表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マンダラ  作者: メメメ
第四章 『四凶討伐篇』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

79/86

第四章 11『黒刀の命脈』

 ――斬った。


 神威滝壺は、そう確信していた。


 水の型で振り抜いた宵丸の刃は、混沌の胴を確かに捉えた。四本の腕のうち二本は扇を開いたまま、防御の動作にすら入れていなかった。濃縮された無限呼吸法の黒いモヤが切先へ集まり、刃筋に沿って空気を裂いた感触もあった。


 だが、斬れたものは肉ではない。


 霧だった。


「……また、すり替えか」


 滝壺の声は静かだった。


 苛立ちではない。恐怖でもない。ただ、事実を受け止めるための確認に近い。


 目の前で二つに裂けた混沌の身体が、形を失って霧へ崩れる。白とも黒ともつかない濁った霧が石畳を這い、巨大な滝の水煙へ紛れて消えていく。


 その直後――。


「――ッ」


 背後から、風が鳴った。


 振り返るより早く、滝壺は宵丸を逆手に構えて背中側へ差し込む。刃と扇が衝突し、耳を裂くような金属音が寺院の境内に響いた。


 混沌がいた。


 四本の腕を持つ異形。


 その手に握る扇状の武器は、開けば暴風を生み、閉じれば刃になる。装飾品のような形をしていながら、その一振りは石灯籠を容易く両断するだけの殺傷力を持っていた。


 一撃を防いだ。


 だが、混沌には腕が四本ある。


 二本目が、横から来る。


 滝壺は身を沈めて避ける。髪先が数本、扇の刃に散った。三本目が真上から振り下ろされる。宵丸で受けた瞬間、両足が石畳へ沈むほどの衝撃が身体を貫いた。


 そして、四本目。


 閉じた扇の先端が、槍のように滝壺の腹部へ突き込まれた。


「が、は……ッ」


 血が吐き出される。


 鋭い痛みが、腹の奥から背中へ抜けた。


 普通なら、そこで終わりだった。


 少なくとも、次の一太刀を振れる傷ではない。立っていることすら不可能な深さだった。


 だが。


 滝壺の右手は、宵丸の柄を離していなかった。


 指が震える。


 視界が揺れる。


 意識が白く遠のく。


 それでも、手だけは刀を握り続けていた。


「……私は、大丈夫だ」


 滝壺は、小さく呟いた。


 その言葉に応えるように、身体の奥で何かが脈打つ。


 傷が消えたわけではない。


 痛みがなくなったわけでもない。


 ただ、死へ向かおうとする身体を、無理やりこちら側へ引き戻す力があった。


 腹部から流れる血が止まる。


 裂けた肉が、遅く、しかし確かに塞がり始める。


「……これが、宵丸の」


 刀を握っている間だけ、死なない。


 完全な再生ではない。万能でもない。握る力を失えば、そこで終わる。だが逆に言えば、握り続ける限り、滝壺はまだ戦える。


 混沌の扇が、再び開かれる。


 風が爆ぜた。


 滝壺の身体が吹き飛び、苔むした石段へ叩きつけられる。背中に激痛が走り、肋骨が何本か嫌な音を立てた。


 混沌は追撃する。


 霧の中を滑るように移動し、四本の扇を同時に振るう。


 避けきれない。


 肩が裂ける。


 太腿が抉られる。


 左腕に深い傷が走る。


 頬を刃が掠め、血が滝壺の顎を伝った。


 それでも、滝壺は立った。


 立ってしまった。


「……なるほど」


 滝壺は、血に濡れた唇を僅かに動かす。


「これは、便利だな」


 冗談めいた言葉だった。


 だが、笑ってはいない。


 瞳の奥にあるのは、静かな覚悟だけだ。


 無限呼吸法を回す。


 深く。


 さらに深く。


 呼吸に合わせて、黒いモヤが刃の先端へまとわりつき、水気を含んだ空気を重く歪ませていく。


 水の型。


 川の流れに逆らって刀を振るような重さ。


 それを、滝壺は正面から受け入れた。


「水の型――横一文字」


 一閃。


 重い斬撃が、霧ごと空間を横に薙いだ。


 混沌はまた霧へ逃げる。


 だが、今度は完全ではなかった。


 霧へ変わる直前、混沌の肩口に浅い傷が走った。


 初めて、本体に届いた。


「……見えた」


 滝壺の瞳が、わずかに緑に光る。


 混沌の姿は霧に紛れて見えない。


 だが、分かる。


 滝の水煙の流れ。


 風の乱れ。


 殺気の向き。


 扇が開く前に生まれる、ほんの僅かな空気の震え。


 それらが、滝壺の中で一つの線になって繋がっていく。


 混沌が背後に現れる。


 滝壺は振り返らない。


 ただ、宵丸を後ろへ突き出した。


 刃が、扇とぶつかる。


 混沌の動きが一瞬止まった。


「次は、逃がさない」


 滝壺は踏み込む。


 同時に、混沌の四本の腕が動いた。


 扇が開く。


 暴風。


 刃。


 霧。


 すべてが一斉に滝壺へ襲いかかる。


 全身を切り刻まれながら、滝壺は前へ出た。


 傷は増える。


 血は流れる。


 骨は軋む。


 だが、宵丸を握る右手だけは離さない。


 裂けた皮膚が塞がる。


 抉れた肉が戻る。


 失われかけた意識が、刀を通して繋ぎ止められる。


 少しずつ。


 本当に少しずつ。


 宵丸の力が、滝壺の身体に馴染み始めていた。


「私は……まだ、終わらない」


 滝壺は、低く告げる。


 混沌が霧の奥で揺れた。


 初めて、警戒したように。


 滝壺は血塗れのまま、静かに刀を構え直す。


 無限呼吸法の黒いモヤが、切先で濃く揺れる。


 握る限り死なない黒刀。


 斬るために重くなる呼吸。


 その二つが、今ようやく噛み合い始めていた。


「行くぞ、混沌」


 滝壺の足が、石畳を踏み砕く。


「私は大丈夫だ。だから――お前を斬る」


 滝の轟音を裂いて、黒刀が走った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ