第四章 6『虚ろなる四腕』
斬った。
そう、滝壺は確信した。
無限呼吸法濃縮十割を纏わせた宵丸の一閃は、確かに渾沌の四本の腕を捉えたはずだった。
だが――。
「……違う」
宙を舞った腕が、血を噴くことなく崩れた。
肉ではない。
骨でもない。
切断されたはずの四肢は、空中で白い霧となってほどけ、寺院の石畳へ落ちる前に消えていく。
次の瞬間、滝壺の背筋を冷たいものが走った。
背後。
そこに、いた。
「――ッ!」
振り返るより早く、巨大な扇が振り抜かれる。
空間が横へ裂けた。
滝壺は宵丸を盾にするように構える。
衝撃。
身体が吹き飛ぶ。
石畳を何度も跳ね、背中から寺の柱へ叩きつけられた。
「ぐ……ッ」
肺から空気が押し出される。
だが、倒れない。
滝壺は膝をつきながらも、すぐに立ち上がった。
視線の先。
渾沌は四本の腕を失ってなどいなかった。
白い霧でできた幻影。
それを一瞬で身代わりにし、本体は背後へ回り込んでいたのだ。
『滝壺、今の反応……一瞬で位置が入れ替わってる!』
通信越しに聡美の声が響く。
「見れば分かる」
滝壺は短く返す。
口調は冷静だった。
しかし、額から流れる血が顎を伝って落ちる。
渾沌が扇を開く。
四本の腕が、それぞれ別方向へ向けられる。
上。
下。
左。
右。
次の瞬間、滝壺の周囲に四体の渾沌が現れた。
どれも同じ姿。
どれも同じ気配。
どれも同じ殺意。
「分身か」
滝壺が宵丸を構える。
だが、黒刀は低く唸っていた。
違う、と。
これはただの分身ではない。
霧で作った偽物でありながら、攻撃だけは本物。
四体の渾沌が同時に扇を振るう。
空間がねじれる。
滝が横へ流れ、寺院の影が伸び、石灯籠が空中で砕ける。
そして、不可視の斬撃が滝壺を襲った。
「水の型――」
滝壺は息を吸う。
黒いモヤが宵丸の切先へ集まる。
「横一文字」
再び放たれる黒い一閃。
霧の分身が二体、真横に裂ける。
だが。
裂けた瞬間、霧はさらに細かく分かれ、滝壺の周囲へまとわりついた。
「……ッ!」
視界が白に染まる。
呼吸が乱れる。
足元の感覚が消える。
渾沌の本体がどこにいるのか分からない。
その時、白い霧の奥から声がした。
「――斬ったつもりか」
初めて聞く声だった。
低く、静かで、感情がない。
「我は混ざるもの。定まらぬもの。形を持たぬもの」
霧の奥で、四つの扇が開く。
「貴様の刀では、我の形を捉えられぬ」
滝壺は血を拭った。
そして、静かに笑う。
「なら、形ごと斬る必要はない」
宵丸の切先が、黒く濁る。
「この場の流れを、斬る」
滝壺の瞳が緑に光った。
霧の中、渾沌の赤い眼が細まる。
――第二幕が、始まる。




