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第十九夜    あを柳のまゆにこもれる糸なれば

「ちょっと待ってください、テロなんて……。昨日、僕たちが流した時には何もなかったんですよ」

 

 テロリストにされたくないのか、道下がひどく狼狽した様子で声をあげた。津川も頷く。


「落ち着いてください、あくまで可能性ですから。単に生徒の悪戯ということも考えられます」


 刑事はいたって穏やかな口調のままである。事件関係者が荒れる場面には慣れているのだろうか。


「時にその、リクエストシートとやらに、CDを投函した人間の名前が無かったと聞いているのですが……」

「あ、そうなんです」


 津川が応じる。


「本名も書いてもらうことになってるんですけど、ラジオネームしか書いてなくて……。変だったので、市村先生に許可をもらいに行ったんです」

「なるほど。それはよくあることなんですか」

「ほぼ無いです。書いてないと、自分のCDが返ってこないですし」


 刑事が「では、故意に書かれなかった疑いがありますね」と応じた。


 確かに、CDを投函した人間が誰なのかは重大な焦点である。しかし一方で、「犯人」の正体と並び、大きな疑問がもう一つあるのだった。


「……でもどうして、昨日と今日で流れる音源が違ったんですかね」


 一年生の河内が言った。身長はみことより少し高いくらいだが、これでバスケ部と兼部している。


「本当に、昨日は普通の音源だったんですね」

「も、勿論です」


 刑事の質問に、道下が泡を食って答える。津川とみことも道下の言を肯定する。


「CDはどこに保管していたんでしょうか」

「部室の棚に……。もしかして、誰かがすり替えたとか」

「その可能性もあります」


 津川の問いにも、刑事はあくまで断定しようとしない。


「……今、流してみませんか」

「え?」


 振り向いた一同の視線の先にいたのは、偽鷲谷であった。ここまで注目されると思わなかったのか、彼は少しまごついて見せる。


「あ、いや、まだあれ、放送室のプレーヤーがあるなら、現場検証みたいなことをしてみるのもいいかなと……」

「しかし、またあの叫び声が流れたら危険ちゃうか」


 岡田がもっともな懸念を示す。


「音量を下げて、少し流すだけなら大丈夫だと思いますよ。イヤホンつけていたらましだったので……」


 でもまあ、確かにリスキーですよね、と言って、偽鷲谷が自らの提案を撤回しようとした時、別の生徒が口を開いた。


「確かに、流す時に何かトリックがあるかも。ちょろっとなら、流してみるのもいいんじゃないですか」


 消えかかった偽鷲谷の提案に乗った橘は、語尾をどこかに放るような喋り方で、不真面目で気だるそうな印象を与える。中学の時とか染髪してそうだと、みことは偏見に満ちた感想を抱いた。


「トリックって……?」

「あー、別に道下先輩たちを疑うとかじゃないですけど。ミキサーとかに細工してたら、別の音源を流すのもできるんじゃないかなって」


 橘は、実際にこれといって道下らに思うところはない様子で話す。


「それに私、昼休みは中庭にいたからあんま放送は聞こえなくて。そしたらそんなに気持ち悪くならなかったんですよ。だから、ちょっと試すくらいなら大丈夫じゃないですかね」


 最後のでかいのはびっくりしましたけど、と付け足す。証言によると、学校中の窓ガラスが割れんばかりの大絶叫が響き渡り、それを最後に放送は止まったのだという。


「……音をあまり聴かなければ害は無いというのは、事実らしいですね」


 刑事の言葉に、岡田が眉をひそめる。


「本当にまた流すんですか……?」

「他の者に確認をとってからですが」


 刑事はやる気のようだが、岡田のみならず、他の教員も納得しかねる様子である。言い出した偽鷲谷まで困惑したような表情を浮かべている。だが刑事は意に介さず、他の刑事に連絡すると言って室外に出ていってしまった。


「……何か、大変なことになったな」


 河内がひとりごちた。だがそれに続いて口を開く者はおらず、深刻な沈黙が会議室を満たす。それに耐えられなくなったか、岡田が机上のCDケースに目を落とし「これ、誰が持ってきたんやろ」と呟いたが、かえって静寂の度を濃くしたようにすら感じられた。


 なおもジャケットを見つめる岡田を尻目に、みことは放送の時のことを顧みた。所定の手順を踏んだだけで、その過程に、橘が言うようなトリックが介在する余地は無い。みことの過失ではないはずだ。


 しかし、それならなぜ、先程からずっと足下に白い顔がいるのを感じるのだろう。長テーブルのおかげで直接には視認せずに済んでいるが、明らかに見上げられているのを感じる。何か不安でもあるのだろうか。


 いや、こんな風に考えるからまた気持ちが暗くなるのだ、悪循環だ、などと思っていると、刑事が会議室に戻ってきた。


「許可が出ました」




 刑事に促され、一同はぞろぞろと放送室に向かった。ドラマのような黄色いテープこそ無いが、今は立入禁止になっている。生徒にもわざわざ覗きに来る物好きはいないようで、放送室の周辺はいつになく閑散としていた。


 刑事が防音扉を開け、先に室内に入る。放送室は昼休みのままの状態で、みことの弁当も放置されていた。刑事が何かチェックした後、他の者も部室に入る。辛うじて全員が収まったものの、かなり窮屈である。


「イヤホンを用意したので、皆さんつけてください」


 刑事が渡してきたのは、イヤホンというより耳栓であったが、この際は細かい言葉の正誤など関係なかった。各々が手にとって耳に押し込む。


 みことがちらりと目をやると、偽鷲谷も刑事の用意した耳栓を装着していた。自分のものがあるのではなかったのか。やはり、さっき話していたことは嘘だ。みことの見た夢に、イヤホンを使う場面は無かったし。


 自身も耳栓をした刑事が「では再生します」と口を動かした。声を張り上げたようだが、僅かに聞こえた程度だ。


 刑事はプレーヤーに近づくと、手袋をはめて機械を触り始めた。手袋の白さが妙に仰々しい。その白い指が無感動に再生ボタンを押下する。全員、表情を硬くして身構えた。


 だが、低く聞こえてきたのは、女の泣き声や叫び声などではなかった。


「……あれ?」


 みことの隣にいた道下が、思わず戸惑いを口にする。再生されているのは、紛れもないエアロのサウンドであった。確か、これに女のすすり泣きのような音声が混ざっていたはずであるが、そんな音は全く聞こえぬ。


 刑事も困惑している様子で、思わず片方の耳栓を外して音声を確認している。だがいくら流しても、絶叫はおろか、女の声ひとつ聞こえてこない。そのうち「Eat The Rich」が始まり、刑事が一時停止のボタンを押した。


「……もう一度、流してみます」


 刑事が再びボタンを押下。しかし、再生されたのはやはりエアロの曲だけであった。室内に充満していた緊張感はすっかり行き場を失い、真空に投げ出されたように、一同は当惑の表情を浮かべている。


 刑事がディスクをプレーヤーから取り出し、「今日再生したCDは、これで間違いありませんか」と問うてくる。みことも道下も「はい」と答えるしかない。


「そんな……ここには警察の者しか立ち入っていないはずなんですが……」


 刑事のみならず、その場の誰もが状況を理解できないでいるようであった。だが、一人だけが妙に落ち着いている。


 みことは再び偽鷲谷の顔を盗み見た。彼は伏し目がちに、周囲の鈍い混乱とは奇妙に乖離した様子で黙っている。やはり、これは何かを知っている者の表情だ。もしかしたら犯人なのではないか。犯人は現場に戻ってくるというではないか。


「刑事さん、これはどういうことなんでしょう……」


 教頭が狼狽した口調で問うが、刑事は明確な答えを返すことができない。彼自身も戸惑いを隠せないでいるのだ。馬鹿みたいにCDを再びセットして再生するが、やはり結果は変わらぬ。


「……あの、昼休みと同じ状況を再現するのはどうですか」


 既に両耳とも耳栓を外した河内が提案した。刑事は「ああ、なるほど」みたいな返事をして、みことと道下の方に顔を向けた。


「今日、どんな風に放送をしたか見せていただけますか」


 実演せねばならぬらしい。


「えっと、どこからやれば…?」

「では、ディスクをプレーヤーにセットしたところからお願いします」


 刑事がディスクを取り出し、ミキサー担当だったみことがそれを受け取る。


「……あの時は、僕がこの椅子に座っていて……神子上さんはそっちにいました」


 道下の説明に沿って、みこともミキサーの前に移動する。一応、校内放送が切れていることを確認しながら、椅子に腰を下ろした。


「えっと、神子上さん、いつCDを入れてたっけ?」

「放送が始まる前には……放送室に来てすぐに入れたと思います」


 道下に話しているのか、刑事に話しているのかやや曖昧な目線で答える。確か、放送室に着いてまずデスクに弁当を置き、道下と少し喋ってから、CDをセットしたはずだ。刑事に促されてディスクを機械に差し込むと、低い音をたてて吸い込まれていった。


「その後は」

「一時にはまだ間(ま)があったので、少し神子上さんと喋ったり、機械のチェックをしたりしてました」

「何分くらい間があったんですか?」

「五分くらいですかね……」


 刑事が腕時計に目を落とした。そこまで再現するのか。


 刑事が五分を測っている間、みことは手持ち無沙汰な感じで眼前のミキサーに目を落としていた。何となく周囲の視線を感じるのは考え過ぎだろうか。


「五分経ちました」


 五分って案外長いなと思いながら、みことは再生ボタンを押した。機械の中で、CDが低い音を立てて回り始める。流れてきたのはやはりエアロ、ではなく。


「え……?」


 室内にいる人間の大半はもうすっかり油断していて、耳栓を片方しか着けていなかったり、両耳とも外していたりといった状態であった。だから一同の多くは、ミキサーから流れてくる小さな音も、はっきりと聴き取ることができた。


「これって……」

「停めて!」


 刑事が叫んだ。

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