第三章 7『戦線離脱』
爆炎の中、火神爆は静かに刀を構えていた。
背後では滝壺が膝をつき、肩で息をしている。宵丸の刀身からは、無限呼吸法による黒いモヤがまだわずかに漏れていた。だが、その呼吸は乱れ、先ほどまでアザトースの肉体を崩していた力は薄れている。
「滝壺、下がれ」
「……まだ、私は戦える」
「無理だ。今のお前じゃ、あいつの次の一撃で終わる」
爆の言葉に、滝壺は反論しようとした。
しかし、喉から出たのは声ではなく、血の混じった咳だった。
その事実が、何より雄弁だった。
アザトースはゆっくりと振り返る。
両目は、もはや眼球として機能していない。瞳孔から伸びた木の根のような茶色い器官が縮み、角のように固まり、目そのものを覆い隠している。
だが、見えている。
音で。
空気の流れで。
殺意で。
そして、無意識領域に近い感覚で。
閉ざされた目の奥で、怪物は確かに爆を捉えていた。
「……新手かよ」
アザトースが笑った。
牙を剥き、唇を歪める。
「いいぜ。さっきの女も悪くなかったが、てめぇもなかなか燃えそうだ」
その全身から、紅色の破壊のオーラが噴き上がる。
校庭の地面が軋み、ひび割れ、熱で歪む。アザトースの掌に紅い光が集まり、野球ボールほどの小さな球体が生まれた。
小さい。
だが、爆は本能で理解した。
あれは小さいだけだ。
威力が小さいわけではない。
「照夜! 滝壺を連れて離れろ!」
「言われなくても!」
照夜が影を伸ばし、滝壺の足元へ滑り込ませる。影の床が広がり、滝壺の身体を包み込むように支える。
「私は……」
「行け、滝壺」
爆は振り返らずに言った。
「今のお前がやるべきことは、ここで死ぬことじゃねぇ」
滝壺は奥歯を噛んだ。
悔しさで、指が震える。
だが、宵丸を握る手に力が入らない。
「……分かった。だが、任せたわけではない」
「ああ?」
「私は戻る。それまで、死ぬな」
爆が小さく笑う。
「上等だ」
次の瞬間、照夜の影が滝壺を呑み込んだ。
戦場から、滝壺の気配が消える。
それと同時に、アザトースが腕を振った。
紅い破壊の球体が、爆へ向かって放たれる。
「――太陽流剣術」
爆の足元が燃える。
刀身が炎を纏い、空気を裂く。
「紅炎の舞」
爆が踏み込んだ。
炎の斬撃が紅い球体へぶつかる。
次の瞬間、校庭の一角が白く弾けた。
爆発ではない。
消滅に近い破壊。
爆は衝撃波に押されながらも、地面を抉って踏みとどまる。
頬から血が流れた。
それでも、口元は笑っていた。
「……なるほどな。まともに受けたら終わりか」
「ハハッ! いい反応するじゃねぇか!」
アザトースが地面を蹴る。
一瞬で距離が消えた。
紅い破壊のオーラを纏った拳が、爆の顔面へ迫る。
爆は刀を立てる。
激突。
衝撃で校舎の残骸が吹き飛び、空気が震える。
爆の足が地面に沈む。
だが、退かない。
「重てぇな……!」
「潰れろォ!!」
アザトースの拳が連続で叩き込まれる。
一撃ごとに地面が割れ、炎と紅い破壊の光が交差する。
爆は防ぐ。
受け流す。
躱す。
そして、わずかな隙を斬る。
だが――浅い。
アザトースの皮膚は硬い。刃が通っても、傷口はすぐに盛り上がり、肉が繋がる。
「再生持ちかよ。面倒くせぇな」
「その程度か、赤髪!」
「まだ準備運動だ」
爆が笑う。
炎が刀身を包む。
アザトースの角のような目が、爆の殺気を捉えた。
次の瞬間、二人は同時に踏み込む。
紅い破壊。
赤い炎。
その衝突が、夜の校庭を真昼のように照らした。
――滝壺が消えた戦場で、火神爆とアザトースの一騎打ちが始まった。




