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ほしのふるさと  作者: 中村 遼生
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第六幕 風と翔ける想い

普通は、ここまで()くしてくれないよね。

私へのおもてなしはちょっとしたリゾートホテルみたい。そんなところ行ったことないからあくまで想像だけど。

楓さんの案内で事務所の二階、普段はお兄ちゃんと桐生さんが二人で暮らしてるフロアに、当面の住処を置いた私は、部屋の真ん中に置かれたベッドの上に勢いよくうつぶせに飛び乗ってみた。

客間だから余り使われてないと思うんだけど、お布団はふかふか。お日様の匂いがした。こういうところにもみんなの優しさがにじみ出てるなあ。

考えてみたら、まだ一日目が終ってないんだよね。

お兄ちゃんのこと。私のこと。家のこと。私を取り巻いてる色んなこと。

私が、当たり前に暮らしてる世界は、大きな世界の中の一つであって、世の中には私の知らないことはたくさんあるんだ。

こういう機会がないと考えなかっただろうけれど、私の世界は私が見てる、生活してる世界ってことなんだね。

お兄ちゃん。

お兄ちゃんがうちに来てたときは、私の世界の中にお兄ちゃんが来てくれてたんだね。いま私はお兄ちゃんの世界に来てるんだね。

お兄ちゃん。

お兄ちゃんにとっての私はなんだろうね。

私がお兄ちゃんを必要としてるほど、お兄ちゃんは私のこと必要だと思ってくれてるのかな。

不思議だね。旅に出るって。

こんなこと、いつものように夏休みを過ごしてたら、きっと絶対思わなかったよ。

色々考えながらベッドに横たわってたら眠気が急にこみ上げてきちゃった。

「いけない。お風呂に入って寮に行かなきゃ」

自分のかばんを開けて着替えと洗面用具を取り出す。お風呂は部屋を出た突き当たりの階段を上ったところにあるって楓さんが教えてくれたっけ。

ちょっと疲れて、頭の中を整理しきれてない自分を引きずって、お風呂へ向かう。

階段を上がってすぐに「風呂」と書いてあった。

お兄ちゃん、日本人は日本語を日常的に使わないといけないって、前から言ってたけど、何もこんな洋風建築に、わざわざ墨黒々と「風呂」って木札掛けなくても。お兄ちゃんらしいけどさ。それにしても、なんか変わった作りの建物。ひょっとして3階ってお風呂だけなのかな。

「あれ?誰か入ってる」

引き戸を開け、灯りのついてる脱衣所に入ると、中から水の流れる音がしている。

「誰や。おっさんかあ?」

中から、お兄ちゃんの声。

「私、彩夏だよ」

そう答えると、突然戸が開いて、お兄ちゃんが素っ裸で出てきた。

普通ならここで悲鳴の一つもあげるところなんだろうけど、あんまりにも驚きすぎて、声も出なかった。

あっけに取られてる私を前にして、お兄ちゃんは

「風呂かい。ちょっと待ってて。もうあがるから。二番風呂にしちゃって悪いね」

と、何事もなかったようにまた湯船の中に戻っていった。

昔から無頓着なところのあった人だけど、これほどとは思わなかった。

「すごい」

なんだか圧倒されてしまった。

しばらく呆然と立っていると今度はタオルを腰に巻いたお兄ちゃんが出てきて、バスタオルでごしごしと頭を拭きながら、昔流行ったバラードを口ずさんでる。

「お兄ちゃん。いいの?」

「んー。何が?」

「一応私、女なんだけど」

「別に見られて困るもんでもなし、減るもんでもないしね」

そういうことを言ってるんじゃないんだけどなぁ。

でも。ま、いっか。

それにしてもお兄ちゃん、良い身体してるね。ちょっとお肉が余分についてるみたいだけど、馬力のありそうな身体だね。太ももなんて私の胴回りくらいありそうだよ。

私の目の前でてきぱきと着替え終ったお兄ちゃん。大き目のTシャツに、はき込まれた黒の綿パンツ。きっちりした格好してるお兄ちゃんはどこか近寄りがたい雰囲気があってかっこいいんだけど、こういうだらしない格好の方が昔のお兄ちゃんらしくて好きだな。

少し長めの髪をタオルでごしごしと拭きながら、鏡に向かうお兄ちゃん。こういうところをちょっと色っぽいと思う。

「乾かさないと風邪ひくよ」

お兄ちゃんの頭を見ながらそう言うと

「髪弱いんだよ、肌も弱いんやけどね。だから、風呂上りはいつも自然乾燥さ」

前に落ちてる髪を手でかきあげて、私に向かうお兄ちゃん。

ふと、あの悪がきの笑顔を浮かべ、後ずさりして浴室の中に入ると、私を手招く。

なんだろうと思いながら行ってみると、まず最初に強いラベンダーの香りが私を包む。もうそれだけで癒される感じがする。穏やかな気持ちに合わせて明かりが徐々に小さくなる。小さく声をあげた私を多分あの笑顔で見てるんだろう、大きなお兄ちゃんの影が、天井を指差して見えた。

落ち着いて見ると淡い光がお風呂をおぼろげに包み込んでる。昔見たアニメの主人公みたいに、蒼い光の円柱が私たちを照らし、包み込んでる。お兄ちゃんの指に従って顔を上に向けると、そこには満天の星がいまを盛りと煌いていた。

「うっわぁ」

「タイトル『黎明の天涯』。僕の自慢の風呂さ。風呂には凝りたくてね」

ガラス張りの天井を通して、振ってくる星の煌きは、優しく私に道を示してくれてるように思えた。

「ここでこうして、風呂に入ってるときが一番落ち着くんだ」

お兄ちゃんは、微笑みながら言う。

「疲れも一発で吹っ飛ぶだろう?」

「うん」

静かに、うなずいた。

お兄ちゃんは、私の肩を一つ叩いて

「そこにコンポがあるから、適当にラックに入ってるCDをかけながら入るといいよ。でも、彩夏とは世代が違うかなあ」と苦笑するお兄ちゃん。

「今日は疲れただろうから、ゆっくり休むんだよ」

「うん。でも、八時にサクラさんたちと約束してるんだ」

出て行こうとするお兄ちゃんの背中に答える。

「そっか。あんまり遅くならないようにね。僕はこれからおっさんと仕事の話をするから。気にせずに先に寝てもいいよ」

肩越しに振り返りながら視界から消えていくお兄ちゃん。

扉の外からはさっきと同じバラードが聞こえてくる。これってきっと、コンポに入ってるCDなんだろうね。

「えいっ」

ためしに再生ボタンを押してみると、やっぱりお兄ちゃんの歌ってた曲が流れてきた。しかも単曲リピートで。凝り性って言うか、気に入ったら徹底的だね。でも、実は私も好きなんだこの歌。なんかね、お父さんとお母さんの思い出の曲らしくて、家でも良く聞いてたんだよね。

空から落ちる光と、優しいバラードに身を浸しながら、私は誰もいない浴室で、一人歌ってみた。

結構、気分がいい。

お兄ちゃんの描く夢。

きっと、私と同じでおぼろげなところがあるんだね。

だから、ここで探してるんだね。

でも、私とお兄ちゃんの違いは、お兄ちゃんは向かう先を見つけたけど、私にはまだ見つかってないことかな。

「お兄ちゃん、私の向かうべきところ、どこにあるのかな。どこかに、私を導いてくれる風は吹いてるのかな」

「きっとどこかにあるさ。必ず見つかるから」

驚きの余り、妙な声が体のどこかからいきなり出た。

突然、扉の向こうから聞こえたお兄ちゃんの声は笑いを含んでた。くるっと脱衣所の方に振り返った私の耳に、扉を挟んで言葉が続いて飛び込んでくる。

「彩夏、お風呂から上がったら下の事務室においで」

「は、はーい」

もう。お兄ちゃんたら、普段から気配を消して歩くのは止めて欲しいなあ。心臓に悪いよ。

か細い私の胸に両手を添えて、胸の鼓動を確かめながら、気分を落ち着かせた。

「さ、お風呂に入ろっと」

お風呂場の鍵を閉めて、ゆっくりと湯船につかろう。約束の時間には、まだ間があるんだし。

 私は少し汗のにじんだ普段着を脱ぎ捨てて、コンポのスイッチを入れ、お兄ちゃんが自慢する湯船に飛び込んだ。湯船の縁に頭を乗せて、体を浮かせてみる。我ながら、これからの成長に期待しないといけないスタイルだけどそれでも出るところは出て、しっかり自己主張をしようとしているのは褒めてあげたい。ここに住んでしっかり働いて食べるもの食べてたら自慢できるスタイルになるかなあ。

 それにしても気持ちいいなあ。お兄ちゃんは、ココから見える星空を眺めてどんな夢を描いているんだろう。お兄ちゃんの夢って何だろう。私の夢って何だろう。今まできちんと考えたことなかったけど、幸せになるって事と夢をかなえるって事はおんなじなのかな。

「平安時代、室町時代、戦国時代、江戸、明治、大正、昭和。いつの時代も僕と似たような顔をした人たちが当たり前に暮らして、血を繋いで来てくれたんだ。それを思うと人の営み、それ自体が奇跡とも言える。みんなそれぞれ幸せだったんじゃないかな。その時代、時代に合わせてね」いつかお兄ちゃんが言ってた。

でもそれは、価値観が決めることだよね。時代の価値観と自分の価値観と。夢は、それとはまた違う気がする。難しいなあ。人間もっと単純に生きれたら良いのにね。

あ、いけない。何も考えられなくなってきた。あがらなきゃ。ちょっとのぼせてきたかも。あぁ、でも気持ちいい。

 気力を振り絞って湯船から体を引きずり出す。そして、水を二、三回浴びる。

「ふぅ。危ない危ない」

危うく、湯船に沈むところだったよ。

さ、体洗って、お兄ちゃんの所に顔出さなきゃ。呆けるのはまだ早いぞ。

 事務所に顔を出すとお兄ちゃんがパソコンに向かって難しい顔をしてた。

「早かったね、彩夏」

「うん。ちょっとのぼせそうになっちゃって」

お兄ちゃんは声を上げて笑うと、部屋の奥の方に向かって行った。

「はい。これ僕からみんなに差し入れ」

「何?」

「ビールとおつまみ。五百ミリリットル缶十二本と博多の友達から送ってきた絶品の辛子明太子一箱」

「はい。小鳥遊彩夏。確かにお預かりしました」

「ああ、夜道は危ないからこれを下げていきなさい」

とお兄ちゃんは首からかけるタイプの明るい光を放つ電灯を貸してくれた。

うあ、結構重いなあ。全部合わせると。

「あんまり遅くならないようにね」

「はーい」

お兄ちゃんのお見送りを受けて私は元気よく玄関を出て、寮まで十五分の道のりを歩いた。寮の方では大分手前からわかるくらいあわただしい雰囲気がしてる。

「お待たせしましたぁ」

大きな手提げ袋を両手で下げて、体で元気良く寮の扉を押し開けると、頭にタオルをかぶって缶ビールを箱ごと持った純子さんがいた。

「彩夏ちゃん、とうちゃーく」

と、入ろうとしてた部屋に、呼ばわってくれる。

サクラさんが部屋から顔を出して

「早かったわね」と私を部屋の中に手招いた。

「ええ。お風呂あんまりにも気持ち良かったんで、寝ちゃいそうになっちゃって」

「それで、慌てて出てきたの?」

はにかみながらうなずいたら、サクラさんは、手を口元にあてて微笑んだ。ホント上品な人だなあ。

「社長、お風呂には凝ってるもんねぇ」

私たちも時々使わせてもらってるんだ。だって。

「お風呂だけですか?」

「ううん。後、オーディオかな?」と純子さん。

てきぱきとテーブルの上にビールを並べてる。けっこー大き目の正方形の部屋の中は整理整頓されていて、中央にコタツが一つと、周りにはソファーが置かれてる。かわいらしいクッションがたくさんあるのは、女の人がいるところらしいね。

「へえ」

知らなかったなあ。あー、でもお兄ちゃん、いっつも携帯音楽プレイヤーとか持ち歩いてたし、確かに音楽好きではあるよね。

「社長のオーディオルーム行って見ようか?あそこ、サラウンド効いてるし、低音も最高だよ」

純子さんがビールを並べる手を止めて言う。

「あ、でもお兄ちゃん桐生さんと仕事の話するって言ってましたよ」

「じゃ駄目だわ。いつもあの部屋でクラシックみたいなの聞きながら話てるし」

内股に座って残念そうに手を置く。事務所の隣にあるから機会があったらのぞいてみるといいよ、と教えてくれた。

ふーん、そうなんだ。

「ここはここでいいわよ」

サクラさんが、そう言いながら陽子さんと二人で、色んなおつまみを載せた皿を運んでくる。そう言えば陽子さんとはあんまりしゃべってないなあ。でも、なんだか無口な人っぽいし。さっきから見てるとうなずくのと首振る以外の意思表示してないみたい。

「そーそー。なんせみんなでおしゃべりしながら、だもんね」

純子さんが声を励まして言ったと同時に、部屋の中をひょいっと藤谷君と高山さんが覗き込む。

「わいらも仲間に入ってよろしいですかぁ?」

「藤谷君、明日早番じゃなかったっけ?」

純子さんがクビをかしげながら聞くと

「へえ。せやけど場長が多少おそなってもかまわんて言うてくれましたから」

頭をかいていうと、手土産のするめとかきピーの袋を掘りごたつ式のテーブルの上に投げ出しながら、ちゃっかり二人して、輪の仲に入ってる。

「あんたねえ、その中途半端な関西弁どうにかしなさいよ」

サクラさんが、腰に手をあてながら、言うと

「しゃあないですやん。場長とずっといっしょにおったらうつりまっせ」

必死に抗弁。

大きくため息をつくサクラさんと、けたけたと笑う純子さん。

「そうだねー。社長はもともと北海道の人らしいからこっちの言葉も話せるけど、場長は、ほんっと、『関西人』だもんねえ」

純子さんが、言うとサクラさんは

「あら、でも社長も『関西人』よ。よく場長と二人で話してるときは、『ボケ』と『ツっこみ』で会話してるもの」

サクラさんの言葉に、周りが皆注目して、微笑を浮かべてる。その様子に気がついたサクラさんは慌てて、

「まあったく。つまらない掛け合いを聞かされるほうの立場にもなって欲しいわ」

だって。

あれ?すこし、頬が赤く見えるのは、なんでなんだろ。

みんなは、「わかってます」って顔をして、お互いの顔を、見合わせてる。

ああ。やっとわかった。そういうことかあ。

少し私も微笑んだ。

サクラさんは、話を変えようとして一生懸命話題を探してるみたい。

なーんだ、可愛いじゃん。私好きだなあ。こういうの。

「彩夏ちゃん。どう?この子の関西弁、おかしいでしょ?」

唐突にサクラさんに聞かれた私は、少し考えるふりをして、

「そやねー。いまどきこないな関西弁しゃべる人いてまへんなあ」

って、わざと言ってみた。

「あっはははは。彩夏ちゃんさいこー」

純子さんからお褒めの言葉をいただいた。

視界の端では、陽子さんもウケてくれてる。

この辺、私も立派に関西人だなあと思う。ボケツっこみは、文化だね。

「あ、忘れてた。これお兄ちゃんからの差し入れです。ビールが十二本と、明太子」

「さすが社長。酒飲みのポイントを突いてくるわねえ」サクラさんが感心したように言う。

「お兄ちゃん、そんなに酒飲みなんですか?」

「そりゃあもう。本気で飲んだら、社長と場長にはうちの牧場で誰も勝てないわよ」

気がつくとみんなそれぞれのポジションに付いていた。

藤谷君と高山さんと、私とサクラさんが掘りコタツに。

純子さんは、サクラさんと私の間のちょっと後ろ。かわいいお馬さんの大きめのぬいぐるみを抱えて、ちょこんと座ってる。陽子さんは、藤谷君と高山さんの後ろのソファーに腰掛けてる。

「それじゃあ。小鳥遊彩夏ちゃんの夢限牧場到着を祝って」

サクラさんが、手元のビールを掲げて言う。

「ついでに今日も一日、おつかれさーん」

その声に、みんなが唱和する。

「おつかれー」

私の前にはもちろんオレンジジュースが入ったコップがある。

「ねえねえ。彩夏ちゃんは社長の親戚だっていうけど、どういう関係なの?」

くはあっと五百ミリリットルの缶ビールを一気に半分くらいは飲んだ純子さんが、興味津々な様子で聞いてくる。

「えっと、私のお父さんがお兄ちゃんの従兄弟なんです」

みんな顔にクエスチョンマークを浮かべてる。

そうだよねえ。一発では理解できないよねえ。

「えっと、それってどういう関係になるの?血がつながってるってのはわかるんだけど」

とサクラさんが聞いてくれた。

「なんか、『いとこちがい』って言うらしいですよ」

純子さんが、缶に口をつけながら、

「へえ。そういうのがあるんだ」って感心したように言う。

「で、彩夏はん」

藤谷君が掘りごたつの向こうから身を乗り出して聞いてくる。

「ココだけの話。社長と場長ってどないな人なんでっしゃろか?」

「え?」

「いや、社長と場長の昔のこと、わてらあんまり知りまへんねん。前に場長に聞いたら『それが自分の仕事に何の関係があんねん』って言われてしもて聞きづらいし、社長に至っては『若気の至り。いつかわかる日が来るさ』て、煙に巻かれてしもて」

「そうなのよねー。あの二人が特別な関係ってのは、よくわかるんだけどなんだかミステリアスって程でもないけど、不思議な感じなのよ」

と、これはサクラさん。

「でも、私が知ってるお兄ちゃんって、私の家庭教師してくれた頃より前のお兄ちゃんだから。それに桐生さんは今日ココで初めて会ったばっかりだし」

「正直、それでもいいのよねえ。知りたいのよ、私たちみんな」と、これはサクラさん。みんな好奇心旺盛だねえ。

うーん。どうしようかなあ。

じゃあ、少しだけ。

「私が知ってるお兄ちゃんは、大学四年までのお兄ちゃんですけど、それでもいいですか?」

みんな一斉に同意の動作をとそれぞれにしてくれる。

「それと、私がしゃべったって、絶対に言わないでくださいね」

こういう時の口止めが大体無駄だって事は知ってるけど、念のために右手の人差し指を唇に当ててみた。お兄ちゃんなら、これくらいのことで怒りはしないのはわかってるからできることなんだけど。

「もちろん」

純子さんが元気に言って、周りを見回すと周りのみんなもうなずいた。

「じゃあ、少しだけ」

「よ、『夢限牧場前夜語り』始まり始まり~」

藤谷君の掛け声で、私の、私だけが知っているお兄ちゃんの物語が始まろうとしていた。

 人が人のことを話すのって、結構難しいと思うんだ。

例えば、愛情を込めて話すとか、憎しみに駆られて話すとかさ。

なんていうのかな。話す人が、話される人に対して持ってる思いの質と量がすっごく影響すると思うんだ。

普段、そんなことあんまし考えずに話してると思うんだけどね。できるだけみんなが楽しくなるように話せるといいな。

 周囲の期待に溢れた視線を浴びながら、私はオレンジジュースを一口飲んだ。

「お兄ちゃん、村上藤哉は桜吹雪がまぶしい日に港町の海岸近くの病院で生まれたの。桜並木の見事な日に。丁度その日はおっきなレースがあった日だったんだって」

「桜の季節で、おっきなレースというと桜花賞か皐月賞かな」

答えをあっさり出してくれた高山さんに、純子さんが相槌を打つ。

ふーん。みんなよく知ってるなあ。

「そうかもしれません。お兄ちゃんは桜が一番好きな花だって言ってましたから、ひょっとしたら桜花賞の日、かな」

ちょっと、サクラさんの方に視線を向けてみると、なんだか照れてるみたいにも見えたんだ。

この桜はお花のことで、サクラさんのことじゃないんだけど、こういうことでも、好意的に聞こえてしまうのかもしれないね。

「生まれたときからおっきくて、四千グラムくらいあったんだって。それで、帝王切開で生まれたって言ってたよ」

「四千!」

「おかしいわ、それ」

皆口々に驚きの言葉を奏でる。

「小学校のときのことは、あんまり話してくれなかったなあ。卒業するときには身長が百七十五センチあったって言うくらいしか」

「小学校で!」

「それでランドセル背負ってたの~?」

「しかも半ズボンで、すね毛一杯生えてたって。子供心に恥ずかしかったって言ってましたよ」

みんな大爆笑。

「それはコンプレックスになるよねえ」とこれはサクラさん。うーん、いまでこそ結構小学校でも格好は自由だけど、昔ならねえ。そういう意味じゃ、今の世の中、昔よりマシになってるのかな。

「中学一年生は悪い子、二年生では普通の子、三年生ではよいこちゃんになったって言ってたなあ」

「悪い子?」

少し不安げな表情を顔に浮かべた陽子さんが言う。

「あ、成績が悪い子って意味ですよ」

「ふーん」

「でも、やんちゃなのはやんちゃだったみたいです。有名なプロ野球の選手に、思いっきり殴られたことがあるって言ってたし」

「へえ。それって誰のこと?」

嬉しそうな顔で聞いてくる純子さん。うん、ゴシップ好きと見た。

「うーん、お兄ちゃん。名前は教えてくれなかったんだ」

「そっかあ」

「でも、負けなかったって言ってました。敵前逃亡はしたけれど」

「あっはははは。社長らしい~」

「『逃げるのは、負けじゃない』って真顔で言うのよねー」

純子さんとサクラさんが顔を見合わせて言う。

「それでそれで」

うわ、(はや)。純子さんもう二本目に入ってる。気持ちいい音させて缶を開けるなあ。男性陣、圧倒されておりますよ。

「そのあと、有名な進学校に入って、剣道に一所懸命」

「へぇ~。強かったの?」

ホント、興味津々なんだね、純子さん。

「んーよくわからないです。相当強いって事は知ってますけど」

「私知ってる」

何故か陽子さんが突然言った。

「私も中学高校と剣道してたから。専門誌に社長、載ってる。ちょっと待ってて」

なるほどねー。だからか。

陽子さんは席を立つと談話室の外に静かに姿を消して、戻ってきた

「はい、これ」

雑誌の表紙には、面を決める剣士の姿が大写しだった。防具でよく見えないけど、このへの字眉毛と切れ上がった奥二重は、確かにお兄ちゃんだ。表紙を斜めに突っ切って躍る文字は、「村上藤哉君インターハイ 個人戦三連覇 高校生活 有終の美を飾る」

これには流石にみんなも驚いたみたい。

「俺、これから社長にだけは逆らうのやめとこ」

おどけたような感じで言う高山さん。

「私の学校、女子高だったから。社長、人気あった」

陽子さんが少し恥ずかしそうに言った。

あれれ。これはひょっとして、陽子さんもお兄ちゃん狙いですか?でないと、こんな何年も前の雑誌持ってないよね。

「で、陽子ちゃんなんでこの雑誌を?」

おーっと、サクラが言った。表情一つ変えてないところは流石、年の功を感じさせるけど、ちょっと部屋の温度が下がった気がするのは気のせいかな。

「この年、私たちもインターハイに出た。結果、三回戦負けだったけど。それで記念に持ってる。結局、この後一回もインターハイ出れなかったし」

なんだ、つまんない。一瞬張り詰めかけた空気も元通りになっちゃった。

「で、陽子はんの目から見た社長はどないでした?」

あ、藤谷君空気読めてない。ここでその質問はまずいよ。ここはさらっと流して次の話に持ってかないと。いくつかの非難する視線が藤谷君に集中してる。

「社長、強かった。化け物じみてた」

「化け物、でっか?」

陽子さんは、藤谷君に向かって軽くうなずくと、竹刀を持つふりをして続けた。

「普通、剣士は中段に構える。攻守一体。一番の基本。でも社長、少し変形の右上段の構え。攻撃一本。上段に構えられると、相手は突くか胴を抜くかしかない。その隙に面を打つのは簡単。試合で勝つためだけに、この構え取る人、多いの」

今度は視線が陽子さんに集まる。

「でも社長、相手が攻撃に移る前に全部切った。一緒に居た顧問の先生も言ってた。『先手必勝。古武士だな』って。後で調べたら薩摩示現流っていう剣術の古流派にそっくりだった」

「薩摩って、今の鹿児島ですよね」

その地名に心当たりのあった私は、思わず反応した。

「確か、そうよ」

と私の記憶に太鼓判を押してくれたのはサクラさん。

「なら、お兄ちゃんがその流派知っててもおかしくないです。だって、小鳥遊家は鹿児島が本籍ですから」

「え、社長って北海道出身じゃなかったの?」

純子さんが目を大きく開いて私を見る。ま、他のみなさんも大体似たような反応。

「えっと、北海道出身はお兄ちゃんのお父さん。お母さんは鹿児島なんです」

「あ。だから社長、堀の深い顔立ちなのかな」感心した純子さんに「いや、それは関係ないでしょ」と突っ込んだのは高山さん。うん、私も関係ないと思う。でも、海賊の多かった地域には美人が多いとか聞いたことがあるし、地域と顔立ちってまったく関係がない訳でもないかも。

「人に歴史ありとはよう言うたもんですなあ。それで社長、その後はどないしはったんです」

「そのあと?そのあとは、大学は国立の一流大学にストレートで入ったの。そこで、桐生さんと出会ったみたい」

「みたいって言うのは?」サクラさん、三本目だよ、すごいなあ。

「その頃私はお兄ちゃんからはっきりとした名前は聞いてなかったから。ただ『僕は大学でやっと二人目の友達を見つけた』って言うのを、覚えてたから」

「社長ってそんなに友達少なかったの?」

「ううん。知り合いは一杯居たよ。でも、お兄ちゃんは、『長い人生で、友達は多くて五人まででいい。それ以上は本気の友達付き合いなんてできはしない』って言うのが身上の人だから」

「知り合いと友達って違うんだ、社長の中では」純子さんが不思議なことを聞いたような感じで問い返す。

「お兄ちゃん、言葉の定義にはうるさい人だから。『知人』と『友達』と『親友』ってどう違うって事を真面目に考えて結論を出さないと気が済まないような人だし」

「えー、でもそんな細かい人には見えないけれどなあ」と、これは四本目に突入してる純子さん。ここの牧場は、女性陣みんな酒豪なんだねー。陽子さんもなんだかんだで三本目だもん。藤谷君も高山さんもまだ一本目なのにね。

「うん。それはあくまで自分ルール。お兄ちゃん自身の。他人には他人の考え方がある。それを否定することは、その人の人生を否定することだからって」

「社長らしいねえ」純子さんはしみじみと言った。四本目を開けながら。

「私がお兄ちゃんに家庭教師をしてもらったのは、中学二年生から三年生の夏までの一年間。お兄ちゃんは、大学三年生から四年生までの時期ですね」

「なんか中途半端な時期ね」

「うちの学校、私立の中高一貫教育で、その時期までにほとんど進路決まっちゃうから」

「なるほど。じゃあ、彩夏ちゃんは結構いいとこのお嬢さんなんだ」

「いいとこかどうかはわかりませんけど、とりあえず三食食べるのに不自由はしてないです」私は笑顔で言った。すると純子さんが突然「社長とそっくりなモノの考え方だねー」と少し酔いの回ってきた表情で笑った。

でもどうなんだろ。あんまり意識してないけど、私ん()って結構いいとこなのかなあ。確かにテレビなんかで言われてるみたいな不況の影響らしきものはうちでは感じないし、お父さんもお母さんもお金のことで喧嘩なんかしてるの見たことないし。うーん。そう言われてみれば、恵まれてる、のかな。

「で、社長の家庭教師っぷりはどないやったんですか?」

「上手でしたよ。学校で中の下くらいだった私の成績を上の中まで持っていってくれましたから」

「へえ。そりゃすごい」あんまりしゃべらない高山さんが、感心してくれた。他のみんなも結構関心してくれてるみたい。

「でも私は学校の勉強より、お兄ちゃんが旅してた間の話の方が面白かったし、勉強にもなりましたよ」

「旅?」

「うん。お兄ちゃん、大学入って二年目に学校一年休学して、ヒッチハイクで日本全県巡りしてるんです」

「えー、なんで?」

「うーん。私もお父さんからしか聞いてないから、はっきりとは知らないけど、『日本の事も良く知らないのに世界の事をえらそうに語れるか』っていう理由だったみたい」

「だから社長、日本各地の方言に詳しいのかな」

「多分。それにあの性格ですから物怖じせずどこにでも入っていったんじゃないかなあ」

「うーん。社長恐るべしだね」

しばらくの沈黙が辺りを支配した。みんなそれぞれにお兄ちゃんのことを考えてくれているのだろう。やがてそもそもこの話のきっかけを作った藤谷君が頭を下げて言った。

「いやおおきに、彩夏はん。わてらすごい人の下で仕事させてもらっとる言うのがちいとでもわかった気がしますわ」

「えっ。いやそんな。私、大したことしゃべってないですよ」

慌てて藤谷君に両方の手のひらを向けて、振ってみせる。

その様子をみんな微笑みを浮かべてみてる。なんだろ、私なんか変なこと言ったかな。

「それはそうと、彩夏ちゃん。いつまで北海道にいるの?」サクラさんが、もう半分酔った目で聞いてくれた。

「うーん。はっきり決めてないんですけど、一週間くらいかなあって思ってます」ホントは夏休み中居たいんだけどね。でもみんな忙しいみたいだし、その辺は様子見ながらかな。

「一週間かあ。そしたら一日は私のバイクに二人乗りしてさ、ツーリングに行こうよ。釧路辺りまでさ。神の子池とかすっごく綺麗だよ」

「お前、釧路までこっからどれくらいあると思ってるの」純子さんを少し非難するような高山さんの言葉が一日で往復するのは少し辛い距離だって事を教えてくれた。でもバイクでツーリングってそそられるなあ。

「心配だったら高山っちも着いてくる?」

「お前のスピードに着いていくのしんどいの。それに、もしなんかあったらどうするんだよ」

あれ、このお二方って?

とサクラさんの顔を見ると黙ってうなずいてくれた。ああ、そういうことですか、なるほど。

「場外も」と短く言ったのは陽子さん。

「未成年をでっか?」

「あの熱気を感じてもらうのはいいと思う」ここじゃあ、大人子供は関係ないみたいだね。

「折角競走馬の牧場に来てるんだから、乗馬とかどうかしら」

あぁ。勝手に私の予定が埋まっていくなあ。まあ、いいけど。私はお兄ちゃんと一緒に過ごしたくてここに来たんだから。あとは結構どうでも良かったし。でも申し訳ないなあ。こんなに気を遣ってもらっちゃって。

そこからは、みんな好き勝手にしゃべりだした。私は主にサクラさんと話してた。

そうこうして、三時間ほども過ぎた頃。

「あんたたち!いつまでくっちゃべってるんだい。浩平は、明日昼からだからいいとしても。藤谷君!あんた明日は早番っしょや。飲むのをいい加減にして寝な。他のみんなも片付け片付け。私たちには休みはあるけど、馬作りには休みはないんだよ」

と、ものすごい勢いで乱入してきた楓さんの一喝で今日のところはお開き。私は今日はまだお客さんだからっていう理由でお片付けを免除されて、一人電灯を首から下げて事務所に戻ることになった。

寮を出て、そよ風が吹く道をゆっくりと後ろ手を組んでゆっくり歩く。急いで歩けば十分の距離を三十分もかけて。

私は風に身を任せるのが好きなんだ。

血筋なのかもしれないね。お兄ちゃん昔そんなことを言ってたし。

「僕たちのご先祖さまは、時代と言う風に身を任せてた」ってね。

お兄ちゃんらしい表現で、いつか教えてくれた。

西郷さんに従って、北の果てまで遠征したひいひいおじいちゃん。大山元帥と黒木大将という二人の薩摩隼人に率いられ日本最強軍団の一員としてロシア軍と闘ったひいおじいちゃんのお兄さんたち。

日本人は、けっこう誇ってもいい背景をもっているのに、そんなことをみんな忘れてしまったって、悲しそうに言ってたなあ。

私が歴史に強くなったのは絶対お兄ちゃんの影響が大きいと思うんだ。きっと、人は自分のために何かするんじゃなくて、自分の側にいる誰かに近づきたくて何かをする生き物なんだね。だから、私は思うんだ。

歴史とか時代とかを動かす人って言うのは、きっとたくさんの人に、自分みたいになれって、そういう影響を及ぼす力が強かった人なんだろうなって。だから、いつまでも語り継がれるんだろうね。

お兄ちゃんの身体の中には、風に従う心と、逆らう心二つがあるって、笑いながら教えてくれたね。みんなそうなんだろうけれど、ふつうはどっちかに偏るものだともね。

でもね、お兄ちゃん。

私は思うんだ。

それは、風を創ることができる人が感じることなんだよって。

なんだかえらそうだね。でも、私はお兄ちゃんの側にいて、ここに来て、そう思えるようになったんだ。

私は、どんな風に身を任せるんだろう。それとも、風を創る人になれるのかな?なれたら良いなあ。

例えば私は、季節を追いかけて吹く風の奏でる音楽が大好きなんだ。

春には花弁を舞わせ、夏には潮の匂いを運び、秋にはロンドを歌い、冬にバラードを奏でる。それぞれの季節の初めに吹く風は、私の気持ちをまっさらにして、その季節に合わせてくれる、そんな気がしてるの。

だから、もし私が風を創れるのならそういう風を創りたい。

風の色と匂い。

たくさんの人に、想いを届けられるように。でもいまは、たくさんの風に想いを寄せて生きてみたいなあ。


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