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マンダラ  作者: メメメ
第二章『ノクスの影』

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第二章 18『修羅を呑む漆黒』

 山を裂くような轟音が、鬼鼠谷邸の裏山へ響き渡る。


 叩き潰された巨木が真横へ吹き飛び、砕けた岩盤が豪雨のように斜面を転がり落ちた。


 その中心――、


「っ……はぁ、はぁ……!」


 肩で息をしながら、神威滝壺は黒刀を握り締める。


 彼女の両腕は震えていた。

 疲労ではない。刀そのものが放つ異様な圧に、肉体が悲鳴を上げているのだ。


 握っているだけで神経を逆撫でするような感覚。

 血管の中へ黒い泥でも流し込まれているような不快感。


 それでも滝壺は、刀を手放さない。


 視線の先。


 崩れた岩の上で腕を組む老人――鬼鼠谷八兵衛が、静かに目を細めていた。


「……ほう」


 低く漏れた声。


「ようやく、“呑まれながら立つ”ことを覚え始めたか」


「簡単に言ってくれる……!」


 滝壺は荒い息のまま睨み返す。


「これ、頭おかしくなる……!」


「ならば、その程度の器だったというだけの話よ」


 八兵衛は平然と言い切った。


 山風が吹き抜け、老人の羽織を揺らす。


「宵丸はな、“強き者に力を貸す刀”ではない」


「…………」


「“狂気を制した者だけに牙を貸す刀”だ」


 瞬間。


 滝壺の手の中で、黒刀が脈動した。


「――ッ!?」


 刀身から黒い靄が噴き出す。


 それは煙ではない。

 生き物のように蠢き、滝壺の腕へ絡みついていく。


「また……ッ!」


 全身の毛穴が総毛立つ。


 脳の奥へ直接ノイズを流し込まれるような不快感。

 視界が軋み、耳鳴りが響き始める。


 ――殺せ。


 声が聞こえた。


 ――壊せ。


 低く、濁った声。


 それが自分の内側から響いているのだと理解した瞬間、滝壺の背筋へ悪寒が走る。


「くっ……!」


 刀を握る手に力を込める。


 が、その瞬間だった。


 ぞわり、と。


 背後に巨大な“気配”が現れる。


「――――」


 振り向けない。


 いや、本能が振り向くことを拒絶していた。


 獣だ。


 それも、人間などひと噛みで喰い千切る怪物。


 冷や汗が顎を伝う。


「見るでない」


 八兵衛の声が飛ぶ。


「今の貴様では、まだ耐えきれん」


「……あれ、何……?」


「宵丸の本質よ」


 八兵衛は静かに腰の刀へ触れた。


「歴代の使い手、その殺意、その狂気、その執念――それらを喰らい続けた果てに、あの刀は“獣”となった」


 滝壺の背後。


 黒い靄の向こうで、巨大な狼の輪郭が揺らめいている。


 赤黒い眼光。


 山より巨大な顎。


 覗き込まれているだけで心臓が縮み上がりそうだった。


「普通の者なら、刀を抜いた瞬間に精神を喰われる」


 八兵衛が一歩前へ出る。


「だが貴様は違う」


「…………」


「怒りを知っておる」


 その言葉に、滝壺の瞳が揺れた。


 脳裏を過る。


 焼け落ちる村。

 血の臭い。

 叫び声。


 奪われた日々。


「貴様の中には、復讐の炎がある」


 八兵衛の目が細まる。


「だからこそ、宵丸は貴様を選んだ」


 次の瞬間。


 滝壺の背後の黒狼が、牙を剥いた。


「――ッ!!」


 空気が爆ぜる。


 巨大な殺気が津波のように叩きつけられ、滝壺の膝が沈む。


 地面が砕けた。


「がっ……!」


「立て」


 八兵衛の声。


「その程度で膝を折るなら、復讐など口にするでない」


「っ……!」


 歯を食いしばる。


 震える脚へ力を込める。


 立て。

 立て。

 ここで折れれば終わる。


 滝壺は叫ぶように息を吐き、無理矢理身体を起こした。


 その瞬間だった。


 黒狼の眼が、僅かに細まる。


「――ほう」


 八兵衛が口端を吊り上げた。


「今、“認められかけた”な」


「は……?」


「宵丸はな、主従ではない」


 老人は静かに告げる。


「殺し合った果てに、ようやく隣へ立つ刀よ」


 山風が吹く。


 黒い靄が滝壺の周囲を渦巻き、彼女の瞳へ淡い緑光が宿り始めていた。


 それを見た八兵衛は、愉快そうに笑う。


「ようやく剣士らしい目になってきたではないか、小娘」


 滝壺は荒い呼吸のまま、宵丸を握り直す。


 黒刀はなお禍々しい。


 だが先ほどまでの“拒絶”とは違う。


 まるで試されているような感覚。


 その感触に、滝壺は小さく笑った。


「……上等」


 額へ汗を流しながら、彼女は黒刀を構える。


「だったら、何回でもやってやる」


 瞬間。


 宵丸から黒い奔流が噴き上がった。


 それは夜空へ伸び、巨大な狼の咆哮となって山全体を震わせる。


 鬼鼠谷八兵衛は、その光景を見上げながら静かに呟いた。


「さて――ここからが本当の地獄ぞ」

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