古い署名の価値
レオンハルトの机に、先帝時代の交易協定が置かれた。王国からの木材輸入を続ける代わりに、帝国の鍛造品に高い関税を認めた文書である。開戦したいま協定は宙に浮いていたが、帝国商人の一部は旧税率で関税を請求され、二重に支払っていた。
宰相リディアは協定の破棄を進言した。皇帝は署名の日付を確かめた。父が病床に伏す三年前、両国の河川洪水の復旧資金を集めるための臨時措置だった。更新条項は存在するが、必要な相手国の確認印が欠けていた。協定が失効していた可能性がある。
「戦争の理由として使えるではありませんか」と廷臣が言った。レオンハルトは文書を閉じた。「失効した契約で徴収した金を返すことと、戦を続けることは別だ」帝国内の過徴収分を精算する命令を出し、王国分については戦後に協議できるよう証憑を保管させた。
クラウスには難しい顔が浮かんだ。兵は敵の地に立っている。皇帝が同時に古い契約を正す意味が分からないのだろう。レオンハルトも、最前線で汗をかく兵へこの紙束を見せる気はなかった。
エリスは震えた筆跡の横に、父が以前描いた花の絵を置いた。政治の書面と違い、花はひどく不器用だった。レオンハルトは初めて笑った。帝国を導いた人間にも、苦手なことがあった。その事実が、父を遠い像から少し近づけた。
晩餐の席で幼い皇妹エリスが、父の署名を見て指を止めた。「字が震えている」と呟く。レオンハルトは紙を受け取った。確かに父の筆は末尾だけ細くなっていた。皇帝としての条文には不備があっても、父が震える手で国を守ろうとした時間は消えない。




