037
人という生き物は、心のどこかで好きなものをランキング化しているものだと思う。
あれよりはこれが好きで、これよりはそれが好きで、それとそれは同じくらい好きで──みたいな。これは別に好きなものに限った話でもなく、やりたいことなどの優先順位にも同じことが言える。尤も、厳密な点数を定めた上で決めているわけでもなければ、自分でも知らない間に順位が入れ替わっていたりもするので、実に曖昧で杜撰なランキングだとは思うのだが、しかし彼にはそれが無い。
無いとは言っても、それはどこかの誰かのように、特別好きなものが無ければやりたいこともないという意味ではなく、好きなものややりたいことが基本一つしかないために、ランキングや相対評価のようなものが端から機能していない、存在していないも同然だ、という意味での話である。
彼の名はヒスイ。緑色の瞳に、茶髪の天然パーマ、屋敷の中では一番大柄な体格の少年である。
彼は暇さえあれば何かを作り続けており、常に何かを作り続けているが故に暇がない。以前もスライサーを作ってもらったことがあるが、アレ以外にも、幾つかのアイデアを渡し、その再現をしてもらったことがある。と言うか、現在進行形でその状態である。
そんな彼は基本的に部屋から出てこないのだが、だからと言って、全く出てこないということはない──風呂やトイレには行かなければならないのだし、食事だって摂らなければならないのだから。
なので逆に言えばこれら以外で部屋から顔を出すことが殆どないのだが、しかしその日は珍しく部屋の外に出ていたばかりか、屋敷を訪った自分を待ち構えるようにして、玄関先で小物の製作をしていた。場所が変わることは物作りの手を止める理由にはならないようだった。
そして自分を見ると、一度その手を止め、後ろに置いてあった何かを手に取り、渡してきた。
「盟主。……これを」
彼は自分を盟主と呼ぶ。何の盟主なのかは知らないが、多分物作りの同志みたいに扱われているのだろう。
「何……これ……?」
渡されたのは、黒い物体。自分はそれを、矯めつ眇めつ見る。
その形状としては、大きなV字にウィングを生やし、棘のような物を付けた物──ブーメランのようにも、戦闘機の模型の様にも見える。
それが何なのか、説明なしでは皆目見当がつきそうになかった。
「遂に完成したから、献上に来た」
「はぁ……。完成……。え、これが完成形なの?」
ヒスイはこくりと頷いた。
「なかなか優秀……。いい仕事をした」
そう言われて、目線を手元に落とす。何に使うのかが不明なため、何がどう優秀なのかが分からない。
武器か何かだろうか。少なくとも調理器具などではなさそうだが、一体──そう考えていると、「きちんと説明をしなさい」と言いながら、サクラが後ろからヒスイを小突いた。
「あぁ、サクラ。……これは?」
「仮面よ。バイザーと言うべきかしら」
「仮面? 顔に付けるの? ……これを?」
言いつつ、再びそれを見る。
仮面と言うには少々奇抜というか、見方を変えれば禍々しさも感じられる。
「そうよ。この間あなたとコハクが狩ってきた魔物の素材を使って作らせたものなの」
「あぁ……この間の……」
何を倒したんだったかと思い返しながら、呟く。
「分かっているとは思うけど……」何も分かっていない自分にサクラは言い、続けた。「ただの仮面じゃないのよ。取り敢えず着けてみて?」
仮面を顔の前に翳し、恐る恐る近づける。すると、仮面は顔に張り付くように、へばりつくようにして装着された。顔を揺らしても仮面が落ちたりはしない。一瞬焦ったが、まさかこのまま外れないということも無いだろうと、自分を落ち着ける。
周囲を見回しながら、観察を続ける。
目の辺りを覆われているので、本来であれば何も見えないはずだが、視界は良好だ。普段見ている光景と同じとまではいかないが、これを付けて生活したところで、これが原因で転んだりはしなさそうである。同時に、鼻や口も抑えられる形にはなっているのだが、呼吸が遮断されるようなこともない。
ふむ。どんな仕組みかは知らないが、確かに凄い。だが、わざわざこれを着けるからには、それだけではないのだろう。視界や呼吸を塞がないというのがこの仮面の機能なのだとすれば、それはそもそも着けなければいいだけの話だ。
「似合ってるわ」
「…………」
これが似合うというのは、それは果たして誉め言葉なのだろうか。今の自分の姿が分からないので、判断に困る。どちらの意味で取ればいいのか分からなかったが、しかしサクラの表情に悪意はない。なので多分褒めているのだろうと思い礼を言うと、「それで? ここからどうすればいいの?」と尋ねた。
サクラはヒスイを見ると、「説明して」と言った。
「さっき説明したはずだが……」
「今日出来上がって、私もまだ一回しか聞いてないのよ。それで私が説明出来るわけないでしょ」
「とか言って……出来るんだろう?」
「やろうと思えばね。でも万が一のことがあったら困るのよ」
ヒスイは嘆息した。
「……なら、まずは──」
機能は色々とあるらしいが、それは主に目の部分にあるのだそうで、ヒスイはまず、その説明から始めた。
「ベイムタームにマフィラ、それから他にも色々な魔物の素材を使って、人間では視えないものを視えるようにした」
「人間では視えないもの?」
精霊とかだろうか。
尋ねると、ヒスイは首を横に振った。
「言い換えれば、視界の拡張。盟主が教えてくれた知識の中に、生物はそれぞれが独自の視界を持つというものがあった。人間には視えないものも、人間以外には視えている。やったのはつまり、その再現……」
一息に言い切ると、再び口を閉ざした。
「魔物の視界を、この仮面を通じて体験出来る……ってこと?」
だとしたら確かに凄い。前世でも酔っ払いの視界を体験出来る眼鏡などはあったが、その延長線上か。
「概ね……そんな感じ。暗所の探索にも、戦闘にも、色々使える。呼吸も確保されてるから、水の中でも自由に活動出来る」
延長線どころではなかった。とんでもない技術力だった。
「へぇ……凄いけど……これどうやって使うの?」
「魔力に反応して切り替えられるようになっている。慣れれば瞬時に切り替えられるようになる」
言われて、試しに魔力を流してみた。
すると、サーモグラフィのような映像に切り替わった。とは言えサーモグラフィほど正確に色分けされているというわけではなかったが、暗い場所でも、これなら自由に行動が出来そうだった。今も夜な夜な行っている魔法の訓練の際にでも持って行くことにしよう。光を浮かべれば光源の確保自体は出来るのだが、魔物や野生動物の発見に関しては、これの右に出るものもなさそうだし。
続けて、今度は切り替えてみる。
少し赤みがかった視界に切り替わった。しかしそれ以外に特筆すべきことが無い。
「この赤いのは何?」
「それは多分……マフィラの眼」
「マフィラ……この間の蝿か……」
ということは。
と、少し動くと、脳に大量の映像が送られる──という表現で果たしてあっているのかは不明だが、サクラ達の動きがゆったりしたものに見える。
「相手の動きがゆっくりに見えるってことか……じゃんけんで無双出来そうだな……」
ボクサーなど、一部のアスリートは非常に高い動体視力を持つ。そんな彼らはじゃんけんにおいても、相手が手を変える一瞬を見て、自分の手を変えることが可能だとかどうとか──流石にそんなことが出来るのは極一部の人間になるのだろうが、この仮面があればそれと同じことが出来るようになるというわけだ。
ただ、これがリアルタイムなのかどうかは、少し不安にもなる。仮面を通してゆっくりになった映像をただ見せられているのだとすれば、寧ろ自分の方が相手よりも遅れて行動することになるのだ。この二人の事だし、わざわざ手間暇かけて他人を騙したりもしないのだろうが。
「他にもあるの?」
「ある……。ルアホークの眼は遥か彼方の羽虫さえ見逃さない……それを利用した」
つまりはズーム機能ということか。
少し歩いていくと、窓の近くに寄り、それに切り替えた。
「魔力を込めていけば……拡大出来る」
もう少し広く周囲を見渡せるような場所でやるべきだったのだろうが、確かに遠くまで見ることが出来る。すぐに視界は木の色に染まった。
「これ全部を統合することは出来なかったの?」
「出来ない……いや、技術的には出来る。だが、脳がそれを処理しきれなくなって破裂する」
あくまで生物の側の問題だと、ヒスイは強調した。
「そりゃそうか……」
熱分布にスローモーションにズームアップなど、処理しきれるわけがない。これらに加えて暗視や水中での視界の確保などもあるのだから、尚更である。
それから、その他いくつかの機能の説明も受けることに。
「呼吸の確保もされてるって言ってたけど、水中でも問題なく酸素の補給が出来るってこと?」
「そう。酸素濃度の低い高山でも問題ない」
山登りにも使えるらしい。本当に万能だ。
「それから……周囲の毒を魔力で清浄することも出来る」
「へぇ……そういう魔物がいるの?」
「獲物を毒で殺して、その毒は自分の体内で無効化する魔物がいる……それを利用した」
そんなのがいるのか。しかし毒持ちの生物などは何も魔物に限った話ではないので、特段驚いたりすることもなかった。
「だから毒霧を撒かれても問題ない。既に何度か試した。……いくつもの毒に対応させるのは大変だったが」
「試したんだ……。あんまり危ないことしないでね」
「他人の命を預かるのだから、自分の命も張る……ただそれだけだ」
ヒスイは腕を組み、険しい表情でそう言った。
それが職人のプライドというやつなのだろう。かっこいいものである。
「説明するべきことはこれくらいだったかしら?」
サクラが言う──どこか、間に割り込むようにして。
「言うべきことはこれくらいだ……」
「そう。なら今日はもう寝なさい」
「ダメだ。盟主と話が……」
「話って何よ」
「新たなアイデア……叡智を授かるのだ……」
「はぁ……。あなた二日寝てないでしょ?」
「いや……五日だ……」
「なら尚更よ。早く寝なさい」
ヒスイは力なく返事をして、そのまま歩き去っていった。
「五日も寝てないの?」
「流石に仮眠くらいはとってるはずだけど……どうかしら。そのまま一睡もしてない可能性もあるわね。でも、何か作ってる間は倒れることもないから分からないのよ」
「……普通に死のリスクがあるから、気にかけてあげてね」
「えぇ。少し作業量を減らせるようにしてみるわ」
サクラはこちらに手を伸ばし、仮面を取り外す。あまり視界がガラッと変わった感じはしない。色味が少し変化した程度の違いである。
「ねぇ、少し試したいことがあるのだけれど。いいかしら?」
「試したいこと?」
「この仮面の実戦利用よ。さっき渡されたばかりだから、まだ実際に使ったわけじゃないの」
「あぁ……慣れておく必要はあるか……」サクラに仮面を渡され、それを掲げた。悪魔を思わせるようなデザインだ。「でも、どうやって?」
「どうやってって……いきなり魔物を相手にするわけにもいかないから、まずはあなたが相手をしてくれると助かるのだけど」
「まぁ……それはいいんだけど。でも、お互いが着けてたら意味ないよね? 相手はこれを着けてないこと前提なんだから」
「交互にすればいいわ。色々試してみましょ」
サクラは着替えてくると言って、一度その場を後にした。自分も汚れていい上着を羽織ると、庭の方へと向かったのだった。
△▼△▼△▼△
サクラは部屋に戻ると、クローゼットから布の巻かれた木剣を取り出した。訓練用の木剣はかなり使い込まれており、所々損傷も見受けられる。
リュカの家の近く、あの森の小屋の中で暮らしていた時から持っている物で、なかなか手放すことが出来なかったのだ。壊れてしまわない内に交換すべきなのだろうが、手に馴染んだそれから別の物に交換するということも出来ず、何だかんだで使い続けているのである。
サクラは一度それを置くと、服を脱ぎ去り、下着だけになると、クローゼットから黒いスーツを引っ張り出した。
ヒスイに言って作らせている戦闘用装束の試作品である。
全身に密着して空気抵抗を極限まで減らすことを可能にしており、ともすれば着ていることを忘れてしまう程に軽い素材であることも手伝って、身動きが非常にし易い。試作品故、現状での機能はそれくらいのものだが、ヒスイは今後、これの防御性能を高め、更には魔力に応じて様々な機能を発揮出来るように改造するつもりでいる。
サクラとしてはボディラインがかなりはっきり浮き出てしまうのがどうにかならないのか、と思ったものの、それは今後どうにかするとの確約を取っている。ヒスイはヒスイで頑固な性格だが、人の感情を理解出来ないというわけではなかったし、何より、同じ事を思った他五名にも散々言われたのだろう。サクラがヒスイの元を訪うと、辟易したような顔で二つ返事を貰えた。
デザインはスズランに言って描き起こしてもらえ、とのことだった。素材の問題で、基本的な色までを自由にすることは難しいと付け加えてはいたが。
そんなスーツを身に纏うと、彼女は仮面を手に取り、それから木剣とタオルを抱えて部屋を出た。
途中アジサイに声を掛けられたので事情を説明すると、ついて行っていいかと尋ねられた。二人の時間を邪魔されたくないとは思ったが、邪険にすることも出来ない。結果、観るだけならと言って、アジサイの同行を許可することにした。許可も何も、ただ庭に出ればいいだけの話なのだが。
サクラはこれ以上人が増えないうちにと、アジサイを伴い、そそくさと庭へ出て行った。
そこではリュカが木剣を軽く振り回している姿があった。彼はサクラ達が庭に出て来たことに気が付くと、一度視線を彼女らに向け、少し驚いたような顔をした。何に驚いたのかは言うまでもなく、サクラの恰好の事だろう。サクラは少し恥ずかしさを覚えながらも、平静を装い、彼に近付いた。アジサイは日陰で見学するらしい。
「それは……運動着?」
「まぁ、そんなところね。これもヒスイに作らせている物なのよ。こっちは仮面と違って、まだ試作段階だけれど」
「なるほど……本当に色々作ってるんだな……」
「それでも、彼が作る物の殆どはあなたが与えた知識やアイデアが基になってるのよ?」
「口でベラベラ言うのと、それを実際に形にするのとではやっぱり違うよ」
彼は首を横に振った。
「そうかしら?」
「そうだよ。……それで、アジサイは見学?」
「えぇ。観てるだけよ」サクラは後方のアジサイに一度目線を遣って、仮面を装着した。「そろそろ始めましょ?」
そしてお互い距離を取ると、アジサイに合図を頼んだ。
「では──開始ですっ!」
サクラはアジサイの声と共に駆け出すと、一気に距離を詰める。
リュカはその姿に若干の不気味さを感じながらも、サクラが薙いだ木剣を回避した。状態を反らし、そのまま後方に倒れるようにして手を突くと、サクラの持つ木剣を蹴り上げるように足を振り上げた。
サクラは身を引き、振り上げられた足を回避する。
リュカはそのまま足をつけると、起き上がり、そして木剣を構え──そのまま動かない。
サクラは追撃を試みようと足を踏み込んだが、そこで止まった。
サクラを止めたのは、絶対的な威圧感──そのまま踏み込み、吹き飛ばされる自分の姿が見えていた。
「……っ」
それでも、踏み込まなければ、距離を詰めなければ始まらない──と、サクラは地を蹴る。真っ正面から行くようなことはせず、大きく回り込むようにして、リュカの背後を取った。そして中空から一気に加速、仮面の視界を切り替えると、木剣を振るった。
攻撃の迫る中、リュカは振り返る。サクラにはその動きが非常に緩慢なものに見えていた。
しかし。
ゴンッ──と、鈍い音が聞こえ、攻撃は防がれた。とは言え、リュカはまともな防御態勢を取れていたわけではなく、ほとんど反射的に木剣を差し込んだだけであった。だが、それでも確かに凄まじい速度で攻撃が防がれたことだけは事実であった。
そんな事実に、予想外の事実に、恐るべき事実にサクラは驚いたが、瞬時に思考を切り替え、木剣を振るう。サクラが攻撃を仕掛けようとすると、リュカはそれに合わせて身体を動かす。サクラにはやはり、その動きがゆっくりに見えていた。
が、しかし。
気がつけば攻撃は防がれていた。
サクラは続けて攻撃を仕掛ける──仕掛けて──仕掛け続ける。
攻撃という攻撃を殺到させる。
だが、届かない。リュカの動きは見切っているはずなのに、その一撃が届かない。
「どうして──っ!」
サクラは距離を取り、リュカを見据える。疲弊した様子一つ見せない彼は、その場で構え続けていた。
踏み込んでは来ない──だが、近付くことを躊躇わせるような圧を放っていた。
「簡単だよ」
リュカは言う。あからさまに隙を作って、言う。
そんなリュカに──サクラは踏み込まない。
「確かにサクラは僕の動きを見切ってはいる」彼は一度首を縦に振って、それから横に振った。「だけど、圧倒的に身体が追いついていないんだよ。こっちからすれば普通に対応可能な速度でしか打ち込んでこないから、普通に防げてしまう」
「速度……?」
これ以上とない速度で攻撃を仕掛けていたつもりだったが、そうではなかったというのか。
いや、そんなはずはない──と、彼女は否定する。腕に残る痺れにも似た感覚が、先程までの自分が本気で打ち込んでいたことを証明していたからだ。
それはつまり。
彼は、リュカの動きを見切った上で最速の攻撃を打ち込むサクラの動きをも見切っている、ということになる。
それも、視界を補強する為の仮面もなく、動きを補助するスーツもなく、ただ私服の上から汚れてもいい上着を羽織っただけの、お世辞にも戦う為の装いとは言えない格好で、である。
こうして手合わせをすること自体久しぶりだったこともあるが、衝撃であった。
サクラは未だ届かない彼を見て、歯噛みする。そして全身に魔力を込めると、雄叫びを上げながら突貫した。
「サクラ……っ!?」
突然のことにリュカは驚いたが、彼女が木剣を振るう姿を見て、打ち合いに戻る。しかしその勢いに気圧されたか、段々と後退っていく。
今しがた指摘されたことを意識しつつ、サクラはさらに速度を上げていく。
繰り出されるのは、そのどれもが尋常ならざる速度での攻撃。次の動きを予測することなど不可能に近く、どころか、彼女の腕から先を視認することさえ困難だった。
虚実入り混じる猛撃。
乱れる軌跡。
しかしそのどれも──届かない。
全てを相殺した上で、まだ少し彼には余裕がある──ように、サクラには見えた。
彼女は攻撃の手を止めると、仮面を外し、息を吐いた。
「ダメね。私の負けよ」
「そう……でも、よかったの?」
「どういう意味?」
「いや、こっちが疲れるのを待つっていうのも手だったんじゃない?」
サクラは笑みを浮かべ、首を横に振った。
「そうまでしないと勝てないのなら、それは殆ど負けみたいなものでしょう? それに、勝つことそのものが目的というわけではないのだから。目的はこれに慣れることよ。もう忘れたの?」
噓だった。
勝ちたかった。
何か一つでいい、優位に立てるものが欲しかった──しかし、叶わなかった。
敵わなかった。
「そう言えばそうか……でもちょっと休憩」
リュカは日陰に戻っていくと、腰を下ろし、水を飲んだ。そしてアジサイ会話をし始めた。アジサイは何がどう凄かったと、文字通りキャッキャとしている。
サクラは自分がどんな顔をしているのかが分からなくなり、一度外した仮面を着けた。
「私……何を目標にしてるのかしら……」
拳を握り締め、呟く。
それから休憩を挟みつつ、交代で仮面の機能を試していくと、リュカは仮面を持って帰っていった。サクラは結局、一度も勝つことは出来なかった。
△▼△▼△▼△
「言っておくが……それの所為じゃないぞ」
リュカが去った後、肩を落とすサクラに、後ろから声が掛けられた。
サクラが振り返ると、そこにはヒスイがいた。
「分かってるわよ。そこを履き違えて物に当たる程、私は愚かじゃないわ」
サクラは手元の仮面に視線を落とすと、首を横に振った。
「そうか。なら……いいんだが。それで、使ってみた感想は?」
「この流れで私にそれを訊くのね」
「盟主に訊いてもよかったのだが、起きたらもう帰っていた……。こんな事なら、寝ているんじゃなかった……」
寝ていたのになぜ結果を知っているのか、などと、返答の分かり切ったことを訊くことはせず、サクラは嘆息した。
「はぁ……。まぁ、慣れ次第と言ったところでしょうね」
そして答えて、ヒスイを見遣る。
「機能性には問題ないか?」
「そうね」サクラは頷き、続ける。「あなたが何か思いついたりしない限りは、このままで十分よ」
「そうか……なら、今のところはこのままでいくとしよう。ボディスーツの開発も途中だし……あまりあちこち手を広げるわけにもいかない」
現状、この屋敷の中で一番仕事量が多い存在、それが彼、ヒスイである。
本人がそれを苦としていないことは知っているが、しかし、だからと言って、大量の仕事を当然の用に押し付けている現状には思う所もあり、「悪いわね、苦労掛けて」と言った。
「別にいい……思いついたものを形にするのは楽しいからな……」サクラの言葉に、ヒスイは予想通りの返答をした。そして大きく息を吸い込み、天井を見上げた。「苦痛なのは、同じものを大量に作らされ続けることだ」
ふぅ──と、彼は息を吐き、そして視線をサクラに向けた。
「人を増やせと言うんでしょ? 分かってるわよ。けど、もう少し耐えて。今は余裕がないのよ」
人を拾ってきたところで、面倒を見ることは出来ない。教育を施すことも、何も出来るような状態ではない。
「どこかで適当に才能ありそうなのを捕まえて寄越してくれれば、それでも構わないんだが……」
「その辺歩いて見つかるわけないでしょ、そんな人間。それに、ただ人がいればいいという話でもないのよ」
「いないよりはマシだがな」
ヒスイはそう言って、少し間を置き。
そして再び口を開いた。
「……それで? あんまり興味もないが、計画は順調なのか?」
「えぇ、かくれんぼにやや手古摺っているというくらいかしら。とは言え、これが終わらないと、心置きなく次に進むことも出来ないのだから、頑張るしかないわね」
「……そうか。盟主に協力を求めたりはしないのか?」
「たかが小物一匹始末するために彼の力を狩り始めたら、それこそ私の存在意義がなくなってしまうでしょう?」
小物一匹。
まさか本当にそう考えているわけではなかったが、つまり、相手を侮っているわけではなかったが、サクラは言葉強めにそう言った。
「盟主の事なのだし、既に相手の位置くらいは把握していそうなものだが……それを訊くこともしないのか?」
「えぇ。これは私達がやらねばならない事なのだから……」
「……こう言うのもなんだが、まさかそんなことはないのだろうが……手段や目的を、目的や手段を、取り違えていたりはしないだろうな」
「どういう意味よ」
「そのままの意味だ……。他に何かあるか?」
「無いわね。でも安心して──心配なんてしてないかもしれないけど」
「何をだ」
「手段は手段、目的は目的。それを間違えたりはしないわ。ただ単に、目的が、目標が、それがいくつもあるだけよ。私、結構欲深いから」
「それは知ってるが……。盟主が言っていただろう、あまり背負い込みすぎるなと」
「……努力義務よ。それに皆、私と同じくらい、色々なものを抱え込んでいるものじゃない。心当たりはあるでしょう?」
「抱え込むのと背負い込むのとでは、幾分か違うような気もするが」
「そう?」
「抱えているものは、重くなったら落としてしまえばいい……。だが、背負い込んだものは……それは、重くなったらその者を圧し潰してしまいかねない」
「なるほど」サクラは納得したように頷いた。「確かにそうかもしれないわね」
しかし。納得が出来ることと、それを受け入れることは別だった。
勿論、リュカに頼りたいという気持ちはあるが、彼の助力を得ればすぐに解決してしまうのだろうという気持ちもあるが、それではいけないのだ。
その人が主役のパーティーの準備を、その人に手伝わせるようなことがあってはならないだろう。
ゴミ掃除は、それくらいは。
「それでも……私がやるのよ」
彼女は薄暗い笑みを浮かべていた。
「……あまり拘り過ぎるなよ」
「どの口が……あなたの言えたことではないでしょう?」
「それとこれとは別だ。物作りには完璧があるとそう信じているからな……。しかし、そうでない物事に、凡そ完璧と呼べるものはない」
ヒスイは呟き、首を横に振った。
「物作りにも完璧なんてないでしょ」
「ある──そう信じなければ、妥協を良しとしてしまうだろうし」
彼は背を向け、そのまま歩き去っていった。
「分かってるんじゃない。……私も妥協したくないのよ」




