幕間 四
事務所に寄る用事なんて、本当はなかった。駅の反対側まで歩いて、誰も来ないベンチに座って、日が落ちるまでそこにいた。
私を選べる側へ置いた、あの言い方。言葉の形だけが先に入ってきて、中身は少し遅れて届いた。届いたとたん、声の出し方が分からなくなる。何それ、と思った。私だって選ばれなかった側だよ、四つ落ちたってさっき言ったばっかりじゃん、聞いてなかったの、と喉のすぐ下までは出かかっていたのに、そこから先へ押し出せなかった。あの言い方の一部が、当たっていたからだ。
私は、受けられている。呼ばれて、席に着いて、そこで落ちる。私の前にはいつも選択肢が用意されていて、ちゃんと並べられている。誰が並べたのかを、私は考えたことがない。考えないでいられること自体が、たぶん、彼の言う選べる側なのだ。悔しいけど、そこだけは本当に、ぐうの音も出ない。
だから黙った。黙ったら、彼まで黙ってしまった。
言うつもりだったのに。来週には解禁になる連続ドラマの主演が、私にはあった。誰から先に伝えるかを勝手に決めていて、その一番はずっと神崎くんだった。筆を持っていようが、絵の具が垂れていようが、さっき美術室で、あのまま言ってしまえばよかったのだ。ちゃんと言いたい、なんて格好をつけて待っていたら、いつまでも言えない。役者のくせに、私はいつも肝心なところで台詞を落とす。
ベンチの前を、制服の子たちが自転車で通り過ぎていく。誰かの部活の鞄が揺れて、笑い声が遠ざかっていった。
街で声をかけられたあと、私がどんな顔で立っているのか。写真はだめだと断った直後に、自分の言い方が正しかったかを、家に着くまで何度も確かめ直していること。いえ、違いますよ、と迷わずに言えるようになるまでに、どれだけかかったか。彼には、そのどれも見せていない。見せていないのだから、伝わらなくて当たり前だった。
顔を見られない人の隣を選んだのは、私だ。見せなくて済むから選んだくせに、今になって、見てほしいと思っている。どこまで身勝手なんだろう。
日が落ちて、ベンチのコンクリートが冷たくなってきた。鞄の中で、スマホは震えなかった。今日はごめん、の一言でもあれば、私はすぐに返信を打っただろう。打って、それから、ずるいのは私のほうだと思っただろう。
立ち上がって、改札へ向かった。もうすぐ夏休みが始まる。神崎くんに会わない日が、始まる。




