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ほしのふるさと  作者: 中村 遼生
4/15

第四幕 風の形

桐生さんの紡ぐ物語の最後の言葉が、緑の風に溶けて消えていく。私の心のどこかで一つの旅の終りを告げるベルが鳴った。

桐生さんは言葉だけで、私を悠久の風に乗せてちょっとした旅行につれていってくれた。

競馬って、そんな歴史があったんだ。そのことを今まで知らずにきた自分って、まだまだだなあと思う。別に知らなくてもどうってことは無いんだろうけれど。

正直に言うと、難しくて理解できない部分もあるんだ。でも、桐生さんの思いは伝わってきたよ。

桐生さんと、お兄ちゃんは同じ思いを持って、ここに来たんだね。

そっかあ。競走馬を作るためにここに来たんだあ。でも、それってそんなに難しいことなのかなあ。

私には、まだ理解できないよ。でも、そのきっかけはわかったよ。お兄ちゃん。

お兄ちゃん、言ってたよね。

「物事には全て原因というか、起源がある。そのことを知らずに僕たちはその結果を享受(きょうじゅ)している。時々僕はすごく申し訳なく思うんだ」って。

「『知らない』ことと『知っている』の間は、埋めようが無い距離で占められている。まあ、知っていても何も出来ない場合も多いんだけど、それでもできるだけ知るように努力はしていたいね」とも言ってたよね。

お兄ちゃんのやろうとしていること、少しは見えてきたような気がするけど、もっともっとお話を聞きたいな。

「ま、ここまでが序章だね。競馬には、ドラマが詰まっている。そのドラマを僕たちはこの手で紡ぎ上げたい。そう思って、ここにいるんだ」

「ドラマ?」

「そう。ダービーを圧倒的な勝ち方をした馬が、翌日に病に倒れてしまったりとか、誰もが負けないと思っていた馬を、最低人気馬が最後方から一気に差しきってしまったりとかね。これは、言葉で説明するのは難しいなあ」

「なんとなく、わかります」

そう答えたら、桐生さんは私の顔を見て少しうなずいてくれた。

ドラマって、世の中に満ち溢れてるたくさんの人たちの想いの一つ一つが交わって生み出す物語のこと。私はそういう風に理解してる。

自分の中で言葉の意味を確認してると、桐生さんが、言葉を継いでくれた。

「全ての競走馬は、人の『想い』を乗せて走っている。例え未勝利戦を走る馬であっても、日本ダービーを走る馬であってもね。俺たちは、そこにドラマを見てる」

「想い」を乗せてかあ。

いい言葉だなあ。風が想いを乗せて走ってるんだね。

その様子を、私はなんとなく想像してみた。お父さんが時々見てる競馬の様子と、私の中のイメージを重ねてみた。

 うん。悪くないね。

自然と笑顔になってしまうよ。

「それで、お兄ちゃんと桐生さんは『想い』を乗せて走る風を作ろうとしてるんですか?」

「おぉ。ええ台詞やなあ」

突然後ろから、懐かしくも聞き慣れたイントネーションの響きが届いた。

「来たか」

「『来たか』やあれへんやろう。いつまでたっても帰ってけえへんしよ。藤谷君が先に事務所に帰ってきたわ」

「そうか。まあ、しゃあないな」

お兄ちゃんは、柵をまたいで、こっちに向かって歩いてくる。相変わらず、足長いねえ。

「えらい小難しい話をしてたなあ。俺も名調子に聞きほれたで」

「茶化すな」

「いやいや。見事なもんやった。でも、彩夏には難しかったんやないかな」

ちょっと虚勢を張ってみて、首をふるふるとしてみた。お兄ちゃんは、全部わかってるような様子で、私の頭を優しく撫でてくれて、隣の椅子に腰掛けた。

でもさー。お兄ちゃん、昔剣道してたからかな。気配を消すのが上手なんだね。全然気付かなかったよ。すごくびっくりしちゃった。

ひょっとして、桐生さんこういう展開を予想して地面にあぐらかいてたのかなあ。

お兄ちゃんは、上着のポケットから缶コーヒーを三本取り出して、私と桐生さんに一本ずつくれた。

夏だけど、風を受け続けていると北海道はやっぱり少し肌寒い。私の家の方と比べるとね。そう思ってたところに、あったかいコーヒーはうれしかった。このぬくもりは、きっとお兄ちゃんの優しさなんだろうなあ。

やっぱりお兄ちゃん、だね。

「『想いを乗せて走る風』。いつのまにか彩夏もいい言葉を作れるようになったね」

お兄ちゃんは、丘の上から見える彼方の山脈に視線を向けた。

「でしょう」

胸を張ってみる。その様子をお兄ちゃんと桐生さんは微笑みながら見てくれる。

「でもさ、風なんて作れるの?」

クビをかしげて聞いてみたら、お兄ちゃん昔と変んない笑顔を私に向けてくれながら、

「そうだね、難しいと思う。でも、だからこそやる価値がある。誰にでもできることなら、僕はここにいないよ」

正直だなあ。お兄ちゃん。

「それに付き合う俺も人間が出来てると思うよ」

真面目な顔していう桐生さん。

「おいおい、そういうのは自分で言うもんやないやろ」

笑いを含んだお兄ちゃんの声。

気持ち良いなあ。この二人の間は。

「お兄ちゃん、私もここにいたらお兄ちゃんと桐生さんの想い、わかるのかな」

思い切ってそう聞いてみた。

「そうだね。これから彩夏が見ていくもの、聞いていくものを、心で感じてごらん。それと、俺とおっさんのじゃなくて、ここにいるみんなの想いをさ」

そういうお兄ちゃんの声は穏やかに私の胸に響いた。

「難しいこと言うなあ、お前」

横で、桐生さんが含み笑いをしている。

「しゃあないやろ。俺らの想いは俺らのもの。人に言葉で教えても理解できひんねんから」

「お前の悪い癖や。年下の人間には妙に説教くさくなる。特に可愛がってる奴にはな」

桐生さんは、横目で少し困ったような顔になっているお兄ちゃんを見ながら、

「んで、どうする。タケルのところに行くか、事務所に帰るか」

お兄ちゃんは、息を大きく吸って背伸びをした。

「そやなあ。せっかくやから暗くならんうちに彩夏にタケルを見せてやりたい。幸い車で来てるしな」

お兄ちゃんが親指で指した方を見ると、私を牧場まで乗せてきてくれた車の屋根だけ見える。

「よし。では、行くとしよう」

「おいおい、そない()かさんでも」

「もう日が暮れる。夏とは言え、俺らの都合に合わせて()は長くもってくれんだろう」

そういうと、桐生さんは立ち上がって、私に声をかけた。

「じゃ、行こうか」

私は、どうしようか迷ったけど桐生さんに従った。

お兄ちゃんは、慌ててコーヒーを飲み干すと、椅子を蹴って立ち上がった。

私の知ってるお兄ちゃん、桐生さんの知ってるお兄ちゃん。同じ人なのに、違う人のように思える。

そうだね、きっとそうなんだね。

でも、どっちのお兄ちゃんもお兄ちゃんだね。私は、好きだよ。

桐生さんが運転席のドアを閉めるのとお兄ちゃんが後ろの座席に飛び込むのとほぼ同時だった。あんまりすごい勢いで来るから、小さな車が大きく揺れる。ひっくり返るんじゃないかと思ったよ。そしたら、桐生さんも同じことを思ったのかな。

「こら、そこの無駄な大男!車を壊す気か!」

「この身体は、大きな知恵を宿した頭を持ってんねん。そないつれないことを言うなよ」

「ほぅ。では身体は役に立たんことを認めるんやな」

最高だね。私にはそんな切り返し出来ないよ。助手席でくすくすと笑う私の顔を恨めしそうに見るお兄ちゃんの顔がルームミラーに写ってる。その顔がまた面白くて私はまた笑っちゃうんだ。

お兄ちゃん、実はボケなんだね。知らなかったよ。

私たちの目指している所は、車でまだしばらくかかるみたい。歩いていったらけっこー時間がかかってたかもね。

「お兄ちゃん、すごいよねえ。こんなに広い土地、持ってるなんて」

振り返りながら言うと、お兄ちゃんはちょうど窓を開けるところだった。

「別に俺の土地じゃないよ。すごいのは、オーナー。真吾さんのお父さんさ」

全開にした窓から右半身を乗り出そうかと言う勢いで、気持ち良さそうに風を受けるお兄ちゃん。細めた目の先に見えてるのはなんだろう。

真吾さんって言うのは、お兄ちゃんの従姉の旦那さんのことだって、追加して教えてくれた。

静かに暮れかかる北の空の景色に併せて、車は道を進んでいく。

「真吾さんのお父さんは、昔から馬産に興味があったんだ。なんでも子供の頃に近くに有名なダービー馬を出した牧場があったらしくてね。その馬はダービーを勝った十日後に破傷風で亡くなるというその悲劇に満ちた生涯と当時盛んだった映画産業に関わる企業の社長の持ち馬だったこともあって、後に映画にもなったんだ。その映画を見てオーナーは子供心にひどく感動したそうだよ。で、いつか自分もこうやって人に感動を与える馬を生産したい、競馬場に送り出したいと考えていた。だから少しずつ土地を買い集めたり、建物を建設したりしてたんだけど、なかなか本腰を入れて出来なかったんだ。本業がお医者さんだからね。この辺はそんなに医者の数も多くないし。いつまでたっても暇はできない。最近になって交通事情とかも改善されて、医療環境が整備され、やっと趣味に没頭できる時間が出来たと思ったら、自分がすぐに大きな病気しちゃって、仕方なく俺に譲ってくれたのさ。譲ってくれたって言っても、株は向こう持ちだけどね」

桐生さんが、後に言葉を続ける。

「だから、僕たちは雇われ社長と牧場長さ」

ふーん。そうなんだ。

「でも、二人の夢でもあったんでしょ?」ちょっと恥ずかしかったんだけど、私は素直に聞いてみたんだ。

お兄ちゃんは照れくさそうに笑い、桐生さんは唇を少しだけ動かした。

「そうだね。でも正確にはオーナーの夢を俺たちが、背負わせて頂いたってところかな。ま、こいつがただで引き受ける訳ないから、条件は付けてるだろうけどね」

そうか、お兄ちゃんその辺のスジはきっちりしていないとイヤな人だったね。こんなことも忘れてるなんて、会わない時間は二人の距離を少し離しちゃったね。もったいないなあ。これから機会を作ってちょくちょく来れるようにしたいなあ。

あれ?なんだか、いまお父さんの事を思い出したよ。

「変ってるのさ、オーナーも。結局の所、如何(いか)に息子の嫁の親戚含みとはいえ、ほとんど見ず知らずの僕たちに任せるなんて」

あっさり言う桐生さんだけど、けどさ、結局それって、自分も「変」って認めてるようなもんだと、私は思うけどなあ。

「ほら、彩夏。も少しだよ」

そんなことを考えてると、お兄ちゃんが教えてくれる。

車は更にゆっくりゆっくり進んでいる。

夕日に照らされて、黒い点が二つ浮かび上がってくる。

そこから少し離れたところで、車は止まる。

「ここからは歩いていこう」

桐生さんがシートベルトをはずしながら、そう言う。お兄ちゃんは、先に外に出て、助手席のドアを開けてくれた。

「足元に気をつけて」

大きな水溜りが一つあったから、そっと車から出た、つもりだったんだけど着地したとき私の両足は、私が思ってたよりも鋭い響きをあたりに送った。

お兄ちゃんは、なんだか知らないけれど「あーあ」って顔をしてる。

前を進んでいる桐生さんもイタズラを見つけたときの幼稚園の先生みたいな顔をこっちに向けていた。

あれ?なんか悪いことしたのかな。

多分、なにかしたんだろうね。でないとあんな顔にならないもん。

そっと、お兄ちゃんが肩を抱いてくれる。あったかいなあ、お兄ちゃんの腕の中は。

お兄ちゃんにエスコートされてゆっくり歩いていく。桐生さんはもう柵のところにいる。

桐生さんの横にたどり着いたとき、お兄ちゃんが黒い点を指差して、

「ほら、彩夏。あれが、俺とおっさんの夢の欠片。『タケル』だよ」

お兄ちゃんの人差し指のその先に、その仔は居た。

「父は日本独自の発展を遂げたスピード系種牡馬。母は同じく日本で長く守られてきたスタミナ豊富な在来血統。こいつで、外国産馬、外国産二代目、三代目を蹴散らした時に始めて僕たちの夢は叶ったと言える」

私には良くわからない言葉をお兄ちゃんが紡ぎ出した。

「現在の輸入種牡馬全盛時代には似つかわしくないくらい重厚な日本血統。ただ基本は外していない」桐生さんがそれに応じてバラードを歌うように言葉を繋いだ。

「スタミナと成長力を内包する繁殖牝馬に、スピード系種牡馬。配合手法は、最近の流行であり、王道だね」

二人の歌は交互に奏でられる。

「ただ、日本産馬でこういう配合を試したことがないから、どういう結果になってるかは想像もつかないけれど」

「日本が誇る血統の精華を、炸裂させたいと思ってした配合だからねえ」

「うまくはまれば、歴史に名を刻めるだろう」

「いずれ、競馬場に行ったときには『タケミナカタ』という名前をこいつに与えようと思っている。天津(あまつ)(かみ)に戦いを挑み、敗れ去った気高き国津(くにつ)(かみ)の勇者」

「外国から来た種牡馬連中に一泡吹かせるためにも、こいつにかける期待は二百%以上だね」

お兄ちゃんと桐生さんは日が暮れて暗くなるまで夢を語りつづけた。私にはまだわからない、二人だけの熱い夢を。いつしかきっと二人の言葉は現実に、きっと永遠の物語になるんだろう。そんな予感がする。

いつか、私もこういう大人になりたいと思う。こういう人たちの側にいたいと思う。

太陽の最後の余光が薄雲を払って、北の大地をひときわ明るく照らし出す。

黒い点ははっきりとした形を伴って、私の前に姿を現した。

「きれい」

私は、その後に続く言葉を作れなかった。

お兄ちゃんは私の肩を軽く2~3回叩いて言った。

「言葉ってのは、便利なもので重ねれば重ねるほど詳しく物事について語ることもできる。でも時に具体的過ぎると人の想像力を奪ってしまう。だから、いまので十分だよ」

桐生さんが続けて言う。

「想いを伝えるのに、多くの言葉は要らない」

私は二人の言葉に励まされて、自分の心で感じ、想像力を働かせてみた。

きっと神様が「勇壮」と「美麗」をテーマに風に形を与えたら、こんな感じになるんだろう。そんなイメージがわいてきた。

タケルが、私の傍に近づいて、喉を鳴らした。

「ほぉ、これは驚いた」

と、桐生さん。

「タケルが彩夏に甘えたがっているよ。顔をなでてあげるといいよ」

お兄ちゃんが促す。

「えっ。どうすればいいの?」

お兄ちゃんは、ポケットからにんじんの細長く切ったのを取り出して、手のひらで器用にはさむとタケルの口元に持っていく。タケルは長い首を伸ばして、食べる。お兄ちゃんは、その間にもう片方の手で、首筋を二度、三度なでてあげる。

タケルは気持ち良さそうな、声を喉の奥から絞り出す。

「こんな風にやればいいんだよ。あ、間違っても指で挟んであげちゃいけないよ。指ごと持ってかれるからね」

お兄ちゃんは、にんじんを渡してくれた。

「お、おい」

なにか言いたげな桐生さんを、お兄ちゃんは片手で制して

「さ。やってごらん。彩夏」

昔おにいちゃんに手品教わってたから、手のひらでモノをはさむのはできるけど。

恐る恐る近づいたタケルは遠くから見るより大きくて、立派だった。でもその目は、優しい光に満ちていた。

わたしはお兄ちゃんがやったように、手のひらを差し出した。タケルが首を伸ばしてにんじんを食べる。

「タケルが、俺とお前以外の手からモノを食べるか」と桐生さんの声が聞こえた。

「彩夏。撫でてあげなさい」

お兄ちゃんに促され、タケルの首筋を二度三度優しく力をこめてなでてあげた。タケルは気持ち良さそうに、首を上下に軽く動かす。

「どうやら、彩夏はタケルに気に入られたようだね」

お兄ちゃんは笑顔で傍まで来て、私の頭をくしゃくしゃっと手でかき混ぜてくれた。そんな様子を桐生さんが暖かいまなざしで見つめている。

馬のことは良くわからないけれど、きっとこれで十分なんだね。お兄ちゃん。

私は、お兄ちゃんの夢の形をしっかりと見ることが出来た。そしてそれに感動した。それで、良いんだよね。

そんな風に心で問い掛けてそっと私より頭二つ分は高い所にあるお兄ちゃんの顔を見上げてみた。

「さて、帰ろうか。藤谷君に彼らを馬房に連れて帰らせんといかんしね」

桐生さんのその声が聞こえても私は、お兄ちゃんの腕の中でいつまでも、「タケル」を見つめていたかった。

いつかこの仔のように、私の夢も、いまはまだ見えないけれど、形になって、誰かの心を響かせることができるのかなあ。

神様。

私の夢に、形を与えてくれますか?

いまはまだ見えない、私の夢に。

ううん。与えてくれなくても良い。自分で夢を描く事を、それだけを許してくれたなら。


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