第二章 17『黒狼の認定』
消えた。
黒狼の王の巨躯が、視界から掻き消える。
否、消えたのではない。速すぎるのだ。
滝壺がそう理解した瞬間、背後の空気が軋んだ。
「――っ!」
振り返るより早く、体が動く。
黒刀《宵丸》を背に回し、刃を盾のように立てる。直後、巨爪が刀身を叩きつけ、金属音とは違う、獣の咆哮にも似た衝撃が精神世界に響き渡った。
足元が砕ける。
膝が沈む。
全身の骨が悲鳴を上げる。
それでも滝壺は、倒れなかった。
「……女だからって、舐めないでよね」
歯を食いしばり、滝壺は低く呟く。
その言葉に応えるように、《宵丸》の刀身から黒いモヤが激しく噴き上がった。
黒狼の王の瞳が細まる。
試すように。
認める一歩手前のように。
滝壺は踏み込む。
巨爪を受け流し、身を半回転させ、黒狼の懐へ潜り込む。
「――雷の型」
呼吸が整う。
心音が遠のく。
周囲の黒狼たちの唸りも、風の音も、己の痛みさえも薄れていく。
残るのは、刀の先端。
そこに集まり始める黒いモヤだけ。
「紫電、一閃――!」
斬撃が走った。
黒い雷のような一線が、黒狼の王の胸を深く裂く。
王が咆哮する。
けれど、その咆哮は怒りではなかった。
歓喜だった。
黒狼の王は一歩下がり、滝壺を見下ろす。
そして、ゆっくりと頭を垂れた。
その瞬間、精神世界にいた無数の黒狼たちが一斉に膝を折る。
滝壺の瞳が、淡く緑に光った。
「……認めるってことで、いいの?」
黒狼の王は答えない。
ただ、その巨大な鼻先を《宵丸》の刀身へ近づける。
次の瞬間、世界が砕けた。
滝壺の意識は、現実へ引き戻される。
目を開けた先にいたのは、木刀を構えた八兵衛だった。
彼は静かに目を細め、武士のような落ち着いた声で告げる。
「見事。宵丸は、そなたを主と認めたようだ」
滝壺は荒く息を吐きながら、黒刀を握り直す。
その手は震えていた。
恐怖ではない。
昂りだ。
「じゃあ……続き、お願いします」
八兵衛は口元をわずかに緩めた。
「よかろう。されど、ここより先は稽古では済まぬぞ」
滝壺は、緑に光る瞳で前を見据える。
「望むところです」




