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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第霊話
18/70

018

「あら……?」


 リュカが考え事をし始めたので、その内にまだ確認の終わっていない部屋を軽く調べておこうかと思い、目の前にあった部屋に這入ったサクラだったが、一つだけそれらしい紋章の入ったペンダントを見つけることが出来た。


 なので、それが依頼書に書かれていた物と一致しているかどうかを確かめようと、廊下にいるリュカに声を掛けるべく部屋を出たのだが、何故か、そこにリュカはいなかった。


「…………」


 サクラは手元のペンダントを見、再び顔を上げる。ペンダントを服の中にしまうと、周囲をキョロキョロと見回す。


 そして、もしかしたら隣の部屋に居るのかもしれないと思い、隣のドアを開けた。しかし、中には誰もいない。探索したような跡もなく、サクラは念の為にその部屋も軽く漁ってから、部屋を出た。


「……? どこに……」


 と、次の部屋のドアを開け、中を見ていく。しかしそこも調べた形跡の無い部屋で、リュカの姿もまた、見当たらなかった。


 部屋には大きなベッドがあり、脇にはナイトテーブルが一つ。それは埃を被っているものの、掃除さえすればそのまま使えそうでもあった。


 ベッドの方は、今のサクラであれば確実に持て余すようなサイズで、なんなら、そのベッド一つでリュカとコハクとアジサイを加えた四人が寝ることが出来そうだった──とは言え、コハクは寝相が悪いので、実際に寝るとしたらコハクを除いた三人になるのだろうし、もう少し大きくなれば、流石にそのベッドで寝られるのも二人が限界といったところだろうが。


「……まぁ、どうせならもっと上等な部屋がいいのだけど」


 サクラは呟き、動き出す。彼女はナイトテーブルの引き出しを漁ると、特に何もないことを確認し、次にクローゼットに向かう。


 開け放った際に若干のかび臭さを感じつつ、中に何か無いかを調べていった。あったのは、女性ものの服が数着と、小さな鞄が一つ。それ以外にもいろいろありはしたものの、お目当ての物はなさそうだと、探索済みであることが分かり易いようクローゼットを開けたままにし、部屋を後にした。


 そうしてしばらく進み、確認を終えていない部屋や、細々とした部分を調べながら進んでいき、階段へと到着した。


 しかし──


「……? 何かしら、これ」


 そこは何故か塞がれていた。見ればそれは、どうやら土の魔法で通れないようにバリケードを張っているらしかった。虫一匹とて通すつもりはないというような威圧感、圧迫感をひしひしと感じる。


 首を傾げ、次の瞬間には反射的に拳を握り締め──全身を魔力が奔り抜けていた。


「いや、違う……」


 サクラなら破壊して無理矢理に進むことも出来た──だが、それを置いたのがリュカなのだろうということに思い至ると、構えた拳を解き、魔力を雲散霧消させ、その意図を思案し始めた。


「……手分けしようという話なのかしら。けど……」


 たったそれだけの理由にしては、階段を丸々塞ぎ切るなど、随分と大がかりであった。こんなことをせずとも、一言「手分けしよう」と言ってくれればそれでよかったはずなのだ。


「何かあったのかしら……」


 何か緊急事態が起こり、やむを得ない行為として、咄嗟に階段を塞いだという可能性に目を向ける──しかし、それは否定出来た。


 わざわざこんなものを用意するだけの余裕があるということは、何か緊急の問題が起こったからこうしたというわけではないのだろうと考えられたからだ。


 だとすれば何か他に考えがあるのかもしれないと、サクラは頭を回す。


 サクラにとってのリュカは、様々な知識を持ち、日々新しい魔法を生み出し、欠損した腕すら生やし、人知れず魔神を滅ぼしてしまうような特別な存在だ。


 そんな彼のやる事なのだから、何か考えがあるに違いない──その前提は揺るがない。


「…………」顎に手を当て考え込んでいた彼女は、徐に顔を上げる。「逃げ道を塞ぐため……?」


 逃げ道。


 だが、誰の。


 誰を逃がさぬための通行止めなのか。


 そしてまた黙り込むと、彼女は思考を巡らせる。


 彼は前々から、この屋敷に現れるという噂のあるレイスについて興味を示していたが、それを止めようというのであれば、この土のブロックはまるで意味を成さない。レイスは幽体で、物質はすり抜けることが出来るというのが常識だ。


 となると、目的はそれ以外。


 既にこの屋敷の内部には誰かが入ったような形跡があったし、その上、この依頼を受けた人間を消している犯人がいるのではないかという可能性も上がっている。そこから推察するに、彼はその犯人を追い詰めようとしている──ということなのだろうか。あるいは、もう既に接触している可能性すらある。


 しかしそうだとして、どうして何も言ってくれないのだろうか。


 言ってさえくれれば、協力も出来ただろうに。


 とは言え、言わなかったということは、言わないことに理由があったのだろうと、彼女は気を切り替える。


「もう一度一階の探索をし直してみればいいのかしら」


 サクラは踵を返すと、探索の粗かった個所を洗い直し始めることにしたのだった。


 △▼△▼△▼△


「え……?」


 幽霊を視認し、それを伝えようと振り返ったら同行者が忽然と姿を消していた──というのは、ホラーゲームや映画などでは最早おなじみの展開なのだが、実際に自分の身にそれが起こるとかなり焦るものだということを、知ることになった。


 スゥーっと血の気が引いていくのが分かり、嫌な汗が額を流れ落ちていく。


「え? え……?」


 近くの部屋を覗いてみるも、サクラらしい人の姿はない。


 どこに行ったのだろうか。自分が歩きながら考え事をしていたからといって、何も言わずにどこかへフラフラと行ってしまうような子ではないはずだ。


 うん、まぁ、いや、完全にフラフラ歩き回っていた自分が悪いのだが、それでも別行動に際して声を掛けてこないようなサクラでないことは知っている。


 だったら、何者かに襲われ、そのまま攫われたということなのか?


 それも考えられるが、考え難い。ただの子供であれば攫ってしまうのも簡単かもしれないが、魔物やそこそこ大きめの動物を軽々仕留めて持って帰ってくるような子供が相手では、そう一筋縄ではいかないだろう。


 相手がそれを上回る力の持ち主だったとしても、何の抵抗もせずに連れ去られたなどということは無いだろうし、その場合、いくら考え事をして集中していたとしても、音で気が付く。


 だとすると、幽霊の仕業か。


 なんて、そんな馬鹿げた思考を元に行動する自分ではなかったはずなのだが、先ほど見た白い何かが効いていたのだろう、少なくとも、冷静ではなかった。


 サクラに何かがあったのではないかという焦りと、今見たものは何だったのかという恐怖。


 それらが正常な思考を奪いつつあったのだった──尤も、正常な思考というものをこれまでだって出来ていたのかは、甚だ不明だが。


「サクラを探しつつ、必要なものも探していくか……」


 屋敷自体は大きなコの字を左右反転させたような形状をしていて、それに引っ付くようにしていくつかの建物が建てられており、それなりに入り組んだ構造をしている。自分達が這入ってきたのはその反転させた『コ』の右下で、今いるのは大体左上の少し下辺り。


 階段は一か所ではなく何か所かに設置されていたので、取り敢えずそこから二階へと上がることにした。先程白い何かを見たすぐ近くの階段だったので、何か出てきたりするのではないかと冷や冷やしていたのだが、上がってみると何事もなく、一階と同じような構造の廊下が伸びていた。


 部屋数もまたそれなりにあり、一個一個調べていくのは骨が折れそうだと肩を落とした。


 ただ、一階にほとんどの施設が集中している為か、二階は私室として使うような部屋が多く、ベッドやら机やら衣装入れやらがあるだけの部屋は探すべき場所が少なくて済むということもあって、探索自体は存外楽に進んでいたのだった。


 しかし、サクラがいない。一度入口の方まで戻るべきだったのだろうか。だが、白い幽霊の正体も看破しなければならないのだし、一度上を調べてから下に降りていくような形で探すほうがいいのかもしれない。階段が何箇所も設置されているために入れ違いになってしまいそうなのが怖いが、何度か上り下りをしていれば、その内合流も出来るだろう──いや、違うな。


 階段を前もって塞いでおけばいいのだ。そうすれば、お互いの通り道を一つに絞ることが出来る。


 ちょっとしたバリケードでは軽々と乗り越えられるかもしれないので、思いっきり塞いでおこう。それでも破壊されれば通られてしまうのだが、その時は破砕音で気付くことが出来る──はずだ。


 それはとても、いい案なように思えた。


 なので取り敢えず土の魔法で巨大なブロックを作り出すと、来た道の、下に降りるための階段を塞ぐことにした。上から降りてくることは可能だが、下に降りようと思えばこれを壊さなければならないということになる。そして次にもう一つの、屋敷に全部で三か所ある階段の内の真ん中に位置する階段も塞いでおくことに。こちらは上にも下にも行けないように、完全に蓋をしておく。それから最後の三つ目は、上に向かうための階段を塞いだ。


 こうすることで、一階から三階まで上がろうとすると、必ず二階の廊下を通らなければならないという状況が出来上がる──逆もまた然り。これで行き違いになって合流が出来ないなどという事態に陥ってしまう可能性を下げることが出来たというわけだ。


 ということで、満足すると、改めて部屋の探索を進めることにしたのだった。


 △▼△▼△▼△


 イリーナは階段を上がり、近くにあった部屋の物陰に身を潜めると、シーツに包まったまま、息を殺していた。


 助けて──と、次から次に湧き出てくる泣き言を吐き出してしまいそうになるのを必死にこらえ、外の様子を窺う。


「…………」


 大丈夫、何もいない──そう自分に言い聞かせても、そこから動けそうにはなかった。


 一階の玄関から聞こえたドアの音に怯え、しばらくもの間、家宝や人形を回収することも忘れて二階をうろうろとしていた彼女だったが、どうにか屋敷の外へと出られないかと様子を窺い、意を決して階段を降りた──ところまではよかったのだが、そこで何かよく分からないものを見てしまったのだ。


 階段を降り、玄関へと向かうまでの薄暗い──ほぼ真っ暗と形容してもいいような廊下で見たのは──光の球であった。


 白く淡い光が、中空に浮かんでいたのだ。そしてそれは何かを探すようにして動き回っては、時折消えたりしていた。


 イリーナはそれを見、自分を探しているに違いないと考え、即座に逃げたのだ。なので、今その光が何処にあるのかは分からない。しかし、今なお自分を追ってきているはずだと考えると、迂闊には出られなかった。


 そうして蹲っていると、外から足音が聞こえた。


 カツカツ──と、階段を上ってきているようであった。


 その音を聞き、イリーナはここでは見つかってしまうかもしれないと思い、近くにあった隙間に入り込むと、シーツを被り直す。物がいくつかそのままにされていたらしく、イリーナほどの小さい体であればねじ込むことが出来た。カチカチと歯が鳴ってしまいそうになるのを抑え、息を殺し、外の様子も窺えないまま、それが通り過ぎてくれるのを待つ。


 しかし──それは部屋に這入って来てしまった。


 外の様子を見ることは出来なかったが、隙間から光が見えていた。


 やっぱり自分を追って来たんだ──と、彼女は内心で助けを求める。表には出さないが──面には出さないが、心の中ではもうグズグズであった。


 息を殺し続けていると、物音が聞こえてきた。どうやらこの部屋の中を探しているらしい。誰を探しているのかなど、考えるまでもない。


 音は段々と近づいて来る。


 このままここに居続けたら見つかってしまうのではないか、ここから飛び出して全力で走れば逃げ切れるのではないか──と考えたが、それはダメだと、口を真一文字に噤んだ。


 イリーナは脳内で、この間屋敷で働く噂好きの使用人達が話していた、とある怪談を思い出していた。


 それは、捨てられた人形が持ち主を殺す為に動き出すという話で、その話の最後には、恐怖に耐えきれずクローゼットから飛び出したお爺さんが無惨に殺されていたという話だ。


 使用人達はそれを三年前にこの屋敷で起きた事件に結び付けて話していたが、それだけは違うと、祖父はそんなことをするような人じゃないと、ハッキリ断言出来た。


 しかし、今の状況はまさにその怪談に近かった。ここで飛び出て行けば、自分は殺されてしまうに違いない。


 彼女は目を瞑り、息も止めて、それがいなくなるのを待った。


「……。……?」


 待っていると、音は聞こえなくなった。先程まで見えていた光も、どうやら消えているようであった。もしかしたらいないフリをして自分が出てくるのを待っているだけかもしれないと、イリーナは落ち着いて周囲の音に耳を澄ませる。


 ──何も聞こえない。もう出てもいいのだろうか。もうそこには誰もいないのだろうか。


 イリーナはシーツを被ったまま、慎重に、音を立ててしまわぬようにゆっくりと、そこから這い出た。


 部屋のドアには隙間が空いていた。彼女はそこから廊下の様子を窺うと、元来た階段を目指して移動を開始した。今あの光は二階にいるはずで、一階に降りてしまえば出くわすことは無いだろうと考えたのだ。


 しかし。


「……「……?「……?「……!?」


 思わず目を剥いた。


 二度見、三度見、四度見までして、ようやく何が起こっているのかを理解し始めた──階段が塞がれていたのだ。


 三階に上がるための階段は使えるようだったが、下に降りることが出来ない。イリーナはおっかなびっくり近付いて、階段を塞いでいるものに素手でペタペタと触れてみた。どうやらそれは土を固めたようなもので、イリーナの筋力ではとても退かせそうにはなかった。


 どうして、いつの間にこんなものが。


 イリーナは別の階段ならと思い、またも慎重に行動を開始する。


 そして、二つ目の階段にまでたどり着いた。しかし、その階段も塞がれていた。それも、上に行くことも下に降りることも叶わない。


 何でこんな事にと、そこでとうとう泣いてしまいそうになった──その時。


 ガチャリ──と、少し先から、ドアが開く音がした。


 イリーナは焦った──ここにいたら見つかってしまう。


 三つ目の階段であればまだ使える可能性もあったが、ここからそれを確認しようと思えば、あの光と入れ違いにならなければならない。無論、時間を掛ければそれも不可能ではないだろう──物陰に隠れつつ、様子を窺い、少しずつ進んでいけば。


 しかし、それでもし見つかったら。


 逡巡し、彼女は音もなく、先程の階段へと走り出した──シーツの擦れる音はしていたのかもしれないが、別段バレることもなく、そこへと辿り着いた。


 やはり見間違いでも何でもなく、下に降りることは出来ない。


 だが、あの光は今二階にいるのだ。だとすれば一度三階に上がり、そこから反対側の階段に回り込んで降りるほうが、物陰に隠れたりするよりも安全で確実だろう。


 呼吸を落ち着け、イリーナは階段を上っていったのだった。


 △▼△▼△▼△


「無いし、いないし。どこに行ったんだろ」


 部屋を出、呟く。二階の探索も半分を超えたのだが、未だにそれらしい家宝を見つけるには至っていなかった。


 何もない部屋も所々あったりして、探索が楽なのはそれはそれでいいのだが、こうも何もないと、それはそれで不安になる。もう誰かが持ち出してしまっているのではないかとか、持ち出した先でアンデッドに襲われて、今頃森の中に埋まっていたりするんじゃないかとか、そんなことばかり考えてしまう。


「……ん?」


 薄暗い廊下の奥に走り去っていく何かが見えた気がした。慌てて光を動かし、それを照らそうとしたのだが、時すでに遅し。それは曲がり角を過ぎ、見えなくなってしまったのだった。


「もしかして……さっきの……」


 白い──幽霊。


 今走り去っていったのはさっき見たアレだったのではないか。


 そう思い、部屋の探索はまだ残っていたものの、興味本位からか、怖いもの見たさからか、来た道を戻るように、足は勝手にその方向に向いていた。


 君子危うきに近寄らずとは言うが、だからこそ、自分はそう動いたのだった──君子ではなかったから、危うきにも近寄ってしまうのだろう。愚かしいことこの上ないが、しかし実に人間らしい。


 他人事のような、自分の意志で。


 自由意志ではないにしろ、その意志で──段々歩幅を大きくしながら歩き始めた。


 直感でしかないが──アレを放置するのはよくない気がした。


 得体のしれない、白い幽霊。


 レイス、アンデッド──それらを彷彿とさせる、何か。


「にしても、やっぱり事件があったようには思えない……よな」


 二階に上がっても事件が起こったような雰囲気はなく、痕跡も見られず、腐敗臭などもすることはなかったのだ。本当にこの屋敷でかつて人死にがあったのか、それさえ疑わしい程に、内部は只々ひっそりとしていた。


 まるで──神隠しにでもあったかのような。


 そんな人の消え方をしている。


 やはりこれはレイスなどによる、魔法的な、あるいは呪術的な殺人事件だったのだろうか──少なくとも、人間が行ったそれには見えない。だが、先代領主夫妻の遺体は発見されたという話だったのだし、どうにも疑問が残る。この森にアンデッドが溢れるようになった原因も未だに分からないし──いや、その原因究明に乗り出していないのだから、分からなくて当然と言えば当然なのだが、皆目見当のつけようすらないとなると、どのような仮説を立てた上でどのようにして動けばいいのかすら分からないとなると、そこで思考が止まってしまう。


 困ったものだ──と、階段へと到着した。


 下への階段を塞いでいる土は、未だ破壊された形跡もない。サクラはここには来ていないのだろうか。


 だとすると、三階を探索しているか、普通にまだ一階にいるのかのどちらかになるわけだが──今は取り敢えずあの白い幽霊が先だ。


 光を維持しつつ、階段を上がっていき、三階へと乗り込む。階段はやはりそこで切れていて、これより上の階は無いようだった。そして、足を踏み入れて、始めに鼻をスンスンと動かし、空気を吸い込み、臭いを嗅いだ。


 やはり、何の臭いもしない。


 勿論、人が腐った時に発する臭いなど知りはしないので、もしかしたら今自分が普通だと思っているこの臭いこそがそれの可能性も十二分に存在するのだが、流石にその可能性を高く見積もったりはしない。体内のガスやら何やらが漏れ出て、その結果として想像を絶する激臭を発するというのは、どの世界でだってそこまで変わらないだろう。


「何があったらこうなるんだ……?」


 事件が起こった場所がまずそもそもここではないという可能性──は、無いだろう。断言も出来ないが。


 一先ず目の前にあった部屋に這入り、考える──はずだったのだが、這入ってまず驚いた。


「……?」


 どうせまた空き部屋に近いような、ほとんど何もない部屋なのだろうとばかり思っていたのだが、その部屋は随分と高価そうな家具の並んだ、貴人の私室とでも言うべき空間であった。暗い色の家具で統一された、落ち着いた部屋。ベッドのマットレスも上質なもので、椅子の座り心地もかなりいい。前世で使っていたようなものと比べると流石に少し硬いが、この世界基準では上等なものだ。その他の家具も一つ一つが細かい装飾の施された一品で、ただの使用人が使っていた部屋とは決して思えない。


 だが、三階の、それも玄関から一番遠い場所に位置するこの部屋を、家主は私室としていたのだろうか。


 椅子から立ち上がると、少し歩き、カーテンを捲った。すると窓からは、森の様子を少しだけ見ることが出来た。ただ、木々に邪魔されるばかりで、あまり遠くまでを見ることは出来ない。


 しかし、三階ということもあって陽の光が入りやすくなっており、部屋全体がどことなく明るくなっているので、もしかしたらそれが目的だったのかもしれない。人間、まともな生活を送りたいと思えば、陽の光を浴びることはほぼ必須だ。それが出来なくなると、あっという間に狂っていく。


 狂う──か。


 そんなことを言い出せば、こんな場所に居を構える方がどうかしているとは思うのだが。


 しかし、そんな部屋なら家宝の一つもあるかもしれないなどと思い、少し本腰を入れて部屋を漁り始めた。


 白い幽霊を追って三階に上がってきたのはどこの誰だと問い詰めたくもなるが、しかし元の目的を忘れてはいけない。そもそもこの地には家宝の回収に来たのだから、それらしい部屋を見つけたらまずはそちらの確認を急ぐべきだろう。


 そうして部屋を物色していたのだが、部屋の隅、そこに置かれた机の横に、日記帳のような物が落ちていた。机の上にはペンが置いてあったので、それで書き物をしていたのだろう。それを拾い上げ、机の上に戻す。中を開くと、毎日ではないものの、持ち主は数日に一度日記を付けていたらしい。内容は主に孫娘の事が書かれているので、やはりこれの持ち主はこの家の家主──先代の領主なのだろう。


 パラパラとめくってみた限りでは、何やらいろいろと事情があって孫娘の面倒を見ることに決めただの、これからその記録を付けていくだのといったことが長々と記されていて、それはその孫娘──イリーナが四歳になる辺りまでは順調に記されていた。


 孫娘にはかなり深い愛情を持って接していたようで、これを見る限りでは、これを記していた人物はかなりの善人なようにも思えたのだが、そんな人物でも恨みを買ったりはするのだろうか。しかしそうは言っても貴族なのだから、その辺はやはり話が別なのかもしれない。孫娘に対する態度と、それ以外の人間に対する態度とが同じなわけもないのだし。


「人形をプレゼントした……か」


 日記は、『人形あげたら物凄く喜んでくれた! お爺ちゃんも嬉しくて昇天しちゃいそう!』などという、笑っていいのか笑ってはいけないのかよく分からない年寄ジョークを交えつつ、割とテンション高めに記されている──これは全部読もうなどと考えてはいけない呪物の類かもしれない。


 既に悪寒と虫唾が体内を全力疾走している。皮膚の下が痒い。


 ただ、この日記の文体、どこかで見覚えがある。とは言っても、書斎の本なども飽きるほどに読んでいるので、その中にどれか一つくらいはこの人が書いた本が混じっていてもおかしくはないか。


 しかし、この人形をプレゼントしたあたりから、この日記は──否、先代領主は様子がおかしくなっていた。


 簡潔に纏めるのなら──人形に嫉妬していると言ったところか。


 およそ正気ではない。やはり、太陽の光を浴びることの出来ない生活は身体に悪いのだということがここに証明された。この家を貰ったら、辺りの木は伐採することにしよう。


 そして、読み進めていくと。


「……」ある一文に目が留まる。「人形に……憑依……?」


 この爺さん、とんでもないことを企て始めた──いや、既に過去の事なので、その企てはどのような形にせよ終わっているのだが。


 あまりにもな内容であったので、全文を読むようなことはしなかったが──要するに、人形ばかりが孫娘に構われていることを嫉妬した挙句、自身の魂を肉体から引き剥がして人形に憑依させることで自分も構ってもらおうという、想像するだに悍ましい計画を練っていたのである。


 嫉妬。


 七つの大罪にも数えられる──人の感情にして、罪の源。


 嫉妬に狂って凶行を引き起こしたなどという例は、枚挙に暇がない。


 ただ、これでも十分問題と言えば問題なのだが、しかし一番問題なのは、これが失敗に終わっているということである──それも、悪い意味での失敗に。


 成功や失敗には、それぞれ二パターンあり、成功の中にも成功と失敗があって、失敗の中にも成功と失敗があるのだ。


 例えば、教訓を得られた成功と、学び無き成功──前者は真に成功と言えるが、後者はほとんど何も得ていないようなものであり、厳しめの判定を下すのであれば失敗と言えなくもない。


 そして、次の糧になる失敗と、取り返しのつかない失敗──前者は失敗ではあれど成功に近付いていると言えるが、後者はどうしようもなく失敗なのだ。


 ここまで言えばわざわざ言う必要もないのだろうが、先代領主がした失敗は、このうちの悪い意味での失敗──取り返しのつかない大失敗なのだった。


 彼は人形に憑依するための儀式をこの屋敷で行い、失敗している。この失敗により、彼は肉体から離れることには成功したものの、人形に憑依することは出来ず、自分の身体に戻ることも出来なくなったのだという。更に悪いことに、当時屋敷にいた人間を、その儀式の失敗で巻き込んでいるのだ。妻である先代領主婦人は彼同様の幽体にされてしまい、肉体に戻ることが出来なくなった。屋敷にいた使用人達は、理性を失い、やがてアンデッドと化した。


 レイスとは、幽体離脱に失敗した術者の魂そのものだという説もあったのを、そこで思い出した。


 何故そんなことまで分かるのかと言えば、このことを後悔したのであろう先代領主が、何とかペンを動かしてそれを記していたからであった。字は汚く、所々掠れていて、普通に渡されれば読めたものではなかったが、何とか解読した。中では何度も懺悔をしていて、くだらない感情に身を任せてとんでもないことをしてしまったと、しかしそれ以上に孫娘に会えないのが辛いと、そう綴られていた。


 憑き物になったら憑き物が落ちたのか、打って変わって落ち着いた文章であった。


「事件じゃなく……事故か……。いや、この場合はどうなるんだ……?」


 使用人達の死体が無いことの理由には納得がいった。領主夫妻の死体が残っていて、それ以外の者達の死体が残っていないわけだ。彼ら彼女らは、死んだのではなく──いや、死んでもいるのだろうが──変貌したのだ。そして屋敷を出、森に放たれた。そして時間が経過し、アンデッドとしてこの地に定着したというのが事の全容だ。


 だが、アンデッドがその使用人達だけであるとして、数が合わない。この森はアンデッドの発生地帯になったと言われているが、大元はこの一件の事故によるものだけだったはず。


 その辺のことも分かるかもしれないと読み進めていくと、その答えがあった。


「日に日に感情が消えていく……か」


 なんだかそれは、中学二年生の男子が黒いノートにでも書き記していそうな一文だった。しかし、それはそんなものではなく、ただただ事実なのだろう。


 レイスと化した先代領主は、始めはどうにかして肉体に戻る方法を探していたらしい。孫娘が来るまでに肉体へと戻り、この件を解決しなければならないのだと、その意志で行動していたらしいことが窺える。当然の判断だろう。


 だが、段々その意志が薄れ、自分という存在が悪意に染まっていくのを感じていたのだという。


 日に日に。


 悪意が満ちていくのを。


 自分自身が、悪意そのものになっていくのを。


 そしてそんなある日、『とある光景を見た』と記されていた。


『それは一つの小さな村で、私は誰かに憑依していた』


『私はその肉体を依り代にして行動し、村の住人を片っ端からアンデッドに変えて行った』


『そして最後に、それに絶望する肉体の持ち主を見て、私はこれ以上ない程、愉悦に浸っていた。そんな光景を、いくつも見た』


『私は、それが現実であることも、紛れもなくそれが自分の行いであるということも、誰に言われるまでもなく理解していた』


 こんなのは自分じゃない──と。


 このままでは愛するあの子にまで、イリーナにまで悪意が伸びてしまう──と、そこまで記されて、日記はそこで終わっていた。


「嫉妬の末路か……」


 そこからのページは、白紙だけが続いていた。


 恐らくだが、この森のアンデッドは、彼が何処からか連れて来たものだったのだろう。この森はアンデッドの発生地帯になったのではなく、アンデッドの収集場所になったのだ。悪意に染まった生霊が、人を殺し、アンデッドにし、ここへ集めた。


 なら、この森のアンデッドは掃討してしまいさえすれば、これ以上増えることもないのだろうか。もしそうなら、それ以上に楽なこともないのだが。


 いや、まずはこの悪意に染まった先代領主の生霊を、このレイスをどうにかしないことには──と、考え始めたその時。


 部屋の外で叫び声が聞こえた。

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