013
それからしばらく、新たな実験場所を探していた。
前に使っていた場所は使えなくなってしまったので──というか、人里に近い場所を実験場所に出来なくなってしまったので、それ以外の場所でどこかいい場所がないのかと探し回っていたのだ。以前のような騒動を二度も三度も起こしているようでは本当にどうしようもない。なので別の町なんかからの距離も考え、場所は吟味していたのだが、吟味すればするほど、どこもダメなのではないか、いっそ遥か彼方の洋上で行う方がいいのではないかという考えすら浮かんでくる始末。例の件からはもう既に二年が経過していることになるわけだが、未だによさげな場所を見つけることが出来ていない。
夜空を飛び回り、眼下に広がる景色の中から、それらしい場所が無いかを探す。これも随分長いこと続けてきたおかげで、今では完璧な魔法の制御で飛び回ることが出来ている。寒ければ火の魔法で暖を取ることも可能だし、速度を上げたり下げたり、低空飛行をすることなんかも可能である。こんな今の状態であれば闇の魔法による瞬間移動の実現も不可能ではないと思うのだが、とにもかくにも実験場所を見つけなくてはならない。
あまり遠すぎてもいけないし、かといって人里に近いというのも問題だし、強い魔物がいたりする場所も避けたいということで、三つ目に関してはひっそりこっそり頭を撃ち抜いて排除するだけなので問題もなかったのだが、前の二つを満たす場所と言うのがなかなか見つからないのだ。
「ここは……どうだろう。ギリギリ行けるかな……」
あまり遠いと、帰りの分の魔力を残しておかなければならない関係上、実験に使える魔力が減ってしまう。なので屋敷の位置を見つつ、飛翔に必要な魔力を計算し、その場所が問題ないかを考えていく。そして、多分問題なさそうだということが分かると、そこに降り立った。
何もない平原ではあったが、近くに崖があったので歩いて行き、そこに大きめの洞窟を作ることにした。入り口は自分が入れるかどうかの小さめの穴で、中は自分が何人積み重なれば届くのかも分からないほど高くしていった。こうすれば、ここらを通りがかった人間が見つけてしまうこともないだろう。
そして、実験を開始した。
闇の魔法が負のエネルギーであるという前提で話を進めているのだが、流石にこれだけではいけないということは理解しているので、他の魔法と混ぜたりしての実験となる。だが、これ以外にも必要な魔法があったらどうしようなどと考えると、少し手が止まってしまいそうになる。
「光と闇……」
混ぜたらどうなるのだろうかと、思えば試していなかったことを思い出し、合わせてみることにした。
すると一瞬輝きを見せ──消滅してしまった。
相反するものをぶつけるとこうなるのだろうか。しかし、火と水を合わせた時にはこんなことは起こらなかった。火を強くすれば水蒸気に、水を多くすればお湯に、同じくらいであればその両方が生まれていて、今のように消えたりするというようなことはなかったのだ。
水火の争いとは言うが、火と水というのは厳密には相反するものではなかったということなのか、それとも。
光の魔法にしても、闇の魔法にしても、それぞれは現状目立った効果もなく、他の魔法に合わせることで何かしらの効果を発揮したりしなかったりという、別の魔法が存在すること前提の魔法なのだ──自分が他の使い道を見つけられていないだけの可能性もあるが──だから、そんな二つの効果の無い魔法を合わせても何も起こるはずがない、と言うのであれば、それは確かに頷くことも出来た。
しかし、そんな事を考えていても仕方がない。もしかしたら配分量を変えればいけるのではないか。そう考え、今度は闇を多めに合わせてみることにした。
「呑み込んじゃうか……」
光は闇によって打ち消されてしまった──今は大雑把に闇を多くしてみただけなので、それこそ微調整をしてみないことには何とも言えないのだが。
ふぅ、と息を吐き、鞄から紙とペンを取り出す。そして一つずつ記録を取りながら、実験を進めていくことにした。どこで引っかかるかも分からないので、少しずつ闇を増やしていっての実験となる。気の長い作業だが、やるしかない。これくらいなら家でも出来るかなと思ったのだが、万が一はやはり怖い。
失敗と記録を繰り返しながら、思い返す。
火と風の魔法を合わせた時は、周囲が木々に囲まれていたということもあり、あわや大惨事を巻き起こしかけていた。風と土を合わせた時には、砂嵐が巻き起こり、しばらく目を開けることが出来なかった。土と水を合わせた時は、自分を中心とした辺り一帯が泥沼と化し、溺れかけたりしたこともあった。水と氷を合わせた時には、久しぶりに冷たい水が飲めて感動したりもした。
因みに、氷魔法と風魔法の合わせ技である冷風は、暑い日には結構な頻度で使っていたりする。エアコンと違い、消費するのが自分の魔力だけなので、とてもエコなのである。魔道具にも似たようなものはあるらしいが、目が飛び出るような高額の品らしく、大貴族が大金をはたいてやっと買うことの出来るような品なのだとか。何が原因かと思い調べてみれば、単に作れる職人の数が少ないからとのこと。
氷の魔法は光の魔法や闇の魔法と合わせた際には何も起こることが無く、その時は使えない子扱いもしたものだが、そうでなければ生活には必須と言ってもいいかもしれない。火や水も大事だが、冷や水も大事。氷は素晴らしい。
それから雷の魔法だが、アレはあまり他の魔法と組み合わせたことが無い。闇や光の魔法の時は氷の魔法同様何も起こらなかったし、水や風はともかくとしても、火や土と雷を合わせて一体どうするのかということで、あまり真面目に実験をしてはいないのだ。それは何もやる気が無いというわけではなく、後回しにしている状態だというだけである。
実際、雷と火を組み合わせることが出来たところで現状何かが進むというわけでもないし、やるべき事が全て終わるか、全てに行き詰まったらその時初めて実験をすることにしているのだった。
「いや……」
と、実験の手を止めた。
雷──電気──電流──電磁力。
思えば初め、自分は雷の魔法で以て瞬間移動のためのワームホールの再現を試みていたのだったか。そしてそれだけでは上手くいかず、その時に考えて開発を進めるようになったのが、光の魔法と闇の魔法だった。だったら、必要なのは光と闇、そして雷の三つなのではないだろうか。これらの配分を一つ一つ試していくとなると、組み合わせのパターン数的にもそれはもはや地獄と言うしかないのだが、試してみる価値が無いとは言えない。無いとは言えないのが最高にキツい。いっそ無いと断言してやりたかった。
新しく紙を取り出し、実験を一から始めていくことにした。
必要なのは、自分が今いる座標の特定と、それから行きたい場所の座標の特定。そしてその二つの地点を固定し、関連付けること。その上で二つの座標を最短距離で繋げるワームホールを開き、間を通ることで物体や人体が移動出来るようにしなければならない──勿論、安全に。
実験自体はその辺で捕まえられるような小動物や石ころを使って行っていくつもりではあるのだが、雷の魔法を使うとなるとかなり危険なのだ。下手をすれば焼け焦げてしまいかねないのだから。最近はもっぱら火や水や風や氷ばかり使っていて、雷の魔法はほとんど使っていなかったのだが、この魔法、制御に失敗した際の危険度が他の魔法に比べて段違いなのだ。今でこそ失敗するとも思っていないが、始めのうちはそれに怯え、他の魔法を完璧にするまではと理由を付けてなかなか触ろうとしていなかった。
「座標は……ここから向こうまででいいか」
洞窟の奥で入口の方を向き、行き先を決める。
今自分がいる地点と、洞窟の入り口あたり。ここがまず始めに定めるべき二つの地点である。
そうしてここから向こうに向かって移動が出来るようにしたいのだが、実際どれほどの強さの電力が必要なのだろうか。雷の魔法ではその電力の強さを数字として確認することが出来ないため、これまたある程度の強さから試していかないといけない訳だが、どのあたりから試していけばいいのだろうか。
平均的な落雷ではおよそ九百ギガワットほどだと聞いたことがあるが、最低でもそのくらいは必要だろうか。
因みに、実際の落雷の際にはその影響によって、周囲の大気が摂氏三万度ほどまで熱せられるそうなのだが、雷の魔法を使う限りでは現状そのようなことは起こっていない。当然、全く熱が発生しないという話でもないのだが、自分が今生きていることからも分かる通り、そして雷の魔法が普通に存在することからも分かる通り、そのようなことにはならなかったのだった。
初めはそれに怯え、熱に対抗するためにと氷と水で作り出した壁を自分の周囲に作り出していたのだが、特に問題もなく、拍子抜けさせられたのを覚えている。尤も、その程度の対策で三万度の熱をどうにか出来るとは思えなかったので、後から思えばそれでよかったのだが。
「……光と闇と……それから雷と」
魔法を出し、合わせていく。
そしてしばらく調整を続けていき、記録を取り──あるタイミングで、それは起こった。
「……? 消えない……?」
光と闇が──消えることなくその場に浮かび続けている。
ラグビーボールを少し大きくしたかのような、光と闇の混じる何かが。
それは窓のようにも、扉のようにも見えた。
「もしかして……完成か? ……流石に入るのは危険だし──」
と、石ころをそれ目掛けて投げた。すると少し間を開けて、洞窟の入り口の方でコツンと音がした。首を傾げ、入口の方を見る。自分が投げた石ころが転がっていた。一度記録を取ると、その石ころを拾いに向かう。
「冷たっ……。え?」
拾い上げてみると、石がキンキンに冷やされていた。それも、所々に罅が入っている。恐らく、石の内部にあった水分が凍り、膨張したことで、石の表面に罅が入ったのだろう。あのゲートの中は、少なくともこの石の中の水分が一瞬で凍り付くほどの温度なのだ。
零度以下なのは確実だろうが、しかし実際何度なのだろうか。零度かそのくらいであれば数分程は寒いくらいで我慢も出来るのだが、氷点下五十度などであれば、入った瞬間皮膚が凍り付き、生命活動が不可能になってしまう。
食塩水や酒などがあれば大体の温度を測ることも出来たのだが、今は手元にない。こうなったら、少し可哀想だが、その辺で動物でも捕まえて試してみようか。
そう思い、洞窟を出た。辺りを見回し、森に向かう。今の時間では活動している動物も少ないので、辺り一帯ををひっくり返すような勢いで探していき、どことなく狸のような見た目の動物を見つけると、それを土と光の魔法を合わせた植物操作で捕まえた。
「これも必要な事だし……っと」
と、暴れる狸擬きを二匹連れて帰る。そして再びゲートを開くと、まずは一匹をそこに放り込んだ。すると再び、入り口の方で音がした。しかしそれはかなり硬質的な音で、まるで氷そのものが落とされたかのようであった。近付いてみると、見るも無残に凍り付いた狸擬きの姿が。氷を火の魔法で溶かしても動き始めたりすることはなく、完全に身体中の細胞が破壊されているようであった。
「毛皮ありでこれか……」
毛皮を持つ生物が凍り付いていたことで、このゲートの中が氷点下七十度を下回っていることは殆ど確定的になってしまった。場合によってはそれ以下かもしれないが、なんにせよ、これでは自分が通り抜けることが出来ない。
「寒いならこうするしかない……か」
と、ゲートを作り直す。しかし今回はそこに火の魔法を混ぜてみることにした。少しの後、ゲートは何とか開通させることが出来、満を持して狸擬き二号を放り込む。すると、今度は丸焼きにされた姿で出て来た。
「熱すぎたか……これじゃあオーブンだしな……」
それはそれで使えるかもしれないが、これではいけない。
何とか自分が通れるように改善していかなければと、追加の動物を探して回り、実験を続けていったのだった。
△▼△▼△▼△
実験は数カ月にわたって続けられた。
初めはここまで来たのだからもう少しだと思っていたのだが、これが存外時間が掛かってしまい、思うように進まなかったのだ。動物を乱獲してしまうのはマズいので別の場所から捕まえてくる必要があったし、実験に使う動物そのものも、毛皮の種類だとか生態だとかで条件を分けてみたり、より人に近いものを用意したり、それでもダメなら魔物を何とか捕まえてみたりと、やればやるほどやることが増えていき、苦労させられた。
結局、生物が生きたまま通ることが出来るゲートを作り出すまでには、実に数百を超える犠牲が払われている。
しかしその犠牲を礎として、瞬間移動の魔法はここに完成した。
ゲートを開き、内部の空間──ワームホールと呼ぶのには少しイメージと違っていたような気がしたので、これを亜空間と呼んでいるのだが、ここを通り抜け、目的地への実質的な瞬間移動を可能にしている。
そして、既に実験場所と屋敷を繋ぐことには成功している。ゲートを開くのにはそれなりの魔力を要するが、風の魔法で飛翔するよりはずっと少なく、楽に移動することが出来る。
だが、この魔法も万能ではない。先の通り、異なる二つの座標を結び付け、その間を繋ぐという仕組みではあるのだが、自分がその場所を最低限知っていなければ座標として特定することが出来ないのだ。それも、うろ覚えでしか覚えていないような場所にも移動することは出来なかった。見えている範囲内であれば大して知らなくとも問題ないのだが、そうでない場所に移動しようと思えば、あらかじめその場所を訪れ、記憶しておく必要があるということになる。
困った。
余程普段から訪れるような場所でもなければ、風景など基本的に記憶出来ない。写真などを撮ることが出来ればまた話は違ったかもしれないが、カメラもない。仕組みくらいは知っているが、それだけで作れるようになるものでもないし、こればかりは死ぬ気で記憶するしかないだろう。大体の感じをスケッチでもしておけば、後はそれをもとに思い返すだけで済むのだし、そう難しい話でもないはずだ。
と、そんな瞬間移動の魔法を使い、久しぶりにサクラ達の住む小屋にまでやってきていた。話すことがあるとすれば、それはもちろんこの魔法が完成したことを伝えるためだ。
ここ一カ月ほどは実験が佳境に入っていたということもあり、来ることが出来ていなかった。勿論必要な物だけは届けていたし、前もって来られなくなることは伝えていたのだが、怒っていたりしないか、少し不安である。一応詫びる時の為に色々持ってきたのだし、いざというときはそれで何とかしよう。
小屋のドアに手を掛け、ゆっくりと開く。
もう夜なため、もしかしたら寝ているという可能性もあった。なので起こさないようにと慎重に開けたのだが、そこには。
「…………あれ?」
そこには、知らない女の子がいた。青銅を思わせるような薄い緑青色の髪は肩のあたりで揃えられていて、ラピスラズリのような真っ青な瞳がこちらを見つめていた。その子の側にはサクラがいる。
見るに、さっきまで二人はテーブルに着き、何かをしていたようであった。
コハクは案の定眠りについていて、室内には微かな寝息だけが聞こえている状態だ。
「あら、やっと来たの」
サクラは席から立ち上がり、すぐそばまで寄ってきた。
「あぁ、うん。……えっと」
「分かってる。説明はするわ」
戸惑っていると、その子についての説明が、サクラの口から淡々となされた。
具体的な状況説明などはあったのだが、要すれば「少し遠くまで狩りをしに行った道中で拾った」とのことだった。
誰もいない廃村の家屋に一人取り残されていたらしい。
よくもまぁそんな場所を探索などしたものだと思ったが、その村は数年前まで確かに存在していたらしいのだ。この町との関係性はなかったそうだが、それでもその場所に村があり人がいたことは事実だとのこと。それを知っていたからこそ、誰もいないその村の様子が気になり、軽く探索をしたところ──その村が既に滅んでいること、それからその子だけを残し、それ以外の人間が誰一人としていなくなっていたことが分かったのだという。
子供が長期間一人で生きていられるはずもないとのことで、その村が滅んだのはそう昔の事ではないだろうというのがサクラの推測だったらしいが、唯一事情を知るであろうその子は、どうやら上手く口が利けないのだという。質問をすれば首を振って答えることから、少なくとも対話の意志が無いわけではないことは分かった。なので恐らくだが、何か衝撃的な光景でも見てしまって、その所為で声が出せなくなってしまったのだろう。前世では失声症と呼ばれていたものだ。
その子はどうやらここにきて既に二週間は経過しているのだそうで、サクラに対してはそれなりに信用を置いているらしいことが見て取れた。
やっぱり、どんなに忙しくても一週間に一度は顔を出すべきだと思った。それをしていればもっと早くこの事を知れただろうし、差し入れる物資も増やせたはずなのだ。
しかしこの子、どうしたものか。
「どうするつもりなの?」
「ここでしばらく様子を見るわ。どうせ行く当てなんてないでしょうし、戦力になるかもしれない」
戦力とは。まぁ、生活していく上で、人数は武器になるか。それだけ家事やら何やらをこなすのが楽になるのだし。
どっちにしろ、今更放り出せなんて言うはずもないし、身寄りがないのであれば、ここに住まわせるというのは構わない。
ただ。
「それならいいんだけど……、狭くない?」
「大柄でもないのだし、問題はないわ。それに、あなたはもうすぐ八歳でしょう?」
「え? ……あぁ、前に話してた幽霊屋敷か」
「そう。それを手に入れることが出来ればいいのだから、それまでは少しくらい狭くてもいいわよ」
「……なら、いいんだけど。んで? 今は何──」
と、テーブルに何を広げているのかを見せてもらおうと、近くに寄った。すると、その子がサクラの背に身を隠すようにした。そこで自分が突然やってきて碌な自己紹介もしていないことを思い出した。
「……えっと。初めまして、僕はリュカ。サクラとは……友達だから」
そこでうっかり、君の名前はと尋ねそうになって、踏みとどまった。話せないのに名前など言えるわけがない。
「サクラ、この子、名前はあるの?」
「分からない。もしかしたらそのあたりの事を忘れてる可能性もあるから……」
「……そうなんだ。不便じゃない?」
「そうね。名前が分かるまででも、何かしらの呼び名はあったほうがいいわ」
「サクラは付けてあげなかったの? 名前」
「えぇ。そうしても良かったのだけれど、折角ならあなたに付けてもらいたいと思って」
何故その子の意思を無視しているのだろうか。サクラのことは信用しているようなのだから、自分が付けるよりもサクラが付けた方がまだ良さそうなものだが。
「まぁ、そう言うならそうするけど……」
名付けはサクラやコハクと同じでいいのだろうか──と、瞳の色を見て考える。青い花と言えば朝顔や紫陽花辺りだろうか。竜胆なども青い花だったとは思うが、名前っぽくはない。
「なら……、アジサイかな」
「だそうよ」
と、サクラが振り返り、その子に伝える。それでいいのか確認を取ると、おずおずといった様子ではあったが、頷いて同意した。なのでアジサイと呼ぶことになった。
そこで息を吐き、改めて尋ねる。
「何してたの?」
「文字を教えてたのよ。読み書きが出来ないみたいだったから」
「そうなんだ……」
それは名前があっても分からないわけだ。
基本的な識字率は高めなのがこの世界だが、それでも読み書きの出来ない人間はそれなりに存在している。どこかの村に住んでいたという話だったから、恐らくはそういった環境故なのだろう。そしてサクラはそんな子に対して、割と真っ直ぐなやり方で文字を教え込んでいた。
だが、かなり眠そうにしている。
「サクラ、もうそろそろ寝かせてあげたら? 文字は明日でもいいだろうし」
「……そうね。少しでも早くと思っていたのだけれど、今日はもうダメそうね」
コハクの教育もして、その上アジサイの教育まで始めるとなれば負担は倍増どころではないと思うのだが、自分も何か出来ることをすべきなのだろうか。今回に関してはサクラが拾ってきた子でもあるので、その辺の覚悟はした上での行動なのだろうが、だからと言って我関せずというわけにもいかない。教育方針に口を出したりすることもないが、協力出来ることはすべきだろう。
「けど……」
と、サクラが耳打ちするように言う。
「あの子、中々寝付いてくれないのよ」
「と言うと?」
「多分……村が滅んだ時に何かがあったんだと思うんだけど、夜中に飛び起きたりするのよ。だからこうして夜遅くまで何かさせてるんだけど……。どうにかしてあげられないかしら」
「なるほど……。だったら……分かった」
と、アジサイに寝るよう促すと、サクラが部屋の明かりを消し、布団に入る。二人は前に持ってきていたソファベッドで一緒に寝ているらしい。下に降りれば寝相の悪いコハクに蹴り飛ばされるから、当然の判断だろう。
その枕元に腰を下ろすと、目を瞑るアジサイに話を聞かせる。話とは言ってっも、前にエレインに聞かせた即興の怪談話などではなく、前世にあった童話である。
「──いつまでも幸せに暮らしました……と」
語って聞かせたのはシンデレラである。不憫な扱いの主人公があれよあれよという間に成り上がっていき、これまで自分達を蔑ん出来ていた周囲を見返すという構図の物語で、古今東西あらゆる場所に似たような話が存在し、現代においても創作等の下地としてその存在感を放っている有名な童話だ。童話と言えばこれだという感じが強かったので、シンデレラにした。日本人的には桃太郎なんかにするべきだったのかもしれないが、正直、桃から人が生まれて来るって意味不明だし、変に疑問を持たせると物語への没入感が薄れるということで、今回は止めておくことにした。まぁ、カボチャの馬車も似たようなものだろうと言われればそれまでだが。
ただ、シンデレラのストーリーも実際に思い返してみると結構うろ覚えだったので、そこは自分で適当に補完していったのだが、話し終える頃には、アジサイは眠りについていた。
「寝たみたい」
「ありがとう。助かったわ」
「うん……じゃあ……。じゃあじゃないや」
そろそろ帰ろうと思い腰を上げたのだが、そこで自分がここに来た目的を思い出した。
「どうしたの?」
「いや、今日は実験がひと段落したから報告しに来たんだけど……まぁ、今日はいいや。この子の事があったし」
「そう。もしかして、完成したの?」
「うん、また今度見せてあげるよ」
そう言って立ち上がると、小屋を出、屋敷に帰った。
今度とは言いつつ、その翌日も小屋に赴くと、サクラには瞬間移動の魔法に関する説明をすることになった。
どういう仕組みでそれを可能にしているのか、必要なことは何か、意識しなければならないことは何か、気をつけるべきは何か、など。やはり理解力が高いのか、それを一度で理解してしまうサクラを前に、念のためにと用意しておいたメモを出そうか迷うことになった。
結局それはもしものためにと置いておくことにしたのだが、それが終わると、服の裾を引っ張られた。振り返ると、白い寝間着を着たアジサイが、こちらを見ていた。何か用だろうかと首を傾げていると、サクラがアジサイの頭を撫で、代わりに言った。
「昨日のお話が気に入ったみたいなのよ。だから多分、またああいうのを聞かせて欲しいんだと思うわ」
「…………」
それを肯定するように、アジサイは頷いた。
どうしよう、シンデレラも結構うろ覚えでしかなかったのに、他の童話もとなると──ちゃんと話として成立させられるのだろうか。
もう今では話の概要くらいしか覚えていない話の方が多い。うろ覚えの話は後で書き出して補完しておかなければ──と、そんなことを考えながら、アジサイに話を聞かせることにした。楽しそうに話を聞いていたが、終わるころには眠りに入っていた。
「昨日は起きなかったの?」
「えぇ。熟睡してたわ。勉強にも集中出来てたみたいだし」
「そっか……。じゃあもうしばらくは続けるか……」
「いいの?」
「サクラにばっかり押し付けるのもだしね。それくらいでも、意味があるならするよ」
「別に私は大丈夫だけど……」
「まぁ、サクラなら誇張なくこなしてしまいそうでもあるけど……。でも、協力や助けは大丈夫と言っていられる内に求めておくべきだよ」
「……そう。なら、お願いするわ」
偉そうなことは言えないが。
出来ることなどたかが知れているが。
しかしそう言って、サクラは微笑んだのだった。




