第三章 12『崩壊と再生』
滝壺の刃が、アザトースの胸を斜めに裂いた。
黒刀・宵丸の切っ先に凝縮した黒いモヤが、傷口へとまとわりつく。肉が再生しようと蠢き、骨が組み上がろうと軋み、血管が蛇のように伸びる。
だが、そのすべてを黒いモヤが食い止める。
否――食い止めているのではない。
斬られた箇所から、崩壊が始まっているのだ。
「ぐ、が……ッ!」
アザトースの喉から、獣のような声が漏れる。
角のように固まった目は滝壺を見ていない。だが、奴は確かにこちらを捉えていた。聴覚、触覚、殺意、空気の揺らぎ――そして、無意識領域に近い読み。
視界を失った怪物は、むしろ見ることを捨てたことで、より鋭くなっていた。
「まだ、倒れないか」
滝壺が低く呟く。
その声に応じるように、アザトースの背から紅色のオーラが噴き上がった。
憤怒の魔王。
怒り、憎悪、執念。
そのすべてを燃料にして、アザトースの力は際限なく膨れ上がる。
「倒れる……? 俺が……?」
アザトースの口元が裂ける。
笑っていた。
「ふざけんなよ。俺はまだ、怒ってるんだ」
瞬間、紅色の破壊のエネルギーが周囲を押し潰した。
瓦礫が浮き、壁が砕け、空間そのものが軋む。
滝壺は宵丸を構え直す。黒いモヤが切っ先に集中し、刃の輪郭を暗く染める。
アザトースの掌に、紅い球が生まれた。
小さい。
しかし、小さいから弱いわけではない。
滝壺の背筋に冷たいものが走る。あれを防ぎ損ねれば、校舎どころではない。ここにいる者も、周囲の街も、形を残さない。
「させるか」
滝壺が踏み込む。
水の型――横一文字。
激流に逆らうような重さが腕にのしかかる。だが、その重さごと振り抜く。
黒い刃が紅い球を断つ。
直後、破壊のエネルギーが弾けた。
爆発は起きた。だが、宵丸の一閃が力の中心をずらし、爆発は空へ逃げる。校舎の上半分が消し飛び、雲が円形に裂けた。
「っ……!」
滝壺の足が滑る。
そこへ、アザトースが来た。
腕が三本、生えていた。
斬り落とされた腕の断面から、新しい腕が即座に芽吹き、骨を鳴らしながら完成する。異形の拳が三方向から迫る。
滝壺は一撃目を受け流し、二撃目を避け、三撃目を宵丸で受けた。
衝撃で膝が沈む。
地面が割れる。
「重……ッ!」
「遅ぇよ」
アザトースの脚が振り抜かれた。
滝壺の体が吹き飛ぶ。瓦礫の山を突き破り、校庭の端まで転がる。
「滝壺!」
爆が叫ぶ。
だが、滝壺は片手を上げて制した。
「来るな。まだ……やれる」
血を吐きながら、立ち上がる。
呼吸を乱すな。
黒いモヤを絶やすな。
無限呼吸法を止めれば、アザトースの崩壊は止まる。奴の再生が崩壊を上回れば、すべてが振り出しに戻る。
滝壺は、宵丸を握り直した。
目の奥で、緑の光が揺れる。
「無意識領域――」
意識して考えるより先に、体が動く。
アザトースの殺気が流れる。空気が歪む。拳の軌道が見える。見えるのではない。感じる。
次の瞬間、アザトースが眼前にいた。
滝壺はすでに刀を置いている。
拳が来る場所へ。
刃が走る場所へ。
互いの動きが交差した。
アザトースの右腕が飛ぶ。
同時に、滝壺の肩を拳が掠める。
骨が軋む痛みに顔を歪めながらも、滝壺は止まらない。宵丸を返し、胴を裂く。脚を断つ。首筋を掠める。
アザトースは崩れる。
しかし、生える。
再生する。
崩れる。
その繰り返し。
黒いモヤと紅色のオーラが、互いを喰らい合うように渦巻いた。
「いいぞ……いいぞ、女剣士……!」
アザトースが吼える。
「もっと怒らせろ。もっと俺を壊してみろ!」
「望み通りにしてやる」
滝壺が低く構える。
雷の型。
足元の瓦礫が震える。
黒いモヤが、宵丸の切っ先へ一点集中する。
次の瞬間、滝壺の体が粒子のようにほどけた。
世界が、数秒巻き戻る。
しかし、滝壺だけはその逆行に呑まれない。記憶も、呼吸も、刃の軌跡も、すべて繋いだまま戻った時間の中を進む。
「紫電一閃」
斬撃が爆ぜた。
アザトースの体が、無数に刻まれる。
頸に深い線が入る。
胴が割れる。
腕が、脚が、肩が、胸が、黒いモヤに包まれて崩れ始める。
それでも、アザトースは倒れない。
崩れながら、笑う。
再生しながら、拳を握る。
「まだだァァァァッ!!」
紅色のオーラが、さらに膨張した。
滝壺の頬を汗が伝う。
ここで決めきれない。
まだ足りない。
ならば――さらに深く。
さらに重く。
さらに速く。
滝壺は、崩れかけた怪物を睨み据えた。
「次で、頸を落とす」




