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マンダラ  作者: メメメ
第二章『ノクスの影』

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第二章 20『月詠侵食』

 地下深く。


 空気すら沈み込むような暗闇の中で、暁照夜はひとり立っていた。


 壁も床も黒い。

 湿った影が空間全体に染みつき、呼吸をするたび肺の奥へ冷たい泥を流し込まれるような錯覚を覚える。


 修行場。


 そう呼ばれてはいるが、まともな人間が長時間いる場所ではない。


 床には無数の亀裂。

 壁には抉れた跡。

 天井には、何か巨大なものが暴れ回った痕跡のような裂傷。


 その全てが、照夜自身の力によって刻まれた傷だった。


「……始めるか」


 照夜は右手を開く。


 掌に、淡い黄金の光が灯った。


 ――天照。


 先に身体へ馴染ませるのは光。

 月詠の影を受け止めるには、まず天照で肉体の内側を強化しなければならない。


 照夜はその掌を、自分の胸へ押し当てた。


「――ッ!」


 光が皮膚を通り抜ける。


 胸の奥へ沈み込んだエネルギーが、血管を伝い、全身へ拡散した。


 痛みが走る。


 焼けるような熱。

 細胞の一つ一つへ、高熱の針を打ち込まれるような激痛。


「ぐ……ッ、ぅ……!」


 照夜の身体が震える。


 肩が跳ねる。

 脚が痙攣する。


 それでも掌を離さない。


 光は筋肉を巡り、神経を焼き、骨の奥へまで染み込んでいく。拒絶すれば身体が弾ける。受け入れれば、身体そのものが力へ変わる。


 照夜は歯を食いしばった。


 腹へ。

 腕へ。

 脚へ。

 首へ。


 全身の細胞が、天照の光に侵されていく。


 やがて照夜は震える息を吐きながら、右手を前へ突き出した。


 掌から光が噴き出す。


 それは揺らめきながら一本の形を取り、黄金色の剣へ変わった。


 光の剣。


 照夜が柄を強く握る。


 瞬間、刀身が膨れ上がった。


 普通の剣ほどだった大きさが、二倍、三倍と増していく。さらに天照の出力を高めると、刀身は大剣のように巨大化した。


「……なるほどな」


 握る力。

 そして光の出力。


 その二つで剣の大きさが変わる。


 逆に力を抜けば、刀身は再び扱いやすいサイズへ戻る。


 技名はない。


 ただ光を剣として形成し、握力と出力で変化させるだけ。


 だが、それだけで十分だった。


 照夜は光の剣を消す。


 次だ。


 修行場の空気が変わる。


 温度が落ちた。


 足元の影が、ゆらりと波打つ。


 ――月詠。


 照夜は左手を持ち上げる。


 指先へ意識を集中した瞬間、黒い糸のような影が爪の隙間から滲み出した。


「――がぁッ!!」


 激痛。


 指先が焼き切れる。


 いや、違う。


 爪が剥がれる。


 一度ではない。

 剥がれた爪が戻り、また剥がされる。

 それが終わりなく繰り返されるような痛み。


 指先から影を出すだけで、脳が白く飛びかける。


「っ……ぐ、ぅ……!」


 照夜は震える左手を胸へ向けた。


 黒い糸が皮膚に触れる。


 冷たい。


 その瞬間、本能が拒絶した。


 この力を体内へ入れてはいけない。

 そう叫ぶように全身が粟立つ。


 だが照夜は止まらない。


「入れ……!!」


 影の糸が胸へ突き刺さった。


「がぁあああああああッ!!」


 黒が流れ込む。


 血管の中を、生きた影が這い回る。


 筋肉へ絡みつき、骨へ染み込み、神経を侵食しながら細胞の奥へ黒を刻み込んでいく。


 光の痛みは“焼かれる痛み”。


 だが影は違う。


 侵される。


 身体の中に、自分ではない何かが根を張っていく。


 その感覚があまりにもおぞましかった。


「ぐ……ッ、ぁ……!」


 照夜は床へ膝をつく。


 その瞬間だった。


 背中が膨れ上がる。


「――ッ!?」


 黒い触手が、背中から噴き出した。


 一本。


 二本。


 十本。


 数え切れないほどの影が暴れ回る。


 壁を叩き壊し、床を抉り、天井へ突き刺さる。照夜の意思とは関係なく、月詠は修行場を破壊し始めた。


「止まれ……!」


 命令は届かない。


 床から巨大な黒い棘が突き上がる。

 壁からも影が膨れ上がる。


 そして足元の影が、照夜の身体を飲み込もうと広がった。


「ッ……!」


 照夜は咄嗟に、その影へ腕を沈める。


 腕が影の中へ消えた。


 重い。


 息が詰まる。


 水の中でもない。

 空気の中でもない。


 存在そのものが黒へ沈んでいくような感覚。


 照夜は意識を集中した。


 ――三歩先。


 そう思った瞬間。


 影へ沈んだ腕が、三歩先の床の影から現れた。


「……ワープ」


 理解した瞬間、照夜の目が見開かれる。


 影同士が繋がっているわけではない。


 棘が別の影から飛び出すわけでもない。

 床と壁が繋がって攻撃を転移させるわけでもない。


 移動できるのは、照夜自身。


 照夜の身体だけが影へ潜り、行き先を指定して別の場所へ出ることができる。


「使える……!」


 だが次の瞬間、背中の触手が照夜の首へ巻きついた。


「ぐッ……!」


 締め上げられる。


 腕を拘束され、脚を押さえつけられる。


 月詠はまだ制御できていない。


 影は力ではなく、獣だった。


「ふざけんな……」


 照夜の声が低く落ちる。


 首を締められながら、それでも彼は笑った。


「俺の身体に入ってきたなら……俺のもんだろうが」


 照夜は左手を握る。


 再び指先へ激痛が走った。


 爪が剥がれ続ける痛み。

 神経を直接削られるような痛み。


 だが照夜は止まらない。


「従え」


 一本の触手が止まった。


 さらに一本。

 もう一本。


 暴れていた影が、少しずつ照夜の意思へ反応し始める。


「俺の力になれ」


 瞬間。


 背中から噴き出していた無数の触手が、一気に収縮した。


 黒が照夜の身体へ巻き戻る。


 腕へ。

 肩へ。

 胸へ。


 影が全身を覆い、鎧のような形を取った。


 漆黒のアーマー。


 そして。


 照夜は左手を前へ突き出す。


 指先から、細い黒い触手が伸びた。


「――ッ」


 壁へ突き刺さる。


 さらに分裂。


 複数の影の糸が壁へ絡みつき、一気に締め上げた。


 捕縛。


 拘束。


 さらに照夜が指を払う。


 黒い糸の先端が鋭く変形し、斬撃のように壁を切り裂いた。


 制御した後の月詠は、背中からではない。


 指先から出す。


 無制限に伸びる影の糸。

 斬撃にもなり、拘束にもなる触手。


 さらに照夜は足元へ影を広げた。


 そのまま自分の身体を沈める。


 全身が黒へ飲み込まれた。


 息苦しい。

 方向感覚が消える。


 だが照夜は意識を向ける。


 ――背後。


 次の瞬間、照夜の身体が修行場の反対側の影から現れた。


「はぁ……ッ!」


 膝をつく。


 負担が大きい。


 だが使える。


 影へ入り、自分で行き先を指定して移動する。


 潜入にも、奇襲にも使える能力。


 そして影のアーマー。


 指先から放つ触手。


 天照の光の剣。


 だが同時には使えない。


 天照を出している間、月詠は使えない。

 月詠を出している間、天照は使えない。


 だから切り替える。


 光で斬る。

 影で拘束する。

 影へ潜り、位置を変え、光で仕留める。


 それが照夜の戦い方になる。


 照夜は立ち上がる。


 指先はまだ痛む。

 全身の細胞が悲鳴を上げている。


 だが、その目は死んでいない。


「……次は、負けねぇ」


 暗闇の中。


 照夜の指先から、細い黒い影が静かに揺れた。


 それはもう暴走ではない。


 主の命令を待つ、月詠の牙だった。

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