幕間 一
校門の前に、母の車が停まっていた。
助手席に乗りこむと、母はもうウインカーを出していて、メイクさん先に入ってるって、と言いながらハンドルを切った。膝の上のスマホには、母から届いた『着いた』が、まだ開いたままになっている。授業を途中で抜けてきたことについては、何も聞かれなかった。聞かれないのは、いつものことだ。
スタジオに着くと、鏡の前の椅子に座らされる。メイクさんの指が、私の顔を端から順番に塗り替えていく。下地が伸ばされて、目の下の影が消されて、頬に色がのるたびに、鏡の中で成瀬雫ができあがっていく。中原雫のほうは、そのあいだ黙って座っているだけでいい。座っているだけでいいのは楽で、同時に腹立たしい。
「成瀬さん、入られまーす」
カメラの前に立つと、何人もの大人の目が、いっせいに私の顔へ集まった。いいね、その角度、と言われる。顎を少し上げると、もう一回、いいね、が来る。シャッターの音は、私の顔のところでだけ鳴る。
撮られているあいだ、課題の絵のことを考えていた。
神崎くんの絵の上では、桜の根元から少し左が空いていた。花びらの積もった地面が描いてあって、人の姿はない。覗きこんだとき、そこに誰かが立っているところを思い浮かべた。顔までは浮かばない。もし本当に誰かが立っていたとしても、次の週には、誰もその人を覚えていないだろう。
中原雫が立っていても、たぶん同じだ。
成瀬雫の顔ならきっと、覚えている人がいる。電車に乗れば二度見されるし、知らない人に名前を呼ばれることもある。呼ばれるのはいつも成瀬のほうで、本名で呼ばれて、振り向くのが遅れることがあるなんて、誰にも言えない。
「成瀬さん、目線、こっちもらえますか」
はい、と答えて、言われたほうへ顔を向ける。いちばんきれいに映る角度なら、もう首が覚えている。
神崎くんの前では、何も起きなかった。
最初の日、遅れて教室に入ると、話し声がひそひそ声に変わった。いつもなら、いくつかの頭がこっちを向いたまま戻らない。隣の丸椅子の人だけが前を向いたままで、私が座っても二度見しなかったし、ドラマの話も出てこなかった。こっちが少し焦るくらい、私に興味がなさそうだった。
私にとってだけ大事だった日のことを、彼は覚えていない。覚えていないどころか、私の名前だって、先生に教わったばかりなのだ。そりゃそうだよね、と心の中で言ってみたら、思っていたより、こたえた。
撮影が終わると、外はもう暗かった。帰りの車で、母は今日の写真の話をする。何枚か、モニターで見せてもらったらしい。雫はやっぱり、斜めから撮るといちばんきれいね、と嬉しげに言う。
家に帰って、鞄から画用紙を出した。枝のあいだに、同じ大きさの花びらを並べてある。隙間は、どこにもない。空けておくと、なんだか気持ちが悪くて、全部埋めた。
はみ出した線を直そうとして、筆箱を開けると消しゴムがなかった。どこかに置いてきてしまったのだと気づく。




