幕間 三
番号札の安全ピンが、ブラウスの生地を噛んでいた。
審査室の長机には、大人が四人並んでいる。真ん中の人が私のプロフィールの紙をめくって、写真の私と、目の前の私を見比べた。顔を上げたその人に、笑ってみせる。顎はほんの少し引いて、口角は左右同じ高さまで。歯は、上の六本だけ見せる。鏡の前で数えきれないくらいやってきたから、目をつぶっていてもできる。
「成瀬雫です。よろしくお願いします」
課題は、主人公の友達の役だった。部活を辞めると言いだした主人公を、引き止めずに送り出す。台詞は三つで、最後のひとつで笑う。
練習のとおりにやった。最初の台詞で目線を外して、二つ目で戻し、三つ目の前で息を吸って、笑う。笑ったところで、自分の顔がいちばんきれいに見えているのが分かった。きれいに見えていると分かっている自分の顔まで、ちゃんと見えていた。
いちばん熱心に私を採点しているのは、たぶん私自身だ。
「ありがとうございます。……写真で見るより、きれいですね」
左端の人が言った。真ん中の人は、紙に何か書きこんでいる。何を書いているのかは、ここからは見えない。見えないから、きれい、のほうを信じたくなる。
「じゃあ、もう一回。今度は、好きにやってみてください」
好きに、と言われると困る。好きにやった私がどんな顔をしているのか、知らない。知らない顔を審査員の前に出す勇気なんて、どこを探してもない。二回目も、同じところで目線を外して、同じところで笑った。
「うん。ありがとうございました」
廊下に出ると、次の順番の子が壁ぎわで鏡を見ていた。口角の上げ方が、さっきの私とそっくりで、笑いそうになる。あの子もきっと、誰かの角度を借りている。借りものの顔どうしが、同じ廊下で順番を待っているのだ。
♢♢♢
一年生の初夏にも、同じような部屋で、同じように笑った。
映画のオーディションだった。真ん中の席には中年の男の監督が座っていて、私の芝居が終わるまで、指の上でずっとペンを回している。終わると、ペンを置いて、首を傾ける。
「君の演技、なんかつまんないんだよね。中身が空っぽなんだ」
すみません、と頭を下げた。ほかに持っている言葉がなかった。何がすみませんなのかも分からないまま謝って、謝ったことで、空っぽだと自分で認めてしまった気がする。
中身というのが何なのか、今も分からない。分からないまま、アイラインの角度だけは、毎朝そろえている。中身が足りないなら、せめて外側だけはきれいにしておこうと思ったのだ。我ながら、発想が貧しい。
あの日は、午後から雨になった。
♢♢♢
結果の電話は、三日後の夜に来た。
母はリビングの隅で電話を受けて、切ってから、私のほうを向く。
「今回は、ご縁がなかったって」
これで、四つ目だ。
「次があるわよ。雫はきれいなんだから」
うん、と答えた。母の言う、きれい、には、いつも続きがない。きれいだから何なのか、きれいなのにどうして落ちたのか、その先を、母は一度も口にしたことがない。言えないのかもしれないし、続きがあるとは思っていないのかもしれない。どっちにしても、同じことだ。
部屋に戻って、ベッドに座った。トークの一覧を指で下へ送っていくと、優子と美奈のグループや、マネージャーや母とのやりとりのあいだに埋もれるようにして、神崎くんの名前があった。そこで指が止まる。四つ落ちた、と打てば、たぶん、そうなんだ、と返ってくる。それ以上のことを、彼は聞かない。
聞かないでいてくれる人に、全部だめだった、と言ってみたかった。




