槍の届かぬ距離
王国の前線で、帝国の小隊が葦原を抜けて現れた。王国兵は槍を構えて迎えようとしたが、足元には柔らかな泥が広がる。セイルは隊長から側面の守備を頼まれ、短い槍を受け取った。彼の身体は敵との距離と地面の硬さを同時に測っていた。
最初の敵兵が踏み込んだ瞬間、セイルは槍を前へ出さず、柄の後ろを地面へ当てた。力の向きが変わり、突いてきた相手は足を取られた。しかし次の兵は槍を投げ、王国兵の肩に刺さった。セイルは弾くより負傷者を引き寄せる動きを選んだ。最適な一手が、別の場所の傷まで防ぐわけではない。
隊長は葦原へ追撃しようとした。セイルは泥に沈んだ盾を見て、退路が狭いと伝えた。王国軍は浅い丘へ下がり、弓兵が遠くから牽制した。帝国兵もそれ以上進まず、葦の向こうへ消えた。奪われた土地は小さかったが、双方が新しい地形の危険を覚えた。
救護所で肩の矢を抜かれた兵は、敵を倒せなかったことを悔やんだ。セイルは槍を拭い、追わなかった判断を説明した。兵は納得しきれない顔をしたが、仲間が無事に戻ったと聞くと少し表情を緩めた。勝利の印は立たず、包帯だけが増えた。
交戦後、泥の上には二種類の足跡が重なった。王国兵は誰が先に踏み込んだかを議論したが、雨水が形を崩し、確かなことは言えない。セイルは負傷した仲間の位置と退路だけを記録へ残した。敵の全貌を一度で知ることはできない。
夜、セイルの掌には槍の柄が擦れた傷が残った。《適正》は体を動かす角度を選んだが、泥で滑る指先までは守れなかった。彼は手当てを受けながら、葦原へ明日立つ兵の靴を調べるよう頼んだ。次に戦う場所は、今日とは同じ地面ではない。




