第四章 12『水鏡一閃』
滝壺は、血に濡れた石畳の上で静かに息を吸った。
握る限り、死なない。
ならば――握り続ければいい。
「……終わらせる」
混沌が四つの扇を開く。
霧が爆ぜた。
視界が白く潰れ、滝の音さえ遠のく。だが、滝壺の瞳は揺れなかった。見えないなら、感じればいい。水煙の流れ。殺気の濃淡。扇が空気を裂く直前の微かな歪み。
混沌は、左。
宵丸が跳ね上がる。
甲高い音が鳴り、扇の刃が弾かれる。続けざまに三方向から迫る斬撃。肩、腹、首――同時に死角を突くその攻撃を、滝壺は半歩だけ前へ出て避けた。
避けるためではない。
斬るために。
「水の型――」
刀が重くなる。
川の流れに逆らうような、腕を引き千切るほどの負荷。それでも滝壺は止まらない。刀を握る右手が裂け、骨が軋み、血が柄を濡らす。
だが、その傷は塞がる。
宵丸を握っている限り、滝壺は倒れない。
「横一文字」
一閃。
霧が裂けた。
混沌の胴が断たれる――寸前、またしても霧の身代わりへ変わる。
だが、滝壺は笑わない。
驚きもしない。
「そこだ」
すり替わった先へ、すでに踏み込んでいた。
混沌の四つの腕が硬直する。
逃げた先を読まれていた。
「雷の型――紫電一閃」
滝壺の身体が、粒子のようにほどける。
次の瞬間、数秒前の位置へ世界だけが巻き戻る。だが、滝壺の意識だけは途切れない。
混沌が霧へ逃げる瞬間。
その始点。
そこへ、滝壺の刃が置かれていた。
「終わりだ」
黒いモヤをまとった切先が、混沌の核を貫く。
霧ではない。
ダミーでもない。
確かな本体。
四つの扇が音を立てて落ちる。
混沌の身体が崩れ始めた。滝の水煙に紛れることもできず、斬られた箇所から黒く削れ、砂のように消えていく。
滝壺は刀を振り払った。
「私は、大丈夫だ」
誰に向けた言葉でもない。
それでも、血塗れの身体は確かに立っていた。
神葬寺領イザナミに巣食った災厄――渾沌。
その命脈は、黒刀の一閃によって断たれた。




