渡さない地図
帝国皇帝レオンハルトは、王国の国境地図を裏で売ろうとする商人を捕らえさせた。商人は古い測量図を持ち、城門の位置や井戸の数を記していた。買えば役立つかもしれない。だが出所を確かめると、王国の役所で働いていた者が借金のため持ち出した図面らしい。
クラウスは買い取るべきだと言った。敵の情報は貴重だ。皇帝は紙を広げ、折り目にある湿気の染みを見た。王国の洪水以前の地図で、支流が今の位置と違う。古い図面を信用して兵を進めれば、危険が増す。
「情報の価値は、秘密かどうかではない。正しいかどうかだ」
商人には法に基づく取り調べを受けさせ、図面を軍の測量官へ渡した。古い河道を知る資料としては使えるが、現在の進軍路には使わない。皇帝はそう記した札を付けさせた。
リディアは別に、王国で避難民の受け入れに使われた空き家の記録を示した。城下の役所が持ち主ごとに鍵の扱いを記しているという。戦の準備に追われながら、民の財産を帳簿へ残す手間を惜しんでいない。
「王国は混乱していない、と見るべきでしょうか」
「混乱しているから、記録が要るのだろう」
皇帝は地図の上へ重ねられた小さな紙を整えた。こちらの軍も完璧ではない。伝令が迷い、橋の工事が遅れ、食糧が湿る。その一つ一つを消す仕事に、敵もまた時間を費やしている。
古い地図を売ろうとした商人は、自分が騙されたのだと弁解した。皇帝はその言葉も調書へ残すよう命じた。真実かどうかは別だ。罪を調べるとき、都合のよい部分だけを記録すれば、やがて軍も同じ誤りを犯すようになる。
夜、帳簿係が鍵の話を持ち帰った。帝国にも空き家はある。戦の向こうにある町を統治するなら、今から学べることがあった。




