名前のない魔物
北丘の外れで羊が二頭消え、夜ごと地面に深い爪痕が残るようになった。王国兵は帝国の工作だと疑い、農夫は山の魔物だと言った。セイルはどちらとも決めず、羊小屋の柵を調べた。噛み千切られた木には、湿った苔が付いている。山奥の谷にだけ生える種類だった。
若い剣士は魔物退治の依頼を欲しがったが、軍は丘の守備を抜けられない。セイルはギルドへ連絡し、魔物を追う経験のある二人を呼んだ。彼らは毛の付いた柵を見て、大型の岩山獣だろうと告げた。だが繁殖期でもないのに里へ降りる理由が分からない。
三人で谷を辿ると、獣の巣へ続く斜面に帝国軍の砲弾が転がっていた。試射で飛んだものらしい。巣の入り口は崩れ、獣は休める場所を失っていた。セイルは討伐より、山の反対側へ誘導する方法を選んだ。獣に見つからぬ風下を通り、谷の出口へ羊脂を置く。動物が必ず従う保証はなかった。
日没近く、岩陰から毛の長い獣が現れた。若い剣士が剣を構えたが、セイルは腕を下ろさせた。獣は人へ向かわず、匂いを追って山へ戻った。羊の損害は消えない。セイルは村に柵の補修を勧め、砲弾の位置を軍へ知らせた。
獣の巣を塞いだ砲弾は、不発のまま残っていた。セイルは触れようとした剣士を止め、軍の工兵へ場所を知らせた。獣が去っても爆発の危険は消えない。谷の入口には危険を示す札が立てられ、山仕事の者へ別の通路が案内された。
翌朝、爪痕は増えていなかった。農夫は「もう安全か」と聞いた。セイルは「今夜は分かりません」と答えた。獣が歩く場所も戦場となり、以前の安全はどこにも保証されていなかった。




