第四章 4『喰らう王』
饕餮の拳が、空気を潰した。
「――がっ!?」
爆の身体が横へ吹き飛ぶ。
ただ殴られた。
それだけのはずだった。
だが、衝撃は大砲の直撃に近い。
赤黒い砂を削りながら転がり、爆はスルトを地面へ突き立ててようやく止まる。
「……ッ、口だけじゃねぇのかよ」
顔を上げる。
そこに、饕餮の巨体があった。
口を開き、周囲を喰らうだけの化け物ではない。
太い腕。
岩盤のような拳。
獣じみた脚。
それら全てが、戦うために鍛え上げられた武器のように見えた。
饕餮が地面を蹴る。
巨体に似合わぬ速度で迫る。
「速――ッ!」
爆が反応するより早く、膝蹴りが腹へ突き刺さった。
息が止まる。
身体が浮く。
その浮いた爆の頭上へ、饕餮の踵が振り下ろされた。
「ちぃッ!」
爆は空中でスルトを盾にする。
衝撃。
全身が地面へ叩きつけられ、砂丘が爆ぜる。
肺から空気が漏れた。
視界が赤く揺れる。
『爆くん! 大丈夫!?』
「大丈夫に……見えるかよ……!」
通信機に返しながら、爆は血を吐く。
饕餮は追撃を緩めない。
腹の口が開き、マグマを喰らいながら、両拳を構える。
その姿はもう、怪物というより武闘家だった。
「化け物のくせに、構えが様になってんじゃねぇか」
爆が立ち上がる。
膝が笑っている。
だが、目は死んでいない。
饕餮の拳が来る。
右。
爆はスルトで受け流す。
左。
肩を掠め、肉が裂ける。
蹴り。
爆は身を沈めて躱し、刀を横へ薙いだ。
「太陽流剣術――炎舞!」
燃える斬撃が饕餮の脇腹を裂く。
だが、傷口が開いた瞬間、腹の口が爆の炎ごと飲み込んだ。
「また喰ったのかよ!」
直後、饕餮の拳が爆の顔面へ迫る。
爆は辛うじて首を逸らす。
拳圧だけで頬が裂けた。
続く前蹴り。
爆はまともに受け、後方へ吹き飛ばされる。
岩へ背中から激突し、口から血が溢れた。
「……マジで、重てぇな」
爆は笑う。
痛みで笑うしかなかった。
饕餮が一歩ずつ近付いてくる。
喰らうたびに強くなる。
殴るたびに重くなる。
蹴るたびに速くなる。
ただの暴食ではない。
喰らった全てを、自分の力へ変える災厄。
「だったら……」
爆はスルトを握り直す。
「喰い切れねぇくらい、ぶち込むしかねぇよな」
踏み込む。
饕餮も踏み込む。
拳と刀がぶつかる。
火花が散る。
一合。
二合。
三合。
拳が刀を弾き、刀が拳を裂く。
蹴りが爆の脇腹を抉り、爆の炎が饕餮の肩を焼く。
互いに一歩も退かない。
荒野が震える。
マグマ湖が波打つ。
重力異常で浮かぶ岩盤が、衝撃波に砕けて落ちていく。
「おおおおおおおッ!!」
爆が吼える。
スルトの刀身にオドが纏う。
切れ味と威力が跳ね上がる。
その一太刀が、饕餮の右腕を深く斬り裂いた。
初めて、饕餮の動きが止まる。
「取った――!」
爆が踏み込む。
だが、その瞬間。
饕餮の口角が上がった。
「――浅いな」
「……あ?」
低く、流暢な声だった。
それは獣の唸りではない。
明確な言葉。
知性ある者の声。
饕餮は斬られた腕を眺め、静かに笑った。
「なかなか熱い剣だ。だが、我が腹を満たすには足りん」
爆の背筋に冷たいものが走る。
「喋れんのかよ、お前」
「喋れぬと思ったか? 人間」
饕餮の腹の口が蠢く。
裂けた右腕の傷が、じゅるりと音を立てて塞がっていく。
「我は四凶が一角、饕餮。喰らうために生まれ、喰らうことで王となる者」
拳を握る。
その拳に、喰らったマグマの赤熱が宿る。
「貴様の炎も、怒りも、命も、いずれ我が糧となる」
饕餮が構えた。
爆もまた、スルトを構える。
笑みが消える。
軽口も出ない。
だが、心は折れていなかった。
「上等だ」
爆の刀身が燃え上がる。
「喰えるもんなら喰ってみろ。腹ァ壊しても知らねぇぞ」
饕餮が笑う。
爆も笑う。
灼界荒野グラディム。
赤黒い地獄の中心で、火神爆と暴食の災厄が再び激突した。




