第二章 7『届かない勝利』
爆の踏み込みは、確かに速かった。
炎を纏った刃が赤い軌跡を引き、森の薄闇を裂いてアーノルドへ迫る。
その一撃は、これまでの爆の攻撃の中でも最も鋭く、最も迷いがなく、そして最も深く相手の懐へ届いていた。
――届いていた、はずだった。
「惜しいなァ」
アーノルドの口元が歪む。
刃が外套に触れる直前、爆の足元で空気が弾けた。
「がッ――!?」
圧縮された空気の炸裂。
爆の体が下から跳ね上げられ、刀の軌道がわずかに逸れる。その一瞬のズレを、アーノルドは見逃さない。
見えないはずの目で、見えているかのように。
「けどよ、勝ちに来るにはまだ軽い」
拳が振るわれる。
触れてはいない。
だが、空気の塊が爆の腹に叩き込まれ、体がくの字に折れる。
「爆!」
滝壺が横から飛び込む。
その斬撃は低く、速く、アーノルドの膝を狙っていた。
だが、アーノルドは半身を引く。
足元を流れる空気の乱れを読んだのだ。
「そこに来るのはわかってんだよ」
指先が回る。
直後、空気が捻じれた。
回転する衝撃波がドリルのように唸り、滝壺の肩口を掠めて背後の岩を抉り取る。
直撃ではない。
それでも、衝撃だけで滝壺の体が弾かれ、地面を転がった。
「ぐ……ッ」
「滝壺!」
照夜が光を放つ。
眩い閃光がアーノルドの視界を奪う――はずもない。
「目潰し? 馬鹿かよ」
アーノルドは笑う。
「俺は最初から見えてねぇ」
次の瞬間、照夜の足元で空気が発散した。
爆発とは違う。
空間そのものが膨張し、押し広げられるような衝撃。照夜の体が宙へ投げ出され、木の幹へ背中から叩きつけられる。
「照夜!」
斬刹が叫ぶ。
叫びながらも、その足は止まらない。
二本の刃が交差し、アーノルドの外套へ深く食い込む。
硬い。
だが、完全には防ぎ切れていない。
外套の表面に、初めて明確な裂け目が走った。
「――ほう」
アーノルドの笑みが消える。
斬刹はその変化を見た。
そして、さらに踏み込む。
「そこだ」
刃が、もう一度走る。
しかしその瞬間、アーノルドの周囲の空気が沈んだ。
重い。
まるで空気そのものが鉛になったような圧迫感が、斬刹の腕を鈍らせる。
「調子に乗んな」
アーノルドの膝が斬刹の腹へ入る。
続けて、圧縮空気の弾丸が至近距離から叩き込まれた。
「がはッ――!」
斬刹が吹き飛ぶ。
地面を跳ね、土を削り、血を吐いて止まる。
それでも、完全な敗北ではなかった。
アーノルドの外套には傷がある。
頬にも、薄い切り傷がある。
四人は届いていた。
ほんのわずかに、だが確かに。
「……やるじゃねぇか」
アーノルドは頬の血を親指で拭い、それを舐めた。
「ノクスの幹部に傷つけるたぁ、思ってたより骨がある」
「へっ……褒めてんのか、それ」
爆が立ち上がる。
膝が笑っている。
視界も揺れている。
それでも、刀だけは離していなかった。
「でもな」
アーノルドが一歩踏み出す。
その一歩で、森の空気が変わった。
「いい勝負ってのは、勝てる奴が言う言葉だ」
圧縮された空気の弾丸が、四方に生まれる。
爆は歯を食いしばる。
滝壺は刀を構え直す。
照夜は震える手で光を集める。
斬刹は血を吐きながら立ち上がる。
全員が、まだ折れていない。
だが――。
「お前らはまだ、そこまで来てねぇ」
空気が、撃ち出された。
避ける。
防ぐ。
弾く。
踏み込む。
その全てを、上回られた。
爆の肩を弾丸が貫くように抉り、滝壺の脇腹へ衝撃波が叩き込まれる。照夜の光は空気の発散で散らされ、斬刹の刃は外套に阻まれた直後、回転する衝撃波に弾かれる。
一人、また一人と膝をつく。
最後まで立っていたのは、爆だった。
「まだ……終わってねぇ……!」
「終わりだよ」
アーノルドの拳が、爆の胸の前で止まる。
触れてはいない。
だが、その拳の前で圧縮された空気が、爆の体へ撃ち込まれた。
「――ッ」
声すら出ない。
爆の体が後方へ吹き飛び、地面を転がり、ようやく止まったときには、もう立ち上がる力は残っていなかった。
森に、静寂が落ちる。
勝負にはなっていた。
確かに、以前よりは遥かに戦えていた。
だが結果は、変わらない。
四人は地に伏し、アーノルドは立っている。
「覚えとけ」
アーノルドは背を向ける。
「次に会うまでに強くなっとけ。じゃねぇと、次は遊びにもなんねぇぞ」
そう言い残し、ノクスの幹部は森の奥へ消えた。
爆は土を握る。
血と泥にまみれた指が、震えていた。
悔しさで。
痛みで。
それでもまだ消えていない闘志で。
「……次は」
掠れた声が、地面に落ちる。
「次は、絶対……」
誰も返事はできない。
ただ、敗北だけがそこにあった。
だがその敗北は、終わりではない。
四人にとって初めて、ノクス幹部という壁の高さを知るための、あまりにも痛すぎる始まりだった。




