表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
滅界の花嫁  作者: アブ信者
第暴話
47/70

047

 正式に、というのはつまり、偽装だということを伏せ、それを周囲に公表した状態である、ということをまず前置きしておく。


 正式に王女と交際を始めてから二週間ほど、学園内で度々交流をする場面を周囲に見せつけ、それが事実であるということを周囲に定着させつつ、それ以上の意味を持たない生活を続けていた。一度編んでみせた髪型が気に入ったのか、朝早く教室に来て髪をセットするよう命令されたものの、それ以外は特に何も変わらずである。


 周囲の、主に貴族生徒からの妬み嫉みや反感は当然のように存在していたのだが、しかし相手が王女である以上下手なことも出来ないのか、現状、直接何かを言ってきたりしてきたりする者はいない。自分が普段一緒にいるエレインやイリーナ、ユージーンやミルコの方にその余波のような物が行ってしまっているのではないかとも思っていたのだが、そんなこともなかった。王女がエレイン達にも話しかけに行ったりしていたので、それによるところが大きいのかもしれない。


 無論、これからそういう行動に出る者がいないとも限らないため、一応警戒は続けなければならないし、もしそういう手合いがいるのなら必要な手は講じなければならないということは、相変わらずなのだが。


 しかし、一応は平穏な日々を送っている。


 平穏かどうかも分からないが。


 平穏が何かも分からないが。


 そして今日は、授業の終わった放課後に、王女に連れられるがまま、王都の町中へと繰り出していた。


 これももう既に五、六回目になるのだろうか。


 初めはあまりに危険だということを訴えもしたのだが、「私たち二人を相手にして何か出来るような人間がいるような場所にはいかないわよ」と言われてしまうと、彼女をそれ以上説得出来るだけの言葉は出てこなかった──いや、勿論本気で説得しようと思えばそれらしい言葉はいくらでも出て来たのだが、しかしそもそもこの交際が周囲にアピールするためのものであるのだということを考えると、危険も承知でそれをしようとしている王女を止めようとは思えなかったのだ。


 それに、何かされそうになれば返り討ちにすればいいのだし、王女がいる以上、それは名実ともに正当な防衛となる。法律が盾になってくれるので、過剰防衛を恐れる心配もない。


 と言うかそもそもの話、街では衛士が巡回して見回りをしているので、中世のような世界とは言え、そこまで治安は悪くない。悪いところへ行けばとことん悪いというのはその通りなのだが、それを言い始めれば前世の東京だって同じことではあったので、感覚としてはそう変わらないのだ。


 どうでもいい話だが、そう言った経緯があっての事である。間違っても、王女の不用心極まる提案に、二つ返事で首を縦に振ったわけではない。


「おいしいわね、これ。初めて食べたけど」


 道中屋台で購入した軽食を食べ終えた王女は、口元を拭い、そう言った。


 感覚としては肉まんなどに近いものなのだが、肉を包んでいるのは蒸し饅頭ではなくただのパンなので、口の中が少しモサモサとする。美味しいか不味いかで言えば美味しくはあるのだが、しかし比べてしまうとどうしても劣る。


 肉まん、屋敷に帰ったら作れるかどうか試してみようか。


「これまで食べたことなかったんですか?」


「えぇ。だってこれ、働いてる人間が手っ取り早く食事を済ませるための物でしょう?」


 言いながら、王女は当然のようにゴミを押し付けると、手をぱんぱんと払う。


「まぁ確かに、炭水化物とタンパク質だから、そういう層の需要には応えてるのか……」


「たんす……? よく分からないけど、普段出てくるようなものじゃないわね」


 王宮でこれが出てくる光景と言うのは、確かに想像がしづらい──それ一枚で金貨数枚もするような皿の上に、肉まん擬きが載っている光景と言うのは。


 それに、出されたところでそこまで美味しくはないのかもしれない。勿論、王宮で雇われるような人間だから、こういった物も作れと言われれば作ることは出来るのだろう──しかし、普段王都の街で他の屋台相手に鎬を削り、労働者達に売れるようにとことん適応していったそれらに、高い食材を使ってお高く留まった料理だけを作り続けている料理人が作ったそれが勝るとは思わない。


 どちらが上というよりは、単に分野の違いなのだろうが。


 王女は立ち上がると、制服をはたき、歩き出した。自分は王女から押し付けられたゴミを手元で燃やすと、その横に着く。


「これまで王都を散策したことは?」


「あるわけないじゃない。生まれてこの方、鳥かごの中の小鳥よ」


「小鳥……」


 もう小鳥ではないだろう──そんなことを言ってギロチンの刃を落とされても敵わないので、そう復唱するだけに留めた。


「まぁ、一応こうして外に出る許可は出たわけだけど。それでも──飛べはしない」


 王女は言う──どこか遠くを見て。


「……そうですか」


 飛べるとしたら、飛ぶのだろうか。


 飛んだとして、どこへ行くのだろうか。


 今の彼女では三階あたりの窓から飛び出して、そのまま地面に向かって落ちて行きそうだ。


 そんな事を思った。


「あ、猫」


 近くに猫を見つけ、恐る恐る近付いていく王女。


 猫は人間に慣れているのか、一度顔を上げてこちらを一瞥したものの、すぐにまた寝始めた。


 王女はすぐ近くまで寄ると、ゆっくりと手を伸ばし、猫の頭を撫でる。


「可愛いわよね、猫って」


「見る人によると思いますよ」


「つまらないこと言うわね」


「でも、王女は僕がどんなにつまらない人生を送っていても、常にその下にいてくれるんですよね?」


「そういえばそんなことも言ったわね……。けど流石に限度があるわよ」


「そうですか……ならどう返すのがこの場合には適切なんですか?」


「どうって……そりゃ……うーん……」


「ないんですか? 具体的な答えを持ち合わせていないのにつまらないだのなんだの言ったってことですか?」


「止めなさいその言い方。ある。あるから。すぐに出てこないだけで」


「すぐに出てこないようなものをあると言い張られても困るのですが……」


「うるさい」王女は猫を撫でる手を止め、こちらをキッと睨む。「……あ、逃げちゃった」


 猫が逃げて行くのを眺め、「あなたの所為よ」と言い、再び歩き出す。


 歩きながらも彼女は、「絶対あるから。見てなさい……」云々と、ぶつくさ呟いていた。


 そんなに言うなら、何かあるのだろう。多分、振り上げた拳を下ろせなくなっただけだとは思うのだが。


「それにしても、街の人も慣れてきてる感じはしますね。一国の王女が街中を出歩いてることに」


「私だからでしょ。そもそもあんまり表に顔を出してこなかったし。これが第一王子や第一王女なら大騒ぎよ」


「あぁ……第五王女だから慣れるのも一瞬だったと?」


「そうよ。それに、王族とは言え、私なんか、扱いとしてはその辺の貴族の子女とほとんど変わらないもの。王都の住人はそんなの見飽きてるんだから、当然の帰結よ」


 その辺の貴族の令息令嬢とはまた違うのだろうが。


「そんなものなんですね」


 と、静かに言う。


「そんなものよ」


 と、王女も静かに言う。


「そういえば、調査……というか、あっちの方は順調なんですか? あんまりのんびりもしていられないとは思いますけど」


「順調……とは、言えないかもしれないわね。けど、やるべきことはやってるつもりよ」


「こんなこと言うのも何なんですけど、どうやって調べるつもりでいるんですか?」


「学園の中に教頭の私室があるでしょ?」


「そうなんですか?」


「あるのよ。だから隙をついてそこに忍び込んでやるつもり。そこにあるもの根こそぎ奪い尽くせば、悪事の証拠の一つや二つ、出てきてくれてもいいでしょ」


「それ願望じゃないですか?」


「希望よ。私にとっての、一縷の望み。そこで出てきてくれなきゃ、次は王都内にあるあいつの屋敷にまで行かなきゃなんだから」


「屋敷ですか。そんなところにありますかね?」


「どういうこと?」


「いや、そんな出てきたら言い逃れの出来ないような場所に隠すものなのか、と思いまして」


「別の、見つからないような場所に隠してるんじゃないかってこと?」


「見つからないような場所っていうのもそうですけど、もし見つかっても自分との関わりを疑われない場所……と言うんでしょうか。そういう場所に隠す物じゃないのかなと」


「善人の発想ね。本物の悪事を働いたことのない人間の考えよ」


「……?」


「悪事を働いているという自覚があるからこそ、そういうものは手元に置いておきたくなるのよ。目の届かないところにあるのが一番不安だし、誰かに預けるなんてもっての外。弱みを握られたのと一緒だから。結局人間、自分以上に信じられる相手なんかいないのよ」


 そうなのだろうか。


 そうなのかもしれない。


 秘めたる思いは胸の内、秘すべき悪事はその手の内に──人は不安がる生物だから、リスクよりも安心を求めてしまうのかもしれない。


 誰にも明かさなければ、どこにも手放さなければ。


 それで秘密は守られたと思ってしまうのかもしれない。


「王女はあるんですか?」


「私じゃないわよ」


 失礼ね──と、王女は鼻で笑いながら言った。


「王宮だとか貴族社会にはそういう人間が多いという話よ」


「なるほど」


 朱に染まれば赤になる、なんて言葉が脳裏に浮かんだが、口にはしなかった。


 王女は歩いていく──初めはあてもなくただ歩いているだけかと思っていたのだが、道の選び方からして、その足取りは、明確にどこかを目指しているようだった。


 どこを目指して歩いているのだろうか──そう思い、辺りを見回す。


 以前王都を散策した時には、この辺りには特に何もなかったのだが、自分が知らないだけで、何かあったりするのだろうか。


 そして、ふと視線を上に向けて、「もしかして」と呟いた。


「あの時計塔に行こうとしてます?」


 時計塔。


 王都の中心──というわけでもないが、そこには王都のシンボル的な建造物として、それなりに高い塔が建てられている。


 外観としては、ビッグ・ベンよりももう少し簡素な造りをしていて、その最上には東西南北の四面に巨大な時計盤が、そしてその少し下には、塔を囲う様にして、バルコニーらしきものがくっついている。


 内側には鐘でも設置されているのか、特定の時間になるとその音が聞こえてくるのである。


「やっと気が付いた?」


「気が付くまで待ってたんですか?」


「別に。言ってみただけ」


「はぁ。けど、這入れるんですか? 一応人が立ち入れそうな造りにはなってますけど、でもああいうのって点検のために這入れるようにしてるだけですよね?」


「まぁ、そうね。そうでもなければ、今頃はカップルでごった返しているでしょうし」


「なら……」と、言いかけて気がつき、言葉を切る。「あぁ、なるほど。そういう所では王女の立場を使うんですね」


「その言い方やめてくれない?」


 王女は立ち止まり、鋭い目つきでこちらを見遣った。


「事実じゃないですか」


「事実だからと何でもかんでも口にしていいわけではないでしょ」


「それはそうですが」


 事実は人を傷つける。


 正論は人を傷つける。


 しかし気を遣われても人は傷つく。


 何もなくても人は傷つく。


「自分でも分かってはいるのよ。この立場を嫌がりながら、この立場故の恩恵を存分に受けてることは。でもどうしようもないのよ。これが当たり前だったから」


「…………」


 人は一度上げた生活水準を下げることなど出来はしない。


 一度それが当たり前になってしまえば、上げることは出来ても下げることは出来ないのだ──突然大金を得た人間は破産し易いなどとは言うものだが、その理由の多くはここにあると言ってもいい。


 大金を得て生活の質を上げたとしても、当然、経済的にその生活の意地が不可能だと判断したら、そんな生活も早々に手放さなければならない、維持可能なレベルの生活水準にしなければならない。それが普通だ。


 しかし人は、便利な暮らし、贅沢な食事、それらを簡単に手放せない。その生活に自分が順応出来るか不安だからだ。


 それでも、貧しい暮らしを身をもって知っていれば、「あの時よりはマシ」と考え、手放すことは出来るのかもしれない。それだって苦渋の決断になるのかもしれないが、背に腹は代えられないと思えるかもしれない。


 しかし王女は、そもそも貧しい暮らしを知らない。生まれた時からこの国の天辺にいる。


 そんな人間が、今ある当たり前を、そう簡単に手放せるとは思えない。


 いくら自分の立場を嫌がったとしても、その立場が彼女を逃がしてはくれない。


 生まれた時点で一蓮托生なのだ。


「まぁ、かもしれませんね」


「分かればいいのよ」


「でも、それをどうしようもないで諦められるなら、婚姻だってそういうものだと諦められたんじゃないんですか?」


「……それとこれとは別よ」


「同じでは? どちらも立場に起因してるんですから」


「感情的に別なのよ」


「感情ですか」


「感情よ。大事でしょ?」


 有無を言わさぬ圧を感じたので、「ですね」と、あくまで適当に返事をした。


 それから数分程、他愛もない話をしながら歩いて行くと、開けた空間に出た──時計塔の足元ともいうべきこの場所は大きな広場になっており、昼過ぎのこの時間はそれなりに人の姿が見られる。


 王女の事を知っている人も何人かはいたようだが、そこまでの騒ぎになることもなく、自分は王女に連れられるがまま、時計塔の方へと歩いて行った。


 果たして本当に中に入れてもらえるのだろうか──そう思っていたのだが、流れるように扉は開かれた。


 事故が起こってはいけないからと、管理をしている人間が一人途中まで同行したが、特にそんなことも起こりはせず、ややあって、無事に最上まで辿り着いた──尤も、内部は明かりもしっかり灯っており、空気の入れ替えもきちんとされていたので足元にカビが生えているということもなく、階段の内側には壁のような鉄柵が張られていたため、よほどのことが無ければ転落事故など起こりはしないのだろうが。


 あるとすれば、足を踏み外して倒れるか──あるいは意図的に、殺意を持って突き落とすかくらいのものだろう。


 ふむ。疑われていたのだろうか。


「高いですね」


 バルコニーに出ると、手すりに近付いて王都を一望し、呟いた。


 それに対し、王女は一瞬目を見開いたが、スンと、すぐに元の表情に戻った。


「これを見た感想がそれなのね。他にはないの?」


「そうは言いましても。こういう人間ですから」


 こういう感性なのだ。


 それにそもそも、東京タワーだとかスカイツリーだとかをはじめ、前世でもこういった景色を見ることは何度かあったのだ──とは言え、東京などとは街並みも何もかも違うので、全く目新しさが無いかと言われればまた違うのだが、しかし既にこの王都で生活し始めてしばらく経つ──なので正直、もう慣れてしまっているところがある。


 王都に来た初日であればもう少し何かを感じることもあったのかもしれないが──いや、自分の事だ、それがいつかに関わらず、同じような感想しか抱かなかったに違いない。自分の事だから信頼出来る。他の部分では全く信用出来ない自分という存在だが、しかしその辺は信じられる。


「知ってる。だから連れて来たの」


 王女はよく分からないことを言った。


「つまらない感想を引き出すためにですか?」


「えぇ。私が間違ってるわけじゃないってことを確かめるために」


 そう言ってから、話し始めた。


「私ね、ここに来るの自体は初めてじゃないのよ」


「そうなんですか?」


「そう。お父様と、それから兄様姉様達と。何年前だったかは忘れたけど、今のあなたよりも小さい頃に来たことがあるのよ」


「はぁ」


「その時は背丈も足りないからお父様が抱きかかえてくれてね。大体これくらいの視点で、今みたいに王都を一望したのよ」


 確かこの方角だったと思うんだけど──と、王女は小さく独り言ちた。


「けど、そこからこの景色……今とは多分少し違ってたと思うんだけど、それを見て、何も思わなかった」


「高いところが怖かった……とかじゃなくてですか?」


 尋ねると、王女は首を横に振った。


「高いところが怖いと思ったことはないわよ。というか、それも含めて、何も思わなかったのよ」


「そう……ですか……」


「そうしたら、お父様は私がこの景色を見て喜んだり感動したりするものだと思ってたみたいで──多分それは兄様達がそうだったからなんでしょうけど──変な顔をされたのよ」


「…………」


「まぁ、こんなの、小さい頃のなんてことない記憶の一つでしかないんでしょうけど、どうしても記憶に残り続けてるのよね。後生大事に抱えるような思い出でもないはずなのに」


「それで……僕をここに連れて来たんですか」


「そう。あなたなら、この景色を見た感想を共有出来そうな気がして」王女は言って、それから愉しそうに続けた。「えぇ、見事にあの時の私と同じことを言ったわ」


 どうだ──と、お父様に何度か尋ねられて。


 高いですね──って、そう言ったの、私。


 王女はそう言った。


「困るわよね。だって、こんなの見せられたところで、精々普段は見えない建物の屋根が見えるくらいで、そんなものに感想なんか求められても──あるわけないじゃない」


 あるわけない──と、王女は小さく繰り返した。


 それはこちらに向けた言葉と言うよりはむしろ、己に言い聞かせるような口調だった。


「……いや、あるんだとは思いますよ。わざわざそれを考えようと思わないだけで」


 高所からの景色、雄大な自然風景、あるいは秘境から覗く絶景。


 それに対する感想は、出そうと思えば出せないこともない。しかし、出そうと思って出したものは、果たして自分の想いだと言えるのか。


 無理くりひねり出した『それっぽい言葉』に、意味はあるのか。


 いや、ない。


 そんなことを考えていると、


「考えなきゃ出てこないものは無いのと同じでしょ」


 さっきの猫に対する自分と同じようなことを、王女は言った。


 やっぱり無かったんだ──などと言っても無意味に怒らせるだけなので、沈黙を選んだ。


「何よその目は……」


「いえ。何も」


「ふぅん……ならいいけど。まぁ、何にしても、これで少しスッキリしたわ」


 吹き抜ける風を浴びながら、王女は笑みを浮かべた。


「それならいいのですが……、それから数年経って、何か変わりました?」


「街並みは変わったわね……」王女はフッと笑ってそう言って、そして指を差しながら続けた。「あの辺りとか。少し前に凄い勢いで建て替えなんかが進んでたのよね。何の建物なのかはよく分からないんだけど」


 指差された先を視線で追うと、周囲からは少し浮いた雰囲気のある建物が散見された。


 その辺りは、こちらに来てから一度見に行ったことはあったが、飲食店でもなければスラムでもない場所だったので、すぐに通り過ぎた場所だったことを思い出した。


 しかしこうして上から見てみると、異物感がより鮮明になっている。


 古民家の立ち並ぶ住宅街がニュータウン開発の侵食を受けているかのような、あるいは田舎町の商店街にイオンでも建てられたかのような、そんな異物感。そこまで大きな建物でもないが。


「…………」


「ま、それくらいね。私は何も変わらないわ。なーんにも変われてない」


 そう言って、王女は黙った。


 自分は変われているのだろうか。


 変わっているとして、どの時点から、どれくらい変わっているのだろうか。


 まぁ、前世の延長線上で生きている節があるので、変われてなんかいないのだろう。


 そもそも、変わろうと強く決意してそのための行動を実践しているわけでもないのだ──そんな風に同じことを繰り返して、それでいて違う結果を求めるなど、愚かしいにも程がある。


「…………」


 黙りこくる王女は、何故か眉間に皺を寄せ、口を窄ませていた。


 何か考え事でもしているのだろうかと思い、放っておくことにしたのだが、少ししてその表情を解くと、「やっぱり思いつかないわ」と、溜息交じりに言い、こちらを見た。


「思いつかない……? 何がですか?」


「さっきの話よ。ほら、猫の時の」


「猫?」


「猫が可愛いって言ったらあなた、見る人によるとかつまんないこと言ったじゃない。で、その後、どう答えるのが正しいのかみたいなこと言ってきたでしょ?」


「あぁ……それまだ考えてたんですか。もう別にいいじゃないですか」


 普通に考えて、確かに自分の言った「見る人による」という発言はつまらないと評されて致し方ないものであるが、それは認めざるを得ないが、かと言って「猫可愛い」に対する返答など「そうだね」か「可愛いね」くらいしかありはしないのだから、考えたところでどうしようもないだろう。


「よくない」


 しかし王女は不満そうな顔をしてそう言うのだった。


「でも、思いつかないんですよね?」


「…………まぁ、うん」


 意固地になりすぎだろうと思う。


「もしかしてこれ、その答えが出るまで帰れない感じですか?」


「流石に門限までには帰るわよ」


 問うと、そう返された。


 どうやらギリギリまではここにいるつもりらしい。


「だからあなたも考えるの手伝いなさい」


「何で僕が……? 分からないから訊いたんですけど……?」


「あなたが分からないって言うから考えてあげてるんでしょ? ならあなたも出来る限り考えなさいよ」


 そこだけ切り取れば、王女の言っていることも正しくはあるのだろう。しかし、そもそもそこまで必死になって考えてほしいとは言っていない。


「考えろと言われても……」


 そんな自分に、王女は「そうよ」と言って、手を叩いた。


「無いなら無いで作ればいいのよ」


「はぁ。作る……ですか」


 やっぱり無いんじゃないか──と思いつつ。


 しかしその考えは悪くない。


 作る、というよりは、別のところから言葉を持ってきてしまえばいいのだ。


 何かあっただろうかと、少し考えて。


 そしてしばらくして。


「あぁ……なら、こういうのならどうでしょう」


 難しい表情を浮かべる王女に、自分は言った。


「何?」


「君の方が可愛いと思う」


「…………」


「──どうでしょう。ああいう場面であれば、さっきの自分の発言よりかは幾分かマシだと思いますが……。どうしました?」


「……ま、まぁ、悪くは……ないんじゃないかしら」王女は髪の毛を指先でくるくると弄る。「でも、猫と比べられても……ねぇ?」


「そこまでは知りませんよ。思ったことを言った相手に対して、こちらも思ったことを言う、というだけのことですから」


「そ、それもそうよね」


 言って、王女は手を下ろした。


「まぁ、婚約を無事に破棄して、いつか本当の恋人が出来たら、そういう回答を期待してみればいいのではないでしょうか」


「……えぇ、そうする」


 と、王女は顔を背け、そう言った。


「さて、と」


 高いところが嫌いというわけでもないが、少なくともこの場所に見るべき物や、すべきことはない。なのでそろそろ降りてしまおうと思い、ドアの方へ歩いていった。


 すると。


「ねぇ……」


 と、声が掛かった。何かを不安がるような声であった。


「はい?」


 振り返ると、王女がこちらを見ていた。


 バックには青い空が。


 散りばめられた白い雲が。


 少し傾いた太陽が。


 そして。


「────」


 王女が何かを言おうとすると同時、定刻の鐘の音が大きく鳴り響いた。


 自分と王女は反射的に耳を塞ぎ、それから数秒ほどして、鐘は鳴り止んだ。


 全身を内側から振動させられたような感覚だった。


「うるさ……私たちが上にいるんだから鳴らさないでよ──」


 ぶつぶつと、王女は悪態をつきながら、同じくドアの方へと向かってきた。


「さ、降りるわよ。帰る前に文句の一つでも言ってやらなきゃ」


「いいんですか?」


「何が?」


「いや、今何か言おうとしましたよね? それは──」


「いいわ。別に大したことじゃないし」


「……そうですか」


 大したことじゃない。


 そう言う人間は、そう言いながらも、そうは思っていないことの方が多いと思うのだが。


 しかし本人がそう言うのなら、そして自分がそれ以上の興味を持てないのなら、もはや訊いても仕方がないことなので、そのままドアを開けた──上る時に着いてきていた管理者は既に自分の仕事に戻っていたのか、そこには誰もいなかった──事故を恐れるのなら、王女が無事に戻り、帰るまでは仕事に戻るべきではないと思うのだが。


 王女はそんなことを気にしたりする様子はなく、階段を下りて行った。


 そして何事もなく降り切り、宣言通りに鐘の音が鳴ったことに対する理不尽な文句を言って憂さ晴らしを済ませると、今日はこのまま寮に帰ってしまおうということに相成った。どこか他に目的地があったわけでもないので、妥当な判断だと言えた。


「…………」


「…………」


 来た道を戻るようにして学園に。


 その道中、行き道でのような会話は無かったが、それは気まずさ故の静寂というわけでもなく。


 お互い、黙るべくして黙っていた。


 ──のだと思う。


「じゃ、ここまでね。今日は楽しかったわ」


「……こちらこそ。では、お気を付けて」


「……えぇ。また明日」


 その日の最後に交わしたのは、それだけの会話だった。


 それだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ