橋の向こうの名
帝国皇帝レオンハルトは捕虜交換の書面に署名した。王国兵二人と、王国側にいる帝国兵数人の交換である。人数は同じでなくてもよい。双方が負傷者を手当てし、帰す意思を示すことが重要だった。
リディアは交換の立会人に中立の商人を使う案を出した。この大陸には帝国と王国しかないが、国に属しても戦場の両側で商う者はいる。年老いた塩商人が選ばれ、双方の軍票を使った経験から信頼を得ていた。
皇帝はその商人への安全保証を命じた。「途中で兵が捕らえては交渉にならん」
前線では、王国側の相談役の名が繰り返し報告に現れていた。古砦の水、村の鐘、騎兵の撤退、川岸の白石。報告官は別々の出来事だと言ったが、皇帝には同じ種類の注意が感じられた。人が戻る道を、先に残す考え方だ。
「セイル・ラウゼンを呼び寄せることはできますか」とリディアが尋ねた。
「敵として働いている者を、今ここへ呼ぶ理由がない」
皇帝は会うことを急がなかった。噂の男がどれほど優れていても、王国の将軍が判断し、兵が実行している。相手を一人の能力で説明すれば、王国全体を見誤る。
塩商人は橋の中ほどに、双方の兵が武器を置く目印を引いた。皇帝はその決まりを尊重し、帝国側の指揮官にも徹底させた。商人には旗も階級もない。だが長年川を渡ってきた経験が、たった一日の安全を支えることもある。 それは約束だった。
夜、皇帝は戦場の地図にある高台を指で押さえた。橋の向こうへ一本の道ができたが、それだけで戦は終わらない。翌日には捕虜の交換がある。敵の名を覚えることも、国を治める者の責任の一つだった。




