019
サクラは一階を再度探索し直すことにし、一階の長い廊下を歩いていた。その片手には、倉庫から拝借した抜き身の刃物があった。
「ペンダントはこれしかなかったけど……」
それらしい物は未だ見つかっていない。
宝玉は一階には置いていないのではないか、これ以上この階を探しても無駄なのではないか。
そんなことを考えつつ、いつになったらリュカが下りてくるのかを待っているような状態であった。
「私も上に行ってもいいかしら……でも、もし私が一階にいることを想定して何かをしてるのなら……」
好きには動けない。
勝手に動いたところでリュカは怒ったりこそしないのだろうが、それでも落胆くらいはするだろう。サクラにとっては、怒られるよりもそちらの方が怖い。失望されたくはないし、見放されたくもない。彼にとって、自分の代わりなどいくらでもいるのだということが分かってしまうから、自分でなければいけないのだということをアピールし続けなくてはならないのだ。
彼女は一度見た部屋を再度調べ直す。
ベッドと壁の隙間に何か落ちていないか、机の裏に張り付けられていたりしないか、棚の引き出しを外したその奥に置いてあるのではないか、カーペットの下に何かが隠されていたりはしないか。まともな神経をしていればこんな場所には隠さないだろうというような場所まで、片っ端から探して回った。
しかし、何も見つかっていない。いくつかの金貨が隠されていたりはしたのだが──勿論それらは懐に仕舞い込んだサクラだったが──精々その程度。宝玉の埋め込まれた魔道具などという物は見当たらなかったのだった。
「浴場ももう少し探しておくべきかしら」
初めに回った際には「こんなところに家宝を置くわけがない」というリュカの一言で、結局少し覗く程度にしか探さなかったのだが──サクラもこんな場所にあるはずがないというリュカの言葉には賛成だったのだが、こうなったらもう一度、隅から隅まで探すべきなのだろう。
引き戸を開けると、横長に広い脱衣所がある。右端には洗面所があり、そこには水の出る魔道具が五つ設置されていた。
それが一つで幾らするのかをサクラは知らないが、魔力を流して水を流してみると、問題なく作動。サクラは便利そうだと満足げに頷く。
左端には空の棚と、脱いだ服を入れておくために使われていたであろう籠が置いてある。それ以外には、いくつか横長の椅子が置いてあるだけである。
脱衣所と浴場の間には戸が無いのだが、浴場の前には視線を遮るための衝立があった。
「服を脱ぐだけの部屋がこんなに広いのね……」
通常、魔法などで湯を作ることが出来なければ、平民が湯浴みをすることは難しい。
貴族やそれなりの金持ちでもあれば、湯を用意する為だけに人が雇われていたり、高価な魔道具が用意されていたりもするのだが、当然、それは平民に出来ることではない。近所にそういった魔法を使える人間がいれば湯を分けてもらいに行ったり、場合によってはそれを商売にしていたりもするのだが、そうでなければ、朝起きた際に水で洗い流すくらいのものである。それもたらいに用意した水を使うだけなので、脱いだ服などはその辺に置いておくだけであり、そのための部屋などは存在しないのが普通だ。しかし、この屋敷ではその脱衣所が広い。客人が利用することを想定した作り故なのかもしれないが、この屋敷に一体どれだけの客人がやってくることを想定していたのだろうか。
因みにサクラが里にいた頃は、里の奥に湧く秘湯を、時間ごとに交代で使っていた。周りには壁も何もなく、服を着替える場所すらなかったので、脱いだ服や着替えの服はその辺の乾いた石の上に置いて、軽く体を流してから湯に浸かっていた。
脱衣所に何かが隠されていないかを確認すると、衝立を回り込み、カビ臭さのある浴場に足を踏み入れる。汚れているが、床は大理石で出来ているようだ。端には水が流れていくための溝があり、壁には大きめの窓と、照明の魔道具がある。何本かの太めの柱も立てられており、浴場全体として、豪奢な造りをしていた。
浴槽はいくつか設置されていて、湯を貯めるのは魔道具によって行われていたらしいことが分かった。
「……?」
そして、入って左端、その壁際に何やら見慣れないものがあるのに気が付くと、サクラは少し警戒しながら近づいた。
壁際に幾つか設置されたものを見て首を傾げる。
壁から生えるようにして設置された小さい台があり、そこには腐った石鹼が置かれていた。それ自体はいいのだが、その脇に設置されていた何かには、見覚えが無かった。
これは何だろう。
そう思い、サクラはその丸みを帯びた突起物に手を触れ──魔力が吸い取られるのを感じた。
「これも魔道具……?」
浴場に設置されているものなのだから、危険なものではないだろう──と、そのまま魔力を流し続ける。
すると、バシャリ──と。
頭に湯が叩きつけられ、サクラは飛び退いた。
「これは……?」
上を見ると、空洞のある太めの棒が伸びていた。そこから雫が滴り落ちるのを見て、先程の湯がそこから流れてきたのだろうということを察した。
恐らく、その棒の奥に湯を作り出す魔道具が設置されており、その湯が伸びた棒から流れ出るような仕組みになっているのだろう。洗面所にあった水が流れる魔道具と似たようなものだ。それがわざわざ高い位置に設置されているのは、湯を入れたたらいを持ち上げる労力をなくすため、なのだろう。
サクラは火の魔法と風の魔法で温風を作り出すと、濡れた頭や服を乾かしながら浴場を調べる。
目新しいものはあったが、しかし目ぼしいものは何もなかった。
ただ、初めから何となく予想していたことではあったので、サクラは特に落胆することもなく、浴場を出、脱衣所を通り過ぎ、引き戸を開けて──そこにいたそれに、動きを止めた。
「……?」
長い銀髪の人形が、そこに座っていた──廊下の真ん中に、これ見よがしに。
垂れた前髪の奥からその赤い瞳を覗かせている。
先程通った際には、こんなものはどこにも無かった。あれば気が付いたに決まっている──自然、サクラは構えた。片手に持っていた剣を持ち直すと、脚と腕に魔力を迸らせる。
すると人形は立ち上がり、サクラに襲い掛かる──ことなく、一目散に逃げ出した。
サクラは呆気にとられ、しばらく動けなかったが、曲がり角を曲がっていく人形を見、慌てて動き出す。
「待ちなさい……!」
人形が動くなど、あり得るわけがない。そんな魔物がいるなどという話も聞いたことは無いし、操り人形のようにして誰かが動かしているというようなこともない。
この状況、リュカの言葉に従うのであれば、この異常事態に対する最善手は『逃げる』ことだったのだろう。
しかし、サクラはそれを追いかけ──玄関から外に出た。
視界の端で動く存在を捉えると、それを追跡する。
「なっ……」
サクラが少し追いかけ、建物を回り込んだところで、人形はひょいと壁を登り始めると、三階の窓から内部へと逃げてしまった。
リュカにこのことを知らせに行かなくては──そう思ったのも束の間、妙な気配を感じ、周囲を見回した。
見渡す限り、そこにあるのは木、木、木、木、木──しかし、その奥から、何かが出てくる。
腐った手、理性なき呻き声、なのにそれでいて妙に一体感のある行軍。
本来積極的に動くことのないアンデッドが、サクラ目掛けてじわじわと距離を詰めてきていた──屋敷まで来るときには見つかることも襲われることもなかったというのに。しかし、これだけのアンデッドがこちらにやってきたということは、森の入り口でこれらを相手にしていた人間達は既に全員やられたのだろうか。
だとしたら面倒だが──サクラはそこで考える。
これをどうすべきか。
森の中なので、当然ながら火を放って撃退するわけにはいかない。屋敷も近く、そちらに燃え移るようなことにでもなれば最悪だ。
そうなると、一匹一匹首を刎ねていくしかないのだが、それも魔法を使おうとなると加減が難しい。リュカに教わったウォータージェットカッターなる魔法で一掃しようものなら、奥にある木諸共全てを破壊しかねない。加減次第では首だけを刎ね、気には傷一つ付けないというようなことも不可能ではないのだが、この辺の微調整は未だリュカには遠く及ばない。
リュカはサクラをよく褒めるが、サクラはその度に悔しさを感じていた。サクラに出来るのは、いつだって教わったことだけなのだ──いつだって、追いかけることしか出来ない。だが、望んでいるのはそういう関係じゃない。
そんな思考を振り払い、次を考える。
「助けを……」と、足を玄関のほうに動かしかけて、思いとどまる。「いや……」
リュカはいつも、「無理は禁物、助けはすぐに求めること」と、サクラに口酸っぱく言う──それは共同生活をする上での規則にも含められたことである。サクラの身体能力であれば、ここから二階あたりまで跳躍し、窓を突き破って屋敷内へ逃げ込むことは可能だろう。そしてリュカに事情を説明し、援軍に来てもらうことは可能だ。
二人掛かりであれば負担も半分──ほとんど彼が持って行ってしまうのだろうが──配分がどうあれ、彼が来れば、負けという未来は無いだろう。
だが、本当にそれでいいのだろうか。
自分はそれで、いいのだろうか。
「私は……」
サクラは剣の柄を強く握り締めると、その目に炎を宿した。
△▼△▼△▼△
「何でなのよぉ……!」
イリーナは階段を上がると、廊下を小走りに進み、そこでようやく声を漏らした。屋敷を誰にも渡さないためにと家宝を探しに来たことも忘れ、今はどうすればこの屋敷から無事に出ることが出来るのかだけを考え、進んでいた。塞がれている二番目の階段を通り過ぎると、時折物音に怯えながら、曲がり角を曲がり、三番目の階段を目指す。
すると。
「な……何で……」
三番目の階段は、玄関に一番近い階段は、またもや土で塞がれていた。隙間から通れたりしないのかと思うも、人が一人通り抜けられそうな隙間はない。しかし、少しだけ覗き見ることが出来た。どうやら、三階から二階へは降りられないが、二階から一階へは降りられる様子。つまり、イリーナがこの屋敷を出ようと思えば、彼女は一度先の階段に戻って二階へと降り、長い廊下を渡ってからこの下にある階段を降りなければならないということだ。
「お願い……どいて……どいてよ……!」
土の塊に手をかけ、押したり引いたり、何とか動かせないかと試みる。
だが、当然彼女の膂力ではびくりともせず、彼女は膝から崩れ落ちた。
呆然自失。少しして、小さくすすり泣く声が聞こえ始めた。
ここから二階へ、そして廊下を渡って一階へ向かうなど、もうこの時点での彼女のメンタルでは不可能。大声で泣き出してしまいそうになるのをギリギリで堪えるのが精一杯であった。
シーツを握り締め、それでも何とか立ち上がる──すると、窓の奥が見えた。
窓の奥、中庭を挟んだ反対側の通路──そこに。
またしても淡い光が見えた。それはフワフワと漂うようにして、かつて祖父が使っていた部屋へと入っていった。イリーナがその部屋へ招かれたことがあるのは精々数える程度であったのだが、その時のことはよく覚えている。そんな部屋に、どうしてあの光は向かっていったのだろうか。
しかし、そんなことはもはやどうでもよかった。
あの光は自分を追っている。
一部屋一部屋、確認しては探しているのだ。ゆっくりと、獲物を追い詰めるが如く。
どうすればいいのか。自分は一度どこかの部屋に隠れ、光が隣の部屋を捜索し始めたタイミングで抜け出し、一気に階段まで向かえばいいのだろうか。
どのルートで行けば屋敷の外に出られるのかは分かっているのだから、賭けるのならその手しかない。そう考え、イリーナは身を隠す部屋をどこにしようかと悩む。光がすぐに部屋を捜索し終えてしまっては、逃げる時間が稼げない。だとすれば、物が多い部屋の次隣の部屋に隠れれば、逃げられる可能性は高くなる。しかし、物が多い部屋はどこなのか。三階にはあまり来ることもなかったため、どこがどのような部屋なのかが分からない。
「ここは……ダメ……。こっちは……ダメ……。どこに隠れれば……」
音を立てないよう、部屋のドアを少し開けては、物が多く、それでいて雑多に置かれた部屋が無いかを探す。
しかし、都合のいい部屋は見つからない。
「早くしないと……、来ちゃう……!」
未だ、光の姿は廊下にはない。しかし、こうしているうちに祖父の部屋を調べ上げ、出てきてしまう。
焦りは強まり、ドアに掛けた手は震えている。
そんな己の手をもう片方の手で押さえながら、彼女はドアを開けた。
「……!」
その部屋には懐かしいものがあった──部屋の真ん中に置かれたテーブルの上に、その人形はちょこんと座らされていた。イリーナと同じ銀色の髪で、それは背の辺りまで長くのばされている。顔の輪郭には少し丸みがあり、赤い瞳を向けていた。
イリーナがかつて祖父母から貰った人形で、彼女はその人形を自分の妹として扱い、遊んでいたのだ。
名前は──
「イリア……だっけ」
その名前を口にするのに、少し時間がかかった。
大事なもののはずだったのに、時間は彼女の記憶を薄れさせていたらしい。イリーナはそれに近付いていき、頭を撫でる。前髪が少しだけ目にかかっていたのを、手で払いのけた。
「……髪の毛、こんなに長かったっけ」
少しだけ、記憶の中のそれと違っているような気がした。
「……違う。こんなに長くなかった」
ぼんやりとしていた記憶が、だんだん鮮明さを取り戻していく。
「もっと短かった……」
イリーナは我知らず人形から手を離し、一歩、二歩、後退って距離を取る。動揺が、恐怖が、困惑が、彼女を支配していた。
そしてそれは正体を現した。
人形からぬるりと這い出て来たのは、半透明の何か。その半透明の存在には顔があった。その顔は常に位置や形状を変えていたが、非常に気味悪く、悍ましい。イリーナの知識にそれがなんであるのかという情報は無かったが、しかしこれが只事でないことはすぐに分かった。
それはイリーナに向け手を伸ばす。
「ひっ……」
イリーナは咄嗟に身を引くと、ドアを打ち破らん勢いで部屋を出、廊下を駆け出した。だが、恐怖で足が竦んでいたせいか、上手く動かない。走っているつもりであったイリーナは、碌に進むこともなく、その足を縺れさせて転んだ。
「っ、う……」
カーペットの敷かれた廊下とは言え、顔を打ち付ければ痛みが走る。イリーナは急いで起き上がろうとするも、被っていたシーツが絡まり、思うように動くことが出来ない。そしてシーツは彼女に追い打ちをかけるようにして、その視界を塞いだ。
イリーナは転んだことによる痛み、追いつかれるという焦り、視界が奪われたことによる恐怖で、次に自分がすべきことが何かが分からなくなってしまった。
そして──脚を掴まれた感触で、口から息を漏らした。
それは人の手ではない──少し冷たく、硬い手であった。
イリーナはすぐに察した──それが人形の手であると。
先の半透明の何かが、人形の中に戻り、イリーナを追いかけてきたのだ──そう考えた。
その手は強い力で、イリーナの身体を後ろに引っ張った。ズズズ──と、イリーナの身体が引き摺られる。
またしても、彼女は少し前に聞いた怪談を思い出していた。あの話の中で、お婆さんは人形に引き摺られていった先で殺されていた。どのようなことが行われたのかは分からなかったが、その状況と、今のこの状況はやはり似通っていた。
「いや……っ! 離して……っ!」
ジタバタと暴れて抵抗するも、シーツの所為でその動きが制限される。
「やめて……っ! 助けてっ!」
そして。
彼女は叫んだ。
△▼△▼△▼△
叫び声を聞き、廊下に飛び出て行った先で見た光景は、銀色の髪の毛の人形が、ジタバタと暴れる白い幽霊を引き摺っているという、少々理解に苦しむ光景であった。恐らく叫び声を上げたのはこの白い幽霊──こうしてみると布なのだが、これなのだろう。
取り敢えず走り、魔法を構える。すると、それに気が付いた人形が慌てて逃げだす。逃げて行った先は、塞がれた階段のある方向。それを見つつ、視線を足元の白い布に向ける──床に倒れるそれは、人の形をしていた。
あと少しで部屋に引き摺り込まれてしまっていたところだったので、間一髪と言ったところか。あの人形が何だったのかは分からないが、先程の日記に記されていたことと繋ぎ合わせるのであれば、アレの正体は先代領主の生霊──否、悪霊なのだろう。
そして人形の方は、イリーナとかいう孫娘にプレゼントされた人形ということになる。先代領主はレイスと化し、悪霊と化し、それでも人形に憑依したいという当初の目標を忘れていなかったのか、ああして本来の目的を果たしたのだろう。儀式そのものには失敗しているが、しかし目的は達成している。
さて。
先程から動かないこの白い幽霊は誰なのだろう。これには随分と惑わされたものだが──これ、どう見ても子供だよな。
こんな屋敷にまさか子供がいるだなんてありえないと思っていたのだが、もしこの屋敷に入って来る子供がいたとして、それは一体何を考えているのだと思わざるを得ないのだが、足元でペタンと床に張り付いているのは、布を剥がすまでもなく子供だった。
「はぁ……」
と、未だ動かないそれから布を取り去った。
布の手触りはなかなかいい──そして、そこにいたのは、先程の人形を彷彿とさせるような、銀髪の女の子であった。
彼女は轢かれたカエルのように廊下に張り付いたままだ──気を失っているのだろうか。
ツンツンと頭を突いてみると、意識を取り戻したのか、素早い動きで起き上がった。彼女は人形と同じ赤い瞳をこちらに向け、そして浮かべていた光の魔法に目を向けた。何かに怯えるような視線を向けていたが、目線を落とし、それから再び顔を上げると、安堵したような顔をした。
「大丈夫?」
「だ……大丈夫……よ」
手を差し出すと、その手を取り、立ち上がる。
服の質という点を見てもそうなのだが、この子、動きが上流階級に生まれた者のそれだ。
「た……助けてくれたの? というか、あなたは?」
「僕はリュカ。……それから、助けてはいないよ。近付いたら人形が逃げて行っただけ」
「人形……」
「君によく似た人形……あ」
なるほど、そういうことか。
そこで気が付いた──少し遅いくらいだった。
「君がイリーナって子か」
「な、何で知ってるの……?」
「知らないよ。ただ、この屋敷にある人形によく似た見た目の子だから、そうかなって思っただけ」
動きや格好もそう判断した理由なのだが、この子が先代領主の孫娘──つまりは現領主の娘ということになる。アルフォード子爵令嬢、イリーナ・アルフォード──それが彼女の名前か。
「そ、そう……。えっと、あなたはどうしてここにいるの?」
「どうして……。まぁ、事情があって」
それはこちらのセリフだったが、一度飲み込み、そう答えた。
「事情……? もしかして、依頼を受けたの……?」
流石に知っているか。依頼を出しているのが子爵家なのだから、そのあたりの事を把握していないわけもない。
そう思っていると、彼女は血相を変え、言い放つ。
「だ、だったら早く出て行って!」
「え……?」
「この家は……誰にも渡さないから!」
そう言って、引き留める間もなく。
人形が逃げて行ったのと同じ方へ行ってしまった。
渡さないと言われても、彼女の所有物ではないだろうに。
しかしまぁ、先代領主は頭のネジが何本か飛んでいたようだが、それでも孫娘である彼女には良くしていたようだから、その名残だろうか。自分が育った家に執着するという気持ちは自分にはなかったが、しかし理解は出来る。
だからと言って、諦めようとも思わないが。
なんて、考えている場合ではなかった。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
「…………」
再度叫び声を聞き、彼女の向かった先へと駆け出した。そこではまたしても人形がイリーナを部屋に引き摺りこもうと襲い掛かっていたため、先程同様魔法を構えた。すると、人形は手を離し、その部屋の中へと後退っていく。下手なことをすれば即座に破壊すると言わんばかりに睨みつけ、部屋の隅に追い詰めていく。
あの日記の記述が真であれば、これ以上危険な行為もないだろう──霊体がスッと出て来て命を刈り取られて終わる可能性だってあるのだから。
しかし、足を踏み鳴らして一歩進む。
歩幅の小さな人形は、それに合わせて三歩下がる。
光の魔法を混ぜた水を今使ってみるべきか。鞄に用意していたものを出すのも時間がかかるだけだったので、両手にそれぞれ魔法を出し、人形に向かってぶちまけた。水は髪の毛や服を濡らし、人形は急に動きが鈍くなり始めた。
「効いた……のか……?」
効いただけでしかなかった。
ギギギ──と、ぎこちない動きで体をくねらせたかと思えば、今度は四つん這いになり、人形とは思えない動きで、カサカサと動き始めた。
そして飛び上がり──いつの間にか部屋に這入って来ていたイリーナに襲い掛かった。
「……!」
そのスピードに、イリーナは反応出来ない。
マズいと思い、間に入り込むと、左足を軸に全身を回転させ、回し蹴りを放つ。そして冷風を吹かせ、先程掛けた水を凍らせた。
人形を破壊してしまえばとも思ったのだが、この子の手前、流石にそれは避けたい。恐らくだが、依頼の中に記されていた人形の回収というのは、これを指しているのだろう。そちらについては回収してきたら追加で報酬を払うというだけの話なので、別になくても問題はないのだが、出来る事なら回収はしたい。
そのためにはまず悪霊を──先代領主の霊を引き剥がさなくてはならないのだが、このまま光の水を掛け続けていれば出てきてくれたりするのだろうか。効いている様子ではあったのだし、試してみる価値はある。
人形は関節の氷を自力で砕くと、それでも取り切れなかった霜が付いたままの顔でこちらを睨む。人形特有の無機質な顔に、表情があるように見えた。
喜怒哀楽のどれなのだろう。
怒り、なのだろうか。
それとも、後悔だろうか。
「……まぁ、くだらない理由で死んだら、死んでも死にきれないのかもしれないけど──」
死んでも──死にきれない。
自分も状況だけを見るのならそうなのだが、そこに籠っている気持ちの重さを考えると、同じものだとは言えそうにない。
「──けど、理性を失くしてまで生きるっていうのは……想像するだに地獄だな」
──いや、死んでるのか。
そう呟いて、魔法を構える。
「一応大事な人形だから、悪霊退治する為と言えども壊したくはないんだよ。聞こえてるのなら出てきてくれないかな」
そう勧告して、聞き入れることなく飛び掛かってきた人形の放った拳を受け流し、その顔を殴りつける。殴られた人形はくるくると回転しながら地面に落ちていくと、両手で着地し、倒立。そのまま綺麗に足をつけると、軽やかに跳び上がり、蹴りを放ってくる。自分はそれを腕で防ぐと、そこから大雨のように繰り出される拳と蹴りを対処していく。
そして一瞬、動きと動きの間に隙を見つけると、すかさず水をぶつけた。それなりの質量をもった水に打たれるようにして、人形は吹き飛ぶ。ありえない動きをして見せたり、人形とは思えない膂力を振るったりしたところで、所詮は人形。軽い存在であることには違いない。
中身はなかなか重たいのだが。
しかし、こうも軽々吹き飛ぶと、そのうち壊れてしまうのではという危うさがある。
それともう一つ。
この人形、頑なに狙いをイリーナから外さないのだ──早くどっか行ってくれないかな。
何をするつもりなのかは分からないが、今のアレは悪霊なのだし、元の好々爺の人格が残っていたとしても、不用意に近づけるべきではないだろう──なんでそこで観戦してるんだろう。
どうにかして狙いをこっちに寄せられればもう少し相手もしやすくなるのだが、言葉が通じるとも思えないし、何かいい手は無いだろうか──もし目の前で壊したりしたら申し開きが無いから向こう行っててほしいんだけど。
水と光の魔法の複合技だけでなく、他にも食塩水を掛けたりといった手も試してみるべきだろうか──サクラがいればこの子を連れて逃げるよう頼めたんだけどな。
しかし光の魔法が効くことが分かったのだから、それをベースに考えていく方がいいのか。
警戒しつつ、思索する。時折イリーナに飛び掛かろうとするので、それを弾き飛ばす。
例えば──火の魔法。人形には使えないかもしれないが、霊が相手であれば使えるかもしれない。
以前火と光の魔法を合わせた際には何も起こらなかったのだが、闇の魔法と組み合わせた際には恐ろしい効果を発揮したのだ。光の魔法も、その時は条件が悪かったことでその効果を確認出来なかったというだけで、何も起こらないというわけではないのではないか。闇の魔法の際にだけ効果を発揮して、光の魔法の際には何の効果も見せないなどということがあるとは思えない。無いとは言えないが、ある可能性の方が高い。
イメージとしては荼毘──火葬などだろうか。
闇の炎が全てを燃やし尽くす業火──あるいは劫火なのなら、光の炎は神聖さを帯びた──死者を滅する浄火……みたいな。
考えれば少しありそうだなと思えてくるが、しかし一か八かで使うのは少々危険か? 下手をすると人形をそのまま焼いてしまい──いや、燃えないか。
散々水を掛け、凍らせもしたのだ。それが乾ききっていないであろう今なら、例え推測が誤りであったところで、人形が燃えてしまうことはない。効果が無いと分かればすぐにやめればいいだけなのだから、恐れることもない。
「なら──」
火を、そして光を合わせ──燃え盛る炎を放つ。
「……!」
人形が驚愕した様子を見せた。そして、人形はその炎から逃れようとする。
そんな人形に炎を浴びせつつ、鞄の中から瓶を取り出すと、あらかじめ用意していた光の水を再度ぶちまける。すると、再び人形の動きが鈍る。
それを見て、思う──炎に対しての反応が水の時と明らかに違う、と。勿論、人形は水も避けようとするのだが、炎に対しては本能レベルで回避行動を起こしているように見えるのだ。
何が違う。
光の魔法を混ぜただけという点で、これらはそこまで大きな違いもないはずだ。水は既に燃え尽きた後の物質だから、その辺が関係しているのだろうか──燃やす側と、燃えカスの側とで。それか野性的な本能か。
考えつつ、人形を炎で炙り、水をぶちまける。部屋中水浸しになっていくが、後で乾かせばいい。人形には引火する様子もなく、顔が焦げて大惨事になってしまっているという様子も見受けられない。それが水を定期的に掛けているおかげなのか、それとも単にこの炎が物質を燃やすものではないからなのかは、判別がつかないのだが。
しかし、しばらくそんな攻防を続けていると、結構初めから様子のおかしかった人形の様子が、更におかしくなり始めた。
「髪が……!」
人形の髪の毛が、うねうねと、まるで意思を持った別の生物であるかのような動きで、水中を揺らめく海藻のように動き始めた。そしてその髪の毛をこちらに向けて一直線に、勢いよく伸ばす。流石に手で受けきれるなどとは思えなかったので、土の魔法で瞬時に棒を作り出すと、髪の毛を払い、搦め取る。しかし全てを取り切ることなど出来はせず、取り損ねた髪の毛は自分の両横を通り過ぎ、なお伸びる。
「ぅあ……ぐ……」
呻き声が聞こえて振り返れば、髪の毛はイリーナに巻き付き、その身体を持ち上げていた。
首にもそれが巻き付いていることを確認すると、すぐさま鋭利な氷の刃物を作り出し、髪の毛に向かって振り降ろした。だが、髪の毛は氷の刃を受け、たわむばかり。考えても見れば、剣や包丁で散髪が出来るわけがない。かと言って、氷の魔法で鋏のようなものを生成することは出来ない。出来ないこともないが、今この場でそんなことをしている余裕は──
「──ない……! だったら……!」
イリーナが首を絞め殺されるよりも先に人形を叩き潰す。命の危険があるとなれば、もはや彼女もこの人形を壊さないで欲しいなどとは言わないだろう。いや、言うかもしれないが、納得してもらうしかないだろう。
遠慮も躊躇もなく、先程同様の光の炎を叩き込み、魔力を一気に込めることで火力を上げていく。
赤色から黄色に。
黄色から白色に。
白色から青色に。
青い炎が人形を踊るように囲い込み、浴びせられる──しかし、不思議と熱さは感じられない。この炎に熱はなかったのか。
人形は髪の毛を伸ばしたまま、藻掻き続ける。
だが、限界はあったのだろう、髪の毛の動きが止まると、人形は糸が切れたように崩れ落ちた。振り返れば、イリーナが床にどさりと落ち、咳込んでいた。慌てて近寄り、背中をさする。イリーナの首元には、赤く細い線が何本か残っていた。
迂闊だった。絞殺される前に人形をどうにかすればいいと考えていたが、これだけくっきり跡を残せるとなると、そのまま首の骨を折られていた可能性だってあるのだ。相手が何をしてくるのかが謎だったので、仕方がないと言えば仕方がないのだが、それで死んでしまえば仕方がないでは済まされない。それも貴族だ。こんなところに来たのは自己責任かもしれないが、この子が死んでしまった場合、もうこの屋敷を手に入れるだとかの話ではなくなってしまう。怪我は直せても、死んでしまえばどうしようもないのだ。
イリーナを落ち着かせると、人形の方へと視線を向ける。
床に倒れた人形は、その長い髪の毛をそのままに、無機質な赤い目でこちらを見ていた。
そして、それは出て来た。
半透明の霊──それまで人形を動かしていた悪霊が、倒れた人形から吐き出されるかのようにして現れる。
腐ったゼリーに、モグラ叩きか何かのようにして顔が浮き出ては引っ込んでいくような存在で、定形を持たないそれは、一言で言えば悍ましい。悪霊やレイスとはこういう存在なのかと、本を読んだりするだけでは得られない知識に感嘆した。
だが、全長はどのくらいなのだろうか。ドロドロと吐き出され始めたそれは、しばらくしても出切らない。
「……いや、律儀に待つ必要はないのか」
待ったところで意味は無いし、何をされるのかも分からないのだ。言葉が通じるのなら会話の一つでもしてみたかったが、これでは無理だろう。愛した孫娘を手に掛けようとするほどに悪意に染まってしまったと言うのなら、こんな成れの果ての悪霊は、さっさと成仏させるに限る。
今度は失敗しないよう、イリーナのすぐそばに立つと、光の炎を──浄火を構え。
──放った。




