないのだとしても、やはり道具の適性はきちんと確認したほうがいいだろう。


「……教頭先生は、この後何かご用事でも?」


 空気が悪くなったあたりで、自分はそう尋ねた。


 すると教頭は、剣吞な視線をこちらに突き刺し、「……ん? どうしてそう思ったのかね」と、尋ね返してきた。


「どうして、と言われると、何となくそう感じた、というだけですが」


「何となくと思っていても、そう感じるに至った理由はあるはずだろう」


 そりゃそうだ──と、その質問に答えることにした。


「……以前お見受けした際と服装が違うというのが一番の理由ですが──」


 まずそもそもとして、学園の教員らは一目でそうだと分かるようなローブを羽織っており、色の違いでおおよその役職が分かるようになっている──言わばローマのトガのようなものだ。


 なので、そんなローブを脱いでいるというのは、先程の「時間が空いた」という発言と合わせると、「今は少し暇だが、この後もうすぐにでも学園を出て他の場所に行く。だからローブを着ている必要が無いのだ」と、そう言っているようなものだと考えることが出来る。


 それに何より、教頭の着ている服──遠目では分からなかったが、独特の色味に、艶。アレはかなり上等な素材を使ったものだ──名前は忘れたが、確か強力な魔物由来の糸だったはず。


 以前父親がそれを仕入れることに成功し、小躍りしていたような記憶がある──そんなに凄いのかと思っていたら、その後、コハクが雑に狩り殺してきた魔物の中に当該の魔物の姿があり、父親のあの喜びは一体何だったんだろうかと、首を傾げたことも覚えている。


 まぁ、それはいいとして。


 要するにそんな、商人が仕入れただけで大喜びするような服を、意味もなく見せびらかすためだけに着るとは思えない。だとすればやはり、それなりの場に出るための装いであると考えるのが普通だろう──学会か、表彰などの晴れ舞台か、あるいは貴族同士の集まりか、どういった場所に行くのかは不明だが。


 というようなことを説明した。


「……なるほど。何となくと言う割に……」教頭は乾燥しきった唇を軽く曲げた。「うむ。まぁ、概ねその通りだ──尤も、向かうのはもっと上の場だがね」


「あら。御前会議でもあるのかしら?」


「そうではございませんが……失礼、こればかりは王女殿下が相手でも詳しいことは話せませんので、ご容赦をば」


「そ。なら遅れないうちに行ったほうがいいんじゃない? 何があるか分からないんだから」


「かもしれませんね。では私はこの辺りで──あぁ、そうだ。最後に一つ、訊いてみてもいいかね、リュカ一年生」


「……? はい」


「魔法は好きかね?」


 どういう意味の質問なのだろう──そう思ったが。


「好きでも嫌いでもありません」首を横に振った。「必要だから身につける──ただそれだけです」


「そうか。まぁ、そうだろうな」


 そう言って、教頭は王女に礼をし、歩き去って行った。


 そして、姿が見えなくなるよりも前に、王女は三度目の舌打ちをした。


「あの、王女。舌打ちが多いです」


「……これはあれよ。投げキッスよ。恋人関係を強調するための」


 王女は投げやりに言った。


「はぁ。にしてはタイミングが的確ですね」


「自然としちゃうのよ。あなたが好きすぎて」


 言い換えれば、「自然としちゃうのよ。あいつが嫌いすぎて」といったところか。


「嫌いなら嫌いでそれは自由だと思うんですけど、もう少し隠したりしないんですか?」


「嫌ね」王女は即答した。「見たでしょ? あの下種な顔。何が色々楽しんどけよ。気持ち悪い。アレはああいう話を公然と、平然とするような最低の人間なの。少しだって好意的に接したくないわ」


「好意的に接することと最低限取り繕うことはまた別なんですけど」


「それすら嫌なの。言わなくても分かるでしょ」


「そうですか……。でも、今日どこかに用事があるみたいでしたよね」


「そうね。またとないチャンスよ。授業が終わったらすぐにでも動いて、あいつが帰ってきたところに悪事の証拠を突き付けてやるのよ」


 王女は得意げに、ふふんと鼻を鳴らして言った。


 もう既に悪事の証拠が出てくることは前提になってしまっている──いや、自分としても確かにその方が都合がいいのだが、あまり期待し過ぎて、何も出てこなかったからと不満をぶつけられては敵わない。


 なので、幸運くらいは祈っておくことにしよう。


 しかし誰にだ──神か?


 一応この世界のメジャーな宗教の神に、アマテューラとか言う名前の神がいたはずだが、それに祈っておけばいいのだろうか。祈願成就の御利益があればいいが。


「まぁ、見つかるといいですね」


「えぇ。そうしたら……」


 王女はそこで言葉を切った。


「……そうしたら?」


「いえ。何でもないわ」


 それきり、王女は目を背け、遠くを見たていた。


 そうこうしているうちに授業は終わり、午後になると、自分は荷物を纏め、教室を後にした。王女はこの後隙を窺いつつ動くとのことなので、終業後も教室に残っていた。


 明日明後日は休みなので、報告を聞けるのは三日後になるのだろう。


 自分は途中までエレインとイリーナを送っていくと、男子寮に向けて歩き始める。そして寮の部屋の鍵を開けると、そこでは、またしても忍び込んでいたらしいサクラが、せっせと部屋の掃除をしていたのだった。


「おかえり」


 サクラは一度手を止めこちらに寄ると、ドアの鍵を掛けていた自分から、荷物と羽織っていたローブを回収した。


「ただいま。掃除なんかよかったのに」


「もう授業が終わった頃だろうと思って来てみたら、少し早かったのよ。それで暇になったから掃除してただけ」


「そっか。ありがと」


「ふふ」サクラは小さく微笑み、そして神妙な表情で、話を変えた。「……それで? 王女様との恋人ごっこは順調?」


「……知ってたんだ。偽装って」


「当然でしょ」


 サクラは嘆息し、それからベッドに座り込んだ。空気の抜けた風船がしぼんでいく様によく似ていた。


「普通に考えて、あなたにはあの王女と付き合うだけの理由なんてないじゃない。まぁ、周囲からすれば、王女のほんの気まぐれ程度に映ってるんでしょうけど」


「だろうね……」


 自分がどういう人間かを知っているサクラなら、確かに、見抜けてしまうのかもしれなかった。


「因みに、どこまで知ってるの?」


「大体のことは把握してるわ──目的も含めて、ね」


「そっか」


 どうしてそっちまで知られているのだろうか──そう思ったが、もはや今更な事でもあるので、特に追及もせず、鷹揚に頷いた。


 それで──と、サクラは足を組んで言った。


「いつ動くつもりなの?」


 鋭い──


 研がれたばかりの刃物のような──


 そんな目をして。


「──今日だよ」


 だから少し、こちらも真面目に答えた。答えさせられたと言うべきか。


 いや、別にこんな会話、真面目にしようがふざけてしようが、何も変わらないのだけれど。


 実際に動くのは王女でしかないのだし。


「きょ、今日……?」


「そう。あの教頭が、今日……多分今夜とかなんだろうけど、用事があるみたいでさ。まぁ、動くなら今日だよねってことで」


「用事……なるほど、そういうことね」


 一人で納得した様子を見せると、サクラは徐に立ち上がった。緩慢な動きで、という意味である。


 そしてゲートを開いた。


「そろそろ戻るわね」


「もう? ゆっくりしていけばいいのに」


「そうしたいところだけど、やらなきゃいけないこともあるから」


 忙しい合間を縫って会いにきてくれていたのか。それ自体は嬉しいことなのかもしれないが、また無理をしているのではと思えてしまう。


「だから、それが終わったら……また王都内でデートでもしましょ」


「分かった」


 そう返事をすると、サクラは一瞬目を見開き、そして微笑み、ゲートの中に這入ろうとして、足を止めた。


「そっちは──任せたわよ」


 そう言って、サクラはゲートの中に溶けていった。


「任せた……任せた……?」何のことか分からず周囲を見回す。「あ、掃除の続きか」


 △▼△▼△▼△


「あ、サクラ様」


 屋敷の玄関にゲートが出現すると、それを見つけたアジサイがそれに駆け寄り、出てきたサクラを出迎えた。


「アジサイ。今すぐ全員を集めなさい」


 サクラはゲートから出てくるなり、そう言って足速に歩き始める。アジサイはその少し後ろについていきながら、何事かと尋ねた。


「今日、ロンダリン伯爵は奴らと接触する。リュカはそう言っていたわ」


「なっ……」


 アジサイは言葉を失う。


 イカンテ派の大部分が崩壊してしばらくが経過した今、その埋め合わせをするための会合は、いずれどこかのタイミングで行われることになる──そこまではアジサイ達も把握していたことだったが、しかしその具体的な日付や会合が行われる場所までは突き止めることが出来ず、目下調査中だったのだ。


 しかしアジサイの主であるリュカは、それをここ数日のうちに突き止めてしまったというのだ。


 心の臓を直接掴まれ、揺さぶられたような気分にさせられたのだった。


「それで全員を……」


「えぇ。もうこうなった以上、末端の連中を見逃しておく必要もないじゃない?」


「各地の拠点に一気に攻勢をかける……ということですか」


「そう。それに彼も直接動く。だから今回の作戦に失敗は無い。あるのはただ絶対の勝利だと知りなさい」


「……! はいっ!」


 アジサイが返事をすると、サクラは立ち止まった。サクラの私室の前である。サクラはドアに手をかけ、アジサイに振り向く。


「私はコハク達を呼び戻しに行くから、さっき言った通り、全員を集めて用意を済ませておいて。いつも通り、サンゴに全体指揮をとってもらうから、それも伝えておいてくれる?」


「かしこまりました」


 返事をして、アジサイは駆けて行く。


 サクラは部屋に這入ると、リュカと会うために三時間かけて選んだ服を脱ぎ去り、汚れてもいい適当な服に着替えていく──これもまた後で着替えなければならなくなるが、遠出している面々を呼び戻すだけなら格好自体はなんでもいい。


 サクラは念の為に剣を持つと、またしてもゲートを開き、コハクがいるであろう王国西部地方へと向かったのだった。


 △▼△▼△▼△


「リュカ・リンカーネル……か。概ね事情は聞かされ協力を強いられているだけなのだろうが……」


 ロンダリン伯爵は教頭室へと、のそのそとでも言い表すに相応しい動きで向かって行く。


 そしてその道中呟いたのは、つい先ほど言葉を交わした一人の生徒についての事。


 彼の名はリュカ・リンカーネル。平民にしては珍しく十二歳という年齢で早くも王立魔法学園への入学を果たした見所のある人間だったが、しかしロンダリン伯爵からすれば、リンカーネル商会そのものや、彼の姉であるエレイン・リンカーネルの方にばかり目を向けていたため、あまり注視出来ていない人間でもあった。尤も、当のエレイン・リンカーネルはロンダリン伯爵が苦手とする『詐術師』や『癒術師』が既に目を付け、牽制をされている状態でもあるので、そうおいそれと手が出せる相手でもないのだが。


 そんなロンダリン伯爵がリュカについても気を払うようになったのは、少し前に突如として流れ始めた、第五王女に恋人が出来たという話が出て来て以降のことだった。第五王女の悪足掻きについては、それが意味の無い悪足掻きで終わることが確定しているため、特段これといった対策をするつもりもなかったのだが、彼は少し警戒する必要があると、直感でしかなかったが確信出来た。


 あれを年相応の子供だと侮ることは出来ない──盤上に置いたままにするにはあまりにも危険な存在だと言えた。


 何がロンダリン伯爵にそう思わせるのかは甚だ不明だが、しかしこういった直感は馬鹿に出来ない。これまで数多くの修羅場を潜ってきたからこそ感じることの出来る恐怖なのだった。


「だがまぁ……今はそれどころではないのだし、そも、敵対的な行動に出る様子もないのだから、放置するしかあるまい」


 そう首を横に振りつつ、ロンダリン伯爵は部屋のドアを開ける。


 そして数歩進むと、彼は振り返った。


「計画は今夜だ」


 そこに並んでいたのは、刀身の長い剣を両手に携えた、イカンテ派の精鋭達。白い装束を身に纏い、顔を隠すように垂らされた布には『教会』を示す紋様が描かれている。彼らはこれから、自らの派閥の長であるイカンテを葬る者達だった。


「もはやあれに、派閥を纏め上げるだけの力は無い。このままでは他派閥に、そして我らの牙城を崩さんとする敵共にいいようにされるのが目に見えている。ならば、この私がその席を貰い受け、奴にはその責を負ってもらうしかあるまい──」


 ロンダリン伯爵はクツクツと嗤った──この計画の成功を確信して。

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