表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
滅界の花嫁  作者: アブ信者
第閑話
36/70

036

 その日、自分はいつものように家を抜け出すと、ウォーマスの森の奥にある屋敷を訪れていた──訪れていたなどとは言うものの、そもそもこの屋敷の所有者が自分である以上、ある意味ではこれを帰宅だと言うこともできるのかもしれない。しかしどうしても、この屋敷を管理しているのはサクラだという印象が強く、そう思うことは出来ないでいるのだが、なんにせよ、その日というのは、自分が珍しくイリーナの魔法訓練の様子を見学する事になった日で、サンゴと話をしてから二日後の事であった。


 ゲートから出て、少し歩き。


 屋敷に近付くと、庭の方から声が聞こえて来たので、玄関ではなくそちら側に回り込んでみることにしたのだ。


 そこにいたのはイリーナと、サザンカであった。


 サザンカ。


 彼女はサンゴの妹で、赤い髪をポニーテールにしている、ボーイッシュさのある少女である。


 髪の色は赤と言うよりは朱に近いのだが、その炎を思わせるような髪は兄妹で共通している。性格の方はあまり似ているとも思えないのだが、時折見せる表情なんかはよく似ているものだ。


 サンゴが盤上の駒を動かすのに長けているのなら、反対に、彼女は身体を動かすことに長けていると言える。いつも元気溌溂で、落ち着いているところを見たことが無いような気もする──いや、ある。


 あるにはあるが、しかしそれは一度だけだ。


 というのも、ここに来たばかりの頃の彼女は体の具合がかなり悪く、寝たきりの状態だったのだ。自分がしばらく屋敷を訪れていなかった間に運び込まれていた子で、薬を投じてなんとかそれを維持しているような状態だったのだが、治すのにはかなり苦労させられた──怪我の治療なら何度もしていたが、病気の治療まで出来るとは思っていなかった。


 そして快復して以降は、その反動からか、元気いっぱいに走り回っている──その日から、今まで。


 元気に育っているようでよかったと思う。


 それはそれとして。


 サザンカが炎を放つと、イリーナが魔法を発動させ、防御態勢を取った。地面が隆起し、土が盛り上がり、壁が形成される。かなり大きめだ。


 放たれた炎は螺旋を描き、イリーナに迫る──しかし、イリーナの防御に阻まれて雲散霧消。


 それを見て、イリーナは防御を解く──が、サザンカは奇襲を仕掛けるように、イリーナの後ろから攻撃を仕掛けた。


 飛び上がり、高速回転を加えての蹴りである。


 イリーナは咄嗟に反応するが──少し遅い。


 その顔に彼女のつま先が迫り──その攻撃は目の前で止まった。


 そこで一度戦闘は終了した。


 サザンカは炎の魔法と風の魔法を得意としていて、その二つの魔法を、病床から立ち上がってからあっという間に習得した武術や剣術と組み合わせて鮮やかに戦うのだ。何故戦う方面に向かったのかは分からないが、身体を動かしたいという欲が有り余っているのだろう。


 風の魔法で飛び上がったり、自由自在に加速したり、その両手両足に炎を纏って攻撃を放ったり──サンゴとは違い、かなりの武闘派である。火と風の魔法を得意とするというところまでは同じなのだが、魔法の使い方で分岐したような形だ。


 しかしなんにせよ、イリーナが死んでいないところを見るに、今は極限まで手加減しているらしい。訓練なのだから、当然と言えば当然なのだが。


「全く。ダメだろ?」


 呆然自失としたイリーナに、サザンカが近付く。


 何か言うのだろうと、少し遠くからそれを眺めていた。


「敵の姿を見失ったら、それは防御じゃなく、特大の隙だ。そんなことなら、いっそ防御なんかせず逃げたほうがマシだ」


「相手を視界から外してはダメ……」


 イリーナは自分に言い聞かせるようにそう言った。


 それを聞き、サザンカは大きく頷く。


「それも、あんな風に障壁を作ったら、回り込んでくださいって言ってるようなものだ」


「なら、アレもダメってこと?」


「んにゃ、ダメとは言わない」サザンカは首を横に振った。「相手を見失うっていうのは問題だけど、敢えて回り込ませるっていうのは、一つの手だ」


「敢えて?」


 イリーナは首を傾げる。


「そう。壁を作って回り込ませて、そこを狙い撃つとか。あるいは、地面を泥沼にして、相手を沈めてやるとか。まぁ、私には通用しないけど」


 サザンカは得意げな顔で胸を張って言った──やれるもんならやってみろとでも言いたげである。


「なるほど……」


「常に次の手を考えられないようでは……」サザンカは片手を腰に当て、青空を見上げ、燦然と輝く太陽を見て目を細めた。そして、「──最強への道は遠い」と、意味ありげに呟いた。


 一体、サザンカはイリーナをどこへ導こうとしているのだろうか。趣旨がズレていなければいいのだが。


「だからまぁ、そういう策が立てられるのなら、今みたいな防ぎ方もアリだ。敵の気配自体は、魔力の流れで察知することも出来るし。だけど、今はまだそれが出来ないんだから、とにかく敵の位置を視界から外さないこと」


 サザンカは言う。


 それが一番だ──と。


「なら今みたいな場面では、どう防げばよかったの?」


「そうだな……私なら突風で吹き飛ばすけど、イリーナみたいに土の魔法で防ぐんだとしたら、相手の攻撃に合わせて、石礫でも飛ばせばいいんじゃないか?」


「石礫を飛ばす……?」


「そう、さっきはあんなにデカい壁を作ってたけど、アレじゃあ無駄が大き過ぎる。相手の攻撃に対してピンポイントに壁を押し付けてやれれば、それが一番効率がいい」


「なるほど……」


「必要以上に視界を塞ぐこともなくなるし、魔力の消費も抑えられる。なんなら、そのまま相手の攻撃を押し切って攻撃に転じることも出来る」


 イリーナはうんうんと頷き、「分かったわ!」と言った。


「なら──」


 と、サザンカが辺りを見回しながら言ったところで、目が合った。


 一秒、二秒、三秒目で、サザンカは動き出した。


 地面を蹴り上げ──その勢いで顔面から土を被る事になったイリーナを放置し──駆けだす。尋常ならざる速度で倒立前転を繰り返すと、数メートル手前まで迫ったところで脚をバネのようにして飛び上がり、空中で数回転、直上から、両手を広げて満面の笑みで飛びついてきた。


「うおっ……っとと」


 それを受け止めると、勢いを殺す為にその場でくるくると回った。


 コハクが真っ直ぐ来るのに対し、サザンカは上から来る。どちらが危険かと言われれば、どちらも危険である。


「主様! 来てたんですね!」


「ついさっきね。色々やってるみたいだったから、どんなもんだろうと思って見学してたんだよ」


 拘束するように抱き着いてくるサザンカに首を絞められないようにしつつ、答える。


「そうだったんですか? どうでしたか?」


 どう。


 その問いに対する答え、感想はあったのだが、それよりも。


「……そうだね。まずは土まみれのイリーナをどうにかするところから始めようか」


 けほけほと咳き込むイリーナを指差した。サザンカはどうしてそうなったのか、数秒考えて思い至ったらしい、慌ててイリーナに駆け寄っていた。


 汚れてもいい服を着ていたのだろうが、服の中にまで土が入り込んでいたらしく、その場で服をパタパタとさせている。サザンカはイリーナの顔に付着した土を拭っていた。自分も近付いていくと、やや不機嫌そうなイリーナに声を掛けた。


「大丈夫?」


「大丈夫じゃない……わ……!」


「みたいだね」


 苦笑しつつ水を差しだすと、何度かうがいをさせた。そして改めてイリーナに挨拶をすると、サザンカに先程の質問に答えを返すことにした。


「サザンカはかなりちゃんと先生やってるんだね」


「本当ですか!?」


「うん。アドバイスも分かり易く具体的にしてたし」


 土ぶちまけなければ完璧だったよ──とは言わない。


「それで、今日やってたのは……防御の練習?」


「はい! ですが、それをより実践的な形にしたものです。私がイリーナでも対処できるギリギリのスピードで攻撃を畳みかけて、それを防がせるというのが、今日の内容です」


「試験ではそこまで見られなさそうだけど、でもそれがこなせれば十分か。サザンカから見てどうだったの?」


「決して悪くは無いと思います。今はまだまだですが、これに関しては経験を積まないと身につかないものですから。後は判断速度を上げて、手札を増やすことが出来れば、基礎自体は十分出来ているので、問題もないかと」


「なるほど。経験ね……」


 たった数カ月程度でそれらを習得しきったサザンカが言うと、なんとも説得力のある言葉である。


「……なら、サザンカ。一旦イリーナは休憩にさせて、僕の相手をしてくれる?」


「え? えぇ!? 主様の……ですか!?」


「そんなに驚く?」突然の大声に驚いたが、気を取り直して続けた。「……経験って、実戦経験もそうだと思うんだけど、他人が戦ってる場面を観ることも大事だと思うんだよ。観て、そこでどう動くのが最も効果的なのかを考える。そしてそれを、自分の動きに取り入れていく、ってな風に」


「それで、ですか……」サザンカは少し思案して、それから頷き、イリーナの方を見た。「よし! 一旦休憩だ!」


 言わなくても分かるとは思うのだが、自分に対する口調とイリーナに対する口調はかなり違っている。自分よりもイリーナの方が立場が上なのだから、自分に丁寧に接するのならイリーナにも最低限同じようにしてやるべきだと思うのだが、もうイリーナも諦めている節があるので、誰も何も言わないのだった。


 サザンカはイリーナに「見て学ぶんだ」と言いつけると、彼女を日陰に誘導し、そしてそこに置いてあったタオルで一度汗を拭った。


 代謝が良い──良過ぎるのだろう、サザンカがタオルを絞ると、びちゃびちゃと汗が落ちていった。彼女はタオルを置くと、こちらに戻ってくる。


 汗で額にへばり付いた前髪を払うと、腕まくりをし、肩を数度グルグルと回す。服を腹から捲りあげて結び、へそを出すようにした。引き締まっているどころか、うっすらと腹筋が割れてきている。あまり小さいうちから筋肉をつけすぎるのも良くないとは思うのだが、健康体なのだし、構わないか。


 そんな彼女の赤い眼には闘志が宿っていた──口の端は吊り上がっている。


 驚いていた割に、やるとなったら楽しそうな顔をするものだ──などと、ややビビりながら。


「始めようか──全力でおいで」


 そう言って、火蓋を切った。


 △▼△▼△▼△


 サザンカはリュカに先手を譲られるような形で飛び出した。風魔法を発動し、空気抵抗も何もかもを無視して距離を詰める。そして腕を振り上げると、火炎を纏わせ、炎の鞭が如く振り降ろす。尚も動かぬリュカに向かい、それは斜めに紅い軌跡を描き──そして、空を切った。届かなかったわけではない、確かに命中した。


 だが、すり抜けたのだった。


「残像──!」


 そう呟いた瞬間、リュカの姿が搔き消えた。初めからそこにいなかったように──否、初めからそこにいなかったのだ。


 風の魔法と光の魔法の複合魔法──リュカがサザンカを欺いたのはそれによる幻影の創造である。


 サザンカは瞬時に振り返り、そこにいたリュカに向かって拳を放つ。熱を帯びた拳が高速で突き出されたことで、激しい音が鳴り響く。しかし、サザンカが破壊したのはリュカではなく、土で作られた柱だった。岩がボロボロと砕け散っていき、彼女はまたしても幻覚を見せられたと、周囲を見回す。


 そして上を見て、そこにリュカの姿を確認すると、彼目掛けて火柱を噴き上げる。それは囂々と燃え盛りながら、大きく口を開く龍のように形を変え、リュカを飲み込まんと迫る。リュカは巨大な水球を作り上げると、それを炎の龍に叩きつけた。上空では爆発音とともに水蒸気が発生し、リュカの姿が視認できなくなる。


 しかし、サザンカは魔力の流れでリュカが迫り来るのを把握すると、「そこ──!」と、足を踏み込み、掌底を叩き込む。


 だが、感触が無い。


 今度は幻影すらなく、あったのは魔力だけ。


 騙された──先程の会話を聞かれていたからだろう、魔力の流れで位置を察知されることを避けるために、こうしてブラフを仕込んだ来たのだ。これ以降、サザンカは魔力の流れに頼ることが難しくなる──けれど、そう思うのは一瞬。


 すぐさま思考を切り替えると、サザンカは後ろから伸びては迫る植物を避けるべく、地を蹴り、上体を反らす。サザンカの背中スレスレを太く長く伸ばされた雑草が通り抜けていく。彼女はそれに手をつき体勢を整えると、高く跳び上がり、足に炎を纏って急降下し、リュカに迫る。


 リュカは飛び退き、距離を取った──否、サザンカを誘い込んだ。


 サザンカは地面に足をつけ、ぐにゃりとした感触を覚えると、ハッとする。


「しまっ──!」


 この一瞬で泥沼に変化した地面に誘い込まれたサザンカは、そのまま勢いよく突っ込んでいく。


 そして顔が浸かる直前で、足元に風を起こして炸裂させると、彼女は泥を撒き散らしながら飛び上がる。着地すると、泥で重たくなった身体を見て、何を思ったか、楽しげに口角を吊り上げる。


 続けて、両手両足に炎を纏わせた。


 泥が乾いていく。


 サザンカは一定の距離を取るリュカ目掛けて、先ほどイリーナに放ったのと同じ炎を差し向けた。二つの炎がぐるぐると交差しながら進んでいき、リュカは先程のアドバイスを実践するように、礫を放った。


 炎と岩が押し合い──そして弾ける。


 だが、サザンカが対峙するはイリーナではなくリュカである。当然、先のような手加減全開の攻撃だけで終わるようなことはなく、リュカの背後から大量の炎が襲いかかっていった。一つ一つが別々の動きをする様は、魔法ではなく生き物を見ている感覚に近い。しかしリュカは、それと同じ数の水球を浮かべると、炎を見もせずに放ち、全てを相殺し切った。水蒸気に囲まれる中、サザンカが追撃とばかりに放った炎も、強風の前に、水蒸気諸共吹き消された。


 そして続けて、リュカはサザンカの足元から全身を包むようにして、砂嵐を起こす。サザンカは視界を奪われ、目を開けることもままならなくなる中、自身の周囲に複数の魔力が動いているのを感知する。どれが本物なのか、この状況では判別がつかない。


 サザンカは暴風を吹き荒れさすと、砂嵐を打ち払い、晴れていく視界の中、周囲を見回す。


 リュカの姿はそこに──ない。


 上に──いない。


 改めて周囲を見回して──やはりいない。


 どこに──と考えて、魔力の流れが本来あり得ない場所にあることに気がついた。


 足元の、己の影。


 本来魔力を感じるはずのない場所に、何故。


 そう考えていると、足首をがっしりと掴まれる感覚と共に、サザンカはバランスを崩し、倒れ込んだ。


「闇の魔法を弄くり回してたら出来たんだよ。まだ教えられるレベルには到達してないんだけどね」


 リュカの優しげな声が聞こえる。


 何が起こったのかは理解できた。リュカはサザンカの影に潜り込んでいたのだ。


 もはや何でもありだ。何をされるか分からない。何が出来ないのかが分からなかった。


 サザンカは立ち上がると、影相手に何をすれば良いのかが分からず、取り敢えず炎を浴びせた。だが反応はなく、首を傾げる。


「こっちだよ、サザンカ」


 リュカの声が再び聞こえた。いつの間にか、イリーナの横に立っていた。そこは日陰で、サザンカはなるほどと頷く。そして、彼が自分目掛けて歩き出すのを見て、構えた。


 リュカが駆ける──サザンカがタイミングを測る──リュカの姿が消え──サザンカは魔力の流れを追い──火炎と共に蹴りを放った。


 そして。


「──あはははははははっ!」


 サザンカは背後から脇に差し込まれたリュカの手に、思わず声を上げた。全身の力が抜けると、彼女は膝から崩れ落ち、尚も続くくすぐりに身を捩らせる。


 どの辺で決着にすれば良いのかが分からなくなったリュカの、逃げのような手であった。


「参りましたっ! 参りましたぁっ! あはははははっ!」


 サザンカが幾度か地面を転がると、リュカは離れた。そしてそのままの足でイリーナの方に向かうと、「どうだった?」と声を掛ける。


 イリーナは何を言おうか迷ったが、やがて、思ったままを正直に言うことにした。


「何を参考にすればいいの?」


 と。


 ただただ純粋な感想に、リュカは何も言えず、ただ呆然と立ち尽くすばかりであった。


 しばらくして、地面に寝転がっていたサザンカがもぞもぞと動き始めた。脚を天に向けて伸ばし、勢いよく振り降ろす。足が地面に着いたその勢いを利用して、彼女は上体を起こし、飛び跳ねるように立ち上がった。


 リュカは振り返り、サザンカの方を見る。


 彼女の首から下は一分の隙もなく泥や土で汚れてしまっている。何なら顔や髪にもその汚れは付着している。いくら何でも泥の中にはめるのはやり過ぎだったかと反省した。


 そしてサザンカ自身、戦っている最中はそこまで気にしていなかった不快感が襲って来ていたのか、それを振り払わんとジタバタしていた。流石にこの状態では風呂に入れるどころか屋敷の中を歩かせることもできないだろうと、リュカは声を掛けた。


「サザンカ、汚れ落とすから、そこで止まってて」


「え? はい!」


 リュカは手元で水球を生成すると、それを霧状に噴射させてから、段々と勢いを強めていく。大体シャワーと同じかそれより少し強いくらいの強度にまで近づけると、それをサザンカに向けた。サザンカはクルクルと回りながら、汚れを落としていく。それを続けること数分、完璧ではないにしろ、ある程度の汚れの落ちたサザンカは、炎風を起こし、全身を乾かした。だが服の中にまで残っていた汚れは落としきれなかったのか、服の中を覗き込んでいた。


「取り敢えず屋敷の中に這入っても怒られはしなくなっただろうから、早いところ流してきなよ」


 と、そんなサザンカにリュカは言う。


 屋外にもこういう時の為の風呂場を設けるべきなのではないか──折角なのだから露天風呂なども乙なものだろう──と、そんなことを考えながら。


「主様はいいんですか? 私ほどじゃないにしても汚れてますよ?」


「ん……?」言われて、リュカは下を見る。足や腕が少し汚れていた。「これくらいなら別にいいんだよ。でも流石にサザンカは汚れ過ぎだから」


「えー。一緒に入りましょう!」サザンカはリュカに駆け寄り、腕を取って言った。「ダメですか?」


「サザンカがいいならいいんだけど……。イリーナはどうするの? サザンカがお風呂に入ってる間見ておこうかと思ってたんだけど」


 サザンカは少し考えて、「じゃああとは自主鍛錬の時間だ! 励め!」と言って、そのまま歩き出そうとした。


「……え?」イリーナはぽかんとした表情を浮かべ、サザンカとリュカの顔を交互に見た。「……え?」


「サ、サザンカ? 流石に放置はダメじゃない? 怪我したりするかもだし……。誰かに預けておかないと」


「うぅん……でも、今日誰もいないんですよ。ヒスイはいるんですけど、アレはいてもいなくてもどうせ手伝ってくれないので」


「え。皆いないの?」


「はい──」サザンカは少し表情を険しくさせると、真剣な声で言った。「──仕事に出ています」


「へぇ。仕事してるんだ……」リュカは驚いたような顔をして、二、三度頷く。「そっかそっか。なら仕方がない。けど……そうなると、イリーナは屋敷の中で待たせるしかないか」


 リュカはイリーナの方を見た。イリーナは座ったまま、リュカを見上げる。


「……? どうせですし、イリーナも一緒に入れたらいいんじゃないですか? さっき土掛けちゃいましたし」


「それは……マズくない?」


「何がですか?」


「いや、イリーナは一応貴族だし……」


 その言葉に、イリーナは「一応……!?」と反応を見せ、立ち上がった。


「今一応って言ったわね!?」


「あー……、一応じゃないよ。立派なって言ったの。イリーナは立派な貴族令嬢だからね」


「言ってないでしょ!」


 リュカはそれをスルーすると、「貴族とかって外聞にも気を払わないといけないわけだから、子供とは言え、よくないと思うんだよ」と、サザンカに言った。


「外聞……ですか」サザンカは周囲を見回した。視界に映るのは屋敷と、それから森だけである。人の気配が他にあるわけでもなく、ひっそりとしている。「誰もいませんよ?」


「それはそうだけど……」リュカは思案し、それからイリーナに、今の話の流れや、懸念していたことなどを改めて説明した上で尋ねた。「──って話だけど、イリーナはいいの?」


「リュカならいいわ!」


 話を聞き、イリーナは迷うことなく答えた。


 そうして三人、仲良く屋敷まで戻ると、汚れを落とし、汗を流し。その後は、いつものようにイリーナの要望に応える形で菓子を作ったのだった。


 △▼△▼△▼△


 洞窟内部、壁に取り付けられた松明の明かりがぼんやりと周囲を照らす中、ピチャピチャと、二つの足音が聞こえる。


「これでこの辺の『教会』勢力は排除できたのかしら?」


 サクラは剣を振るい、血を飛ばすと、背後にいたアジサイに尋ねた。


「はい」アジサイは頷き、地図を眺める。「現状判明しているだけの拠点は全て潰し終えました」


 そして、表情を少し険しくさせ、言い淀んだ。


「ただ……」


「それは言われなくても皆感じているとは思うわ──私達はいいように偽の情報を掴まされている。そしてそれを囮に、奴らはその姿を晦まし続けている」


「はい」アジサイは頷き、続ける。「この拠点もそうですが、どれもこれも目的に駆られて急拵えしたような、空間としての雑さがあります。最低限の兵は置かれていますが、どう考えても捨て駒の様な存在ばかりで……大した資料も置かれていませんし、まぁ、足止めをされているとしか……」


「そうでしょうね……。どうせここにある資料を分析したところで、別の偽拠点の座標が出てくれば御の字と言ったところかしら。一度立ち返って、別角度から情報を洗い直した方がいいかもしれないわね」


「……その間に逃げられませんか?」


「逃げるでしょうね。でも痕跡くらいは見つけられるはずよ」


 アジサイに視線を遣り、強めに言う。


「は。では、急ぎ進めてまいります」


「お願いね。クロユリ達の班もそろそろ事は終えているはずだから、一度戻りましょうか」


 そう言って、サクラは剣を収めると、ゲートを開いた。アジサイを先にくぐらせると、サクラは最後に周囲に人の気配がないかどうかを確認し、それからゲートを通って屋敷に戻った。


 △▼△▼△▼△


「ベイケ様、ご報告が」


 作業に没頭していたベイケは、背後で扉の開く音がすると、一度手を止め、その言葉を聞くと、「またか?」と言いながら振り返った。彼の背後に立っていた部下の男の表情は重苦しいものである。


「……はい。駆け付けた頃には全滅、ただの一人も生き残ってはいませんでした」


 敵を撹乱させるために設置していた拠点は、ものの数日でその全てが壊滅させられていた。ただ兵が殺されているだけの拠点もあれば、凄惨な拷問が行われていたと思われる場所や、捕らえた兵を玩具代わりにして遊んでいたとしか考えられない様な現場もあった。


 報告を上げたその男が実際に見たのは、入り口に丁寧に並べられた生首と、丸ごと焼き払われた拠点の跡だった。中に這入っての確認もするべきではあったのだろうが、流石に危険だと判断し、帰ってきたというわけである。


「だろうな」


 ベイケは重く頷く──とは言え、驚嘆した様子も、動揺したようにも見えなかった。


 想定していた結果が、想定通りに出ただけの事と、そう考えているようだった。


「残しておいた物はどうなった?」


「我々は確認出来ておりませんが、別の者からは、概ね持ち出されてはいるものの、残されたままのものも幾つか見られた……と」


 しかしそれは、襲撃者が見落としたものというわけではなく、持ち帰る必要がないと判断してその場に捨てて行ったと推察できるようなものだった。何なら、拠点を守らせていた兵を惨殺した後、持ち帰る物とそうでない物を選別する余裕さえあったように感じられたのだった。


「ベイケ様。もうそろそろ限界なのではないかと……。兵の補充も容易ではありませんし、他の連中に動きを悟られないようにするのも……」


「だろうな。だが、こちらもそろそろ最終段階に入る。少しばかり必要な要素を抜く羽目にはなったが、奴らにぶつけるだけであればこれでも十分。一度試作品が出来上がってしまえば後はどうとでもなる」


 ベイケは淡々と、それに答えた。


 そんな彼の前には、麻酔を打たれ、台に四肢を拘束された少女の姿が。手首や足首には抵抗の痕が目立つ。今は意識を失っていることもあり、その顔は俯くようにして下を向いている。ベイケはその顔を持ち上げ上を向かせると、部下を見遣る。部下の男は近くに置いてあった装置を動かすと、それをベイケに渡し、少女に接続した。


「……しかし、研究を進めれば進めるほど、かつて存在したとされる『災害』は、果たして本当にこんな方法で生み出されていたのかと、疑問に思わざるを得ないものだ」


 体内に様々な薬液や魔力を流し込まれ、台の上で打ち上げられた魚の如く激しく跳ねる少女を眺めながら、ベイケは呟いた。


「ですね」部下の男はそれに応えて、首を縦に振る。「ただ、これすらもまだ正解ではない……そんな気がします」


「だな。尤も、それがこれよりマシだとは思えんが」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ