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マンダラ  作者: メメメ
第二章『ノクスの影』

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第二章 14『重力の底』

 骨が、鳴った。


 比喩ではない。

 膝をついた爆の体の内側で、関節と骨格が悲鳴を上げる音が確かに響いた。


「ぐ、ぅ……ッ」


 超重力エリア。


 そう呼ばれたその場所は、ただの訓練場ではなかった。

 広大な地下空間。黒い床。壁一面に刻まれた無数の傷跡。

 それらは全て、ここで過去に何かが叩きつけられ、引きずられ、砕かれてきた証だった。


 爆は両手を床につき、荒い息を吐く。


 立てない。


 ただ立つ。

 それだけの行為が、今の爆には山を持ち上げることに等しかった。


「どうした」


 頭上から、ディアボロスの声が落ちる。


 彼は平然と立っていた。

 重力の影響など存在しないかのように、腕を組み、ただ爆を見下ろしている。


「その程度で、あの空気使いに勝つつもりだったのか」


「……っせぇ」


 歯を食いしばる。


 床に爪が食い込む。

 指先が震える。

 それでも爆は、肘を伸ばした。


 膝を立てる。

 片足に力を込める。

 重力が背中に牙を立て、地面へ押し戻そうとする。


 それを、怒りで押し返す。


「俺は……」


 立ち上がる。


 膝が笑う。

 視界が揺れる。

 肺が焼ける。


 だが、立った。


「俺は、負けっぱなしで終わる気はねぇ……!」


 言い切った瞬間、ディアボロスの瞳がわずかに細まる。


「なら歩け」


「は?」


「この壁まで来い」


 ディアボロスが指差したのは、訓練場の端だった。

 距離にすれば、たった二十歩ほど。


 普段なら鼻で笑う距離。

 だが今の爆にとって、その二十歩は地獄の果てより遠い。


「……上等だ」


 一歩。


 足を出した瞬間、体が崩れかける。

 踏みしめた床から衝撃が跳ね返り、膝から腰へ、腰から背骨へ、鈍い痛みが駆け抜ける。


 二歩。


 喉の奥から血の味がした。


 三歩。


 足がもつれ、爆は前のめりに倒れ込む。


 床に顔を打ちつける直前、爆は片手をついた。

 衝撃が腕を貫き、肩が外れそうになる。


「遅い」


 ディアボロスの声。


「敵は待たん」


 次の瞬間、ディアボロスの拳が爆の腹にめり込んだ。


「が――ッ!?」


 空気が抜ける。


 体が浮く。

 いや、浮いたのではない。

 重力に逆らうほどの衝撃で、無理やり弾き飛ばされたのだ。


 爆の体は床を跳ね、黒い壁へ叩きつけられる。


 視界が白く弾けた。


「まず覚えろ」


 遠ざかる意識の中、ディアボロスの声だけが妙にはっきり聞こえた。


「拳で戦う敵は、斬られる前に懐へ入る」


 爆は壁にもたれ、震える手でスルトの柄を握る。


「なら……入られる前に、斬りゃいいだけだろ……」


「違う」


 ディアボロスがゆっくり歩いてくる。


「斬れなかった時に、死なない体を作るんだ」


 その言葉に、爆は奥歯を噛み締めた。


 アーノルドの空気弾。

 見えない圧縮。

 反応するより早く肉を抉るドリル状の衝撃波。


 あの時、自分は何度も死にかけた。

 届くと思った一撃は避けられ、踏み込んだ足は空気の壁に狂わされた。


 足りなかったのは、火力だけではない。


 体。

 反応。

 間合い。

 そして、見えない攻撃を前にしても折れない心。


「立て」


 ディアボロスが言う。


 爆は笑った。


 血の混じった息を吐き、壁に手をつく。


「言われなくても……!」


 足に力を入れる。

 全身が悲鳴を上げる。

 それでも立つ。


 その姿を見て、ディアボロスは初めてわずかに口角を上げた。


「いい目だ」


 そして、拳を構える。


「次は避けろ」


 爆の背筋が凍る。


 直後、ディアボロスの姿が消えた。


 いや、消えたように見えただけだ。

 速すぎる踏み込み。

 重力をものともせず、巨体が一瞬で間合いを潰す。


「――ッ!」


 爆は咄嗟に横へ飛ぼうとした。


 だが、体が重い。

 足が動かない。


 避けきれない。


 だから、爆はスルトを抜いた。


 刃が走る。

 拳と刀がぶつかる。


 凄まじい衝撃が爆の腕を破壊するように駆け上がり、踏ん張った足が床を削る。


「ぐ、おおおおおッ!!」


 押し負ける。

 力の差は歴然だった。


 それでも、爆は刀を離さない。


 ディアボロスの拳を受け止めたまま、爆の瞳に火が宿る。


「太陽流――」


 刃に炎が走る。


「紅炎――」


 だが、その技名が終わるより早く。


 ディアボロスの膝が、爆の鳩尾に突き刺さった。


「――ッ、が……!」


 膝から力が抜ける。

 刀の炎が消える。


 ディアボロスは淡々と言った。


「技に頼るな」


 爆の体が崩れ落ちる。


「技は、体があって初めて届く」


 その言葉は、痛みより重かった。


 爆は床に伏せながら、震える指で地面を掴む。


 悔しい。

 悔しくて、吐きそうだった。


 烈火に太陽流を叩き直された。

 刀も少しずつ形を変え始めている。

 自分は強くなっているはずだった。


 だが、目の前の男にはまだ届かない。


 アーノルドにも、届かなかった。


「……もう一回だ」


 爆が呟く。


 ディアボロスが足を止める。


「もう一回、やらせろ」


「体は限界だ」


「知るか」


 爆は顔を上げる。


 口元から血が垂れていた。

 けれど、その目だけは死んでいない。


「限界で動けねぇなら、限界ごとぶっ壊す」


 その言葉に、ディアボロスはしばらく黙った。


 そして、静かに構える。


「なら来い」


 爆は立ち上がる。


 全身はボロボロ。

 呼吸は荒い。

 足元はふらつく。


 それでも、前へ出る。


 ――修行初日。


 火神爆は、たった二十歩の距離を進むために、何度も倒れた。


 何度も殴られた。

 何度も膝をついた。

 何度も意識を飛ばしかけた。


 だが、一度も。


 逃げたいとは、言わなかった。

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