表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
滅界の花嫁  作者: アブ信者
第閑話
33/70

033

 アジサイの部屋はかなり広いが、しかしその広々とした空間は、酷く窮屈に感じられる。


 そしてその原因は、やはり所狭しと並べられた本棚が原因になるのだろう。というか、それ以外に見当たらない。


 這入って一歩目で、まず本棚が真正面にあるのだ。それを避け、等間隔に並べられた本棚の間を進んで行くと、ようやく少し開けた空間に出ることが出来る。


 窓に面したその場所が、アジサイの部屋における必要最低限の生活スペースである。そこには広めのベッドと、机、椅子、サイドテーブルが一つ。そのサイドテーブルにも何冊かの本が積まれていた。やはりどこを見渡しても本、本、本である。


 そんな部屋の机に突っ伏す少女が一人。当然ながら、部屋の主、アジサイである。


 勝手に這入るのも悪いかと思ったのだが、屋敷にやってきた際、朝食にも降りてこなかったという話を聞き、もしかしたら倒れているのではないかと考え、急いでやってきたのだ。ややあられもない恰好をしていたので、もしかしたら風邪をひいているのではと思い、その額に手を当ててもみたが、特に問題は無し。


 寝息を立てて突っ伏しているのを見る限り、書き物の最中にそのまま寝落ちした感じだろうか。


「運ぶか……」


 流石に寝心地もよくないだろうと、アジサイを持ち上げ、ベッドに下ろし直した。「んぅ……」と、小さく声が漏れた。


 布団をかけ直し、前髪を流し、そして一度部屋を出ようかと思ったのだが、少し気になり、部屋の中を見てみることにした。


 書斎よりも書斎然としたこの部屋には、一体どんな本があるのだろう、と。


 ただ、それもそうなのだが、まずは机の上の原稿用紙だ。アジサイを運んだ際に紙が何枚か落ちてしまったので、それを拾い、広げて見る。


 アジサイは寝落ちするまで筆を執り、一体何を書いていたのか。


「真っ白……」


 何度も何度も消した後が見られたが、結果的に、その原稿には一文字も記されてはいなかった。これがアジサイの寝落ちの原因なのだろうが、スランプというやつなのだろうか。いや、アジサイは前にも書き出しで躓いていることがあったから、今回もそれなのかもしれない。


 近くにあった別の書類らしきものに目が行く。


「こっちが設定資料集……と、プロットかな」


 だとしたら、今こちらを見てしまうのはマズいだろうと、目を外した。だが、一瞬見た限り、ジャンルとしてはミステリーらしい。そちらはびっしりと書き込まれていたので、話の大筋としてはもう固まっているようだった。それでも原稿が白紙なあたり、プロットを作成するのと、実際に書くのとでは、やはり違うということなのだろう。


 机から離れると、本棚には何があるのやらと、そちらに近付いて行った。


 近場にあったのは、色々な国に伝わる童話や、宗教的な説話など。それから、別言語で書かれたよく分からない本なども置いてあった。何となく読めないこともなさそうな文字から、記号にしか見えないようなものまで、多種多様である。アジサイはレグナム以外で書かれた本も読めるのだろうか。本好きが興じてそこまで行くと、もうただただ感服するしかない。


 奥の方の本棚には、歴史書や専門書のような物も収められていた。物語が好きなのかと思っていたが、存外濫読する方なのだろうか。


 少し見てみるだけでも面白そうではあったが、流石に量が多すぎると、本を閉じた。


 そして、その更に奥。箪笥やクローゼットが置かれていた。本棚こそなかったが、そこにあったクローゼットが少し開いているのを見て、足を向けた。少しだけ開いていたりするのを見ると閉めたくなるという気持ちが働いたのもそうなのだが、目的は別にあった──クローゼットなど、本来であれば服が入っているだけに決まっているとスルーしたのかもしれないが、その少しの隙間から見えたいくつかの紙の束、それが気になったのだった。


「本棚が足りなくなってクローゼットにまで侵食してるのか……。部屋用意すればいいのに。一人一部屋ってのを忠実に守ってるのかな……」


 この屋敷の子達は基本、ルールにかなり忠実に従う節がある。いや、何もそれが悪いことだと言いたいのではなくて、もちろんルールを守ることは不要なトラブルを未然に防ぐことにもなるわけだから、それは別に構わないのだが、しかし、こういった場合は例外として、その際のルールを自分たちで作っておくなりなんなりしておかないと、困るのは自分達だろう。


 ルールは守るものではなく破る物──とはよく聞く言葉だが、それもあながち間違いではないと思うのだが、大事なのは、そのルールが今の自分達を縛るものとして適切か、常にそれを考えることだ。


 破るのではなく、改めるのだ。ルールを破る者が出てくる原因には、それがきちんと改められていないことも含まれているのだから。


 だが、それはそれとして。


 クローゼットの中にあったのは、やはり大量の紙束であった。設定資料集や、メモ、それからプロットらしきものに、原稿。大体予想出来た通り、それらは小説だったらしい。これまでにもアジサイの書いたお話はいくつか読ませてもらったことがあったはずだが、しかしこれほどの物は見たことが無い。いつの間にやらこんな大規模なものを書き溜めていたというのか。


 それらを慎重に抱え上げると、先程の生活スペースにまで戻ることにした。


 流石にその場で読むには狭すぎる。


「…………」


 紙束をテーブルに置き、椅子に腰かけ、そしてそれに手を伸ばそうとして。


 ふと思った。


「勝手に見て大丈夫かな……」


 いつもは出来上がると真っ先に読ませに来るので、何となく読んでもいいかなと思って手に取ってしまったのだが、まだ読ませに来ていないということは、これだけ大規模ではあれど、未完成品という可能性もある。それか、完成自体はしているものの、推敲中故に他人に読ませられない作品という可能性も。


「まぁ……、でも……、ここまで来て読まないっていうのもな……」


 迷ったが「読もう」と決心すると、原稿に目を通し始めた。


 好奇心に抗うのは難しい。


 △▼△▼△▼△


「んぇ……?」


 何時間経過しただろうか、アジサイの書いた小説を読み、設定資料集を眺めていると、後ろで声が聞こえた。振り返ると、アジサイが目を擦っていた。いつの間にやらベッドで眠らされていたものだから、混乱しているのだろうか。


「おはよう。昼過ぎだけど」


「ん……」アジサイは上体を起こしてこちらを向き、目を三度開閉した。「……あ、主様!?」


 ゴシゴシと、袖で口元を拭うアジサイ。


「ごめんね、勝手に」


「あ、いえ、それはいいのですが……って、こんな恰好で……」アジサイは自分の恰好に気が付いたのか、ベッドの端に置いてあった上着を羽織り、前を閉じた。そして前髪を手櫛で整える。「すみません……。それで、何か御用でしょうか?」


「いや、用ってほどの事でもなかったんだけど、朝からずっと部屋に居るって聞いたからさ。もしかしたら倒れてるんじゃないかと思って見に来たんだよ」


「な、なるほど……」アジサイは窓の方に寄っていき、陽の高さを確認した。「あー、もうこんな時間……」


「夜通し書いてたの?」


「はい。あ、書けなかったんですけどね。でも、何かは出かかってたんです。ですからその、このまま寝たら忘れちゃうんじゃないかって、その出かかってた何かを形にしようとしてたんですけど……」


「いつのまにか寝てたと」


「はい……」


「あんまり小さいうちから徹夜とかするべきじゃないんだけどな……。それに、寝足りない頭でどれだけ考えても、良いものは出てこないよ?」


「うぅ……すみません……でも主様。私、別に、小さくはないと思います」


「えぇ? まだ小さいと思うけど……」


「これから大きくなる予定なんですから。五、六年後を楽しみにしててください」


 アジサイは言いつつ、ベッドを下りた。そしてこちらに近付き、自分が先程から机の上に広げていた書類の束を見て、動きを止めた。


 そしておずおずと、彼女は問う。


「あ……あの? 主様?」


「ん?」


「その……えっと、私が起きるまで……何をしていらしたのですか?」


「何を? ……あぁ、これを読んでた」束を見て、それを指差し、再びアジサイの方を向く。「部屋の本棚とかを見て回ってた時に見つけてさ」


「え……ど……どこ、どこにあったやつですか……?」


「え? クローゼットだけど」


 と、言おうとして──自分が『クローゼット』の『クロ』とまで言ったところで、アジサイは一瞬で顔を紅潮させると、甲高い声で叫んだ。


「あ、ああ、あああ、あああああああああああああああああああああああ!」


 相手が自分でなければ、もしかしたらアジサイはそのまま飛び掛かってきていたのかもしれない──いや、相手が自分であっても、アジサイは飛び掛かろうとはしたのだ。足元に脱ぎ捨てられていたスカートに足を滑らせさえしなければ。


「えっ……」


 彼女はこの短い距離で突進攻撃を仕掛けようと足を踏み出し、ズルっと滑って転んだのだった。


 文字にして一行。


 漫画にして一コマ。


 秒数にしてわずか一秒にも満たない、刹那の出来事であった。


 アジサイはサマーソルトキックでも放たんばかりの半回転を見せつけると、そのまま床に向かって背中から落ちていく。


 頭を打ってもマズいと、自分は座っていた椅子を蹴飛ばすようにして動き、アジサイの後頭部に手を差し込んで抱きかかえるようにした。


 そうして怪我だけは何とか避けられたわけが、アジサイが怒っているということは、火を見るよりも明らかであった。


「ごめん、読んじゃダメなやつだった……?」


「あ……う……」


 転びかけたら落ち着いたのか、暴れたりはしなかった。そして顔を赤くさせたまま目を伏せ、腕の中でもぞもぞと身動ぎした。それを受け、一度アジサイをその場に座らせた。


「その……どこまで読んだんですか……?」


 アジサイはこちらを見ようとはせず、ただそう尋ねてきた。


 ──どこまで。


 それはアジサイ著の──あの恋愛小説の事を言っているのだろう。


「なにぶん量が多いから、まだ四分の一も読めてないと思うけど……」


 束に目を遣りながら答える。


 そこには噓が混ざった。かなり読みやすく面白い作品だったために、既に四分の一は突破している。ただ分量が多いのもまた事実なので、実際のところは三分の一ほどと言ったところだった──しかし、あの怒りようを見た後では、少なく申告するほかない。


「あれはまだ未完成だったりするの?」


「……えっと、はい。未完成と言うのも、少し違うとは思っているんですけど……」


「今尚執筆中ってこと?」


「そう……ですね。恋慕の真っただ中です」


 主人公の女の子のことか。


 執筆中だということも、その目線で言い換えるだけで洒落た言い回しになるものである。


 ただ、この小説。


 アジサイの書く作品と言うのは基本的に、過去に自分が語って聞かせた前世の物語というものがその基軸にあったために、どことなくそれらを感じさせる設定だとかシーンが見受けられることが多いのだが、これに関しては、それらが一切、どこにも感じられないのである。


 いや、別にどちらが良い悪いという話でもない。影響を受けているとはいえ、アジサイは作品を書く上ではきちんとオリジナリティを出してくるし、期待には応えつつ、予想は超えてくる。決して設定や舞台、キャラの名前だけを変えたような物を出してくるようなことはしないのだから。


 しかし、この作品を読んで、どこか新鮮な気持ちにさせられたことは事実だった。何と言うか、アジサイが何の影響も受けず、ただ心の底から湧き上がる創作意欲を、余すことなく総て叩き込んだような、並々ならぬ情熱を感じさせられたのだ。


 読んでいるだけで沸騰させられてしまうかのような、熱く、分厚い想いを。


 まぁ、そういう作品なので、普段書き上がった作品を自慢げに読ませに来るアジサイが読まれることを嫌った理由というのにも、少しばかり納得がいくというものだった。


「……それで、どう思いますか?」


「感想ってこと?」


「はい。……読んで、どう、思いましたか?」


「そうだな……。面白いと思うよ。話も、ただ恋愛してるだけじゃないから、続きとか真相が気になる構造でもあるし」


 恋愛を軸としながらも、世界に蔓延る闇を人知れず抹殺するダークファンタジー的な要素があったりするので、この二つの話がどこでどう合流するのか、そしてどんな結末を迎えるのか、その辺は普通に気になるところではある。ただ、ラブコメの裏で普通に人死にが出ているという状況は、場合によってはどんなテンションで読み進めばいいのかが分からなくなってしまうものでもあるので、慣れが必要かもしれない。


「それに主人公が一途でひたむきで、読んでて応援したいと思わせられる」


 恋愛物なので、物語には主人公であるヒロインに対するヒーローと、それから障壁となるライバルの存在があるのだが、現状、全てにおいてこのヒロインはそのライバルに一歩どころか二歩三歩先を進まれている状態だ。そもそもスタートラインの時点で負けていた。しかしそれでも主人公は諦めず、何度も何度もあの手この手で立ち向かっていくというのが、この物語の基本的な部分となる。


 言葉にしてしまえば単純なことだが、それが繊細な心情の描写と共に描かれているので、感情移入がしやすいのだ。


 ただ、それ故に。


「だからこそかな……。彼、つまりは主人公の想い人……こっちにちょっと共感しづらいかもしれない」


「えっ?」アジサイは心底驚いたような顔をし、それから「そ、そう……ですか?」と、奇妙なものを見るような目で尋ねた。


「うん……。いや、まぁ、魅力が無いとまでは言わないんだけど、鈍いと言うか、何と言うか……」


 ライバルが優勢だとは言ったが、物語全体を俯瞰してみた時、ライバルも別に勝っているとは言えないのだ。あくまでもヒロインより先にいるというだけの話で、あからさまなアピールが通用していないあたり、結局はドングリの背比べなのである。それをそういう喜劇だと捉えればそれはそれで「いつ気が付くのだろう?」という楽しみ方も出来るのだろうが、ここまで鈍感だと、主人公はどうしてこの男の事を好きでい続けられるのだろうと思わされるのである。


「ここまで気が付かないと、理由も意味もなくヒロイン達からのアピールを無視し続ける異常者に見えかねないんだよね」


「い、異常者!? 異常者ですか……? そ……そうですか……」


 控えめに頷きつつ、言い過ぎかなと、少し反省した。異常者と言うよりは、人間味に欠けると言った方がよかったか。


「まぁ、それくらいかな。この路線で続けるのなら、気が付かないことの理由付けだとかをやっておいた方がいいとは思うよ」


「気が付かない理由……ですか。……何故、気が付いてくださらないのでしょう」


「それは分からないけど……」


 作中内のキャラの言動や行動原理を決められるのは作者であるアジサイだけだ。流石に分からない。


「主人公を好きになってもらうのは大事。それは出来てる。……だけど、恋愛をテーマにして書くのなら、読者は主人公を応援したり、あるいはそれに自己を重ねたりするわけだから、やっぱりその相手の事も好きになってもらわないといけない。どちらかだけが好かれてる状態だと、二人のことを素直に応援出来なくなるからね」


「…………」真剣な顔で、いつの間にやら取り出した紙にメモを取り続けるアジサイ。ペンを離すと、「他には何かありますか?」と、顔を上げた。


「他か……」何かあるだろうかと、少し考える。「あぁ……これもまたこの子の話なんだけど……」


「まだ何か……問題が?」


「問題と言うか、思ったことなんだけど……。この攻略対象、ちょっと属性とか能力盛り過ぎじゃない?」


 そう、この攻略対象。先程人間味に欠けるなどと言ったが、別の意味でも人間味に欠けているのだ──いや、欠けているのではなく、満ち足り過ぎているというべきなのだろうか。なんにせよ、超越し過ぎている。


 何をやらせても完璧なものだから、欠点らしい欠点が見当たらない──人間らしい欠点が見当たらないのである。


 それこそが欠点──だと言うにしても、やや盛り過ぎである。


「そうでしょうか?」


「うん……。何かこれだと、恋愛対象というより崇拝対象かなって」


「崇拝対象……ですか?」


「アイドル……じゃ分からないか。だとすると、神様になるのか……? とにかく、人間というよりはそんな感じになってるかなって」


 そう言うと、アジサイは胸の前で手をパチンと、合わせた。


「神様……! はい! 神様です!」


「え? あ、神様なの? 見る限り人間として描かれてたんだけど……」


 読み進めて行ったら、そういう展開が待っているのかもしれない──この物語の内容的に、その辺が大きく関わってくるのかもしれない──だとすれば、下手に疑問を呈したせいでネタバレを喰らってしまったのかもしれない──などとを考えていると、「あ、いえ、種族は人間ですよ」と、アジサイから訂正が入った。


「ですが……なるほど……出来ないことがある方がいい……と」


「そうだね……。完璧超人がダメっていう話でもないんだけど、流石に森羅万象総てを知り尽くしているっていうのはやり過ぎかなって……。まぁ、物語のキャラクターだから、確かにその辺含めて自由ではあるんだけど……、だからこそ好かれるための弱さは残しておくべきじゃない?」


「好かれるための……弱さ……」


「普段強くてかっこいい姿を見せているからこそ、たまに見せる弱さはただの弱さではなく、愛すべき弱さになり得る──みたいな。まぁ、その辺の感覚は人によるのかもしれないし、あんまり参考にはならないだろうけどね。それに、たまに見せる弱さにしても限度があるし」


「限度……ですか?」


「うん。どんな魔物も一撃で葬り去るけど、実はお化けが怖いとか、そういうのならまだ許容できるかもしれない。けど、普段かっこいいこと言ってる彼が、嫌いな野菜が食べられなくて泣きべそ掻いてるとかだと、流石にキツイから」


「な、なるほど……確かにそうですね。……主様はお化け、嫌いなんですか?」


「僕? ……いや、別に? この屋敷を手に入れる時に相手してるし」


「そういえばそうでしたね……」


 その辺の話もしていないわけではないので、アジサイは苦笑して。


「では、何かありませんか?」


 と、何故かそんなことを尋ねてきた。


 何故自分に訊くのかと思いつつ、少し考えてから答えた。


「そうだなぁ……虫とかは嫌いだけど……。でも、このキャラはこのキャラなんだから、このキャラの苦手な物事っていうのは、その生い立ちの中に隠れてるはずだよ」


「生い立ちの中に……なるほどですね」


 キャラクターは物語と同時に生まれるものだが、しかし物語の中には世界があり、その世界は物語が始まる以前から存在しているはずなのだ。だとすれば、その世界には背景があり、出てくるキャラクター一人一人には生い立ちがある。それを物語中で明かすかどうかは別にしても、そのキャラの言動はその生い立ちに準拠させなければならないだろう。


 そして、アジサイはメモを片付けると、「これを叩き台に、一から書き直してもいいかもしれません」と、一切の冗談を感じさせない口調でさらりと言ってのけた。


「えぇ!? そこまでする?」


「本当はこれ、誰にも読ませるつもりなかったんです。でも、どうせ読まれちゃったのなら、完璧に仕上げたのを読んでもらいたいじゃないですか」


「それは……本当にごめんね」


「主様だからいいですけど……。あ、でもこれ、他の子達には言わないで下さいね?」


「言わないよ。約束する」


 そう言って、それからまたしばらく色々話をして、門限の前には屋敷を後にしたのだった。


 △▼△▼△▼△


「ねぇ、スズラン。訊きたいことがあるって言ったら、困ります?」


 夕食後。眠たげな眼をしながら画用紙に定規を当てていたスズランの肩に手を置き、アジサイは話しかけた。


「ひっ……!?」突然のことに驚き、スズランは飛び上がる。「わ、私に……? な、何ですか……?」


「相談事……で、合ってるのかな?」アジサイは首を傾げて呟くと、スズランを見据える。「まぁとにかく相談なのだけれど、乗ってもらってもいいですか?」


「えっと……?」


 スズランはアジサイからの言葉を待つ。


「今日主様が来たじゃない? その時に少し困ったことになってしまって……」


「は、はぁ……。でも、どうして私に……? 主様の事であれば、サクラ様に相談すれば……」


「う……」と、アジサイはとある事情から言葉に詰まる。「それは……そのですね……」


 確かにスズランの言うことも尤もではあるのだ。しかし、サクラは基本的に鋭い。下手にそのような話題を出せば、これまで隠し通してきた、アジサイの妄想を詰め込んだ小説の存在がばれてしまいかねないのだ。


 それは避けなくてはならない。リュカ本人にバレただけでも大ダメージだと言うのに、これ以上は耐えられない。


 というか、内容的に、サクラにバレると関係性にひびが入りかねないのだった。


 なのでアジサイは悩んだ末、「あなたが自虐の専門家だからです」と答えた。


 考え得る限り最悪であった。


「え……。ち、違います……」


「冗談ですよ。けど、実際困っているのはそういうことで、あなたが普段自虐的な態度ばかり取るから、どんな気持ちでそう言っているのかが知りたいんですよ」


「……? それは、主様が自虐的な言動をされた……と?」


 これまでの発言を統合すれば、考えられる事はそれくらいだった。


 なのでスズランはまさかと思いつつも、そう尋ねてみる。


「そう……いや、敢えてそうされたのだとは思うのだけど……」


 敢えて。


 あの小説が現実を──自分達をモデルにしたものだということに気が付かないふりをするために、リュカはわざわざそんな発言をしてくれたのだろう。アジサイが動転したのを見て、多少無理矢理でも知らないふり、気が付かなかったふりをしてくれたのだ。だからこそアジサイもそれに乗ることが出来た。


 アジサイとて、恥ずかしさから多少ぼかして書いてはいるものの、まさかあれを読まれてバレなかったなどということを期待したりはしない。序盤を少し読んだ程度であればまた別だったかもしれないが、四分の一も読めば嫌でも分かるはずだ。


 しかしそう考えると、全部読まれていたわけではないことは不幸中の幸いだったと言えた。書き直す際には過激なシーンを全て削除する必要もあるかもしれない。見られていなくて本当によかった。


 思い返すだけで顔が熱くなっていく。アジサイは冷気を纏い、強制的に頭を冷やした。短く息を吐くと、呼吸を落ち着ける。


 そして、出来る限りそのあたりの詳細を伏せながら、スズランに事情を話した。


「それでですね、スズラン。主様が自虐的なことを言い始めた際、私は……いえ、私達は、どう反応するのが正解なのでしょうか」


「でもそれは……敢えて……わざとなんですよね? 知らないふりをするために……なんですよね?」


「そうですよ。でも反応しないわけにはいかないでしょう? 主様からの温情に対して」


「それはそうですけど……」スズランは少し言い辛そうにしたが、言わなければ話が進まないと、口を開く。「えっと、そもそも主様にそういうことを言わせたアジサイが悪いんじゃないんですか……?」


「う、うぐ……っ、わ、分かってますよ!? 分かってますけど! そんなことは大前提としての話です!」


「ご、ごめんなさい……!」


「謝るのはいいですから、教えてください」


「そ、そんなことを言われても……」


 スズランは目を逸らし、作業に戻ろうとする。


 アジサイはそんな彼女の手に自身の手を重ねると、その顔を覗き込むようにして、「何かありませんか?」と問う。


「な……何もありませんよ……」


 視線を泳がせ、スズランは首を横に振る。


 すると。


「何か、ありませんか?」


 と、アジサイは繰り返す──輝きの消えた目を向けながら。


「えぇ……?」


 スズランは答えなければこの話は終わらないのだということを悟ると、身体を縮こまらせながら、答えを探した。


「えっと……それが優しさからくるものなら、否定も肯定もせず、有耶無耶にすればいいんじゃないですか……? というより、そうするしかないのでは……?」


 そう言われれば、そうだとしか言いようがなかった──しかし、アジサイが求めているのはそんな答えでもなく。


「でも、それはあくまで一般論じゃない? 普通の人に対する対応と、主様に対する対応が同じでいいのかしら」


「それもそうですけど……。そういうこともあるのでは……? それに、それを言い始めたら、挨拶から何から、全て特別なものに置き換えていかなければならないという話になりませんか……?」


「それもそうですね……」


「だから多分──」


 と、言おうとして、それより先にアジサイが口を開いた。


「ならこれからはそうしていくように、今度議題に上げたほうがいいのでしょうか……」


 と、考え込んだアジサイの頭を後ろから来たクロユリが叩いた──スパンと、子気味良い音がした。


「あひゃんっ!」


「いいわけないでしょ。流石にそこまでやっていたら大変じゃない」


「何で叩くんですか!?」


「馬鹿な話を持ちかけて、スズランの仕事の邪魔してるから」クロユリは冷めきった声で言うと、アジサイを押しのけ、スズランの手元の画用紙を覗き込んだ。「全然進んでないじゃない」


「あ……えっと……その……」


「いいわ。あなたがサボるようなことをしないのは分かってるから。というか、大体知ってるから」クロユリは優しくそう言うと、アジサイを睨んだ。「今忙しいから、邪魔しないで欲しいんだけど」


「忙しいって……何をやってるんですか?」


「前に言わなかった? 商会で新たに取り扱う服のデザインよ。それ以外にもヒスイに渡さなきゃいけないものとかもあるし……、戦闘用の装備も考えないといけないし……」クロユリは頭を抱え、嘆息した。「とにかく、相手してる暇はないの。今度邪魔したら容赦なく尻を叩くから」


「むぅ……。それなら最後にクロユリからも教えてくださいよ。聞いてたんですよね?」


「聞いてたわよ。でも、スズランと一緒。もし気がついていないふりをするためにそういう振る舞いをしたのなら、否定するのはその優しさを踏みにじるのと同じ。だからと言って肯定すれば、それはそれで失礼。なら、身を委ねて有耶無耶にしてもらうべきでしょ。まぁ、始めからそんなことをさせなければいいだけの話だと思うけど」


「それはさっきスズランにも同じことを言われましたっ!」


「だからよ。主様が仰られていたでしょう? 「大事なことだから二回言った」って」


「……、クロユリってもしかしなくても私の事嫌いですよね」


「別に嫌ってなんかないわ」


「でも好きじゃないですよね?」


「いいえ。好きよ? ここに来たばかりの私の面倒を見てくれてたのはほとんどアジサイなのだし。まぁ、主様に向ける感情をアジサイにも同じだけ向けろと言われると、少しキツイけど」


「キツイって何ですか!?」


「そのままの意味。あら、それともほかに意味があったかしら。普段あなたほど本を読まないから分からないわ」


「今の文脈では意味なんて一つしかありませんよ……!」


「へぇ、そう。勉強になったわ」


 クロユリは一切の感情を感じさせない平坦な口調で言った。


「それで? もういい? スズランも私も忙しいんだけど」クロユリはスズランを見る。「そうよね?」


「えっ……?」


 反応を求められ、スズランはほとほと困り果てた顔でごにょごにょと口を動かす。


「分かりましたよ。私も今日は早く寝ないとなので、この辺で失礼します」


 そんなスズランを見て、アジサイは欠伸をしながら部屋を後にした。


「クロユリは……アジサイの事嫌いなの?」


 アジサイを見送ると、スズランは画用紙に線を引きながら尋ねた。


「いいえ。さっきも言ったじゃない、好きだって。ルリじゃないんだし、意味もなく噓は吐かないわよ」


「じゃあなんで……」


「あの程度じゃ怒らないっていうことが分かってるからよ」


「信頼関係……って、こと?」


「そう。でも別に、あなたに同じようにしないのは、あなたを信頼していないからというわけじゃないわよ。人それぞれ、接し方は変わるものだから」


「……うん。私もクロユリは優しい方がいい」


「そう。ならそう在れるように努めるわ」クロユリはスズランの頭を撫で、それから「さて」と言う。「私達もそろそろ寝ましょう。それは明日にして」


 そう言われて、スズランはペンを置いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ