第二章 6『空気の檻』
村へ向かう道中、風が止んだ。
否、正確には止んだのではない。
空気そのものが、何者かに握り潰されたように重くなったのだ。
「――来る」
照夜が呟いた瞬間、爆の頬を何かが掠めた。
遅れて、背後の木が弾ける。
「ッぶねぇな、クソが!」
爆が身を低くする。
見えない弾丸。圧縮された空気の塊が、音より先に殺意を運んできた。
「避けたか。いい反応してんじゃねぇか、赤髪」
森の奥から声がした。
黒い外套。
目元を布で覆った男。
ノクス幹部、アーノルドがそこに立っていた。
「けどよぉ、反応できたからって勝てると思うなよ」
アーノルドが片手を上げる。
その指先が、軽く弾かれた。
次の瞬間、空気が破裂する。
「散れ!」
滝壺の声と同時に、四人が左右へ跳ぶ。
直後、彼らのいた地面が見えない砲撃に抉られ、土砂が高く噴き上がった。
防御ではない。
ただの攻撃。
だが、速く、見えず、重い。
「おいおい、逃げ足だけは一人前か?」
「黙れ、包帯目隠し野郎!」
爆が踏み込む。
炎を纏わせた刀が、一直線にアーノルドへ迫る。
だが、届かない。
アーノルドは半歩だけ体をずらした。
まるで最初からそこに刃が来ると知っていたように。
「雑だなぁ!」
拳が振るわれる。
その拳そのものは爆に触れていない。
だが、拳の前方で圧縮された空気が炸裂し、爆の体を横から殴り飛ばした。
「がッ――!」
「爆!」
滝壺が駆ける。
低く、速く、地を滑るように。
その移動は目で追えない。
だが、アーノルドには見えていた。
「そこだろ」
空気が捻じれる。
回転する衝撃波が、ドリルのように地面を抉りながら滝壺の進路を塞ぐ。
滝壺は寸前で跳躍し、刃を振り下ろす。
しかし、硬い音が鳴った。
刃はアーノルドの外套を裂けず、火花だけを散らす。
「その布、ただの布じゃないか」
「当たり前だろ。幹部様が裸同然で歩くかよ」
アーノルドが笑う。
荒々しく、獣のように。
「目が見えねぇからって、弱点だと思ったか? 残念だったな。俺にはお前らの動きが、風の乱れで丸わかりなんだよ」
その言葉に、照夜が目を細める。
「やはり、空気の流れを読んでいる」
「だったら――」
斬刹が刀を構える。
「読ませないだけだ」
斬撃が走る。
同時に、照夜の光が弾け、爆の炎が地を這い、滝壺が横へ回り込む。
三方向。
いや、四方向。
攻撃ではない。
空気の流れを乱すための動き。
アーノルドの眉が、わずかに動いた。
「……小賢しいな」
初めて、余裕が揺らいだ。
その隙を、爆は見逃さない。
「今だろうが!」
炎を纏った刃が、アーノルドの外套へ叩き込まれる。
斬れない。
だが、衝撃は通る。
アーノルドの体が後ろへ滑った。
「チッ……」
舌打ち。
それだけで、爆は笑った。
「効いてんじゃねぇか」
「調子乗んなよ、ガキ」
アーノルドの周囲の空気が膨れ上がる。
圧縮ではない。
発散。
内側から爆ぜるような衝撃が四方へ広がり、四人の体をまとめて吹き飛ばす。
木々が揺れる。
土が裂ける。
空気そのものが牙を剥く。
倒れかけた爆は、刀を地面に突き立てて踏みとどまった。
「……へっ」
口の端から血が垂れる。
「やっぱ強ぇな、テメェ」
「今さらわかったか?」
「ああ」
爆は刀を引き抜く。
「だから面白ぇ」
その目に、恐怖はない。
あるのは、昨日の敗北を焼き尽くすような闘志だけだった。
アーノルドは一瞬だけ黙り、そして笑った。
「いいぜ。もうちょい遊んでやる」
森の空気が軋む。
見えない弾丸が装填される。
回転する衝撃波が唸りを上げる。
四人はそれぞれ武器を構え直した。
まだ勝てない。
だが、届かないわけではない。
その事実だけが、今の彼らにとって何より大きな一歩だった。
――空気を支配する男との第二戦は、ここから本当の幕を開ける。




