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ほしのふるさと  作者: 中村 遼生
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第五幕 風の群像

事務所に帰ってきたのは、もうすっかり暗くなってからのこと。事務所の窓から漏れた灯りが外の闇を幾筋か切り開いている。

ほんの二時間ほどだったのに、色んな勉強をしたよ。生活していく上で多分あんまり役に立たないけどね。でも学校で、こういう勉強も教えてくれたら楽しいのに。

車が事務所の前に着くと、桐生さんはすぐに部屋の中へ消えていった。

「藤谷~。タケルを馬房に連れて行くぞ~」

って言いながら。

お兄ちゃんは、私を事務所とは別棟の建物に案内してくれるらしい。

「牧場のみんなに、挨拶しないとね。この時間なら、みんな食堂にいるはずだから」

ん?

「あのさ、お兄ちゃん。それなら『藤谷君』も食堂にいるんじゃないの?」

「多分ね」

あっさりと返ってくる答えは、お兄ちゃんのイタズラが成功した子供みたいな笑顔と一緒だった。

「あーっ、お兄ちゃん」

しーっと人差し指を口元に持っていくお兄ちゃんは、間違いなく桐生さんの言う悪ガキだった。

食堂は事務所のすぐ隣の建物。暗いから良くわからないけれど、落ち着いた緑を基本とした配色の建物で、落ち着く外装だと思う。明日太陽が昇ったらもっとはっきりすると思うけど、牧場の風景を邪魔しない配慮かな。

大人数でも出入りできるガラス戸を二つくぐって、建物の中に入ると、結構すごい熱気だった。人がたくさんいる証拠だね。あ、北海道の建物は、ほとんどこういう二重扉なんだって。雪が降っても出入りできるようになってるんだって。それから、ほとんどの家に、おっきな備え付けの灯油タンク、大体百リットルくらい入る奴が備え付けられてるんだって。所変われば品変わる、文化と住んでるところって本当に影響しあうんだねえ。ずっと前にお兄ちゃんに教えてもらったとおりだね。

廊下奥の開かれた扉から食事時の音が漏れてる。その音がだんだんと大きく聞こえてくるようになるにつれて、ちょっと緊張してきた。

「お兄ちゃん、挨拶ってどうすればいいの?」

恐る恐る聞いてみた。

「朝ならおはようございます、昼ならこんにちは、夜ならこんばんは。初めてなら、はじめましてって言うんだよ」

お兄ちゃんは振り返りもせずに、当たり前って言えば、余りにも当たり前の答えを返してくれた。一瞬あっけに取られて、その後軽く笑っちゃった。

「そ。その調子」

お兄ちゃん、私をリラックスさせてくれたんだね。

薄暗い廊下を抜けて、光の入り口をお兄ちゃんの後に続いてくぐる。

そこには、たくさんの人がいた。

「はい、ちゅうもーく」

お兄ちゃんが二つ手を叩くと、あちこちでされていた雑談と食器のぶつかる無秩序な合奏が音を潜め、私とお兄ちゃんに注がれる。

「今日からしばらくうちの牧場にいます。小鳥遊彩夏ちゃんです」

「こんばんは!彩夏です。よろしくお願いします」

桐生さんにしたみたいに、大きく頭を下げて、自分の靴を見てから、意識してにこっと微笑んでみた。お兄ちゃんの真似してちょっと芝居っ気を混ぜてみたんだ。

「彼女は、僕の親戚です。可愛がってあげてください」

お兄ちゃんは私が言葉を終ると同時に、そう言った。すると途端に、あちこちから驚きの声があがる。

「なによ、その声は」

憮然となるお兄ちゃんに、一番前で給仕してたお姉さんが言う。

「社長、嘘は()くないよ」

「なによ、嘘って」

「こったらめんこい娘が、あんたの親戚な訳ないっしょや」

「やー、心外だねー。そっくりっしょや」

その言葉を受けてお姉さんは、腕組して大きく首を左右に振ると

「ね、みんな似てないっしょやねー」

と、食堂に詰めているみんなに話を振る。

一同、大きく頷いてる。

あ、一人箸をくわえてご飯注ぎに行こうとしてる人がいる。なんとなーく、あれが「藤谷君」のような気がする。

「いや、それが本当(ほんま)みたいやな」

と、桐生さんが開けっ放しのドアから静かに姿を現した。

「顔は似てないけど、性格はちょこっと似てるみたいやねんなあ」

そう言いながら私の顔を見て、お兄ちゃんの後ろ頭を軽く小突く

あ、気が付いたんだね。お兄ちゃんのイタズラに。

私は軽くうなずきながら、いいなあとまた思った。

人は、他人同士であってもここまで分かり合えて、同じ空気を共有できるんだ。形には見えなくて、言葉にはできる友情ってこういうことを言うんだろうね。

「ま、そらそうと自己紹介」

お兄ちゃんは満面の笑みを浮かべて、両手を広げる。そして右手をそっと桐生さんに向けた。

「では、改めて。牧場長の桐生源三。年齢は社長より2つばかし上だ。付け加えるなら、学生時代からの腐れ縁」

私も、もう一度お辞儀して、ご挨拶。そっか、年上さんと親友なんだね、お兄ちゃん。

お兄ちゃんは次に、食卓の一番前に座ってる立派な髭を生やしたおじさんを手で指し示す。

おじさんは立ち上がって、折り目正しく一礼してから、

「牧童頭の高山浩介。年齢は、四十二。主に馬の世話をしてます。歓迎しますよ、彩夏さん。ゆっくり、北海道を楽しんでいってください」

お髭がとっても素敵なおじさん。毎日綺麗に手入れをしている感じがするね。私の好きなタイプ。私もお返しにもう一回お礼。

「牧童の藤谷俊平っす。年は十九歳こでは一番下っす。ほんまに社長の親戚ですか?」

あ、やっぱ箸くわえてた人だったね。藤谷君。

お兄ちゃんが、こら藤谷、また余計なこと言うてって笑顔で言ってる。横で、桐生さんと給仕してるお姉さんが、深々とうなずいてるのが面白い。

私と同い年って言ってもおかしくないね。笑うとえくぼができるんだ。へー。可愛いって言うと失礼かなあ。

「同じく牧童の高山浩平。髭親父の実の息子です。年齢は、二十四歳青色のつなぎを上半身だけ脱いで白いシャツににじむ汗が格好いいね、働く男って感じの筋肉の付き方。

自分のお父さんのこと髭親父だって。面白いんだ。でも、目元がお父さんとそっくりだね。じゃあお父さんは「髭さん」、息子さんは、「高山さん」だね。私はそう呼ぶことにするよ。

髭さんの向かいに座ってるメガネのお姉さんが、それに続く。

「大和サクラ。一応、肩書きは事務長です。ちょっと社長。年齢言わなきゃ駄目?」と、お兄ちゃんの方を見るサクラさん。背がすらっと高くてスタイルが良いんだ。

「前例に倣うのがルールだね。最初に年齢を言ったおっさんを恨んで頂戴。なんなら三サイズ言うてくれてもかまへんで」

平然と言い返すお兄ちゃんに、サクラさんの口が小さく「エロガキ」って動いたのを、私は見逃さなかった。うーん、なんだかここにいるとお兄ちゃんのイメージが少しずつ壊れていくなあ。

「年齢は社長より一つ上の二十七歳です。これでよろしい」

作った笑顔がけっこー怖かった。

そんな様子をお兄ちゃんは心底楽しんでるような満面の笑顔。

うーん。いいのかな?

「育成担当、春日陽子。二十四歳」

フレアスカートの良く似合うお姉さん。背は私とおんなじくらいかなあ。美人っていうより可愛らしい、どこか陰ののある人だね。きっちりと仕事をしてくれそうな、そんな感じ。それにしても落ち着いてるなあ。無駄なことはしない感じがするよ。

「同じく育成担当やってまっす。()(わた)純子。二十一歳です!よろしくっ!!」

ジーンズはいたスポーティなお姉さん。くりくりっとした瞳が綺麗だね。すごく元気な人なんだね。

「事務兼食事兼何でも担当 高山楓 四十歳だよ。髭の嫁さんさ」

この人が一番驚いた。思わず声に出しちゃったもん。

「えーっ、四十歳?見えなーい」

「そうだろ、嬉しいねえ」

「え、でも計算が」

髭さんが四十二歳で、この人が四十歳ってことは。

「旦那が十八歳、私が十六歳の年に駆け落ちしてきたのさ。私の北海道の親戚を頼ってね。その頃は新郎妊婦ってねえ」

と豪快に笑い飛ばす。

「お、おい」

髭さんが、少し焦ってる様子が可愛いね。隣で息子さんは平然とご飯食べてる。その対照が面白い。

「高山さんは、この牧場で唯一の妻子持ちだから、夜は隣の家族宿舎で過ごしてもらってる。それ以外のみんなは、寮に住んでもらってるんだ。社長と僕はこの事務所の二階で暮らしてる」

と、桐生さんが横から助け舟を出してくれてる。髭さんは汗を拭きながら席に着いて、水を飲み干した。

その頃合を見計らってお兄ちゃんが大きな声で

「一同、起立」

がたがたっと一斉に席を立つみんな。

お兄ちゃんは足取りも軽やかに私の方に向き直って、

「礼」と宣誓するかのように言い切った。

「ようこそ、夢限牧場へ!」

と皆、声をそろえて言ってくれた。

「ちゃんちゃん」

またしてもあっけに取られた。

「あははははは。なにそれ~」

お兄ちゃんは私の知らない楽しげな表情を見せて、

「ん?彩夏がきちんとみんなにご挨拶したから夢限牧場の皆からの挨拶さ」

すっと桐生さんが足を前に進めて

「藤谷君。恒例行事も終ったし、タケルを馬房に返しに行こか」

藤谷君が「えーっ」って顔してる。

「場長が入れてくれはったんちゃいますの?」

「タケルの世話は誰の仕事ですか?」

ずいっと一歩踏み出す桐生さん。藤谷君はそれを見て慌ててお茶碗に残ってるご飯と、いくつかのおかずを口にかっ込んで、もごもごしながら、

「ふぉ、ふぉないふごまんでもひょろひいやん」

「何言うてるかわからへん」

適切な突込みだと思う。桐生さんは、そう言いながら、部屋を後にする。その後に慌てて続く藤谷君。

その様子を見ながら、お兄ちゃんは

「冷静沈着を人間にしたような桐生源三も、藤谷君相手やと単なる口うるさい親父やな」だって。

思わず微笑んじゃった。

お兄ちゃんは、私の顔を見ながら、

「彩夏は事務所の二階に寝泊りしてもらうことにするから。えーっと、楓さん」

楓さんは、箸を置いて振り向いた。

「後で彩夏を空いてる部屋に案内してあげてくれませんか?」

荷物は事務室に放り込んでありますから。そう続けてお兄ちゃんはふっと姿を消した。

「彩夏ちゃん、ご飯はまだだろ?」

すっと姿を消したお兄ちゃんをため息混じりに見送って、楓さんはそう言ってくれた。

「今日のおかずは、私が腕によりをかけたんだよ」

そういいながら、ご飯をよそってくれる。

サクラさんと樋渡さんが私の席を自分たちの隣の椅子に座布団をひいて作ってくれた。

「ここへどうぞ」

私は促されるまま、静かに腰掛けた。

やがて運ばれてきたのは、大きなお茶碗に、お味噌汁とおいしそうな鶏のから揚げときんぴらごぼう。

ちょっとご飯の量が多いのが気になるけど、おいしそうだし、昼から何も食べてなかったから、

「いただきます」って大きな声で言ったんだ。

そしたら、「うん。いいねえ。若い子はそれくらいの元気がないと」って楓さんが誉めてくれた。「えへへ」ってなる私。

「私も若い頃はそれくらい食べてたもんだよ。いまどきの若い子は、ダイエットだとか言ってあんまり食べないからねー」

「それでその体型ですか?」

目の前に座ってる春日さんが驚きの声をあげる。

「そうさ。良く食べて、よく働くと、こうなるのさ」

自慢げな楓さん。

そのとき、私は少し不思議な感覚を覚えてた。きんぴらさんを口に運んだときに、どこかで食べたような気がしたから。

「妙な顔してるねえ」

私の食べる様子をじーっと見てた楓さんが声を掛けてくる。

「え、ええ。なんかどこかで食べた気がする味だなあって思って」

「そりゃそうだよ。そりゃ社長の家の味だからね」

あぁ、道理でって思った。お母さんの料理の師匠は叔母さん、お兄ちゃんのお母さんだもんね。お父さん、色々と事情があって小さい頃から施設に入ってたから、叔父さんと叔母さんがお父さんの保護者だもんねえ。

「社長の我侭でさ。私ゃいくつかあの人のおふくろさんに電話を掛けて料理の作り方を教わったのさ。その金平とスジ肉の炊いたのと、玉ひもの炊いた奴と鯛の子とかねー」

少し困ったような顔で、楓さんは言う。

「炊くものばっかりですねー」

楓さんは、あっはっはと豪快に笑って

「そだねー。でも、結構評判良()いのさ。みんなに」

楓さんが、ねえとみんなに問い掛けると、私の目に映る人たちは、うずいいてくれてる。なんだか、私も嬉しくなっちゃった。

「ところで彩夏ちゃん」

サクラさんが、声を掛けてくれた。ちょっと近寄りづらい雰囲気を持ってるから、お近づきになるのはちょっと遠慮したい人かな、と思ってたんだけど、私に対する声は優しかった。人を見かけで判断しちゃいけないね。

行儀悪いかとは思ったけど、「はい」って藤谷君みたいに箸を口にくわえたまんま、そちらの方を向いてみた。そしたら、サクラさんは上品に微笑んで

「競馬のこととか詳しい?」

「あんまり詳しくないです。って言うかほとんど知りません」

正直な回答にサクラさんは、好意を持ってくれたのか、微笑を浮かべて食堂に居る皆さんに声かけしてくれる。

「じゃあ、今日は貴女の安着会がてら休憩室でおしゃべりでもしましょう。今日の夜飼の当番の人には悪いけれど」

「そうだね、それが良いね」

と樋渡さん。

たちまち、髭さんご夫婦を除く全員が大きくうなずいた。

「あのー。『安着会』ってなんですか?」

「えっと、『安全に到着おめでとう会』。略して『安着会』よ」とサクラさんが教えてくれた。

髭さんたちご夫婦は、若い人たちの邪魔をしても申し訳ないから遠慮させていただきますだって。

風の吹く場所には、涼を求めて人が集るんだね。

きっと、ここに吹く風は、お兄ちゃんと桐生さんの心の中に吹く風。私は、この風に身を任せることにしよう。

風が、静かに私の心の奥底にしまってあるベルを鳴らして過ぎていく。この風がいつまでも吹くように、小瓶に入れて、しまって帰ろう。

そう、思った。

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